近江心学の第一人者・曾秋立川金右衛門政伸は、宝暦8年(1758年)近江国甲賀郡和田村(甲賀市)に生まれ。
同家は代々、旗本伊賀守和田伝十郎の代官の家柄で政伸は3代目右衛門政峯の二男として生まれた。
家業は農業を主とし、米、粟、綿などの交易にも携わり、藤堂高虎家などの高位武家の金融にも応じていた。
政伸は若い時から俳諧を親しみ、幻阿法師に師事した。寛政2年頃、心学に触れ心学者石田梅岩門人に接し、心学に傾斜する。
石田梅岩の弟子「手島堵庵」の心学は広範な社会教化を特色とするものであった。それは都市中心の心学が'農村へと拡大されることを意味した。曾秋は「農村の知識人」としてその尖兵の役割りを果たした。役割りを担うに充分な見識を蕉門俳詔の教養で身につけていたからこそ曾秋はそれをなし得たと思われる。
曾秋立川金右衛門政伸の心学入信後の生活26年間を3期に分け寛政2年から同9年までの9年間(33才〜40才)を修行時代、寛政10年から文化4年までの10年間(41才〜50才)を近郷近国へ教化布教に出向-ようになった時代、文化5年から同12年までの8年間(51才〜58才)を心学振興に浮身の力を注いだ時代とされる。
立川骨秋(宝暦8年(1758年)-文化12年(1815年)は今日ではほとんど無名の「一地方知」 であるがしかし、当時、アクティブな「心学運動家」つまり「社会教育者」であったようだ。
【滋賀・近江の先人第81回】東近江の地元民に「石門心学」の普及に尽くした・小島伝兵衛(東近江市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/d/20200110
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<立川曽秋と『曽秋随筆』田中道雄論文参照>
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