荷造り完了
今回も箱三つです
電話したら宅急便屋さんも早く取りに来てくれました。
忘れ物はないかな??
そうそう明日持っていく物も今のうちチェックしないと。。
保険証と診察券・・・
念のため病院に電話して曜日も確認して一安心です。
ああ、でも気が重いなあ。。
そう、毎年夏は、帰省ついでに病院へ行きます。
(そのためお盆より少し早く行くわけです。)
といっても治療が必要な病気というわけではありません。
乳がんの検査を受けるんです。
このブログにはRed-pearlさんのように若い男性も
遊びに来てくださるので、この話題を書くべきか迷いました。
でも乳がんは今増えつつある病気で、決して女性だけの
病気ではありません。(田舎のご近所で男性患者もいました。)
ちょっと恥ずかしいですし病気の話題は暗くなりがちで
申し訳ないと思いますが、書いてみることにしました。
"よくある話"の一つとして気軽に読んでいただけたら幸いですが
お気に召さない話題でしたらゴメンナサイ
<追記>書いてみたら長くなりました
自分のことと、母の思い出もあってゴチャゴチャです。
どなたも読まなくていいですよ~
胸の"しこり"に気付いて慌てて病院へ行ったのは何年前だったか・・
悪性ではないと分かるまでの一週間、心ここにあらず
といった感じで過ごしていたような気がします。
一度は安心したもののガンになる可能性もあるからと
半年後に再度診てもらったり、紹介された大きな病院で
手間のかかる検査を受けたりしていました。
そんな矢先、母が乳がんで入院しました。
父が亡くなって一人で我慢していたのか理由は分かりませんが
随分進行してしまっていました。。
母の病気に気付いてあげられなかった後悔と
良くなって欲しいという願いで一杯のはずの心の片隅にも
自分もなるかもしれないという不安がよぎります。
主人やその家族の理解もあり、子供もいなくて自由がきく私が
母のいる病院に通うことになりました。
入退院を繰り返した母は、1年4ヶ月後に亡くなりました。
退院したときは実家についていきますが
入院時は、通いやすさもあって主人の実家に居候です。
本人もさんざん家族の看病をしてきたという義母が
実の家族同様に世話を焼いて励まして下さいました。
精神的に疲れてしまう病院通い、
義母との会話がなかったら耐えられなかったかもしれません。
母が入院して、まだ元気な頃、主人が千葉へ転勤になりました。
自宅療養中の母を姉に任せ、1週間程度で引越し準備。。
後日、お世話になった人達に挨拶をしに行って
通っていた病院から紹介状を書いてもらいました。
書いてはもらったものの、次の病院は決まっていません。
母が入院している間は田舎にいなければなりませんから
とても困ってしまいました。
そのうちに母が放射線治療のために転院。
相部屋になった人もお若いのに乳がんの患者さんでした。
その人と親しくなったお陰で、その病院には
乳がんや乳腺症専門の良い先生がいることがわかりました。
それで思い切って紹介状を持って専門の外来へ。
とても混んでいる外来で患者さんの多さが実感できます。
他の診察室は終了しても、そこの診察を待つ患者(私も)だけ
ひたすら待ち続けなければなりませんでした。
と、そこへ応援にいらしたのが母の主治医。
既に終了して空いた診察室に入った様子です。
たまたま母と同室の患者さんも通りかかり先生に私のことを
話してくださったので、顔見知りの主治医の待つ
診察室へ呼ばれました。
ちょっと恥ずかしかったのですが仕方ありません。
とっても優しいいい先生だというのは母のことで分かっています。
母は生きることが出来ませんでしたが
先生のことが大好きで信頼していました。
先生も親身になって懸命に治療してくださっていました。
その先生の説明では、前の病院で受けた面倒な検査は
とりあえず必要なく、ずっと同じ状態なので年に一度
検査を受けなさい、とのことでした。
専門の先生ということで安心感もありホッとしました。
さらに、その先生のお陰で「自宅は遠いので検査結果などは
何かあったら連絡」といった扱いにしていただけました。
大学病院なので、その後行くたびに違う先生になり
「地元の病院に紹介状を書きましょうか?」とも言われますが
「お盆で帰省するたびに来ますから」とお願いし
毎年その病院へ通い続けています。
親子で体質も似ていますから、いつか私も?
そういう不安は常にあります。
けれど、とにかく毎年検査を受けるしかないのです。
せめて早期発見できるように。
行くまでは本当に気が重いです。
でも何も変わりなければ暫く安心できますし、
まるで知らない病院へ行くよりは気が楽です。
今年もまた暑い夏がやってきました。
母が入院している夏もとても暑くて、私は少し体調を崩しました。
自分が弱っているのに私を気遣ってくれた母・・・
そんな母を懐かしみながら、慣れた道を歩きます。
母の縁もあって通い始めた病院での検査・・・
母は、きっと見守ってくれていますよね。。


電話したら宅急便屋さんも早く取りに来てくれました。
忘れ物はないかな??

