バリアフリー・・・

2005-08-28 | Weblog
今年も24時間テレビを放送していますね。
我が家では主人が好まないのであまり見ていないのですが
さっきから一人で留守番しながらつけてみたら
やはり感動もあり泣けてきました。

バリアフリー、ユニバーサルデザインといった言葉が
聞かれるようになって久しくなります。
先日の帰省でも、義母が「リフォームしたときは全然イメージ
出来なかったのに足腰が弱ってからお風呂の手すりが有難いと
思うようになった」と話していました。
「バスのステップを上がるのに手でつかまるようになって
それが億劫でバスに乗りたくなくなった」とも話していたので
最近はバスのステップの高さが気になります。
ノンステップ・バス、とても良いものだったんですね。

そんな風に身近なところにもバリアフリーは広まっていますが
自分の生活を省みると、不自由な思いをなさっている方々との間に
まだまだ見えないバリアが存在していると感じます。
障害を持った方々と会う機会が少ないため、どのように
接したら良いか分からないのです。
必要なら手助けをして、あとは普通に付き合えば良いはず・・・
とは思うのですが、その「手助け」が難しそうに感じて
変に構えてしまい勇気が出せないのが悲しい。。

随分昔のことですが母と二人で歩いていて踏切のところで
目の不自由な方に出会いました。
電車の通過を待つ間に母が「お手伝いしましょうか?」と
声をかけたら、その方がこのように仰いました。
「それでは手を引くのではなく、私の前に立って、あなたの肩に
手を置かせてください。その方が歩きやすいのです」
なるほど、と思いました。
すがりつくようにして歩くならともかく、手を添えるだけよりも
一歩前を先導してもらった方が安心感がありそうです。

しかし、その方は日頃ご自分で歩き、時には手助けを受けて
歩きやすい方法をご存知だから、そう仰ったわけで
目の不自由な方全てに当てはまるとも思えません。
手を引いてもらう方法しか知らない方の前に立ち「どうぞ
肩をつかんでください」と言っても困るかもしれませんね。

今度は主人と一緒で信号待ちをしていたとき、やはり
目の不自由な人がいらっしゃいました。
その時大きなトラックがやってきて横断歩道の上で停まり
そのまま信号が変わってしまったのです。
肩に手を置いてもらってと悠長なことは言ってられませんから
その方の手を引いてトラックを迂回して横断歩道を渡りました。
横断歩道を塞いだトラックに腹も立ちましたが
躊躇ない様子で行動した主人に比べて少し迷ってしまった自分が
恥ずかしく感じたことを覚えています。
考えてみると、二度とも母や主人と一緒でなく一人だったら
声をかけられなかった気がします。。

相手が必要とする手助けをしてあげるためには
コミュニケーションが大事・・・それは
健康な人間同士のお付き合いと変わりなく同じこと。
ところが私達(私だけでは無いと思うのですが?)は
他人との関わりが減りご近所付き合いすら疎遠になりがちです。
もちろん、違うという方も多いでしょうが一般的に
そういう傾向が強まっているように感じます。

バリアがあると感じているのは、実は自分の心に
関わりを避けようとする意識があるからなのでしょう。
まず何よりも心のバリアを取り除きたい・・・そう思いました。