語る城門「大戸」BIGDOOR正門

昭和38年製Bigdoorオヤジが身辺10m範囲の出来事を哲学したり雑学したりします。老後の楽しみ1つみっけ。

【惚れずにいられない】清雲栄純(法大教授、元サッカー日本代表)

2007-05-04 13:17:19 | Weblog
「勝てねー」オヤジの片翼が同じく「偉才・異能」のこの人。「京葉線・野田線の有名人」…
◆清雲栄純(きよくも えいじゅん)◆

1950年9月11日生まれ。山梨県出身。
ポジション:DFスィーパー:国際Aマッチ42試合出場
日川高校ラグビー部-法政大学-古河電工-同コーチ~監督
1992年 日本代表コーチ-「ドーハの悲劇」当事者
1994年 ジェフ市原監督5位
1995年 U-18代表監督(小野S,柳沢,小笠原らを育成)
1998年 大宮アルディージャGM 2003年 監督兼務
2004年 大宮アルディージャトータルアドバイザー・普及部長。

■神話
・中学までは野球小僧。日川高校でラグビー部。法政大学でサッカー部そして日本代表/古河電工。まさに「スポーツ万能」アスリート。

・プロデビュー当時、SuperStar「K本」選手に当たりまくり怒らせ「サッカーやろうぜ」と凄まれるも、剛胆な新人DFと周囲の注目を集める。
・削るのは意識してではなくFWにかわされボールに行ったつもりが脚に…不可抗力

・ベッケンバウワー率いるバイエルン・ミュンヘンとの試合でFWのフランツ・ミューラを封じ込めた唯一の日本選手として有名。試合後、ベンケンバウアーがチームの関係者に「あのDFは誰だ!」と詰め寄り、名前を聞くと「キヨクモ、キヨクモ」と呟いたそうです。

・「松永章のマークマンを大学からずーっと任されていたが、嫌だった。どこから攻めてくるか予測できない。非常識的な動きをしてた」

・「サッカーは判断が早くならなければならない。私がオフト監督の下でコーチをやり、その中での技術、戦術を考えた。そして決断の早さがプロで、低いのがアマであると思うようになった。」(松永さんも同意のことを言っていた)

・「何も知らされないまま川淵さんに連れられ握手したら、オフトが『今日から代表チームでよろしく』…お陰で稼業の寺院を継げなかった」

・「『ドーハの悲劇』は予測されていた。ハーフタイムのミーティングでサイド攻撃とショートコーナーに注意するように話したが伝わらなかった。しかし、それを伝えきれなかった我々スタッフの責任である」

・合言葉は「Do It!」。とにかく「やってみろ」

・「コーチングの極意は『何も教えないこと』である。」

・カZ、ゴNも中Tもトレーニング過多。Gンなんか100本シュート練習した後に『もう100本』だもの。200本活きたパス出すほうの身にもなってほしい」


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (DON)
2007-05-07 21:19:19
大戸さんって、サッカーやってたんですか
清雲さんってすごい有名な選手なんですね~。

なんか、私のお友達が、サッカーゲームに
名前あったよって言ってました。

私、詳しくないんですけど・・・奥寺さんなら
サッカー好きのちえさんのお友達で
一緒に飲んだことありますー!!

ちなみに、私はキーパーの川口ファンです
返信する

コメントを投稿