語る城門「大戸」BIGDOOR正門

昭和38年製Bigdoorオヤジが身辺10m範囲の出来事を哲学したり雑学したりします。老後の楽しみ1つみっけ。

「む」難しい問題から挑戦を  ・苦あれば楽あり、成果は後からついてくる

2005-07-08 01:59:16 | Weblog
「む」難しい問題から挑戦を  ・苦あれば楽あり、成果は後からついてくる

「成せばなる、成さねばならぬ何事も、成らぬは人の成さぬ成りけり」」:上杉鷹山

「無理だ」と口にしてはいけません。その一言が限界値を定義して乗り越えられない大きな壁を無意識のうちに建ててしまいます。自分が築いた壁は容易に乗り越えられません。
日々直面する難問は「課題達成:新記録達成」と「問題解決:新機軸創造」の二種類です。
◇「課題達成:新記録達成」◇ 人は他人が建てた壁へのチャレンジに熱狂します。キーワードは「知識と努力と忍耐力」。例えば、100m走世界記録、1999年モーリス・グリーン選手(米)9.79秒を2002年9月14日ティム・モンゴメリー選手(米国)が9.78秒をうち立てた瞬間「記録は破られる為生まれてくる」ことをまざまざと見せつけたことは記憶に新しい。記録への挑戦は華やかでさえあります。ここではセオリーや常識が通用します。
◇「問題解決:新機軸創造」◇ しかし誰も解決し得なかった難問へのチャレンジは更に「知恵と勇気と行動力」が必要です。ここではセオリーや常識は使えません。未曾有の難問解決プランとは「常識」の対極に存在します。多くの場合、華やかさはなく地味なもので、「非常識」として多くの反対に出会います。

1961年、アメリカ合衆国第35代大統領に就任したジョン・F・ケネディは、日本人記者団の「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」との問いにこう答えた。「上杉鷹山(ようざん)」。JFKは内村鑑三の「代表的日本人:Representative Men of Japan, 1908年)」よく読んでいたようです。(代表的日本人は、西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮上人)
上杉鷹山は江戸時代に諸改革を断行し米沢藩の藩政建て直しに成功した藩における“中興の名君”で、戦前は小学校の修身教科書にも登場し、青少年に敬愛されてきた人物です。
上杉鷹山(治憲)*1.は宝暦元(1751)年、日向(宮崎県)高鍋藩主(三万石)秋月佐渡守種美*2.の二男として生まれ、数え年10歳にして米沢藩主上杉重定の養子入り。前掲の詩は鷹山が17歳で第9代米沢藩主となったときの決意を込めたものと言われます。
当時、あらゆる常識が破綻した藩財政改革に「無理・不可能」を示していたとき、諸改革を実施財政再建した青年藩主上杉鷹山には武士の常識、名門藩の伝統より、結果を出すことのみに注目し結果として「新しい常識」を打ち立てたのです。

「成せばなる、成さねばならぬ何事も、成らぬは人の成さぬ成りけり」

*1.「鷹山」は隠居後の号であり、藩主時代の名は治憲[はるのり]。
*2.2004年11月、日向高鍋藩第15代当主秋月種久氏が鬼籍入り。合掌


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