人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

『大和物語』141段の二人の妻

2020-11-13 12:01:39 | 日本文学
『大和物語』141段が、数年前からずっと気になっています。

 大和の掾といっていた男に、本妻(もとの妻(め))と新しい妻(筑紫から連れてきたので「筑紫の妻(め)」)がいたんだけど、男はよその国(ここでいう国は、筑紫の国とか大和の国とか武蔵の国とかのこと)に行ってばかりであんまりいない。だから本妻と筑紫の妻は二人仲良く暮らしていた。筑紫の妻はときどき浮気なんかして、それを正直に本妻に打ち明けたりして、その正直な様子がまた可愛くて、二人仲良くしてたんだけど、そのうち男の愛情が薄れてきて筑紫の妻をあんまり大事にしてくれなくなった。だから筑紫の妻は親きょうだいのいる筑紫に帰ることになり、男も愛情が薄れていたのでとめなかった。で、筑紫の妻が船に乗るところまで、本妻と男はお見送りに行くんだけど、本妻はもともと仲が良かったからすごく悲しむし、男もいよいよお別れとなると悲しくて、筑紫の妻の顔がずっと小さくなるまでこちらのほうを見ているのを、悲しい気持ちで見送っていた、というお話。

 この話、以前勤務していた塾の教材にあって、当時私は新人講師だったので研修がてら授業見学させてもらってた、(私より若い)男の先生が、分からない、よく分からない話だ、って繰り返していたのをよく覚えています。私は、夫はほとんど帰ってこないと言ってるんだから話が合う相手としては妻同士しかいないのはよく分かるし、夫はほとんど帰ってこないで妻たちだけで仲良く暮らしてるなんて理想だ…って思ったんですけどね。でも自分が授業で教えたときも、生徒さんによく分からない、って言われたので、よく分からないと思う人のほうが多いのかもしれないです。

 最近、古典の登場人物たち(といってもすべての古典文学が分かるわけではないので、私が専門としている『源氏物語』がメインですが)はセクシャリティに悩まないよな、ということを考えています。必ずしもみんな異性愛者であるわけではなかったと思うのですが、悩まない。

 もちろんそこには、そもそもセクシャリティという概念がないことも大きいとは思います。ときどき、近代以前の寺院での稚児愛や、近世の衆道について、近代以前の日本はおおらかで性の多様性に寛容だった、というようなことを言う人がいて、それはちょっと違うと思うのが、まずは個々の文脈や歴史があるということももちろんなのですが、そもそもセクシャリティやアイデンティティという概念がなく、セクシャリティとアイデンティティが結びついていない世界だということを考えないといけない、ということです。

 もうひとつ思うのは、仮に結婚して夫なり妻なりを好きになれなかったとか、嫌で嫌で仕方がなかったとしても、今のような一対一のモノガミー社会じゃないから何とかなったんじゃないか、ということです。夫は別の妻なり愛人なりを作ってもいいし、何なら妻の女房に相手してもらってもいい。もちろん夫に新しい妻なり愛人なりができることは、自分の地位や権利が脅かされるかもしれないことであって、物語の中には、夫の妻や愛人に圧力をかける登場人物もたくさん描かれています。妻同士が気が合うかどうかもいろいろでしょう。『大和物語』141段も、筑紫の妻は夫が好きで連れてきた女性で、もともと妻同士が友人であったわけでも何でもないので、妻同士気が合ったのは、運が良かったのかもしれません。

 また、夫と妻がうまくいかなくなったら、結婚状態が解消されて、結局自分の生活あらどうしましょう、みたいなことになることだってあったでしょう。『源氏物語』の中の女三の宮や末摘花は、自身の身分がものすごく高かったからとか、源氏が何となく面倒見が良かった(あるいは末摘花に土地があった)から幸運だっただけで、末摘花なんてあのまま源氏に再発見されなければ死んでしまっていたでしょう。
 それでもやっぱり、自分のセクシャリティについて真剣に考えなくてもよい、優しい世界のように思えてしまうのです。

『大和物語』141段の本妻は、夫がほとんど帰ってこなくても浮気ひとつせず、新しい妻を可愛い可愛いと言って仲良くしていたのだから、異性愛傾向があんまり強くないのかもしれません。でもいくら本妻と筑紫の妻とが仲良くても、筑紫の妻は男の妻としてそこにいるわけなので、男との恋愛・性愛関係がうまくいかなくなれば、去ってしまうことになる。

 男の愛情が薄れて、筑紫の妻を筑紫に帰すことになったのに、いざ別れる段になると男が悲しむのは、矛盾であるとか、いや矛盾を含んだ人間の姿なんだとかいろんな注釈書で議論されていましたが、そうではなくて、そこで男が悲しんでいるのは、恋愛や性愛の相手としての愛情は薄れてしまったけれども、何年か一緒に暮らした相手としての愛情がやはりあって、分かれるのはやっぱり悲しい(別れてしまうとたぶん二度と会えないでしょう)、ということなんだと思います。

おまけ
   
母から送られてきた、スリッパをかじるのすけちゃんの写真。





日本文学Ⅰ(第12回):石井桃子『幻の朱い実』・まとめ

2020-08-01 13:55:27 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

こんにちは、本当に遅くなってすみません、
第12回をアップします。

今回の内容は、以前このブログで書いた「植物のイメージ:石井桃子『幻の朱い実』」(2014年12月21日)とかなり重なる部分があります。

はじめに
 亡くなった女友達の思い出を描く石井桃子『幻の朱い実』(1994年)では、烏瓜の実が印象的に描かれます。この女友達のモデルとなったのが、実際に昭和前半の文学シーンにおいて注目される小里文子という女性であったことから、伝記的な観点から考察されることの多い作品ですが、烏瓜をはじめ植物の描写にはさほど注目されていません。
 しかしながら、蕗子との再会において描かれる烏瓜、鰯漁を見に二人で出かけた宇原で摘んだ水仙など、植物の描写が重要な場面で描かれ、「幻の朱い実」というタイトルも、蕗子との再会で描かれた烏瓜、そして物語の最後で、新宿御苑で見つけた小さい烏瓜を前に娘に向かって「大津さんの烏瓜ね、この千倍も、万倍も美しかった!(中略)あなたに見せたかった、そういうものも、この世にあるんだってこと!」(下巻、362頁)と言ったことによるものです。
 そこで本講義では、烏瓜の実を中心に、『幻の朱い実』における植物のイメージについて考察します。

