※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。
こんにちは、本当に遅くなってすみません、
第11回をアップします。
はじめに
今回は、野溝七生子の小説、『山梔』における、山梔と白百合の機能について考察します。
前回、前々回に扱った『それから』、『第七官界彷徨』ではにおいが重要なポイントになっていましたが、今回扱う『山梔』でも、芳香の強い花が描かれます。また、『それから』でも描かれた、白百合の花が登場します。
『山梔』は1924(大正13)年に『福岡日日新聞』の懸賞に入選し、選考委員に「真理が随所に撒き散らされてある」(徳田秋声(1))、「心と体と筆とがひとつになってそこにかうした立派な火が燃やされた」(田山花袋(2))、全くの「夢物語」というわけではなく「現実と幻想とが不思議に美しく混淆して居る」(島崎藤村(3))と評されました。1926年に春秋社より単行本として刊行されています。
1983年に刊行された『野溝七生子作品集』(以下、『作品集』とする)に入り、1999年には高原英理によって「少女型意識の誕生」と位置づけられ(4)、2000年には文庫(講談社文芸文庫)として出版されるなど、近年再評価がなされている作品です。しかしながら現在、『作品集』解説や解題、いくつかの評伝や評論があるのみで、本格的な作品論や読みはほとんどありません。
そこで、『山梔』のなかで印象的に描かれる二つの花、山梔と白百合の描写を中心に、『山梔』の解釈を試みます。
1.梗概及び研究史
【梗概】
『山梔』は暴力を振るう父親のいる厳しい家庭で育った主人公阿字子が家を出るまでの物語である。阿字子は風変わりであるが背が高く、美しい娘として描かれる。
物語は幼い阿字子が高いところにある白く香り高い山梔の花を手折ろうとして、届かないところから語り始められる。彼女を抱きあげて山梔を手折ってくれた美しい娘(後に、子供たちから「魔法使」と呼ばれる寺の娘の「調」であることが明かされる)が、お蔵の二階に古い書物があることを教えてくれる。本を読むことは、阿字子にとって生きることとなり、やがて彼女は遠いギリシャの神話にあこがれるようになった。しかしながら成長して女学校を卒業すると、父に味方して兄の結婚に反対したために兄や兄嫁と対立し、次第に追いつめられる。小説は死を強く願うようになった彼女が、家を出た場面で終わる。
【登場人物】
・暴力をふるう父
・優しい母
・一貫して協力者である姉の緑
・純粋で守るべき存在である妹の空
・当初は理解者であったものの結婚後敵対する兄の輝衛
・兄嫁の京子。
【特徴】
・「いかにも初心者らしく、そのポツン、ポツンとした印象派風の書き振りは、(中略)ひどくハイカラな持味の新鮮味を感じさせました」(5)
▽象徴的な場面描写
・「論理的分析のゆきとどいた会話」「人工言語」(6)
▽説明的で理知的な文体。
【研究史】
『山梔』は「近代の女人文学の原点であり、同時にこれ以上行く先のない到達点」(7)とも評価される重要な作品であり、高原英理『少女領域』(一九九九年(8))を機に、近年再評価の動きが起こってきました。後に比較文学者としての立場を得る野溝が、文学や学識によって対価を得ていなかった、まだ何者でもなかった頃に書いた初めての作品であるとともに、質量ともに充実した作品です。
しかしながら、繰り返しになりますが、前記「選評」、『作品集』解題・解説、栞のほか、本格的な読みや作品論はほとんどありません(9)。自伝的要素の強い作品であるとも言われる作品ですが、単純に伝記的な事実に当てはめるのではなく、何が書かれているのか、詳細な読みを進めてこそ、「少女型意識」において果たした機能も明らかとなるものでしょう。
そこで今回は、『山梔』のなかで重要なモチーフとして描かれる山梔と白百合の花に注目し、『山梔』の構造を明らかにします。山梔と白百合は、繰り返し重要な場面で描かれるモチーフです。加えて、花は少女との関わりにおいて、さまざまな文学作品において重要な機能を果たすものです。『山梔』は、花のイメージの文学史においても、重要な作品といえるでしょう。
