心の鏡の仮想小説です。前回の補足です。
もしご興味がある方がいらっしゃったら。
自分の良心にやましいことがないだろうか。
相手から悪意敵意の言葉を投げかけられた時、それを私達の心の鏡で反射させたら何が残るでしょうか。
もし私自身良心に恥じることが、1%でも0.1%でもあれば。
それは私の心の痛みとなります。
確かに私も悪い点はあったよ。
でも相手だってあんな言い方はないと思いよ。
相手の方が自分より10倍も100倍もひどいよ。
ということは多いかもしれません。
しかし、相手が私の何万倍悪いかどうかは関係ないのです。
自分の良心の鏡に照らし合わせて、1%でも0.1%でも「確かに自分が悪かったかも」という点があれば、その分は鏡を磨く場所となります。
もちろん自分には、言い分もあるし、事情もあるい、そう簡単には謝れないプライドもあります。
が、それでも、1%の非が確かにあるのなら、0.1%の非があるのなら、公明正大の態度で謝ることが出来るか。という課題になります。
・私が自分が有利になるように話を大袈裟に盛っていなかったろうか
・私が自分に有利になるように真実の一部を故意に隠していなかったろうか
・私はきちんと誰に対しても平等に公正に接していただろうか
・私はきちんと誰に対しても平等に誠意をもって接していただろうか。
たとえばこんな自問自答です。
でも大抵の人は、そんなことでは謝りたくないです。
だって相手が自分の10倍も100倍も悪いやつなのですから。
でもその「自分の心の抵抗」に打ち克つ作業が「鏡磨き」という作業です。という小説なんです。どうでしょう。
自分の心を痛める必要なんて全くない!
また場合によっては、良心の鏡に照らしても全く自分はやましくない場合があります。
たとえば相手がこちらを非難してきます。
でもその内容が次のような場合だったら
・私を他人と比較して、劣っているところを責める内容だったら
・私が子供の頃、親や周囲から責められて私のコンプレックスになっている内容だったら
・相手が私に罪悪感を持たせて、私を支配しようとしている意図があるとしたら
これが一つでも当てはまる場合は、やはり落ち着いて自分の良心の鏡に問いたいです。
もし私に良心にやましいことがなければ、相手の非難は100%相手に反射することとなります。
私が私の心を痛めることは1%もありません。
だって私の良心がやましくないんですもの。
良心の鏡が少しでも曇っているならば、相手の非難批判で、私は自分の心を痛めることになるかもしれません。
でも良心の鏡の声に耳を傾けていると、相手の非難に心を痛めることなんか、0.1%もなかったことがわかります。
相手の言葉に自分の心を痛めていた状態から、良心にやましいことがないのだから、自分は自分の心を痛めることなんてなかったんだ。と気づくこの作業。
これも心の鏡を磨くこと。というもう一つの小説です。いかがでしょうか。
だから日常生活の中で、相手から悪意や敵意の言葉や態度を受けた時。
その時こそ、私達は自分自身の良心の鏡と向き合うチャンスとなります。
良心の鏡を磨くチャンスとなります。だそうです。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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相手の視点で記憶してる。。知りたいです。
想像してみたらわかりそうなことでもあるけど、自分のことでいっぱいだと、そこまてしませんね。
→ 普段の生活では思い出せませんが、たとえば「ぼおっ」としている時。左脳状態から右脳状態に切り替わっている時。ふと思い出す。そんなお話です。
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薫兄者さん
・・・
人は目を通して外の世界を見ているつもりになっている、けれど
外の世界だと思って観ている世界は、その外の世界は、自分の頭の中で咀嚼し直して、自分の頭の中で作り上げた世界。
人は外の世界をそのまま見ているわけではなく、自分の頭の中にある世界を見ている。
小学生の頃、私が見ているコップは、彼の見ているコップと同じなのだろうか?私の見ている赤色は、彼女の見ている赤色と同じなのだろうか?すべては自分の頭の中にあるものに過ぎないのではないか?そんなことを思って悩んだものです。
悩むことはない。結局、自分が世界。世界は
自分だ。
→ 本当に。人は誰しも自分が創り上げた自分の宇宙の中で生きている。
==========
人間関係で落ち込むことがあり(ふだんならどんな厳しい言われ方も自分の為を思って言われていることだとまた奮起できることが、今回はまともに心に受け取ってしまった感じです)、まるぞうさんの文章に、自分の心の持ち方のヒントをいただいた気持ちがします。有り難うございます。
→ 個人的な備忘メモでありますが他の方にお役に立つことがあれば嬉しいです。ありがとうございます。
