森はな(1911年(明治44年)-2014年(平成26年)103歳没)は、裁縫塾から滋賀学園・びわこ学院大学まで生涯をかけて地元東近江市で私学教育に尽力した明治末期生まれの近江の女性である。
私が小さかった頃の森はなの学校はまだ、裁縫学校のイメージで男子の私には存在感がそれほど高くなかった女子学校であった。
その頃の学校所在場所が私の母の実家に近かったせいか、母は昔から森はなと親交あったようだ。生前、互いに市内の同一病院に入院していた時も旧交を温めていた。母から立派な人だと聞いていた。母の見舞の折、時々病院でちらっと見ることがあったが不思議と森はなに直接話することがなかった。今に思えば話を伺っていれば良かったと思う。
森はなは、1911年(明治44年)、滋賀県蒲生郡市辺村(現・東近江市市辺町)の農家の次女として生まれた。
義務教育後、裁縫技術を教える京都女子高等技芸学校に進学。卒業後、大阪の阪急百貨店を2年余り勤務したあと、
1933年(昭和8年)22歳、裁縫塾「和服裁縫研究所」を旧八日市市浜野町(現東近江市)に開設したが、戦況が激化したため、実家の市辺村(現東近江市)に私塾を移転して手芸指導に力を入れ、多くの女性が学んだ。
1955年(昭和30年)44歳、八日市和洋女子専門学院(旧八日市市市辺町)開設。
1960年(昭和35年)49歳、高校の英語、国語、珠算を履修科目に加え学校名を「八日市女子学園」に改称。
1969年(昭和44年)58歳、学校法人化(八日市女子学園)が認められ、野々宮町(現東近江市野々宮町)に3階建ての校舎を建設(現・通信制司学館高校の場所)。更に教育環境を充実させる。
1976年(昭和51年)65歳、専修学校八日市高等女子専門学校開校を経て、
1984年(昭和59年)73歳、県下五番目の全日制の私立八日市女子高等学校(旧八日市市建部北町)を開校を成し遂げ、現在の滋賀学園の礎をつくった。
更に、
1990年(平成2年)78歳、滋賀文化短期大学(現びわこ学院大学短期大学部)(旧八日市市布施町)開学
その後、
2009年(平成21年)98歳、びわこ学院大学(東近江市布施町)を開学させている。
森はなは、
これまで私財を投じて学校創設に尽力する一方で、生徒たちに梅干し弁当の持参や老人ホームへの慰問、献血運動など情操教育や社会奉仕、道徳教育にも力を入れ、建学の精神「努力・忍耐・誠実」として継承されている。
また、功績を表して、
産業教育功労賞1985年(昭和60年度)、文部大臣表彰1986年(昭和61年度)、勲五等瑞宝章1999年(平成11年度)を受章。
2004年(平成16年)には八日市市名誉市民の称号を受けている。
森はなは、2014年(平成26年)に103歳で没したが、一代で裁縫塾から大学まで生涯をかけ私学教育に捧げた現代滋賀の偉大な教育者であった。特に、戦後の教育開拓は著しく、103歳のみごとな人生だった。
告別式で小椋正清東近江市長は地域教育に全力で取り組んだ森さんの遺徳を偲び「私たちは、森はなさんの生涯を通じた尊い功績をしっかりと受け継ぎ、東近江市発展のために邁進することを誓います」と弔辞を述べたとある。 <参照:滋賀報知新聞より>
東近江市の滋賀学園高校は、今日では野球、駅伝・陸上など各種スポーツで全国大会に出場する県内の強豪校の1つになっている。また、びわこ学院大学は東近江市唯一の大学である。今後は更なる発展として大学院の開学も期待される。
沿革
1933年(昭和8年) 創始者森はな和服裁縫研究所開設
1955年(昭和30年) 八日市和洋女子専門学院開設
1976年(昭和51年) 専修学校八日市高等女子専門学校開校
1984年(昭和59年) 全日制八日市女子高等学校開校 被服科設置
1990年(平成2年) 滋賀文化短期大学開学
1999年(平成11年) 滋賀学園高等学校に校名変更(男女共学制開始)
2003年(平成15年) 滋賀学園中学校開校
2009年(平成21年) びわこ学院大学開学
滋賀文化短期大学をびわこ学院大学短期大学部に名称変更