2.「少女」と花
具体的な考察に入る前に、「少女」や、少女と花との関わりについて概観しておきます。
【「少女」の研究史】
『山梔』は「少女型意識の誕生」として位置づけられますが、「少女」については研究史上、概ね以下のようなことが言われています。
・純潔規範を課せられ、社会的再生産のシステムから疎外される存在であり、学校制度の整備と教養主義とともに発生したこと、
・「少女」イメージには少女雑誌が大きく関わること
が指摘されます(10)。
修身教科書や少女雑誌から「少女」像を捉えた渡部周子は「就学期にあって、出産可能な身体を持ちつつも結婚まで猶予された期間」を「少女期」と捉えています(11)。
「純潔規範」は「少女」を縛るものであり、矛盾である一方、望ましい女性役割から逸脱させる可能性をも持っています。少女たちがいつまでも少女のままでいては、良妻賢母にはなれません。一生、あるいは夫に対してまで純潔であっては出産できないからです。「少女であること」そのものへの愛着は、子を産み育てる社会的再生産のシステムへの参与を拒絶させます。
矛盾に満ち、可能性が閉ざされているが故に逆に無限の可能性を持つ「少女」の在り方を、矢川澄子は
同年輩でも少年ならばどこかで囚われかねない義務観念や、立身出世、権力志向とかいったもろもろの上昇志向からも、少女は少女であるがゆえに自由であり、どこまでも純粋な観客の立場に徹することができるのである。(12)
と述べ、高原英理は「性的な「分類」」に「疑問を投げかける」(13)、江黒清美は「生む性からも社会的責任からも解放された自由な存在」であると言います(14)。
『山梔』においても、強い純潔志向と結婚拒否の姿勢とともに、阿字子が「立身出世」や「権力志向」とも無縁である様子が描かれます。兄嫁の京子が結婚を嫌う阿字子を詰(なじ)る場面、
「でも、結婚もしない、身を立てることもしないとなれば、いよく親同胞の厄介ものだと仰云るのですね。(中略)御両親のなくなりなすつたあとは、一体、だれがあなたを引き受けなければならないかは御存じでせうね。」(15)
からは、阿字子が単に結婚しないのみならず、立身出世も志向していないことがうかがえます(16)。
【少女と花との結びつき】
例えば吉屋信子『花物語』(1916~26年)などに見られるように、「少女」は花にたとえられるものです。とりわけ「純潔規範」と深い関わりを持つと指摘されるのが、「白百合」の花でした。
白百合の花は、「明治期の浪漫主義者」において、「恋愛(プラトニック・ラブ)の対象となる純潔な女性」および、「女性への思慕の念を通して喚起された芸術創造を象徴した」(17)こと、さらに
明治末期から大正・昭和における少女の教育に波及した際には、(中略)、将来の良妻賢母となる少女たちの身体を純潔のままに保持するうえでの教化の象徴として、機能する(18)
ことが指摘されます。『山梔』後半で白百合が描かれることは、阿字子の強い純潔志向と結婚拒否の姿勢によく合致したものと言えるでしょう。白百合が阿字子の植えたものである(57頁)ことは、「園芸」が女子教育において重要な役割を担ったとの指摘(19)にも当てはまります。このような点から言えば、白百合の描写は典型的なものと言えるでしょう。
一方で山梔は、古典文学の世界では『古今和歌集』巻第十九 雑躰歌にある、
題しらず 素性法師
1012 山吹の花色衣ぬしや誰問へどこたへずくちなしにして(20)
など、「口なし」との掛詞から、何も言わないことを象徴します。
『古今和歌集』の場合は染料として用いられる山梔の実の意味合いが強く、『山梔』で印象的に描かれるのは、白く、香り高く咲く花ですが、「誰か」と尋ねても「口なし」で答えることができないというイメージも掛かっているでしょう。
冒頭の場面で阿字子に山梔の花を手折ってくれたのが、子供たちから「魔法使」と呼ばれる寺の娘、調です。調は何度も「誰か」(23頁、31頁、35頁等)と呼ばれ、また阿字子も「何も云ひはし」ない「黙つて、中に貯へてゐる子」(133頁)であり、姉の緑に対し「言葉のいらない国に行きませうね」(208頁)という場面もあります。