1.梗概および研究史
【梗概】
 語り手の明子と大学時代のあこがれの的だった大津蕗子との友情を描く。大学時代は特に交流のなかった蕗子と再会し、友人になる場面からはじまり、明子の結婚までを描く第一部、明子の妊娠とほぼ同時に蕗子の結核が悪化し亡くなるところまでを描く第二部、子供たちも成長し夫も亡くなったはるか後年、明子が蕗子の妊娠と堕胎の話を聞いたことから、真偽を確かめるためにかつての友人加代子とともに手紙類などを集める第三部に大きく分かれる。
*「自伝的」な作品ということになっているが、作者の石井桃子自身は結婚も出産もしていない。

 石井桃子(1907-2007年)は、翻訳家・児童文学者として有名で、例えば『クマのプーさん』をはじめて翻訳したことでも知られています。編集者、「読書運動家」としても知られ、戦後の児童書や図書館の世界に大変大きな功績のあった人ですが(『日本人名大辞典』講談社、『日本大百科全書』等)、『幻の朱い実』は唯一の小説です。
 一方で友人蕗子のモデルとなった小里文子は、

 当時の作家や編集者の間では、そして現在も日本近代文学の研究には、ある程度知られている存在だろう。まず、一九二七(昭和二)年一月号の「新潮」に横光利一が発表した短編「計算した女」のお桂として有名になった。(尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』新潮社、2014年、122頁)


という人物です。

『幻の朱い実』に関するまとまった研究としては、石井桃子に対する200時間に及ぶインタビューをもとに、石井桃子の人生を再構成し、その文学世界を紹介する、尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮社、2014年)があります。
 尾崎真理子は、『幻の朱い実』について、「魂を揺さぶられるとはこのこと」(119頁)と、非常に高く評価しており、200時間にも及ぶインタビューを敢行しようとした、直接の動機であると言っています。
 また、『幻の朱い実』には大量の手紙が引用されるのですが、これについて、

蕗子が病み衰えていく第二部は、物語の筋書きとしてはいささかアンバランスなほど、蕗子から明子にあてた手紙がひっきりなしに引用され、明子の存在感は薄くなる。しかも、手紙のリアリティは他の文章、会話の部分を圧倒するほど生々しい。実在する手紙を活字にして残すためにこそ、この作品は構想されたと感じるほどの扱いだ。(119頁)

と述べています。
 尾崎は「…と感じるほどの扱い」という言い方にとどめていますが、「蕗子」のモデルとされる小里文子はすでに亡くなっていますので、実際、手紙のやり取りを再構成することによって、亡くなった友人とのやり取りを文字として残す、構築する意味合いがあったように思われます。私が以前、『紫式部集』について述べたような意味合いです(→「日本文学Ⅰ(第5回):『紫式部集』における女性同士の絆」)。
 この評伝の中から、石井桃子自身が『幻の朱い実』のモデルとなった女友達のことを述べているインタビュー

「男と女の愛情ってものと別に、女同士で対人間的に深く付き合う生活ができるんじゃないかと思うんですね。いわゆるレズビアンとか何かとは違って。相手の心のなかに踏み込んでね、生活していけるんじゃないかと思いますけど」(132頁)
(もう一人の親友である加代子=モデルは水澤那奈という女性、について)「蕗子を挟んで三角関係のような関係でもあるけど、お互いに嫉妬なんか持たずに別の愛し方をしている」「加代子は非常に頭が冴えてて、社会問題なんかを一生懸命勉強するほうだし、蕗子って人は偏ってて、気が向いたことしかしない。一番、どっちつかずでいながら生き延びちゃう―それが明子だってふうに書いたんですよね」(132頁)


からは、男女間や性愛関係にはない、女性同士の関係が、いかに大切なものだったのかが、よく伝わってきます。
 また、国文学専攻の蕗子が「偏ってて、気が向いたことしかしない」破滅型の人間として描かれているのも、前々回扱った『第七官界彷徨』における国文科の少女のイメージなんかと合わせて、ちょっと面白いですね。

 それでは、具体的に植物のイメージを見ておきましょう。

2.植物の描写
 最初に述べたように、この作品の中では、鰯漁を見に二人で出かけた宇原の自然が印象的に描かれ、繰り返し登場する烏瓜の実が重要な意味を持ちます。

「宇原」というのは、房総半島の「勝浦と御宿の間の小さな港」(上巻、96頁)のある場所らしく、田舎ののどかな場所として描かれています。
 明子と蕗子が鰯漁を見に出かけて、白い水仙の花を摘み、

何十歩とゆかず、そこだけ、神社側の山が崩れてできたらしい急斜面の草原があり、早朝は日かげでありそうな日だまりに、坂をかけおりてくるように白い花の群落がゆれていた。早く咲きだした一部は真盛りをすぎていたが、黄いろい小さな杯を一つずつまん中につけた白い小花は、ふさふさとした塊りになって、芳香を潮風の中にまきちらして踊っていた。まわりが茶っぽけた芝生ばかりのせいか、その白い小人たちの踊りは、いっそひそやかで、しかも賑やかだった。(上巻、104頁)
 明子は、根元からちぎった数本を、ポケットのハンケチでくるみ、二人はしばらくその花の下の道を徘徊してから、元来た道をもどりはじめた。(中略)「ね、また、来年、来てみない?――いのちあらば……」と、蕗子は、ごろた石もまじるでこぼこ道をゆっくりもどりながら冗談めかしていった。(上巻、105頁)


とあるように、その翌年にはお家を借り切って、明子の結婚相手となる男性とも一緒にひと夏過ごしたりしています。

  明子より数秒先に林間の百合、土手の河原撫子を見つけて、「ほら、山百合!」「ほら、撫子!」というためには、そこでなければならないのであった。(上巻、124頁)

