井伊 直愛(いい なおよし、1910年(明治43年) - 1993年(平成5年))は、水産学者、政治家、旧彦根藩主井伊家の第16代当主。伯爵。元彦根市長。彦根市名誉市民。滋賀県彦根市出身。
最後の彦根藩主井伊直憲(なおのり)の孫、伯爵井伊直忠の長男。幕末の桜田門外の変で水戸浪士に討ち取られた事で有名な大老「井伊直弼」の曾孫。
ヒストリー
海軍軍人志望だったが体格に自信がなく、また当時の軍を支配していた藩閥を嫌って学問の道に進み、東京帝国大学農学部水産学科から同大学院に学ぶ。専門はアミ類で、約50種の新種を発見した。東大農学部嘱託、文部省資源科学研究所や滋賀県水産試験場、滋賀大学経済学部講師などを歴任した。
1947年(昭和22年)、父直忠の死去から間もなく華族制度が廃止され、井伊家の伯爵位も失効した。
1953年(昭和28年)から1989年(昭和64年)まで、9期36年間に渡って彦根市長を務め、「殿様市長」と呼ばれた。
在任中の1968年(昭和43年)、明治百年を契機に、桜田門外の変以来の歴史的わだかまりを超えて彦根市長として、井伊家当主として、水戸市の木村伝兵衛市長と話し合い、同市と親善都市盟約を締結した。
公務の傍ら水産学の研究を続け、1961年(昭和36年)には25年がかりの研究論文「極東海域におけるアミ類の分布に関する研究」で農学博士号を取得した。1989年(昭和64年)に勲二等瑞宝章を受章しているが、同年にはまた市長選挙で獅山向洋に敗れ、市長の任を終えている。
1993年(平成5年)12月2日、胃癌のため彦根市松原町の自宅で逝去した。83歳没。
家族
双子の弟である井伊直弘(別名正弘)も東京帝国大学農学部を卒業した昆虫学者で、農林省に勤務した。
妻で歌人・随筆家の「井伊文子」は琉球王朝最後の国王「尚泰王」(1843年(道光23年) - 1901年(明治34年))の曾孫である。
17代当主は長男に井伊直豪がなり、孫娘の婿養子に井伊直岳がいる。現在の当主井伊岳夫(たけお)は第18代目に当たり、血脈を生かし、彦根城博物館の館長を務めた。
<Wikipedia引用>
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