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【滋賀・近江の先人第30回】明治を生き抜いた近江商人・阿部市郎兵衛(東近江市)

阿部市郎兵衛(あべ いちろべえ)家は近江国能登川の近江商人。屋号は『紅屋』或いは紅市又は布市。紅染布の元祖。
 
 江戸時代後期、代々「麻布問屋」である『能登川の阿部家』は、『五個荘の山中家』と『高宮の堤家』と共に、『近江三福』の一つと言われた。
紅花を求めて阿部市郎兵衛家が東北最上地方に足跡を残したのは寛政年間である。その頃には10家の八幡商人が進出し、湖東商人では小林吟右衛門家(丁吟)、塚本定右衛門家(紅定)、阿部市郎兵衛家(紅市)、伊藤忠兵衛家(紅忠)なども「紅花」を扱っていた。
 山形最上藩と近江の結びつきは、近江大森藩(東近江市)に最上家が移封された以降での関係によると考えられている。(元和8年(1622年)8月、最上家は最上騒動と呼ばれるお家騒動のため、武家諸法度違反により改易となった。最上義光の時代には50万石もあったが近江大森にわずか1万石をもって転封となった)
 
江戸期における阿部家の京店は、本家、分家乗合(共同経営)の出店だった。本家は布一式、京店では布以外を扱った。明治維新期も阿部一族として乗合事業を展開した。本家・分家が乗合で事業を展開することは近江商人としては珍しく、これが故に他の近江商人家と異なり、一族それぞれが経済界に重きを置くことができた。
 
 
7代目阿部 市郎兵衛蓮永(あべ いちろべい、天保8年(1837年) - 明治37年(1904年))は、明治維新期の近江商人。
 
天保8年(1837年)近江国神崎郡能登川村(現滋賀県東近江市能登川町)に生まれ、幼名を元太郎と言った。
父は近江商人阿部市郎兵衛家(屋号『紅屋』)の分家阿部市太郎家の2代目当主(通称吉太郎)である。
本家市郎兵衛家には継嗣がなく、元太郎が伯父である6代市郎兵衛の養子になり、安政4年(1857年)20歳で7代市郎兵衛として家督を継いだ。
家督継承後、紅屋家業の麻布商を営むと共に、米穀肥料問屋業務を新たに始め、その発展に伴い千石船を十数隻支配して、北海道・九州など各地の物産を江戸・大阪輸送し、販売を行った。
明治12年(1879年)には西洋型帆船を建造し、明治15年(1882年)にも千五百石積帆船を新造した。矢継ぎ早の帆船新造は評判となり、東京商船学校の研修も受け入れたと伝えられる。
明治維新による産業興隆機運の中、市郎兵衛も新規事業への参入意欲は旺盛で、様々な事業に進出、または支援を行った。
繊維産業・鉄道・銀行など各種事業の支援者となり、日本の産業育成に貢献した。
 
晩年は弟である2代目市三郎の長男を養子とし、市郎兵衛家8代目浄幸として家督を譲ったが、7代目に先立ち明治35年(1902年)に8代が死去した。このため7代目市郎兵衛本人が亡くなるまでの間、阿部家の家政を見、明治37年(1904年)に没した。
 
 
7代目阿部市郎兵衛の業績
関西鉄道
滋賀県議会議員弘世助三郎・馬場新三・高田義助、滋賀県知事中井弘等は京・三重県・滋賀県の有力者に呼び掛け、京より名古屋を直接結ぶ鉄道敷設を計画し、阿部市郎兵衛を始め、三重県桑名船馬町(現桑名市)の諸戸清六、京都市上京区春帯町の濱岡光哲、東京市華族井伊直憲等11名が発起人となり、明治20年(1887年)3月30日関西鉄道株式会社の設立を申請した。明治21年(1888年)3月1日、関西鉄道会社設立(資本金300万円)に対し免許が交付され、翌年滋賀県内の草津・三雲間が開通し、順次営業区間は広がっていった。
 
阿部ペイント製造所
明治21年(1888年)阿部ペイント製造所を大阪に設立し社長に就任した(昭和4年(1929年)鉛粉塗料に買収され現在大日本塗料)。
 
金巾製織(かなきんせいしょく)
明治21年(1888年)8月、滋賀県知事中井弘の勧奨に応じて、阿部周吉・小泉新助・山中利兵衛・伊藤忠兵衛・中村治兵衛・西川貞二郎等滋賀県有力者(近江商人)と共に発起人となり金巾製織株式会社を設立(本社、大阪四貫島)。
明治23年(1890年)1月、初代社長となり、他に役員として阿部周吉・3代目阿部市太郎・小泉新助・中村治兵衛・高田義甫・田村正寛、監査役として西川貞二郎が就任した。
明治39年(1906年)大阪紡績、明治15年(1882年)設立し、(市郎兵衛は発起人)と合併、大正3年(1914年)三重紡績と合併し、後の東洋紡になる)。
 
阿部製紙所
明治24年(1891年)洋紙需要の急増に国産で対応すべく阿部製紙所を大阪西野田新田に設立し、社長に就任。
製紙工場は火災にあうなどしたが、明治31年(1898年)新工場を建設、明治34年(1901年)に個人経営から阿部製紙合資会社に改組した(日本製紙(株)を経て富士製紙と合併し、現在王子製紙)。
 