とあるように、二人ともが生きていた頃の、きらきらとした友情が、美しい自然とともに描かれます。

 そして何よりも重要なのが、烏瓜の実です。冒頭近くの蕗子との再会場面と、1年後、そして結末部分で描かれる烏瓜には、「結文(むすびぶみ)に似ているのでタマズサ(玉章)の名もある」(『日本大百科全書』)のですが、『幻の朱い実』においては、その手紙が大量に引用されているからです。

 烏瓜の実は、再会場面で蕗子の家の門口に絡みつき、はなやかな赤や黄の実をつけていました。

 そして、わざわざ目をやるまでもなく――というより、向こうから強引にこちらの目をひきこむように――細道の左側、四、五軒めの門口に、何百という赤、黄の玉のつながりが、ひょろひょろと突きたつ木をつたって滝のようになだれ落ちていたのだ。明子は小走りにそこまでいってみた。
 のびすぎた木は檜葉で、それに薄緑の蔓が縦横無尽にまつわりつき、あるものは銀鎖りのように優美に垂れ、入り乱れてからまりあう蔓全体からぶらさがっているのは、烏瓜の実であった。(上巻、4頁)


 けれどもその1年後、

 だが、その一方、あの檜葉からは、前年ほどの華やかさではなかったが、やはり無数の烏瓜の銀鎖りが垂れ、そこから、美しく赤らんだ実に交じって、まだ白と緑の縞を描いた小動物めいた若い実もぶらさがっていた。(上巻、140頁)

とあるように、まだやはり美しく実をつけてはいるものの、まるで蕗子の生命力と連動するかのように、少しずつ、弱っていきます。

 最後に烏瓜が描かれるのは、蕗子が亡くなってはるか後年、語り手明子の夫も亡くなり、娘の葉子がすでに成人して結婚し、学者になっている第三部の終わりの部分です。明子は御苑で、烏瓜の実を探します。

 御苑ではほんの少し色づきはじめた木々も美しかったが、明子が目ざしたのは朱い烏瓜の実であった。駐車場周囲で、すぐ目についたのが、小粒の黄烏瓜だった。
「こういうんでないのよ。」と、明子は言った。
 目のいい葉子に助けてもらって散々歩きまわり、あきらめて帰りかけたとき、出口に近い日陰の場所に、十つぶほどのあわれな実が、しなびた蔓からさがっていた。(下巻、361頁)
「葉子、大津さんの烏瓜ね、この千倍も、万倍も美しかった! 千倍も万倍も! こんなもんじゃないのよ。あなたに見せたかった、そういうものも、この世にあるんだってこと!」
 葉子は、母の腕をとっていた手に力をこめ、しばらく無言でいてから、「ママ、いい友だちなくしたママの気持、わかるつもりよ。あたしたちには、もうそういう友だちはつくれない。でもね……。パパやあたしたちのことも忘れないで。」
 「何いってんの。忘れようったって、忘れられないじゃないの? いつもあなたが、こうしてあたしをひったてるようにして歩いてるんだもの。」(下巻、362頁)


 烏瓜は別名を「玉梓」(手紙)と言うため、まずは蕗子と明子との手紙を象徴するものであり、冒頭で描かれる銀鎖りのように連なった烏瓜は、蕗子と明子との手紙によって構築された『幻の朱い実』という作品そのものを指すものでしょう。
 娘の葉子とのやり取りは、今の世の中にありえない存在となってしまった蕗子との友情を懐かしみつつ、葉子のような娘世代の新しい文芸行為に導かれていることを認め、娘世代の新しい文芸行為を寿ぐものと、ひとまずは言えます。

 ただ、ここで注目したいのは、「実」のイメージです。
「実」というとどうしても、生殖や子供を連想しますが、『幻の朱い実』においては、明子の妊娠が蕗子の死と引き換えのように描かれており、第三部では蕗子の妊娠と堕胎が大きな謎として重要なモチーフとなるからです。
 良妻賢母教育と関わって園芸の重要性が説かれ、白百合の花が純潔の表象である(渡部周子『「少女」像の誕生 近代日本における「少女」規範の形成』新泉社、2007年)など、花は少女と切り離すことができないものです。
 しかしながら『幻の朱い実』において蕗子との友情を象徴するのは「花」ではなく「実」なのです。

 明子は、第二部で妊娠し、子供を産みますが、蕗子の葬儀の「翌日から、彼女は三日ほど寝つき、それからの一週間を佐々木先生の病院に収容された。妊娠二カ月、つわりの症状と宣告された」(下巻、234頁)とあるように、明子の妊娠と蕗子の死がほぼ同時期に描かれています。
 まるで、蕗子の死と引き換えに明子の子供が生まれたかのように…。明子の子供の葉子は、第三部では国文学者になっているのですが、蕗子は国文学専攻でした。明子の安定した生き方と、蕗子の国文学的なセンスを受け継いだような存在です。
 ここからは、明子の子供は蕗子の生まれ変わり、あるいは、明子と蕗子の子供のようなイメージがあると考えられます。
 蕗子が堕胎したか否かが第三部では重要な謎となっているのですが、なぜ、蕗子の堕胎が明子にとってはそれほどまでに衝撃となるのか、考えたとき、明子にとって自分の子供が、自分と蕗子の子供のように感じられているのではないか、ということが考えられるからです。
 
 さらにここで、単なる「実」ではなく、「幻の」実であることも気になります。
 一つには、末尾の場面でやっと見つかった烏瓜の実が、「しなびた蔓」からぶら下がった「あわれな実」(再掲)であったことから、蕗子の家の門口で見た見事な烏瓜の実が、今はもうない、「幻」であるという意味合いがあるでしょう。
 ただもう一つ、「幻」という語感から思い浮かべるのが、まったく別の小説ですが、森茉莉が女主人公と父親との濃密な関係を描いた、『甘い蜜の部屋』の、次の一節です。

(だが、これは俺にとって現実の花ではない。桃李は、幻の桃李だ。冠を正す必要はない……)(147頁)

