外村 与左衛門5代目(とのむら よざえもん)、天和2年(1682年)〜明和2年(1765年)。近江商人。
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近江国神崎郡金堂村(現東近江市五個荘金堂町)出身の名家で、与左衛門を世襲し、外村家の総本家。屋号は『布屋』、『近江屋』。現在の「外与(とのよ)」の創業家。
外村家は源平の有名な那須与市宗高の末孫の金堂充の後裔と言われ、先祖代々金堂村の百姓。
上層農家の外村家を嗣いだ5代目外村与左衛門(照敬)(天和2年(1682年)生 - 明和2年(1765年)没)は、
1697年、19歳の時から持ち下り商いを姫路、兵庫、大坂、堺などに行商を始め、外与の創業者と言われる。
元禄13年(1700)、5代与左衛門照敬、「布屋」の商号を定めて麻を商う。(外与の始まり)
正徳3年(1713年)、4代から家督を継いだ。
享保11年(1726年)には行商先も東は名古屋に留まっていたが東海道から江戸へと広げた。
色々と試行錯誤を重ね、初めて江戸へ布商いに下った時も、損失を出したが5代目は諦めずに、荷物の運送に馬や飛脚を利用する大型行商に励んだ。外村家の子孫もこの行商を受け継ぎ、京店、大坂店を設けた。
六代目は商才に優れ、富豪の仲間入りしている。
九代目外村与左衛門(とのむら よざえもん、天明8年(1788年)- 天保13年(1842年)は、江戸時代後期の近江商人、総合繊維商社である外与の創業家・与左衛門家の中興の祖と言われる。
九代目は、京都、大坂に出店し、行商段階から店舗事業へ移り、更なる隆盛を極め、創業後明治期を含め与左衛門家の最盛期となった。
大正13年(1924)、12代目外村与左衛門は、神崎郡金堂村に本店とした現在の外与の「呉服木綿卸商」の当主だったが代々伝わる遺訓「積善ノ家ニハ余慶アリ」を守り、身寄りのない貧民や不幸な者を救済したり、神社仏閣や公益事業などにも、多額の寄付を惜しまなかったと言われる。
現在の、外与株式会社(京都)は婦人服のアパレル部門を中心に、キモノ、浴衣・和雑貨 部門から、小売のショップ部門まで幅広く取り扱う総合繊維商社である。
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