そうそう明日持っていく物も今のうちチェックしないと。。
保険証と診察券・・・
念のため病院に電話して曜日も確認して一安心です。
ああ、でも気が重いなあ。。
そう、毎年夏は、帰省ついでに病院へ行きます。
(そのためお盆より少し早く行くわけです。)
といっても治療が必要な病気というわけではありません。
乳がんの検査を受けるんです。
このブログにはRed-pearlさんのように若い男性も
遊びに来てくださるので、この話題を書くべきか迷いました。
でも乳がんは今増えつつある病気で、決して女性だけの
病気ではありません。(田舎のご近所で男性患者もいました。)
ちょっと恥ずかしいですし病気の話題は暗くなりがちで
申し訳ないと思いますが、書いてみることにしました。
"よくある話"の一つとして気軽に読んでいただけたら幸いですが
お気に召さない話題でしたらゴメンナサイ

<追記>書いてみたら長くなりました

自分のことと、母の思い出もあってゴチャゴチャです。
どなたも読まなくていいですよ~

胸の"しこり"に気付いて慌てて病院へ行ったのは何年前だったか・・
悪性ではないと分かるまでの一週間、心ここにあらず
といった感じで過ごしていたような気がします。
一度は安心したもののガンになる可能性もあるからと
半年後に再度診てもらったり、紹介された大きな病院で
手間のかかる検査を受けたりしていました。
そんな矢先、母が乳がんで入院しました。
父が亡くなって一人で我慢していたのか理由は分かりませんが
随分進行してしまっていました。。
母の病気に気付いてあげられなかった後悔と
良くなって欲しいという願いで一杯のはずの心の片隅にも
自分もなるかもしれないという不安がよぎります。
主人やその家族の理解もあり、子供もいなくて自由がきく私が
母のいる病院に通うことになりました。
入退院を繰り返した母は、1年4ヶ月後に亡くなりました。
退院したときは実家についていきますが
入院時は、通いやすさもあって主人の実家に居候です。
本人もさんざん家族の看病をしてきたという義母が
実の家族同様に世話を焼いて励まして下さいました。
精神的に疲れてしまう病院通い、
義母との会話がなかったら耐えられなかったかもしれません。
母が入院して、まだ元気な頃、主人が千葉へ転勤になりました。
自宅療養中の母を姉に任せ、1週間程度で引越し準備。。
後日、お世話になった人達に挨拶をしに行って
通っていた病院から紹介状を書いてもらいました。
書いてはもらったものの、次の病院は決まっていません。
母が入院している間は田舎にいなければなりませんから
とても困ってしまいました。
そのうちに母が放射線治療のために転院。
相部屋になった人もお若いのに乳がんの患者さんでした。
その人と親しくなったお陰で、その病院には
乳がんや乳腺症専門の良い先生がいることがわかりました。
それで思い切って紹介状を持って専門の外来へ。
とても混んでいる外来で患者さんの多さが実感できます。
他の診察室は終了しても、そこの診察を待つ患者(私も)だけ
ひたすら待ち続けなければなりませんでした。
と、そこへ応援にいらしたのが母の主治医。
既に終了して空いた診察室に入った様子です。
たまたま母と同室の患者さんも通りかかり先生に私のことを
話してくださったので、顔見知りの主治医の待つ
診察室へ呼ばれました。
ちょっと恥ずかしかったのですが仕方ありません。
とっても優しいいい先生だというのは母のことで分かっています。
母は生きることが出来ませんでしたが
先生のことが大好きで信頼していました。
先生も親身になって懸命に治療してくださっていました。
その先生の説明では、前の病院で受けた面倒な検査は
とりあえず必要なく、ずっと同じ状態なので年に一度
検査を受けなさい、とのことでした。
専門の先生ということで安心感もありホッとしました。
さらに、その先生のお陰で「自宅は遠いので検査結果などは
何かあったら連絡」といった扱いにしていただけました。
大学病院なので、その後行くたびに違う先生になり
「地元の病院に紹介状を書きましょうか?」とも言われますが
「お盆で帰省するたびに来ますから」とお願いし
毎年その病院へ通い続けています。
親子で体質も似ていますから、いつか私も?
そういう不安は常にあります。
けれど、とにかく毎年検査を受けるしかないのです。
せめて早期発見できるように。
行くまでは本当に気が重いです。
でも何も変わりなければ暫く安心できますし、
まるで知らない病院へ行くよりは気が楽です。
今年もまた暑い夏がやってきました。
母が入院している夏もとても暑くて、私は少し体調を崩しました。
自分が弱っているのに私を気遣ってくれた母・・・
そんな母を懐かしみながら、慣れた道を歩きます。
母の縁もあって通い始めた病院での検査・・・
母は、きっと見守ってくれていますよね。。