長浜市が実施した国友村(長浜市国友町)の江戸時代の科学技術者・国友一貫斎(1778〜1840年)の資料調査で、一貫斎とほぼ同時代に描かれたとみられる一貫斎家の屋敷の建物配置を記した「家相図」2点が見つかった。
鉄砲かじ屋敷の建物の位置関係がわかる図面は国友村では初めてである。
↑写真:中日新聞より
「家相図」は、方位と建物配置の関係から屋敷構えの吉兆を判断するための見取り図。家の中心から方位線が放射状に引かれる。
今回見つかった2点は縦50ー60cm、横1mほどで、江戸後期に描かれたとみられる。
主屋は敷地西側を通る街道に接するように置かれ、街道から遠い敷地北東側に「火細工場」「細工所」「小細工所」などが並ぶ。
長浜市によると、火細工場は鍛冶場とみられ、直ぐ南には池もある。細工所は鉄砲の銃身の補正や仕上げをする場所と推定できる。敷地南東側には、鍛冶用の炭を備蓄したと考えられる「炭小屋」もある。
国友村は当時の北国街道等の主要街道上にあったことから、長浜市歴史遺産課の太田浩司学芸専門監は「街道沿いにある屋敷として格式を保つほか、鉄砲製造の機密を守るため、街道から見えない敷地奥に作業場を作ったのではないか」と話す。
実際、国友町内に唯一現存する鍛冶小屋も主屋の背後にある。村内の他の鉄砲かじ屋敷も似た構造だった可能性があると考えられるという。
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国友鉄砲ミュージアム
https://kunitomo-teppo.jp/
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<中日新聞より>