近江銀行
明治27年(1894年)近江銀行創設に加わり、監査役に就任した。
 
近江鉄道
滋賀県湖東地区は当時鉄道ルートから外れていたことから、湖東平野を縦断し、東海道本線彦根駅と関西鉄道深川駅(現甲南駅)を結ぶ鉄道計画が持ち上がった。明治26年(1893年)11月大東義徹(司法大臣)・林好本(彦根市長)・西村捨三等の旧彦根藩士族と中井源三郎・下郷傳平等有力近江商人を中心に44人が発起人となり明治29年(1896年)資本金100万円で近江鉄道株式会社が設立した。
設立当初発起人等が役員となったが、資本金100万円では計画の半分も鉄道敷設できず、設立当初より資金繰りが厳しく、明治31年(1898年)役員全員が辞任し、新たに市郎兵衛が社長に就任し、阿部市三郎等が役員となった。
明治34年(1901年)3月優先株式2万株(100万円)の発行を決定し、そ大半を丁吟(3代小林吟右衛門)と阿部一族(阿部市郎兵衛家・阿部市三郎家等)が引き受けた。
大正13年(1914年)までに彦根-貴生川・多賀線が開通した後宇治川電気(関西電力の前身の一つ)の系列に入り、西武鉄道グループの傘下となる)。
 
その他
大阪の繰綿問屋の共同出資により明治20年(1887年)設立した有限会社内外綿(後にシキボウ傘下)、
明治28年(1895年)1月設立真宗信徒生命保険(現東京生命)・創業大日本製糖株式会社(現大日本明治製糖)、
明治29年(1896年)開業京都企業銀行(大正元年(1912年)9月破産申請)・愛知県の明治銀行(昭和13年(1938年)8月業務廃止)、
明治31年(1898年)開業七尾鉄道株式会社の他に浪花紡績・京都絹糸紡績・京都硫曹(現日産化学)等の設立発起人、役員になった。
 
7代市郎兵衛蓮永は、これら新規事業創設に当たり、阿部一族として活動した。金巾製織では弟である3代目阿部市太郎が市郎兵衛の後社長になり、阿部利兵衛家3代周吉や市太郎の養子房次郎(後に東洋紡績社長)も役員として活躍した。
近江鉄道では市郎兵衛の同じく弟である2代目阿部市三郎が、市郎兵衛の後に社長となった。
また、従兄弟である阿部市次郎家の2代目阿部彦太郎は、市郎兵衛が展開した回船事業の後を受け大阪商船等の役員となり、内外綿の初代社長となった。
 
阿部市郎兵衛家
阿部奥右衛門:1720年(元禄15年)に没した阿部市郎兵衛家の家祖とする。
 
阿部奥右衛門(2代)教善:この代より代々「市郎兵衛」とした。
 
阿部奥右衛門(3代)教祐:
 
阿部市郎兵衛 (4代)専祐:江戸時代中期の人。3代市郎兵衛の子。近江麻を播州方面に行商し、販路拡大して1790年50歳で没した。娘に養子を迎え阿部市太郎家を建てた。
 
阿部市郎兵衛 (5代)常省:(明和4年(1767年)-天保6年3月(1835年4月)、4代市郎兵衛専祐の子、1767年生まれ。麻布商を営み、紅染め業を始め「紅市」の名を広める。享和の頃には利子をとり3-6ヵ月間の延べ売り(掛け売り)販売を始め、利子収入も加わり富をえる。父の遺志を継いで、1793年奧州の紅花を使った紅花布を創製し、1803年に紅絞り布を開発した。彼は麻布の割賦販売を始め、阿部家の基礎を確立した。
 
阿部市郎兵衛 (6代)浄廉:(寛政8年(1796年)-安政5年1月(1858年2月、5代市郎兵衛常省の子)麻布・海産物なども扱い、北海道、奥羽に販路を広げ豪商となる。6代浄簾1794年生まれには弟に、市太郎、市次郎、市三郎があった。
 
阿部市郎兵衛 (7代)連永:(天保8年(1837年)-明治37年(1904年)、2代市太郎の長男・6代市郎兵衛の養子)6代浄簾に子がなかったので、市太郎の長男(幼名元太郎)が7代市郎兵衛蓮永の宗家を引き継いだ。晩年8代浄幸に譲り明治37年68歳で没した。
金巾製織(現在の東洋紡績の前身のひとつ)、近江銀行等の創業者の一人。
 
阿部市郎兵衛 (8代)浄幸:(1847年-明治35年(1902年)55歳没、6代浄簾の弟2代市三郎の長男・7代市郎兵衛連永の養子)
 
阿部シゲ(9代):市郎兵衛家9代目当主。嫡子が生長するまで8代浄幸の妻シゲが家督を相続した。
 
阿部市郎兵衛 (10代):シゲの孫だったが市郎兵衛家は後継者が亡く10代で絶家した。
しかし、阿部家一族は20余家になり、今も尚、能登川(現東近江市)の朝鮮人街道沿いにその旧家が並んでいる。
 
一族
阿部市太郎家:4代市郎兵衛専祐の娘婿。
 阿部市太郎 (2代):阿部市郎兵衛常省 (5代)の子。
 阿部市太郎 (3代):2代市太郎の次男(7代市郎兵衛連永の弟)。金巾製織創業者の一人。
 阿部房次郎:3代市太郎の娘すゑ子の入婿。東洋紡績社長、江商(後の兼松江商(現兼松))創業者の一人。
阿部市次郎:5代市郎兵衛常省の子。
 阿部彦太郎:市次郎の長男。阿部彦将軍と呼ばれた。
阿部市三郎:5代市郎兵衛常省の子。
 阿部市三郎 (2代):2代市太郎の子(7代市郎兵衛連永の弟)。
阿部利兵衛:5代市郎兵衛常省の子。
 阿部周吉:第3代利兵衛家当主。2代利兵衛の娘なをの入婿。
 阿部元寿:第4代利兵衛家当主。膳所藩筆頭家老戸田資慶の長男、3代周吉の娘はつの入婿。
 
<Wikipedia等引用>
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