リリオーの日記

気が付いたことを書きます。

旅鉄はアッチコッチへと・・・4

2018-07-15 14:53:47 | Weblog

旅は駅弁だ!!!

 
     大船軒の「鯵の押寿し」大船駅で購入
  1917年(大正6年)発売の同社代表的ロングセラー駅弁。
  長く続けて親しまれているんだ・エライ!

 
  美味しかったと弟は言っていた。量もたくさんで良心的。
  
 
横須賀線・久里浜駅から成田線・成田空港駅までの3時間、普通電車
(総武線は快速)の、グリーン車2階席に乗車。久里浜駅発車前。

 
        車内
普通乗車券にグリーン券980円追加でゆっくり出来るんだって・いいなあ。
ドーンとこの座席に座って
美味しい鯵の棒ずしを食べたらしい・いいなあ。

 


旅鉄はアッチコッチへと・・・3

2018-07-14 14:05:03 | Weblog

またまた風格のある駅舎だよ~ん

 
           
奥多摩駅
青梅線の(立川駅~奥多摩駅)終着駅でロッジ風にも見えるこの
駅舎は1944年(昭和19年)建造。奥多摩観光の玄関口にふさわしい
名駅舎だねえ。

 
         青梅線の青梅駅
1924年(大正13年)竣工の駅舎は、ほぼ左右対称、青梅市の町おこし
企画に伴い2005年に改装されている。

 
青梅駅の改札口とホームを結ぶ地下通路。「昭和レトロ」の改装に
伴い通路の壁に「終着駅」など往年の名画の宣伝画を掲げている。
「鉄道員」はリリオーが可愛い女の子だった頃、母に連れられ観に
行った記憶あり。母はチャンバラ映画より洋画が好きだったんだ。
懐かしいなあ。
 


行かせてもらいました

2018-07-13 17:44:12 | Weblog

昨日、友との約束有りで地下鉄のホームに立った。
向こうから小学1年生位?の子供たちが引率の先生に連れられ
やってきた。元気が良いねえ、夢いっぱいあるね、希望もあるね、
頑張れよと声を掛けたくなった。でも、掛けられない子供たちが
いる。西日本風水害でたくさんの方々が亡くなられ辛い気持ちで
いっぱいだが、その中には、ホームにいる君たちと同じ年くらい
の子供たちがいる。もう夢を見ることが出来ない小さな子供たち。
これからだったのに・・・辛い・ホームにたくさんの人がいるのに、
リリオーは涙が止まることなく泣いた。
今日も泣いた。
リリオー家がお世話になっているお寺の住職さんが亡くなられ葬儀
に行った。59歳、何で?どうして?
去年、入院され月命日には息子さんが来られていたが、先月、退院
されたと聞いて安心していたんだがと兄の話。
辛い・悲しい・涙が止まることなく泣いた。


旅鉄はアッチコッチへと・・・2

2018-07-11 18:53:57 | Weblog

弟の旅・次は日光線

 
         日光線の終着駅・日光駅
現駅舎は2代目で1912年(大正元年)竣工。近代化産業遺産にも
選定されている。
重厚で落ち着いた駅舎美しい!
昔からの駅舎、近代化された駅舎、色々あるがリリオーはどちらも
それぞれ趣きあり好き!駅舎めぐりするのがリリオーの夢なんだ!

 
   日光駅で発車待ちする観光客向け車両「いろは」
       「いろは」は、いろは坂から

 
 車両の内部・・・豪華に改装された。ゆったりしているね。


旅鉄はアッチコッチへと・・・1

2018-07-10 16:47:43 | Weblog

東京の路線図を見ると東京駅中心に網の目のようにたくさん、
路線が右往左往。スゴイ!
弟はほとんどの首都圏路線に乗っているらしいが、この4月に又・
乗車。いろんな新しい発見があるんだろうね・・・ホンマ・好き
なんだなあ!
まずは烏山線

 
      蓄電池電車ACCVM烏山線終着駅・烏山駅
電化区間はパンタグラフを上げて非電化区間は蓄電池に充電した電気で走る。 

 
   
       東北線と烏山線の分岐点駅・宝積寺駅
 駅舎は隈研吾建築都市設計事務所が設計・2007年完成。
    斬新なデザインはサスガ!スゴイ!!
    駅舎の前で\(^o^)/したくなるね!!


