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【滋賀・近江の先人第321回】甲州で成功した高宮の豪商・馬場利左衛門(彦根市)

 馬場利左衛門家は宝暦年間(1751年〜1764年)に近江高宮(現彦根市高宮町)から薬酒類を持参する旅商い(行商)を開始し、中山道を中心に商圏を拡大して行った。



 寛政10年(1798年)に甲州に出店すると、呉服類の卸業へと転身をはかりるが、その姿は典型的な近江商人の経営展開を示すものだった。

 江戸時代後期に発行された近江商人の番付である「湖東中郡日野八幡存々持余家見立角力」には、高宮出身の2人の近江商人の上位に当家先祖である「馬場利左衛門」の名が認められる。

 1830から1840年代(天保・弘化期)において、高宮で当時代表な近江商人である「馬場利左衛門」と「布屋堤惣平」と呼ばれていた。馬場利左衛門家は稼いだ資産を金融業として運用していたとある。

 「無賃橋」(むちんばし)は滋賀県彦根市高宮町にある橋。滋賀県道543号高宮北落線に属する。中山道高宮宿入口(愛知川宿寄り)に位置する。高宮橋(たかみやばし)が正式名称。
 中山道諸宿場が整備されてからも長らく橋が架られていなかったが、1767年(明和4年)に高宮宿の庄屋・問屋有志が彦根藩に申請し仮設橋を架けた。しかし、幾度もの大雨で橋が度々流されていた。
 「この状況を危惧した彦根藩が1832年(天保2年)に近隣の豪商である小林吟右衛門・馬場利左衛門・藤野四郎兵衛(江州音頭2代目又十)らに命じ石造りの橋が同年の9月に完成した。
 翌年1833年(天保3年)には高宮宿の有志が彦根藩より高宮橋株を買取り、無料で通行ができるようになった。この経緯から「無賃橋」と呼ばれるようになった。同年には無賃橋の標石が建てられた。

【滋賀・近江の先人第22回】多角経営の「丁吟」二代目・近江商人・総合繊維商社チョーギンの創業「小林吟右衛門」(東近江市)
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