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まるぞうさんの「聖地巡礼。」の記事と、読者さん達の参拝コメントを参考にさせて頂いて、新嘗祭の日に、初めて小野神社を参拝させて頂きました。
天高く青く澄んだ秋晴れの空に、境内の背の高い木々の暖色系に色づいた枝がくっきりと映えて、とても清々しい、晴れやかな参拝でした。
参拝の後、近隣でまるぞうさんが記事にあげてくださっていた電柱の「想定浸水深3m」の表示を見ることができ、その表示された「3m」の位置の高さは、当然、歩く私の身長よりずっと上です。
長い歴史のある神社を参拝して時を超えるような感覚を得た直後だったのもあり、時代によっては水中となる場所を、今、歩いているのだと、深く感じいるものがありました。
なお、読者さん達が書いてくださってたように、参道沿いの水路の水の流れがとても清らかでここちよく、この水路を守って下さっている住民の方や関係者の皆さんへの感謝を覚えました。
まるぞうさんの記事や読者の皆さんのおかげで、小野神社への参拝への縁を持てて本当にありがたく感謝です。
また参拝に行きたいと思います。
今の時期は境内の木々の紅葉も楽しめますので、お近くの方には是非おすすめです。
→ 参拝記。清々しい空気のお裾分けありがとうございます!
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先日は畝だての件でありがとうございました。
大きなプランターみたいな感じなんですね。
→ ヨメが理想としていたのが「ポタジェガーデン」と呼ばれているものです。こんな感じにしたかったようです。木の枠がポイントのようです。ただ私の受け持ちの部分は雑草茫々で申し訳ないです。^^;
https://www.google.com/search?q=%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3&sca_esv=585764117&tbm=isch&sxsrf=AM9HkKkUimEkVknsFOSokkx0IQevqonK3Q:1701129799144&source=lnms&sa=X&sqi=2&ved=2ahUKEwjw9pOrsuWCAxULb94KHW55DlYQ_AUoAnoECAMQBA&biw=1367&bih=756&dpr=2
ポタジェガーデンとは修道院の自給自足をしていた畑ですが、お花も一緒に植えていた。それが起源だそうです。
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自分信じてる人は、自分や人が信頼に値するしないかに動じることはないし、人がどうあろうと非難することもない。信用するしないに関わらず誰かに委ねなくても生きてけるから。
自分の身体を大事にしてる人は、自分を労って気にかけてお手入れして可愛がる。
人の美しさ素敵なところにも気づけるよね。
学歴はどれだけ学ぼうとしたか?だからディプロマの量や権威ではない。でも一生懸命勉強して大学出た人を私は尊敬します。あ、でもお金で裏口入学した人の話を聞いて、なんと?って気の毒に思ったです。
入学してから大変だろうな。非難しないです。そうしないと許してもらえない親の期待があったんだね。あ、話それました。
とか一生懸命考えてみました。
→ 自分自身の良心の鏡の反射率があがると、観えてくる景色が変わるかも。という仮説です。
サド公爵の比率が高いケース。罪悪感をいかに相手に植え付けるかというテクニック。植え付けた罪悪感を使って、相手を支配しようと思います。
「助けて」の比率が高いケース。自分が相手を批判非難している間だけ、自分の心の痛みを忘れていることができる。
その人は「どういう動機で悪意敵意を投げてくるのか」と観察してみます。
結局誰もが自分との良心の対話の過程。というのがネタバレです。
いかがでしょうか。
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相手の視点で記憶してる。。知りたいです。
想像してみたらわかりそうなことでもあるけど、自分のことでいっぱいだと、そこまてしませんね。
→ 普段の生活では思い出せませんが、たとえば「ぼおっ」としている時。左脳状態から右脳状態に切り替わっている時。ふと思い出す。そんなお話です。
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薫兄者さん
・・・
人は目を通して外の世界を見ているつもりになっている、けれど
外の世界だと思って観ている世界は、その外の世界は、自分の頭の中で咀嚼し直して、自分の頭の中で作り上げた世界。
人は外の世界をそのまま見ているわけではなく、自分の頭の中にある世界を見ている。
