50年前の山陰~九州撮影行、AI搭載ソフトウェアによる再現像で連載中です。
8月3日は延岡から日豊本線に沿って南下し、いよいよ憧れの南九州へ...
先ずは美々津でC61と初めての出会いです。
北東北からはるばる九州へ転属してきたC6120、復活して現在も活躍中ですね。
3589レ、電柱串刺しで何ともシャッタータイミングの悪い写真ですが...
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手前でもう一枚、黒煙からあっという間に白煙に変身...
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この後はこの列車を追いかけながら宮崎へ...
既に南宮崎までは電化されていますが、未だ蒸気機関車は沢山走っていました。
大淀川橋梁でC57を2本撮影後、南宮崎以南の非電化区間へ行きC57を4本撮影、C57好きには堪りません。(写真は処理中です)
そして再び大淀川橋梁に戻ってきて、朝撮影したC6120を再度撮影しています。今度は旅客列車です。(536レ)
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3日から5日までは宮崎の大淀川河畔,富源荘ホテルに投宿、メモには安くてサービスが良かったとありますが、どんなホテルだったか全く記憶に残っていません。
1973年8月3日撮影
枯れ鉄は、佐土原でC61の列車を撮っていますが、同じように電柱串刺しでした(爆)
この頃はまだ、架線のある場所で蒸機を撮るというのはあまりなく、意識が低かったように思います。
電化されていたとはいえ、C61が撮れるのは魅力でしたね。
大淀川を渡るシーンでは同じく20号機を捉えていますが、まさか復活するとは思ってもいませんでした。
(列車の存在を初めて知りました)
美々津の駅、こんな感じだったのかとちょっとした衝撃!
何より朝日を浴びてC61の力強い走り、つながった貨車も興味深い。
夕方の大淀川、C61がひとりで南宮崎に向かい客車を牽いて来たんでした。
なるほど、朝の貨物で宮崎に来て夕方南延岡に向かったのですね。
蒸機のほかにもDFや特急の気動車も走っていましたが、私はフィルムをケチっていて
満足に撮っていないのが悔やまれます。
自分も廣田さんの真似して、佐土原で腕木信号機を入れて撮りましたが、架線柱がごちゃごちゃしていて、夏なので煙も無し、残念な写真でした。
当時は架線の下でも意識せず(仕方無く)撮りましたが、今は架線の下を走る蒸機はほとんど撮りに行きません。(笑)
当時、C61はもう日豊本線しか撮れませんでしたね。最後の最後に間に合って良かったです。
20号機の復活はビックリでしたね。今も撮りに行けるのは嬉しいことですが、非電化路線で走って欲しいものです。
美々津は海岸段丘の下で、直ぐに海だったと思いますが、海の記憶がありません。GMで見ると、撮影した辺りは現在工場が建っているようですね。
当時はフィルムのコマ数が限られていたので、やはり蒸機以外はほとんどシャッターを押していません。特急富士とか彗星とか、きちんと撮っておけば良かったと...