 これは、女主人公の父林作が娘との、いよいよ濃密になる関係について考える場面なのですが、「現実の花」ではなく「幻の桃李」であるというのは、「永遠に交接のない父と娘の間柄」(294頁)との表現もあるように、実際の性愛関係がないことを示しています。

 これを『幻の朱い実』にあてはめると、蕗子と明子の関係が、性愛関係はないものの、性愛関係よりも濃密で素晴らしい関係であることを、示しているように思えます。「幻」の関係であるため、明子と蕗子には、実際の子供はいません。けれども『幻の朱い実』という、明子と蕗子の手紙=烏瓜によって構成された作品が、明子と蕗子の子供のようなものとして、残されたのです。

 現実の世界に目を向けると、作者である石井桃子は生涯結婚せず、子供もいませんでした。けれども『幻の朱い実』では、葉子という娘が登場します。ここには、先ほど述べたように、明子と蕗子の幻想の子供というイメージ、そして葉子は国文学者として活躍する女性という設定ですので、次世代の文芸活動や仕事をする女性として、『幻の朱い実』という作品を受け取る人たちの存在を、作品の中に書き込んだものとも位置付けられます。

おわりに
 以上をまとめると、「幻の朱い実」は、永遠に交接することのない蕗子と明子との、幻の子供を象徴し、それは美しい赤や黄色の実を銀鎖りのように連ねた手紙によって構築された小説『幻の朱い実』そのものと言えるでしょう。

*引用は石井桃子『幻の朱い実』上、下、岩波書店、1994年、『森茉莉全集・4‥甘い蜜の部屋』(筑摩書房、1993年)による。

全体まとめ
 以上、本講義では、日本文学における花や植物のイメージを、ジェンダーや生殖とのかかわりから考察してきました。
 近代以前の文学作品における、花・植物のイメージに関しては、生殖や繁栄の比喩であることを確認したうえで、そこからずれるものを見ました。

 第2回講義においては、
『古事記』における、花=繁栄=美しさを象徴する木花之佐久夜毘売と、石=永遠性を象徴する石長比売のイメージを見たうえで、後代の物語や現代小説、エッセイに取り入れられ、変奏されるさまを確認しました。
 また、『万葉集』のなでしこを取り上げ、家持周辺の人たちの間で詠まれることが多いこと、男性がたとえられることも、女性がたとえられることもあることを確認しました。

 第3~4回講義では、『源氏物語』をとり上げました。
 第3回においては、第2回の「なでしこ」ともかかわって、植物に「子供」をたとえる比喩を見ました。
 第4回においては、源氏が作り出した季節の秩序からはみ出してゆく存在として、女三の宮における季節の表現を見ました。

 第5回講義では、紫式部の家集である『紫式部集』をとり上げました。
『紫式部集』においては、表層は信じられておらず、言葉の底にある心において、女性同士のつながりは保たれています。結婚したり子供ができたり亡くなったりする中で失われてしまう心のつながりを再構成し、構築するものとして位置づけました。

 第6回講義では、稚児物語である『秋の夜長物語』をとり上げました。
『秋の夜長物語』においては、少年である稚児が桜や紅葉にたとえられますが、稚児は〈産まない性〉であることが指摘されます。『秋の夜長物語』においては、桜や紅葉のイメージは、生殖からも女性であることからも離れて、はかなく美しいものの比喩として用いられています。
 さらに、『秋の夜長物語』を明確に踏まえるものとして、稲垣足穂の近代小説『菟』についても見ました。

 第7回講義では、お伽草子の『かざしの姫君』をとり上げました。
『かざしの姫君』でも、菊の花の精が男性として描かれますが、『秋の夜長物語』と異なり、菊の花の精は生殖します。姫君の王権への反抗のようなものも描かれますが、最終的には、姫君と菊の精の娘が入内することで、王権の物語に回収されます。

 第8回講義では、『東海道四谷怪談』をとり上げました。
「お岩」の名前はイワナガヒメの系譜であると指摘され、「お梅」は妊婦を連想させる名であると言われますが、『東海道四谷怪談』では「お梅」は妊娠せず、イワナガヒメの系譜であるはずのお岩が妊娠すること、また、産女や子殺しのイメージと関連して考察されることを確認しました。

 近代以降の作品に関しては、「生殖を禁じられた」存在である少女の比喩として用いられたことによるイメージの変容に注目しました。

 第9回講義では、夏目漱石の『それから』をとり上げ、赤い花と白い花のイメージを見ていきました。
 赤い花は、生殖、妊娠、出産などの象徴、白い花はそれとは異なる恋愛を象徴するものとして位置づけ、代助にとって三千代に子供がなく、できないこと、生殖行為そのものも困難であることが重要であることを確認しました。けれどもヒロイン三千代にとっては必ずしもそうではありません。

 第10回講義では、尾崎翠『第七官界彷徨』をとり上げました。
 『第七官界彷徨』においては、本来花粉を飛ばさないはずの蘚の受粉が受粉したり、発育不全の蜜柑が描かれたりします。蘚の受粉やにおいの描写について、詩と小説、歩行と舞踏とのかかわりから考察しました。

 第11回講義では、野溝七生子『山梔』をとり上げました。
 作品中で主に描かれる二つの白い花、山梔と白百合について考察し、山梔を日本の古い書物、過去、そして「誰か」と呼ばれる調、何も言わないで内向してゆく阿字子自身を象徴するもの、白百合を西洋の物語や遠く隔たった場所、そして妹の空に語る物語を象徴するものと位置づけました。
 そのうえで、この小説を、語る相手(妹)のもとから旅立った後に、『山梔』を書くもの、と読み解きました。

 第12回の今回は、石井桃子『幻の朱い実』をとり上げました。
「幻の朱い実」は、永遠に交接することのない蕗子と明子との、幻の子供を象徴するものであり、美しい赤や黄色の実を銀鎖りのように連ねた手紙によって構築された小説『幻の朱い実』であると、結論づけました。

 以上のように、日本文学作品における花や植物のイメージを見てゆくと、花や実に託されて与えられる生殖のイメージから、ずれ続ける女性たちの姿を読み取ることができます。
 例えば『山梔』の阿字子は純潔にこだわり、結婚して子を産み育てるようなあり方を拒絶しますし、『幻の朱い実』の(語り手明子には子どもがいますが)作者石井桃子は実際には結婚も出産もしなかったけれど、私たちは、すべての妹たちに向けて書かれた『山梔』や、すべての娘たちに向けて書かれた『幻の朱い実』を、受け取ることができます。

