平成19年1月29日仏滅、父方祖母102歳の大往生。晩年は大分県別府市に独り暮らし。「誰にも干渉されたくない」と春木川沿いのリゾート・マンションに東京・高輪から転居して15年。波瀾万丈の生涯にひっそり幕を下ろした。
北九州・戸畑界隈の大地主の娘として乳母日傘で大きくなり、当時珍しく日本女子大学を卒業、一時期教員として勤めるが、鐵道省技官と結婚。二男二女を育てた。夫は勅任官で鐵道省に勤務していたが、生活費を家に入れず妾宅に住まい、遊興に浸る日々。
幸い実家からの支援もあり質素に暮らすも夫婦仲だけでなく嫁姑問題もあり決して幸福ではなかったかも知れない。後年、甥っ子の事業失敗で資産を散財するが、世間一般よりは優雅に暮らしていたと思う。なにしろ、「夏の東京は暑い」と言うや否や猪苗代のリゾートホテルに一ヶ月の避暑。幾つかのホテルの常連で宿泊先に招待状が届くほど。
我が家は半年で14代目と13代目の連れ合いを一気に失った。
北九州・戸畑界隈の大地主の娘として乳母日傘で大きくなり、当時珍しく日本女子大学を卒業、一時期教員として勤めるが、鐵道省技官と結婚。二男二女を育てた。夫は勅任官で鐵道省に勤務していたが、生活費を家に入れず妾宅に住まい、遊興に浸る日々。
幸い実家からの支援もあり質素に暮らすも夫婦仲だけでなく嫁姑問題もあり決して幸福ではなかったかも知れない。後年、甥っ子の事業失敗で資産を散財するが、世間一般よりは優雅に暮らしていたと思う。なにしろ、「夏の東京は暑い」と言うや否や猪苗代のリゾートホテルに一ヶ月の避暑。幾つかのホテルの常連で宿泊先に招待状が届くほど。
我が家は半年で14代目と13代目の連れ合いを一気に失った。
人はいつか逝くもの。よい人生であられましたように…