72年前の終戦直後に起きたカスリーン台風について書き起こします。
発生日:1947年9月16日
1日目
午前0時。大音響とともに北埼玉郡東村の利根川右岸提が340mにわたって決壊。濁流は南に向かい午前3時には北葛飾郡栗橋町(現在の久喜市[栗橋区域・北部])、午前8時には南埼玉郡鷲宮町(現在の久喜市[鷲宮区域・西部])、午前10時には北葛飾郡幸手町(現在の幸手市中心部付近)、午後1時には南埼玉郡久喜町(現在の久喜市[久喜区域・中心部付近])に到達する。濁流の進行速度は決して早いものではなかったが、濁流がどこに流れるか、どこに避難するべきかという情報に乏しかったため、避難はスムーズに行かなかった。
一方、同じ頃、荒川でも熊谷市付近で堤防が決壊。午前中には北埼玉郡笠原村(現在の鴻巣市東部)に到達し、元荒川沿いに流下していく。
2日目
未明に南埼玉郡春日部町(現在の春日部市)、同日夜には元荒川からの水をあわせて北葛飾郡吉川町(現在の吉川市)に達し、現在の中川付近と江戸川に挟まれた地域を流下。
3日目
夕方には埼玉県と東京都の境界付近である大場川および小合溜の「櫻堤」(現在の葛飾区水元公園付近)まで達し、そこで濁流の進行は一時的に食い止められる。
4日目
未明ついに「櫻堤」が崩壊。その日のうちに金町、柴又など葛飾区の江戸川に近いエリアはもちろんのこと、隣の江戸川区の小岩付近まで水没した。
午後3時ごろ米軍工兵隊が「櫻堤」を爆破。「櫻堤」付近の水は江戸川へと流れ始めたが、同じころ南埼玉郡八條村(現在の八潮市)で中川の右岸が決壊、綾瀬川の東側も水没する。
5日目
午前3時に亀有付近でも堤防が決壊し、夕方には立石・四ツ木付近まで浸水する。金町方面に流れた水は、20日夕方には江戸川区船堀付近に到達し、新川へと流れ込んだ。江戸川区南部を東西に流れる新川の存在によってようやく濁流は東西に分けられ、荒川や旧江戸川を経て東京湾へと注ぎはじめた。
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