吉屋信子『花物語』においても、「山梔の花」で描かれる少女は口をきけないことから、「山梔=口なし」の連想は、当時においても一般的なものであったと言えるでしょう。
花は古来女性の象徴となり、花を手折ることは女性を手に入れること、種や実は生殖を連想させます。他ならぬその花が、生殖を禁じられた「少女」のイメージとして用いられたとき、どのような変化をこうむるか、考えることができるでしょう。
3.山梔のイメージ
『山梔』の花イメージに関しては、
☆花と少女との重ね合わせ
☆花と書物がどのように結びついて描かれるか、 の二つの観点から整理します。
一つ目についてはすでに述べた理由から、二つ目については、これから述べるように、『山梔』のなかで書物や文学は重要な意味を持つからです。
『山梔』は幼い阿字子が高いところにある山梔の花を手折ろうとする印象的な場面から始まり、白百合の咲く家を出る場面で終わります。
山梔はぷんぷん薫つてゐた。子供は折りとらうとして、折りとらうとしていくたびも手を伸ばしたがやつと下枝の病葉にとゞく位に小さかつた。
(中略)一生懸命のその姿は、空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まうとしてゐるやうにも純潔であつた。
(中略)
その年頃には何も彼もが生れて初めての経験であるやうに、白い山梔の花は、生れて初めて見た清い芳烈な花だと子供には思はれた。
(中略)
根気よく、いく度となく伸び上り伸び上り、そしては小さな踵をすとんと落して、また伸び上つてゐる子供の体を、後から突然に抱へ上げた、白い指の長い女の両手がある。
(中略)その時、すらくと花の着いたしなやかな枝が子供の額に触れて、芳香があたりに散つた。
子供の頭の後には高い拡がつた空があつて、落日のおごそかな光を、二人の上に投げてゐた。
女は子供を下に降すと、清らかな袖口から真直に腕を伸ばして白い花の枝を折つて呉れた。(11頁)
このとき山梔を手折ってくれたのが、「調」と呼ばれる寺の娘ですが、山梔は、調が「山梔の下の女」(22頁)と呼ばれ、「調の噂を聞くこともなく、誰もきかせるものもなく年月は流れて行つた。阿字子は、山梔の花が咲く頃になると、どうしてゐるかと涙の出るやうな思ひ」(40頁)をする、とあるように、ひとまずは調を象徴するものです。と同時に、調にとって阿字子は「私の幼い時の鏡みたい」(24頁)であることから、阿字子をも象徴するものでしょう。
ここでは年かさの少女である調が幼い阿字子に山梔を手折って与えていますが、花を手折ることは、常套的には男性が女性を手に入れることの比喩となります(21)。阿字子を通じて兄の輝衛と調が文通し、輝衛が調に求婚する後の展開を考えれば、阿字子を媒介として、調が輝衛に自らを与えることを象徴するとも考えられます。しかしながら、調と輝衛との縁談は、調の父の拒絶によって実現しません。
それでは、調から阿字子に手渡されたのは何だったのでしょうか。
山梔は清く美しく芳烈で手に届かないものとして描かれ、主人公はそれを必死で手に入れようとします。場面は光に満ち、「空の彼方」「高い空」「真直」など、垂直の動きや視線が強調されます。「星のやうに輝いた白い花」(⒕頁)との表現も、手の届かない高い空にあるイメージを喚起させます。
山梔が咲くのは寺の庭という区切られた聖域です。阿字子が寺の庭で「枯葉の堆積の中に、何か青い草の葉でも見つけると」、「その周囲に枯葉を堤にしてして丸く円を描いて王様のお庭」(22頁)だと言って遊ぶ場面もあり、寺院の庭の聖域性が際立ちます。
「一生懸命」の姿、「空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まうとしてゐる」かのような姿が「純潔」と形容されることにも注意しましょう。「純潔」は白百合のイメージとも共通しますが、白百合に象徴される性愛に関わる「純潔」とはやや意味合いが異なるように思います。
ここで、調が阿字子に、祖父の遺した「草双紙や絵巻物」(19頁)がお蔵の二階にあることを教えていることを、確認しておきましょう。
阿字子は、
