”スローライフ滋賀” 

【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第6回) 1975年 超格安ツアーで行ったサイパン島

 1975年、超格安で「サイパン島」に2泊3日の旅をしたことがある。
サイパンは北マリアナ諸島の1つの島で太平洋戦争で日本軍が全滅し、隣りのテニアン島からはあの「エノラゲイ号」が飛び立ち広島へ原爆を投下した時の島々である。


 このサイパンへの旅は先輩の奥さんがトラベルエージェントに勤めていて、急に団体旅行に空きが出たから行かないかとお誘いがあったからだ。ツアー実施の最低人数を満たしているので定員に空きがあっても実施されるため来ないかと言うのである。
 ツアー日の数日前の急な話だったがパスポートもあり、後輩にも伝えたら是非行きたいとのことだったので3人で出掛けることにした。
旅費は手数料のみで殆どタダでも良いと言われたが悪いので気持ち分支払った。それでも超格安だった。
但し、条件は同乗客には他言しないことで。。。

 太平洋戦争時の激戦地「サイパン」まで大阪発のJALのチャーター便で3時間半程度だったと思う。
初めてのリゾート地で、プチアメリカ気分を味わい、綺麗な海で存分に楽しんだ。車は右側通行だった。日本の運転免許証を提示すればレンタカーを貸してくれた。この頃のグアム・サイパンはハワイよりも近くでプチハワイとして人気が高まっていたのだ。観光客は日本人だらけ。外国とは思えなかった。

 眩い太平洋の太陽ときれいな海を堪能したサイパンであったが島での記憶が余り残っていない。
このときは突然に降って沸いたバカンスの旅で主体的な旅ではなかった。今なら太平洋戦争時の歴史を調べ史跡などを見たに違いない。
サイパンにはそれ以来訪れたことはない。サイパンは更に観光開発されているだろうが今はどうなっているのか知らない。

 そんなサイパンの旅であったがその時一緒に行った後輩の一人は早逝し、もうこの世にはいない。46年前のつかの間のサイパン旅行であった。
 しかし、旅はこれで終わらない。。。 翌1976年の南太平洋諸島への旅、ヒマラヤの国々への旅行計画、アフリカなどへの旅に続く序章の一部だった。
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