第11回







日本文学Ⅰ(第11回):野溝七生子『山梔』

2020-07-25 10:50:36 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

こんにちは、本当に遅くなってすみません、
第11回をアップします。

はじめに
 今回は、野溝七生子の小説、『山梔』における、山梔と白百合の機能について考察します。
 前回、前々回に扱った『それから』、『第七官界彷徨』ではにおいが重要なポイントになっていましたが、今回扱う『山梔』でも、芳香の強い花が描かれます。また、『それから』でも描かれた、白百合の花が登場します。

 『山梔』は1924(大正13)年に『福岡日日新聞』の懸賞に入選し、選考委員に「真理が随所に撒き散らされてある」(徳田秋声(1))、「心と体と筆とがひとつになってそこにかうした立派な火が燃やされた」(田山花袋(2))、全くの「夢物語」というわけではなく「現実と幻想とが不思議に美しく混淆して居る」(島崎藤村(3))と評されました。1926年に春秋社より単行本として刊行されています。
 1983年に刊行された『野溝七生子作品集』(以下、『作品集』とする)に入り、1999年には高原英理によって「少女型意識の誕生」と位置づけられ(4)、2000年には文庫(講談社文芸文庫)として出版されるなど、近年再評価がなされている作品です。しかしながら現在、『作品集』解説や解題、いくつかの評伝や評論があるのみで、本格的な作品論や読みはほとんどありません。
 そこで、『山梔』のなかで印象的に描かれる二つの花、山梔と白百合の描写を中心に、『山梔』の解釈を試みます。

1.梗概及び研究史

【梗概】
『山梔』は暴力を振るう父親のいる厳しい家庭で育った主人公阿字子が家を出るまでの物語である。阿字子は風変わりであるが背が高く、美しい娘として描かれる。
 物語は幼い阿字子が高いところにある白く香り高い山梔の花を手折ろうとして、届かないところから語り始められる。彼女を抱きあげて山梔を手折ってくれた美しい娘(後に、子供たちから「魔法使」と呼ばれる寺の娘の「調」であることが明かされる)が、お蔵の二階に古い書物があることを教えてくれる。本を読むことは、阿字子にとって生きることとなり、やがて彼女は遠いギリシャの神話にあこがれるようになった。しかしながら成長して女学校を卒業すると、父に味方して兄の結婚に反対したために兄や兄嫁と対立し、次第に追いつめられる。小説は死を強く願うようになった彼女が、家を出た場面で終わる。

【登場人物】
・暴力をふるう父
・優しい母
・一貫して協力者である姉の緑
・純粋で守るべき存在である妹の空
・当初は理解者であったものの結婚後敵対する兄の輝衛
・兄嫁の京子。

【特徴】
・「いかにも初心者らしく、そのポツン、ポツンとした印象派風の書き振りは、(中略)ひどくハイカラな持味の新鮮味を感じさせました」(5)
▽象徴的な場面描写
・「論理的分析のゆきとどいた会話」「人工言語」(6)
▽説明的で理知的な文体。

【研究史】
『山梔』は「近代の女人文学の原点であり、同時にこれ以上行く先のない到達点」(7)とも評価される重要な作品であり、高原英理『少女領域』(一九九九年(8))を機に、近年再評価の動きが起こってきました。後に比較文学者としての立場を得る野溝が、文学や学識によって対価を得ていなかった、まだ何者でもなかった頃に書いた初めての作品であるとともに、質量ともに充実した作品です。
 しかしながら、繰り返しになりますが、前記「選評」、『作品集』解題・解説、栞のほか、本格的な読みや作品論はほとんどありません(9)。自伝的要素の強い作品であるとも言われる作品ですが、単純に伝記的な事実に当てはめるのではなく、何が書かれているのか、詳細な読みを進めてこそ、「少女型意識」において果たした機能も明らかとなるものでしょう。
 そこで今回は、『山梔』のなかで重要なモチーフとして描かれる山梔と白百合の花に注目し、『山梔』の構造を明らかにします。山梔と白百合は、繰り返し重要な場面で描かれるモチーフです。加えて、花は少女との関わりにおいて、さまざまな文学作品において重要な機能を果たすものです。『山梔』は、花のイメージの文学史においても、重要な作品といえるでしょう。

2.「少女」と花
 具体的な考察に入る前に、「少女」や、少女と花との関わりについて概観しておきます。

【「少女」の研究史】
『山梔』は「少女型意識の誕生」として位置づけられますが、「少女」については研究史上、概ね以下のようなことが言われています。
・純潔規範を課せられ、社会的再生産のシステムから疎外される存在であり、学校制度の整備と教養主義とともに発生したこと、
・「少女」イメージには少女雑誌が大きく関わること
が指摘されます(10)。
 修身教科書や少女雑誌から「少女」像を捉えた渡部周子は「就学期にあって、出産可能な身体を持ちつつも結婚まで猶予された期間」を「少女期」と捉えています(11)。

「純潔規範」は「少女」を縛るものであり、矛盾である一方、望ましい女性役割から逸脱させる可能性をも持っています。少女たちがいつまでも少女のままでいては、良妻賢母にはなれません。一生、あるいは夫に対してまで純潔であっては出産できないからです。「少女であること」そのものへの愛着は、子を産み育てる社会的再生産のシステムへの参与を拒絶させます。
 矛盾に満ち、可能性が閉ざされているが故に逆に無限の可能性を持つ「少女」の在り方を、矢川澄子は

 同年輩でも少年ならばどこかで囚われかねない義務観念や、立身出世、権力志向とかいったもろもろの上昇志向からも、少女は少女であるがゆえに自由であり、どこまでも純粋な観客の立場に徹することができるのである。(12)