「あなたのおうちには、昔からの好い御本が、どつさりあるでせう。お祖父さんは、聞えた学者でいらしたのだから。」(18頁)
阿字ちやん、私のところではね、古いものや仕様のないものなんぞと皆、お蔵の上に、ほり上げてしまふんですよ。(19頁)
と教えられ、土蔵の二階で祖父の所蔵していた古い書物を発見します。
土蔵の二階で本を読む彼女を、侍女が発見する場面は、「夕方の光は、屋根裏を明るく一面に彩つてゐた」(18頁)と描写されるように、明るい光に満ちています。土蔵の二階は、「壊れかゝつた危つかしい梯子」を上がった先にあり、書物が、高いところにある光に満ちたものであると同時に、手に入れることの難しいものであることも象徴しているでしょう。
調に教えられて書物を発見したこと、書物が高いところにある、光に満ちたものである描写は、冒頭で描かれる山梔とも共通します。したがって、山梔は書物、殊に古い日本の書物の象徴するものでしょう。ここでの書物が古い、時間的に隔たった、歴史を遡ったものであることにも注意しておきましょう。
夕照の燃えるやうな暑さも、本の譚(ものがたり)に気を奪はれてゐる子供には感じられなかつた。いつしらず土蔵の二階で、秘密に物を読み耽るやうになつてからは、阿字子の姿は母や姉の前から魔法のやうに消えて行つた(18頁)
とあるように、読書は阿字子を家族とは別の、違う世界へと連れていくものでした。母に屋根裏の書物を読むことを禁止され、「あの草双紙は、阿字子には、早すぎる」(20頁)と説明する姉の緑に阿字子は嘘を言い、後に兄が阿字子に本を買い与えたときにも、母は阿字子が本を読み過ぎることを心配します。
書物は阿字子を家族から引き離すものなのです(22)。
4.白百合
前半で重要な意味をおびていた山梔の花は、物語後半ではほぼ描かれなくなります。代わって描かれるのは、白百合の花です。
後半での主な舞台となるのが、「お祖父さんの家」と呼ばれる海辺の家です。
【本文引用】
海を下に見る高台に、ぐるりを白楊樹の並木でとりまかれた、空家のやうに荒れた変な恰好の――洋館ともつかず日本建ともつかない――大きな家が只一つ建ってゐた。それを子供等は「お祖父さんの家」と呼んで、今では夏の住居になつてゐる。(29頁)
この家は、当初夏の別荘でしたが、後半、兄が結婚して以降に、一家で移り住みます。
【本文引用】
「来年は、どうしても、薔薇と百合とを作らなければ。」
「百合は、彼方の家から取つて来て、根を埋めて置きさへすればわけなしよ。」
「私、この窓から、眺められるやうに、百合の花壇を作るのよ。緑さん手伝つて頂だい。」(57頁)
とあるように、この家に、町の家から白百合を移植するのですが、例えば兄の友人である柏木が阿字子に求婚する場面で、
【本文引用】
開け放した窓からは、白百合の芳烈な香がおそひ込んだ。二人はその窓に近く椅子を置いて長い間語り合つた。(218頁)
とあるように、強い芳香が描かれます。
白く薫り高い花である点では、山梔と共通しますが、一方で後半で阿字子の読む書物は、古い日本の書物から西洋の神話や伝説へと変わっています。
例えば、阿字子が家を出る前に妹の空に語った物語は、ギリシャ神話をもとにしたフィクションでした。
【本文引用】
「昔、昔希臘とトロイが、戦争をしました。そんなお話さ。」
(中略)
「オリムピヤの野に、百合がたくさんたくさん、咲いてゐました。そこにある百合よ。この百合さ。それから、希臘の年若い将軍が、たそがれの野を、真一文字に疾走を続けてゐました。将軍の故里の街では、母さんが門に立つて、その子がもたらして帰る戦勝の便りを、今か今かと待つてゐました。(中略)美しい処女が、(中略)愛人の帰りを待つてゐたのでした。(中略)ああそこに、愛する処女がと思つた時、将軍の膝はくづをれて、はたと百合の花叢の中に、倒れてしまひました。(中略)身動きに槍の石突が、大きな百合の花に触れて、明星の影乍らに将軍の唇に、涙のやうな露がかゝつたのです。彼は、意識をとり戻しました。その処女だと思ふ、百合の花を、鎧の胸甲深く膚に納めて、将軍は、再び立つて、その疾走を続けました。そして故里の門に待つ、なつかしいお母さんの腕に瀕死の身を投げかけて、『勝つたのです。』と只一言、その儘瞼は深く閉ぢられてしまつたのです。(中略)、あゝ将軍の、蒼い瞼は再び、処女を見ることは出来ませんでした。美しいとび色の、長い睫毛を濡らして、処女の涙は将軍の上に散りました。あの、その、この百合の露のやうに。」
