那覇市首里赤平町の北にある「虎瀬山」は、標高130mの琉球石灰岩の丘陵です。虎頭山、虎山とも呼ばれました。遠くに海を見渡せる景勝の地で、琉球王国時代は、「虎瀬ヌ御殿」と呼ばれる別邸があり、「首里八景」の一つとして「虎山松涛」と謳われました。
現在は、頂上一帯が、「虎瀬公園」として整備されています。公園内にある「佐藤惣之助の陶碑」は、当初、琉球大学敷地内(現首里城)に設置されましたが、首里城復元にともない、虎瀬山公園内に移設されたものです。「虎瀬山公園」高台からは、那覇市内や首里城などを見渡すことができます。公園に隣接して、「赤平保育所」「沖縄青少年研修センター」などがあり、保育所では、「こいのぼり」が掲げられていました。
01-0424 虎瀬公園
02-0424 虎瀬公園
03-0424 虎瀬公園管理事務所
04-0424 虎瀬公園
05-0424 虎瀬公園
06-0424 虎瀬公園
07-0424 虎瀬公園管理事務所
08-0424 虎瀬公園
09-0424 惣之助陶碑
10-0424 惣之助陶碑表
11-0413 惣之助の詩
「宵夏(佐藤惣之助) しづかさよ、空しさよ/この首里の都の宵のいろを/誰に見せよう、眺めさせよう/まつ毛に明星のともし灯をつけて/青い檳榔樹の扇をもたし/唐の若い詩人にでも歩いてもらはう/ひろい王城の中門の通りを/水々しい蛍を裾にひいて/その夏服を百合の花のやうに/この空気に点じいだし/さて、空しい空しい/読めばすぐ消えてしまふやうな/五言絶句を書いて貰はう」
参照(佐藤惣之助 - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%83%A3%E4%B9%8B%E5%8A%A9)
参照(宵夏 佐藤惣之助 http://www.midnightpress.co.jp/poem/2009/06/post_94.html)
12-0424 惣之助陶碑裏
13-0424 惣之助陶碑裏
14-0424 惣之助陶碑裏
「詩人佐藤惣之助は神奈川県川崎市の出身で大正十一年南島各地を巡遊の後琉球諸島風物詩集を著し異色ある作品として詩壇に名聲を博したまたしばしば随筆により南島の風物を紹介するなどこの地に愛情をいだくことほとんど郷土に対する以上のものがあったが昭和十七年五月十五日不帰の客となった 沖縄に親愛の情を寄せる川崎市民は惣之助の記念としてまた一つには沖縄と川崎とを結ぶ友情の絆としてこの詩碑を沖縄の人々に贈も特にこれを陶碑として浜田庄司氏に嘱し壺屋の窯で製作したのは氏が同じ川崎市の出身でありかつはつとに沖縄陶芸の眞價を認めその傳統の維持と紹介に尽力されてきた縁による昭和丗年五月十五日 古江亮仁誌す」
15-0424 虎瀬公園
16-0424 虎瀬公園
17-0424 虎瀬山案内板
18-0424 虎瀬山案内板
「虎瀬山(トゥラジヤマ)…首里城の北北東、首里赤平(しゅりあかひら)町の北沿いに延びる標高130mの琉球石灰岩の丘陵。頂上の岩石が虎の頭に見えたことから虎頭山(トゥラジヤマ)、虎山(トゥラヤマ)とも表記され、遠くに海を見渡せる景勝の地として知られる。 琉球王国時代、松の生い茂る虎瀬山には『虎瀬ヌ御殿(トゥラジヌウドゥン)』と呼ばれる小規模な別邸(創建年不明)が造られ、王家の遊覧地となっていた。虎瀬山の景勝は『首里八景(しゅりはっけい)』の一つとして『虎山松涛(こざんしょうとう)』と謳(うた)われ、『松』・『月』を歌題に虎瀬山を謳った詩歌が多く残された。 廃藩置県(1879年)の後、『虎瀬ヌ御殿』は廃され、沖縄戦(1945年)で虎瀬山の松林も消失した。戦後丘陵の東側及び周縁部は削られ宅地化されたが、1982年(昭和57)に頂上一帯が整備され『虎瀬公園(とらせこうえん)』となった。 園内に建てられている歌人佐藤惣之助(さとうそうのすけ)の歌碑は、1959年(昭和34)琉球大学敷地内(現首里城)に設置されたが、首里城復元にともない1992年(平成4)この地に移設された。」
19-0424 眺望
20-0424 眺望
21-0424 眺望
22-0424 眺望
23-0424 眺望
24-0424 眺望
25-0424 眺望
26-0413 虎瀬公園
27-0413 虎瀬公園
28-0413 ユリ
29-0413 ユリ
30-0413 ユリ
31-0413 虎瀬公園
32-0413 虎瀬公園
33-0424 赤平保育所
34-0424 こいのぼり
35-0424 沖縄青少年研修センター
佐藤惣之助詩歌碑(サトウソウノスケシカヒ) 那覇市歴史博物館 (http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%83%A3%E4%B9%8B%E5%8A%A9%E8%A9%A9%E6%AD%8C%E7%A2%91)
今年になって元の琉大敷地(首里城)に戻そうとの運動があります。
国立公園としての「お決まり」があっての当時の行動だったとは、思いますが、
現状みると寂しい限りです。
私の個人的な感想として
大先生の詩碑の有るべき場所には似合わないと思います。
これは、ぜひ、首里城に移設すべきです。
移設した当時の関係者を探してみます。