と述べ、高原英理は「性的な「分類」」に「疑問を投げかける」(13)、江黒清美は「生む性からも社会的責任からも解放された自由な存在」であると言います(14)。

 『山梔』においても、強い純潔志向と結婚拒否の姿勢とともに、阿字子が「立身出世」や「権力志向」とも無縁である様子が描かれます。兄嫁の京子が結婚を嫌う阿字子を詰(なじ)る場面、

 「でも、結婚もしない、身を立てることもしないとなれば、いよく親同胞の厄介ものだと仰云るのですね。(中略)御両親のなくなりなすつたあとは、一体、だれがあなたを引き受けなければならないかは御存じでせうね。」(15)

からは、阿字子が単に結婚しないのみならず、立身出世も志向していないことがうかがえます(16)。

【少女と花との結びつき】
 例えば吉屋信子『花物語』(1916~26年)などに見られるように、「少女」は花にたとえられるものです。とりわけ「純潔規範」と深い関わりを持つと指摘されるのが、「白百合」の花でした。
 白百合の花は、「明治期の浪漫主義者」において、「恋愛(プラトニック・ラブ)の対象となる純潔な女性」および、「女性への思慕の念を通して喚起された芸術創造を象徴した」(17)こと、さらに

 明治末期から大正・昭和における少女の教育に波及した際には、(中略)、将来の良妻賢母となる少女たちの身体を純潔のままに保持するうえでの教化の象徴として、機能する(18)

ことが指摘されます。『山梔』後半で白百合が描かれることは、阿字子の強い純潔志向と結婚拒否の姿勢によく合致したものと言えるでしょう。白百合が阿字子の植えたものである(57頁)ことは、「園芸」が女子教育において重要な役割を担ったとの指摘(19)にも当てはまります。このような点から言えば、白百合の描写は典型的なものと言えるでしょう。

 一方で山梔は、古典文学の世界では『古今和歌集』巻第十九 雑躰歌にある、
   題しらず          素性法師
1012 山吹の花色衣ぬしや誰問へどこたへずくちなしにして(20)


など、「口なし」との掛詞から、何も言わないことを象徴します。
『古今和歌集』の場合は染料として用いられる山梔の実の意味合いが強く、『山梔』で印象的に描かれるのは、白く、香り高く咲く花ですが、「誰か」と尋ねても「口なし」で答えることができないというイメージも掛かっているでしょう。
 冒頭の場面で阿字子に山梔の花を手折ってくれたのが、子供たちから「魔法使」と呼ばれる寺の娘、調です。調は何度も「誰か」(23頁、31頁、35頁等)と呼ばれ、また阿字子も「何も云ひはし」ない「黙つて、中に貯へてゐる子」(133頁)であり、姉の緑に対し「言葉のいらない国に行きませうね」(208頁)という場面もあります。

 吉屋信子『花物語』においても、「山梔の花」で描かれる少女は口をきけないことから、「山梔=口なし」の連想は、当時においても一般的なものであったと言えるでしょう。
 花は古来女性の象徴となり、花を手折ることは女性を手に入れること、種や実は生殖を連想させます。他ならぬその花が、生殖を禁じられた「少女」のイメージとして用いられたとき、どのような変化をこうむるか、考えることができるでしょう。

3.山梔のイメージ
『山梔』の花イメージに関しては、
 ☆花と少女との重ね合わせ
 ☆花と書物がどのように結びついて描かれるか、 の二つの観点から整理します。
 一つ目についてはすでに述べた理由から、二つ目については、これから述べるように、『山梔』のなかで書物や文学は重要な意味を持つからです。

『山梔』は幼い阿字子が高いところにある山梔の花を手折ろうとする印象的な場面から始まり、白百合の咲く家を出る場面で終わります。

 山梔はぷんぷん薫つてゐた。子供は折りとらうとして、折りとらうとしていくたびも手を伸ばしたがやつと下枝の病葉にとゞく位に小さかつた。
 (中略)一生懸命のその姿は、空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まうとしてゐるやうにも純潔であつた。
 (中略)
 その年頃には何も彼もが生れて初めての経験であるやうに、白い山梔の花は、生れて初めて見た清い芳烈な花だと子供には思はれた。
 (中略)
 根気よく、いく度となく伸び上り伸び上り、そしては小さな踵をすとんと落して、また伸び上つてゐる子供の体を、後から突然に抱へ上げた、白い指の長い女の両手がある。
 (中略)その時、すらくと花の着いたしなやかな枝が子供の額に触れて、芳香があたりに散つた。
 子供の頭の後には高い拡がつた空があつて、落日のおごそかな光を、二人の上に投げてゐた。
 女は子供を下に降すと、清らかな袖口から真直に腕を伸ばして白い花の枝を折つて呉れた。(11頁)


 このとき山梔を手折ってくれたのが、「調」と呼ばれる寺の娘ですが、山梔は、調が「山梔の下の女」(22頁)と呼ばれ、「調の噂を聞くこともなく、誰もきかせるものもなく年月は流れて行つた。阿字子は、山梔の花が咲く頃になると、どうしてゐるかと涙の出るやうな思ひ」(40頁)をする、とあるように、ひとまずは調を象徴するものです。と同時に、調にとって阿字子は「私の幼い時の鏡みたい」(24頁)であることから、阿字子をも象徴するものでしょう。

 ここでは年かさの少女である調が幼い阿字子に山梔を手折って与えていますが、花を手折ることは、常套的には男性が女性を手に入れることの比喩となります(21)。阿字子を通じて兄の輝衛と調が文通し、輝衛が調に求婚する後の展開を考えれば、阿字子を媒介として、調が輝衛に自らを与えることを象徴するとも考えられます。しかしながら、調と輝衛との縁談は、調の父の拒絶によって実現しません。
 それでは、調から阿字子に手渡されたのは何だったのでしょうか。