阿字子は、さう云つて、空を見て、百合を指して微笑した。
(中略)
「おしまひさ。何も彼もおしまひよ。それからね、それから母さんが跪いて、人々の手を借りて致命の傷手を、母さんの手で蓋する為に鎧を脱がしました。そして、脇腹を貫いた槍の穂先と共に血に塗れた、大きな百合の花を取り出した時、処女は、それを一眼見ると、その儘、するすると倒れかゝつて、気を失つてしまつたのでした。」(241~242頁)
白百合は、阿字子の語る物語の中では故郷で待つ「美しい処女」を象徴するものです。阿字子が家を出ようとする場面であることを考えると、将軍は阿字子、待つ処女は妹の空、母は姉妹たちの母があてはまるでしょう。聖杯伝説に関し、阿字子が「革帯」を見た騎士に自らをなぞらえる場面もあり、阿字子自身はあくまでも「騎士」や「将軍」として自らを位置づけています。
ただ、白百合の持つ「純潔」のイメージは、恋愛に関わる「純潔」のイメージを呼び起こします。
阿字子に求婚する、兄の友人である柏木にとっては、阿字子=白百合なのです。
強い白百合の芳香とともに描かれる場面で、柏木は「純潔な私」を阿字子に捧げることができないことを嘆き、純潔な阿字子に受け入れられることによって、「純潔な私」を取り戻すことを夢想します。さらに、幼いころの阿字子と会ったときの「あの時の阿字ちゃん」「あの時の私」(220頁)ともあるように、柏木にとっては白百合の香は過去を喚起するものでした。
けれども阿字子は柏木を拒絶し、白百合であることも拒絶します。かつては姉の緑が柏木に思いを寄せていたことがほのめかされ、
【本文引用】
緑のこともなく、阿字子の事もなく、只空と晃(=柏木、引用者注)とだけを切りはなして考へる時、阿字子は、百合の花壇の中で、その香に埋もれてゐる時のやうな幸福を感じる。(210頁)
とあるように、現在は妹の空を柏木の相手として考えていることからも分かるように、、阿字子にとって柏木との関係は、姉妹関係との関わりの中でしか考えられません。
しかしながら、自分自身は望まない結婚を妹に対して考えることは、
おゝ仮りにも空を、あの人に並べて、辱めていいものか。空は赤ん坊よりも純潔だのに。(225頁)
とあるように、矛盾したものでした。自らを騎士や将軍だと思い、妹を故郷で待つ純潔な恋人に喩えることは、妹を無意識のうちに抑圧するものでもあるでしょう。
阿字子の語る物語においては、白百合は遠いギリシャと眼前の風景とを結びつけるものであり、遠い時空を引き寄せるための装置でした。さらに、古い日本の書物は、ひたすら読むものでしたが、白百合に象徴される西洋の神話や伝説は、妹の空に語ってきかせるものでもありました。
【本文引用】
空に、語るこの時間こそ、一日のうちの最も楽しい時刻であつた。
(中略)
どの物語も、阿字子は決して終りまでは語らなかつた。
(中略)
姉は、妹の胸に、血汐を以て物語を書きつけるのであつた(59頁)
山梔が、「口なし」の、答えることができない言葉であるとするならば、白百合は、妹に語られる、決して最後まで語られることのない物語を象徴するものでもあったでしょう。
阿字子が『山梔』のなかで実際にものを書く場面は、柏木の求婚を断った後、姉の緑に養子としてもらえるよう申し出た手紙(233~234頁)のみです。実際に「書く」ことは、白百合の花咲く家を出、妹に物語を語る機会が失われてはじめて、生れるのです。
おわりに
以上、野溝七生子『山梔』における山梔と白百合の描写について、考察してきました。『山梔』は、近年「少女」という観点から再評価がされていますが、本格的な読みや作品論はまだほとんどありません。『山梔』においては山梔と白百合が重要な場面で描写されますが、「少女」と花との関わりは深く、殊に「白百合」は純潔を象徴するものとして、重要です。。
