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【滋賀・近江の先人第260回】言霊学者・望月幸智(甲賀市)

  望月幸智(ゆきのり)(1766年(明和3年)-1836年(天保7年))、甲賀郡油日村毛牧(甲賀市)出身の言霊学者

 望月家は甲賀三郎(長野県諏訪地方の伝説の主人公の名前)の末裔で、代々眼科医の家系であった。
 40歳の時、立川政伸の口添えで、堀田氏に仕えたという。事実とすれば年代からは、宮川藩の堀田正穀のことになる。立川政伸は近江心学の第一人者と言われる人で、幸智も心学を研鑽していたらしい。

 望月幸智は、文政初年(1818年頃)、京都で言霊学者・中村孝道(産霊舎)と出会い、入門。孝道よりだいぶ年長だったらしく、舎中では中村忠次(掃部)と並んで、「両老人」と呼ばれていた。

 晩年の幸智は「言霊学」の普及に力を注ぎ、師・孝道に同道し中国筋に講義に赴き、北国筋には単独で巡歴講説を試みている。北陸筋の言霊学講説には記録が残っており、文政11年(1828年)に越中に行ったことが分かる。富山では高安定重・五十嵐篤好が入門し、翌年加賀金沢では加賀藩士を入門させている。

 天保2年(1831年)頃には郷里に帰って私塾「言霊舎」をつくり、近隣の師弟教育に努めている。言霊学も伝授したらしく、立川政伸の二男・政瑞も教えを受けたようである。

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 因みに、東近江市にも心学に通じた「小島伝兵衛一音」がいた。立川政伸や望月幸智とも同世代であり、心学を通じて互いに知っていたに違いない。


【滋賀・近江の先人第81回】東近江の地元民に「石門心学」の普及に尽くした・小島伝兵衛(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/e6e6c45426c03185d1b73079bbbc91e0


立川政伸(政伸は諱(いみな))、1756年生~1815年没・出身字―和田・近江心学の第一人者)、その妻、立川貞信(本名-のぶ・諱-貞信)、その息子、立川政瑞(政瑞は諱)。

堀田 正穀(ほった まさざね、宝暦12年(1762年)- 文政2年閏4月25日(1819年6月17日))は、近江宮川藩の第5代藩主。堀田家宗家7代。

言霊(げんれい)学とは
言霊学とは何かを、一言で言い表すことは難しい。あえて言うならば、人間が知覚できる言語(会話や文字)の状態になる以前の様子を「言霊」とし、それを捉えんとする学問である。言霊が姿や形をもって立ち現われるのではなく、言霊は姿や形を与えるものである。言霊の文字に「霊(むすひ)」という字が使われているのもそのためである。

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