 山梔は清く美しく芳烈で手に届かないものとして描かれ、主人公はそれを必死で手に入れようとします。場面は光に満ち、「空の彼方」「高い空」「真直」など、垂直の動きや視線が強調されます。「星のやうに輝いた白い花」(⒕頁)との表現も、手の届かない高い空にあるイメージを喚起させます。
 山梔が咲くのは寺の庭という区切られた聖域です。阿字子が寺の庭で「枯葉の堆積の中に、何か青い草の葉でも見つけると」、「その周囲に枯葉を堤にしてして丸く円を描いて王様のお庭」(22頁)だと言って遊ぶ場面もあり、寺院の庭の聖域性が際立ちます。
「一生懸命」の姿、「空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まうとしてゐる」かのような姿が「純潔」と形容されることにも注意しましょう。「純潔」は白百合のイメージとも共通しますが、白百合に象徴される性愛に関わる「純潔」とはやや意味合いが異なるように思います。

 ここで、調が阿字子に、祖父の遺した「草双紙や絵巻物」(19頁)がお蔵の二階にあることを教えていることを、確認しておきましょう。
 阿字子は、

 「あなたのおうちには、昔からの好い御本が、どつさりあるでせう。お祖父さんは、聞えた学者でいらしたのだから。」(18頁)
 阿字ちやん、私のところではね、古いものや仕様のないものなんぞと皆、お蔵の上に、ほり上げてしまふんですよ。(19頁)


と教えられ、土蔵の二階で祖父の所蔵していた古い書物を発見します。
 土蔵の二階で本を読む彼女を、侍女が発見する場面は、「夕方の光は、屋根裏を明るく一面に彩つてゐた」(18頁)と描写されるように、明るい光に満ちています。土蔵の二階は、「壊れかゝつた危つかしい梯子」を上がった先にあり、書物が、高いところにある光に満ちたものであると同時に、手に入れることの難しいものであることも象徴しているでしょう。
 調に教えられて書物を発見したこと、書物が高いところにある、光に満ちたものである描写は、冒頭で描かれる山梔とも共通します。したがって、山梔は書物、殊に古い日本の書物の象徴するものでしょう。ここでの書物が古い、時間的に隔たった、歴史を遡ったものであることにも注意しておきましょう。

 夕照の燃えるやうな暑さも、本の譚(ものがたり)に気を奪はれてゐる子供には感じられなかつた。いつしらず土蔵の二階で、秘密に物を読み耽るやうになつてからは、阿字子の姿は母や姉の前から魔法のやうに消えて行つた(18頁)

とあるように、読書は阿字子を家族とは別の、違う世界へと連れていくものでした。母に屋根裏の書物を読むことを禁止され、「あの草双紙は、阿字子には、早すぎる」(20頁)と説明する姉の緑に阿字子は嘘を言い、後に兄が阿字子に本を買い与えたときにも、母は阿字子が本を読み過ぎることを心配します。
 書物は阿字子を家族から引き離すものなのです(22)。

4.白百合
 前半で重要な意味をおびていた山梔の花は、物語後半ではほぼ描かれなくなります。代わって描かれるのは、白百合の花です。

 後半での主な舞台となるのが、「お祖父さんの家」と呼ばれる海辺の家です。
【本文引用】
 海を下に見る高台に、ぐるりを白楊樹の並木でとりまかれた、空家のやうに荒れた変な恰好の――洋館ともつかず日本建ともつかない――大きな家が只一つ建ってゐた。それを子供等は「お祖父さんの家」と呼んで、今では夏の住居になつてゐる。(29頁)

 この家は、当初夏の別荘でしたが、後半、兄が結婚して以降に、一家で移り住みます。

【本文引用】
「来年は、どうしても、薔薇と百合とを作らなければ。」
「百合は、彼方の家から取つて来て、根を埋めて置きさへすればわけなしよ。」
「私、この窓から、眺められるやうに、百合の花壇を作るのよ。緑さん手伝つて頂だい。」(57頁)


 とあるように、この家に、町の家から白百合を移植するのですが、例えば兄の友人である柏木が阿字子に求婚する場面で、

【本文引用】
 開け放した窓からは、白百合の芳烈な香がおそひ込んだ。二人はその窓に近く椅子を置いて長い間語り合つた。(218頁)

とあるように、強い芳香が描かれます。
 白く薫り高い花である点では、山梔と共通しますが、一方で後半で阿字子の読む書物は、古い日本の書物から西洋の神話や伝説へと変わっています。
 例えば、阿字子が家を出る前に妹の空に語った物語は、ギリシャ神話をもとにしたフィクションでした。

【本文引用】
「昔、昔希臘とトロイが、戦争をしました。そんなお話さ。」
  (中略)
「オリムピヤの野に、百合がたくさんたくさん、咲いてゐました。そこにある百合よ。この百合さ。それから、希臘の年若い将軍が、たそがれの野を、真一文字に疾走を続けてゐました。将軍の故里の街では、母さんが門に立つて、その子がもたらして帰る戦勝の便りを、今か今かと待つてゐました。(中略)美しい処女が、(中略)愛人の帰りを待つてゐたのでした。(中略)ああそこに、愛する処女がと思つた時、将軍の膝はくづをれて、はたと百合の花叢の中に、倒れてしまひました。(中略)身動きに槍の石突が、大きな百合の花に触れて、明星の影乍らに将軍の唇に、涙のやうな露がかゝつたのです。彼は、意識をとり戻しました。その処女だと思ふ、百合の花を、鎧の胸甲深く膚に納めて、将軍は、再び立つて、その疾走を続けました。そして故里の門に待つ、なつかしいお母さんの腕に瀕死の身を投げかけて、『勝つたのです。』と只一言、その儘瞼は深く閉ぢられてしまつたのです。(中略)、あゝ将軍の、蒼い瞼は再び、処女を見ることは出来ませんでした。美しいとび色の、長い睫毛を濡らして、処女の涙は将軍の上に散りました。あの、その、この百合の露のやうに。」
 阿字子は、さう云つて、空を見て、百合を指して微笑した。
  (中略)
「おしまひさ。何も彼もおしまひよ。それからね、それから母さんが跪いて、人々の手を借りて致命の傷手を、母さんの手で蓋する為に鎧を脱がしました。そして、脇腹を貫いた槍の穂先と共に血に塗れた、大きな百合の花を取り出した時、処女は、それを一眼見ると、その儘、するすると倒れかゝつて、気を失つてしまつたのでした。」(241~242頁)