山梔と白百合は清く美しく、白い芳香の強い花という点で共通します。白百合の花は一般的に純潔の象徴とされ、山梔に関しても阿字子が山梔を折り取ろうとする姿が「純潔」と形容されます。ただし白百合の純潔性は性愛や恋愛に関わる「純潔」であり、山梔に関しては、「空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まう」とすることが「純潔」とされていますので、例えばお金であるとか何か別のもののために何かを求めるような態度とは無縁の、純粋さを表すようです。
山梔は年かさの少女である調が阿字子に手折って渡したものであり、お蔵の屋根裏に祖父の遺した草双紙や絵巻物があることを教えた描写から、古い日本の書物を象徴します。一方で後半描かれる白百合は、西洋の神話や伝説と結びつくものでしょう。山梔に象徴される古い日本の書物は時間が隔たった過去のものであり、一方で白百合の描かれる西洋の神話や伝説は、空間的に遠く隔たった異邦のものです。
また、山梔の花は『古今和歌集』にある
1012 山吹の花色衣ぬしや誰問へどこたへずくちなしにして
など、「口なし」との掛詞から、「誰か」と呼ばれる調と、何も言わないで内向してゆく阿字子を象徴します。一方で白百合は、阿字子が妹の空に語る「お話」のなかでも描かれます。
後半で調は遠くに去り、山梔の花は描かれませんが、阿字子は世間や京子に対して語る言葉を持たず、何も言わないままです。また、阿字子が『山梔』の中で実際に書くのは、姉の緑にあてた手紙のみですが、妹の空に物語を語ることが、「血汐を以て物語を書きつける」ことにたとえられます。したがって、『山梔』が指摘されるように、「自伝的」な作品であるならば、語る相手である空のもとを旅立った阿字子がその後書いたものとして、そのような枠構造をもって、書かれたものと言えます。
したがって、『山梔』とは、何も言わず、自らの言葉を持たなかった少女が心に貯めていた物語をも、指すものでしょう。語ることの挫折ののちに、書くことを獲得したのです。と同時に、実際に作品内で語られるのは白百合に表象される(性愛に関わる)「純潔」の物語ではありますが、もっと抽象的でこの世にはいまだないものを掴もうとする、「空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まう」とすることを志向する物語でもあるのです。
注
(1)『福岡日日新聞』大正13年8月7日(「〈参考資料〉野溝七生子論集」『野溝七生子作品集』1983年、立風書房)。
(2)同、8月13日。
(3)同、9月3日。
(4)「少女型意識の誕生 野溝七生子『山梔』一九二四」(『少女領域』1999年、国書刊行会)。
(5)神近市子「時感二三」『読売新聞』昭和2年6月1日(「〈参考資料〉野溝七生子論集」注1参照)。
(6)鶴見俊輔「コスモポリタニズムの先行者」(『野溝七生子作品集・栞』注1参照)。
(7)久世光彦「山梔伝説 野溝七生子」(『昭和幻燈館』晶文社、1987年)。なお、「女人文学」という用語には若干問題がある。
(8)注4参照。
(9)江黒清美による初めての本格的な研究(「由布阿字子・『山梔』野溝七生子」『「少女」と「老女」の聖域 尾崎翠・野溝七生子・森茉莉を読む』2012年、學藝書林)がある。「少女」という観点による、ジェンダー論的な評価・位置づけを主眼としたものであり、重要な先行研究ではあるが、さほど花のイメージには注目していない。『山梔』そのものの考察ではなく、野溝七生子についてのものに、親族の一人である林礼子が思い出を語った『希臘の独り子』(1985年、私家版)、個人的に交友のあった矢川澄子による評伝『野溝七生子というひと 散けし団欒』(1990年、晶文社)がある。