   
    

 


色々の年令か・・・6

2018-07-09 14:27:14 | Weblog

膵臓の検査結果はやはり、膵嚢胞があった。
「先生、どうなるんですか?」
「今は人間ドックで早期発見され膵嚢胞のある人が
多く見つかっている。いっぱいいるんだ、気にして
いたら何もできない。又、来年、再検査しましょう」
まだ、小さいらしいし先生は落ち込まないよう優しく
お話して下さるが、やはり気になるよね。でも・・・
ヤッパシ、気にしない、どうにかなるさ、ケセラセラだ。
心配してメールくださったIさん方ダイジョウビで~す。
ブログに書かなかったら良かったと…その方を気にして
います。
それよりも大阪府に大きな地震が起こり又、この大雨で
亡くなられた方々、行方不明になっておられる方々が大勢、
心配です。心が痛みます。
リリオー家先祖代々の墓がある広島・三原も気にかかって
います。


鉄旅・・・羨ましいよ!・・・4

2018-07-07 10:00:02 | Weblog

弟の今回の旅で昔を思い出させてくれた1枚の写真。
  
         二見浦にある旅館・二見館
江戸時代から続く有名な老舗旅館だった。そう、だっただ。1991年
(平成11年)11月を以て休業となっていた。建物は残っている。
「スゴイ老舗の旅館やね、休業してるの?」
「うん、僕ら、43年前にこの旅館に泊まったんやで、エライ怒ってたや」
「ええ?ここやったん」
怒ったのは思いだしたが旅館の名前はすっかり忘れていた。

家族旅行で泊まったのがこんな高級な老舗の旅館だったんだ。旅行社に
お勤めだったお客様に紹介していただいた。きっとこの旅館ならリリオー
ちゃんも気に入ってくれると決めて下さったのであろう。
だが・しかし・年末年始で物凄く忙しくほったらかしにされ、料理も3品
位で終わりと言われた。ええ?お客様には伊勢エビもお願いと言っていたし
油物も酢の物も出ていない。
旅って美味しい料理を食べるのが楽しみだろう、エエ恰好して喜んでもら
おうとみんなを連れてきたのに。リリオーは怒った。
それから料理は出てきたが遅かりしで白けてしまい、みんなに申し訳なく
ガックリだった。
43年前のことが急に頭の中に突入。カーン!
まあ、馴染み客でなく1回こっきり、10人の団体客、安っぽく見られ
たのかもね。


 
     隣に建つ「實日館」国の重要文化財
明治20年に建つ「實日館」は当時、「二見館」の別館だったそうで
今は、国の重要文化財となっている。
弟はこんな立派な別館があった旅館に泊まったのか凄かったんやなあ
と、今になって驚いていた。
弟が見せてくれた写真で大好きな母が現れた。明日は墓参りの日だ。
母に会いに行こう。


          




明日は七夕

2018-07-06 17:40:54 | Weblog

最近、リリオー自身の病院通いが忙しく、身内の病院付き添いを
していなかったが、この前、連れて行って欲しいと言われ車いすを
押して病院へ。
エントランスホールは七夕になっていた。

    
願い事が書かれた色とりどりの短冊が笹の葉に結ばれていてキレイ。
書かれている願い事は・・・
〇〇君、早く病気がなおりますように
お母さん、早く退院出来ると良いなあ・早く元気になって欲しい
ガンが転移しませんように・・・等々。
病気と闘っている人たちの願い事を叶えてください・病気よ飛んでいけ!
そう、大きくなったら外科医になると書かれた短冊もあった。
医師になって多くの人たちの命を助けてね。お願いします。


大雨ですね・・

2018-07-05 11:03:15 | Weblog

朝早く起き土砂降りの中、膵臓のCT検査を受けてきた。
あの大きなCT機器に入り息を吸って止めてと何度もね。
心臓検査の時もしたから慣れてきたよ。
本当に今回は何度もアッチコッチの病院に行って、もう
いやになるけど色々の年令だから素直に受けなければね。
今回の結果は後日。乞うご期待と気持ちを楽にして夜は
ビールを飲もうっと!ビールを飲めている間は元~~気!
皆さんもずっと元気でいてね。ずっと、ず~っと。


鉄旅・・・羨ましいよ!・・・3

2018-07-03 20:50:39 | Weblog

さん!お伊勢さんに行ったことありますか
関西に住んでいる人は一度くらい行ってるんじゃないかな?
リリオーは小学校の臨海学習で行ったような気がするわ。
そして、2回目はリリオーが新地のクラブに勤めていた頃、
家族みんな(母、兄と姉の家族、弟)を連れて年末年始に
リリオー持ちで行ったんだって・・・忘れていたが弟から
聞いてそう言えば、お正月は温泉に浸かろうと大盤振る舞い
したことがあったか。母は、娘、息子、孫たち、10人位
一緒、賑やかで喜んでいた。だが・しかしだ
・腹が立つ事件
が起こったんだクッキリハッキリ浮かんで来たよ。
まず弟は二見浦駅に到着

   
    駅舎は1993年に夫婦岩をモチーフとしたものに変った。
    斬新なデザインで人気があるんだろう。

   
         二見浦のシンボル・夫婦岩
   そう、孫たちと一緒に写真に納まってニコニコしていた母が
   ここにいたなあ。

   可愛いお嫁さんになって欲しいと願っていた母を裏切りお水の
   世界に入ったリリオーはその後、母にはチョッピリづつ親孝行
   をするようになり、アッチコッチ一緒に旅したが
、お伊勢さんが
   最初だったかも知れない。弟の写真を見て43年前が懐かしく・
   目の前に現れた。そう、43年も前だって、オドロキポン。