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【滋賀・近江の先人第95回】共同企業(乗合商合)経営の先駆け「稲西屋」・西村重郎兵衛(東近江市)

西村重郎兵衛 (にしむら-じゅうろべえ)、1792年(寛政4年)-1857年(安政4年)、江戸時代後期の近江商人・呉服商。近江国蒲生郡古保志塚村(市辺村)出身。

近江国蒲生郡市辺村(東近江市)の農業・製油商西村武助の二男として生まれ、18歳頃まで家業に従事していた。
二男だったので商売で自立を目指し、まず関東へ出た。関東で呉服を仕入れ関西へ行商した。
呉服の行商で財を成し、同郷の市辺村の村井家から神崎郡山本村(東近江市五個荘)の稲本家に養子に入っている幼なじみの「稲本利右衛門」に声を掛け意気投合したので文化12年(1815年)、重郎兵衛23歳、利右衛門26歳の時、共同出資(乗合商合)の行商を始めた。
稲本利右衛門は高宮布を持ち下がり、西村重郎兵衛は関東の呉服を持ち上がり、二人は更に発展させ、「値引きなし、どこよりも安い商法」が成功した。

1818年には京都染呉服を扱い、紀州・大和・伊賀方面に販路を伸ばし文政2年(1819年)に大阪備後町に太物呉服商「稲西屋」を開業した。

稲西屋の特徴は両名が対等に資金を出すパートナーシップの形成と各出店に有能な支配人を配置して営業の一切の権限委譲したことで、この支配人制度は奉公人と店主との強い信頼関係で成立していた。

西村と稲本は、織物の改良と輸送の迅速化に努め、1889年(明治26年)「稲西合名会社」と改め、今日の「稲西株式会社」発展の基礎を築いた。
従来近江商人は個人経営であったが「稲西屋」の例は、個人商店から何人かが資本を出し合い、共同企業(乗合商合)を作るという近代資本主義の形態へ移行する先駆けでもあった。勤勉と相互信頼で地域社会の発展を実践したのだった。


稲西株式会社は200年後の今も、大阪市中央区本町1丁目で衣料製造卸業として存在している。

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