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【国際線フライトと海外の旅の物語】 (第42回) ノーマルチケットでも搭乗拒否されたカイロからJAL便

 日本航空はいつまで飛ばしていたか定かでないが1979年の時点、週1便エジプトのカイロー東京の定直通便があったし、ブラジルのサンパウロ便は1980年代後半から2005年まで運行していた。

 ことは、1977-1979年のザンビアでの任務を終え帰国途中の1979年9月、カイロでの旅の出来事である。

1979年9月、カイロからパリ経由の東京成田行きのノーマルチケットを持っていたのでJALのカイロー東京便で日本に帰りたくなった。
 しかし、現地のJALでこのチケットの発行条件を理由に搭乗を断られた。
理由はこのチケットの第一発券国のザンビア通貨下落で、外貨との交換期間が長いため、余り有難くないチケットだったのである。
そんなことはその時この事態に遭遇するまで知らずノーマルチケットは便の変更はフリーだと思っていた。
 勿論、UTAフランス航空、フランス航空の利用は何ら問題なく、JAL便の利用は諦め仕方なく元々予約のフランス航空便のパリ経由で帰国した。
 その時、パリはトランジットでドゴール空港近くのホテル1夜滞在(費用はフランス航空負担)だけだった。よってパリは一歩も外に出られしまいだった。

 2年間のアフリカの任務を終え、日本への帰路西アフリカツアーを経験して2年振りに1979年9月上旬帰国したのだがカイロを立って以降のことはよく覚えていない。心は日本へ一気に向いていたのだろう。

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