小学生の頃、私が見ているコップは、彼の見ているコップと同じなのだろうか?私の見ている赤色は、彼女の見ている赤色と同じなのだろうか?すべては自分の頭の中にあるものに過ぎないのではないか?そんなことを思って悩んだものです。
悩むことはない。結局、自分が世界。世界は
自分だ。
→ 本当に。人は誰しも自分が創り上げた自分の宇宙の中で生きている。
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人間関係で落ち込むことがあり(ふだんならどんな厳しい言われ方も自分の為を思って言われていることだとまた奮起できることが、今回はまともに心に受け取ってしまった感じです)、まるぞうさんの文章に、自分の心の持ち方のヒントをいただいた気持ちがします。有り難うございます。
→ 個人的な備忘メモでありますが他の方にお役に立つことがあれば嬉しいです。ありがとうございます。
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まるぞうさんの「聖地巡礼。」の記事と、読者さん達の参拝コメントを参考にさせて頂いて、新嘗祭の日に、初めて小野神社を参拝させて頂きました。
天高く青く澄んだ秋晴れの空に、境内の背の高い木々の暖色系に色づいた枝がくっきりと映えて、とても清々しい、晴れやかな参拝でした。
参拝の後、近隣でまるぞうさんが記事にあげてくださっていた電柱の「想定浸水深3m」の表示を見ることができ、その表示された「3m」の位置の高さは、当然、歩く私の身長よりずっと上です。
長い歴史のある神社を参拝して時を超えるような感覚を得た直後だったのもあり、時代によっては水中となる場所を、今、歩いているのだと、深く感じいるものがありました。
なお、読者さん達が書いてくださってたように、参道沿いの水路の水の流れがとても清らかでここちよく、この水路を守って下さっている住民の方や関係者の皆さんへの感謝を覚えました。
まるぞうさんの記事や読者の皆さんのおかげで、小野神社への参拝への縁を持てて本当にありがたく感謝です。
また参拝に行きたいと思います。
今の時期は境内の木々の紅葉も楽しめますので、お近くの方には是非おすすめです。
→ 参拝記。清々しい空気のお裾分けありがとうございます!
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先日は畝だての件でありがとうございました。
大きなプランターみたいな感じなんですね。
→ ヨメが理想としていたのが「ポタジェガーデン」と呼ばれているものです。こんな感じにしたかったようです。木の枠がポイントのようです。ただ私の受け持ちの部分は雑草茫々で申し訳ないです。^^;
https://www.google.com/search?q=%E3%83%9D%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%B3&sca_esv=585764117&tbm=isch&sxsrf=AM9HkKkUimEkVknsFOSokkx0IQevqonK3Q:1701129799144&source=lnms&sa=X&sqi=2&ved=2ahUKEwjw9pOrsuWCAxULb94KHW55DlYQ_AUoAnoECAMQBA&biw=1367&bih=756&dpr=2
ポタジェガーデンとは修道院の自給自足をしていた畑ですが、お花も一緒に植えていた。それが起源だそうです。
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自分信じてる人は、自分や人が信頼に値するしないかに動じることはないし、人がどうあろうと非難することもない。信用するしないに関わらず誰かに委ねなくても生きてけるから。
自分の身体を大事にしてる人は、自分を労って気にかけてお手入れして可愛がる。
人の美しさ素敵なところにも気づけるよね。
学歴はどれだけ学ぼうとしたか?だからディプロマの量や権威ではない。でも一生懸命勉強して大学出た人を私は尊敬します。あ、でもお金で裏口入学した人の話を聞いて、なんと?って気の毒に思ったです。
入学してから大変だろうな。非難しないです。そうしないと許してもらえない親の期待があったんだね。あ、話それました。
とか一生懸命考えてみました。
→ 自分自身の良心の鏡の反射率があがると、観えてくる景色が変わるかも。という仮説です。
サド公爵の比率が高いケース。罪悪感をいかに相手に植え付けるかというテクニック。植え付けた罪悪感を使って、相手を支配しようと思います。
「助けて」の比率が高いケース。自分が相手を批判非難している間だけ、自分の心の痛みを忘れていることができる。
その人は「どういう動機で悪意敵意を投げてくるのか」と観察してみます。
結局誰もが自分との良心の対話の過程。というのがネタバレです。
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