飲み会が3日続くと身体がエライ 土日月とよく重ならなかったもんだ
3日前は鈴鹿で、リタイアー組2人とあと4人は現役 年末、恵那での一泊忘年会の打ち合わせってことで・・・
それにしても退職して丸ッと5年、現役の若い人たちから忘年会のお誘いをいただけるとは有り難いことです。これを断れば犯罪ですよね。年末が楽しみです。
翌朝、幾分酒が残る身体で庭先の落ち葉を掃除してたら、目の前で軽トラが停車。運転席のHさんからカニが手に入ったから昼はN農園に集合とのことだった。
Hさんも私もN農園の小作人(他4名)で、彼こそは最高齢85歳、絶対服従ですよね。10時過ぎには駆けつけていました
N農園は私の第2ファームです。私の3つの農園(自宅横、朝津味前、団地↓N農園)のうち最大規模です。
↓の画像は崖を背に撮っていますがほぼ私のファームです。左トンネルの左畝から右トンネルの右畝までで前方の家屋までです。
その家屋こそこの日の宴会場です。Nさんが一人で集めた廃材で建設したものです。最近電気も引かれました!(以前はダイナモの音が響き渡ていた)
宴会は広い土間か奥の部屋で行われますが、この日は奥でした。サウナも完備しています!
わたしは一人でNさんの別荘とか、ダウチャーと呼んでいます。私の知人のいるシベリア(ブラゴベシチェンスク/大都会?)では、約10階建てアパートが沿道両サイドに立林していて住民たちはみな車で1時間ほどかけて農園経営していました。そこには寝泊まりも可能な倉庫兼貯蔵小屋が隅に立てられていました。個人所有で、耕作面積は画像の私の菜園の2倍ほどでした。1991年ソ連が崩壊した直後の食糧危機の時代で、都会の住民の方々はみな、ダウチャーを所有していて自給自足していました。私が家族3人で10日ほどお邪魔した家族は両親が医者でしたが、「スゴイね!」と言ったら、不思議がられました。「医者も漁師さんもみな同じ給料・・・!?」
住む世界が全く違っていました。もっともっと、違った世界観を持った国での生活体験エピソードには不自由しませんがこれくらいにして、要は下の画像風景こそダウチャーそのものなんです。どこまでも続く丘陵地帯、お手製の別荘・・・
カニ汁?が完成するまで腹減らしの作業です。手前はリーフレタスで、隣はサラダ菜ですが、寒さ除けのトンネルを駆けます。
不織布の上に穴あきビニールをかけます。リーフレタス完了!次はサラダ菜・・・ここで、私の白菜が必要となりもいで届けることに・・・
ヒャー!いました まだ生きています。ワタリガニでした。
きれいなもんです
ファイティングポーズ!!
残りは既に茹で上がっていました。
ああ、残酷物語だなあ・・・でもミソ美味そう( ^ω^)
Nさんカラオケとお得意のドラムの調整に余念がありません。
チヌは刺身に
包丁が切れないとHさん、こぼしていましたが、確かに。
タイムアウト!
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