(10)例えば本田和子は女学校によって女学生の集団が出現したことおよび、「明治三十年代に簇出した少女雑誌群」が「少女共同幻想体」の成立に関与した(『女学生の系譜:彩色される明治』1990年、青土社)、大塚英志も同様に「明治三〇年代、女学校という学校制度と女性雑誌というメディアによって二重に囲い込まれる形で〈少女〉は誕生する」と述べる(『少女雑誌論』1991年、東京書籍)。今田絵里香は、「「少女」は経済力とともに、西欧文化と教養主義的な文化という新時代に光輝を放つ文化を込められた」(「「少女」の誕生:少女雑誌以前」『「少女」の社会史』2007年、勁草書房、初出『教育学研究』2004年6月)者であると言い、「女学校に通い、少女雑誌を買い与えられていた女子」を少女とし(「序章」同書)、
修身教科書に登場するのは「女子」、高等女学校に存在するのは「女学生」であり、「少女」ではない。(中略)「少女」というジェンダー・アイデンティティを創出し、それに独特の意味を与え、非常にポジティヴな語としてきらびやかに装飾したのはほかでもない少女雑誌であった(同)
ことから、少女雑誌を必要不可欠なものとする。他
に川村邦光(『オトメの祈り:近代女性イメージの誕生』1993年、紀伊國屋書店)、稲垣 恭子『女学校と女学生:教養・たしなみ・モダン文化 』(2007年、中公新書)などに指摘がある。
(11)『〈少女〉像の誕生:近代日本における「少女」規範の形成 』(2007年、新泉社)。
(12)「解説」(『野溝七生子作品集』注1参照)。
(13)「序 少女型意識 自由と高慢」(『少女領域』注4参照)。
(14)「博士論文を書き終えて 老少女文学論序説:尾崎翠・野溝七生子・森茉莉における「少女」表象の考察」(『Rim』11(1)、2009年)。
(15)231頁。引用、頁数は『野溝七生子作品集』(注1参照)による。ただしルビなど一部省略した部分がある。
(16)高原英理はこの場面について、
京子らの、世間からはみ出まいはみ出まいとする意図も、もとをただせば当時の女性が自ら生活の資を得られないという最大の屈辱から発生していたことをこの言葉はあらわにする。
(中略)女性が自活できる道があれば阿字子の受難はなかったかも知れないのだった。
(注4前掲)と述べ、当時の女性に職がないことが、結婚に迫られる要因とする。しかしながら、(できないではなく)「立身出世もしない」との表現に着目するならば、必ずしも就職が全くないことを示しているとは言えない。戦前の婦人雑誌を調査した木村涼子は、
男性の立身出世主義の隆盛をサポートしたマスメディアは、女性に対しても彼女たちを業績主義の渦に巻き込むような価値観を提示していたのではないだろうか。
(「女性版立身出世型」『〈主婦〉の誕生 婦人雑誌と女性たちの近代』2010年、吉川弘文館、初出『大阪大学教育社会学・教育計画論研究集録』第7号、1989年)と指摘するが、就職は業績主義や立身出世という社会構造への参入を意味する。例えば教師は当時にあって女性が就くことのできる職業のひとつであったが、女学校時代阿字子はその奔放さで教師に嫌われた。
何しろ、四年間に十二回の学期末を通じて、ただの一度も主席といふことに、出会はなかつたのは、それは、どうしても至当としなければならなかつたほど、不勉強な生徒ではあつたのだ。(72頁)
とあるように、勤勉さや業績主義とは無縁である。阿字子は結婚や労働の対価としての経済性に身体を還元する思考そのものを拒絶するのである。
(17)渡部周子「浪漫主義文学と美術における「少女」像」(注11前掲書所収)。
(18)渡部周子「白百合に象徴される規範としての「少女」像」(注11前掲書所収)。
(19)渡部周子は「少女は、園芸を通して新たな生命を育み、愛護することを学ぶことが可能だと考えられていた」と述べる(「実践教育としての「園芸」:ケア役割の予行」注11前掲書所収)。
(20)引用は新編日本古典文学全集による。
(21)なお、渡部周子は「美しいが手折ることの許されない観賞用の花に比喩される少女とは、美しいが男性が触れてはならない少女の純潔さを象徴している」(注19前掲論文)と述べる。
(22)川村邦光は、読書は個人を心の中の部屋に閉じこもらせ、孤立化させるものであると指摘する(注10前掲書)。
※今回の内容は、拙稿「野溝七生子『山梔』における山梔と白百合」 (『名古屋大学 国語国文学』 108号、pp49 - 62、2015年11月)をもとにしています。
←
第10回
→
第12回