 白百合は、阿字子の語る物語の中では故郷で待つ「美しい処女」を象徴するものです。阿字子が家を出ようとする場面であることを考えると、将軍は阿字子、待つ処女は妹の空、母は姉妹たちの母があてはまるでしょう。聖杯伝説に関し、阿字子が「革帯」を見た騎士に自らをなぞらえる場面もあり、阿字子自身はあくまでも「騎士」や「将軍」として自らを位置づけています。
 ただ、白百合の持つ「純潔」のイメージは、恋愛に関わる「純潔」のイメージを呼び起こします。

 阿字子に求婚する、兄の友人である柏木にとっては、阿字子=白百合なのです。
 強い白百合の芳香とともに描かれる場面で、柏木は「純潔な私」を阿字子に捧げることができないことを嘆き、純潔な阿字子に受け入れられることによって、「純潔な私」を取り戻すことを夢想します。さらに、幼いころの阿字子と会ったときの「あの時の阿字ちゃん」「あの時の私」(220頁)ともあるように、柏木にとっては白百合の香は過去を喚起するものでした。

 けれども阿字子は柏木を拒絶し、白百合であることも拒絶します。かつては姉の緑が柏木に思いを寄せていたことがほのめかされ、

【本文引用】
 緑のこともなく、阿字子の事もなく、只空と晃(=柏木、引用者注)とだけを切りはなして考へる時、阿字子は、百合の花壇の中で、その香に埋もれてゐる時のやうな幸福を感じる。(210頁)

とあるように、現在は妹の空を柏木の相手として考えていることからも分かるように、、阿字子にとって柏木との関係は、姉妹関係との関わりの中でしか考えられません。

 しかしながら、自分自身は望まない結婚を妹に対して考えることは、

 おゝ仮りにも空を、あの人に並べて、辱めていいものか。空は赤ん坊よりも純潔だのに。(225頁)

とあるように、矛盾したものでした。自らを騎士や将軍だと思い、妹を故郷で待つ純潔な恋人に喩えることは、妹を無意識のうちに抑圧するものでもあるでしょう。

 阿字子の語る物語においては、白百合は遠いギリシャと眼前の風景とを結びつけるものであり、遠い時空を引き寄せるための装置でした。さらに、古い日本の書物は、ひたすら読むものでしたが、白百合に象徴される西洋の神話や伝説は、妹の空に語ってきかせるものでもありました。

【本文引用】
 空に、語るこの時間こそ、一日のうちの最も楽しい時刻であつた。
  (中略)
 どの物語も、阿字子は決して終りまでは語らなかつた。
 (中略)
 姉は、妹の胸に、血汐を以て物語を書きつけるのであつた(59頁)


 山梔が、「口なし」の、答えることができない言葉であるとするならば、白百合は、妹に語られる、決して最後まで語られることのない物語を象徴するものでもあったでしょう。
 阿字子が『山梔』のなかで実際にものを書く場面は、柏木の求婚を断った後、姉の緑に養子としてもらえるよう申し出た手紙(233~234頁)のみです。実際に「書く」ことは、白百合の花咲く家を出、妹に物語を語る機会が失われてはじめて、生れるのです。

おわりに
 以上、野溝七生子『山梔』における山梔と白百合の描写について、考察してきました。『山梔』は、近年「少女」という観点から再評価がされていますが、本格的な読みや作品論はまだほとんどありません。『山梔』においては山梔と白百合が重要な場面で描写されますが、「少女」と花との関わりは深く、殊に「白百合」は純潔を象徴するものとして、重要です。。
 山梔と白百合は清く美しく、白い芳香の強い花という点で共通します。白百合の花は一般的に純潔の象徴とされ、山梔に関しても阿字子が山梔を折り取ろうとする姿が「純潔」と形容されます。ただし白百合の純潔性は性愛や恋愛に関わる「純潔」であり、山梔に関しては、「空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まう」とすることが「純潔」とされていますので、例えばお金であるとか何か別のもののために何かを求めるような態度とは無縁の、純粋さを表すようです。
 山梔は年かさの少女である調が阿字子に手折って渡したものであり、お蔵の屋根裏に祖父の遺した草双紙や絵巻物があることを教えた描写から、古い日本の書物を象徴します。一方で後半描かれる白百合は、西洋の神話や伝説と結びつくものでしょう。山梔に象徴される古い日本の書物は時間が隔たった過去のものであり、一方で白百合の描かれる西洋の神話や伝説は、空間的に遠く隔たった異邦のものです。
 また、山梔の花は『古今和歌集』にある

1012 山吹の花色衣ぬしや誰問へどこたへずくちなしにして

など、「口なし」との掛詞から、「誰か」と呼ばれる調と、何も言わないで内向してゆく阿字子を象徴します。一方で白百合は、阿字子が妹の空に語る「お話」のなかでも描かれます。
 後半で調は遠くに去り、山梔の花は描かれませんが、阿字子は世間や京子に対して語る言葉を持たず、何も言わないままです。また、阿字子が『山梔』の中で実際に書くのは、姉の緑にあてた手紙のみですが、妹の空に物語を語ることが、「血汐を以て物語を書きつける」ことにたとえられます。したがって、『山梔』が指摘されるように、「自伝的」な作品であるならば、語る相手である空のもとを旅立った阿字子がその後書いたものとして、そのような枠構造をもって、書かれたものと言えます。
 したがって、『山梔』とは、何も言わず、自らの言葉を持たなかった少女が心に貯めていた物語をも、指すものでしょう。語ることの挫折ののちに、書くことを獲得したのです。と同時に、実際に作品内で語られるのは白百合に表象される(性愛に関わる)「純潔」の物語ではありますが、もっと抽象的でこの世にはいまだないものを掴もうとする、「空の彼方にまで遠く腕を伸ばして何物かを掴まう」とすることを志向する物語でもあるのです。


(1)『福岡日日新聞』大正13年8月7日(「〈参考資料〉野溝七生子論集」『野溝七生子作品集』1983年、立風書房)。
(2)同、8月13日。
(3)同、9月3日。
(4)「少女型意識の誕生 野溝七生子『山梔』一九二四」(『少女領域』1999年、国書刊行会)。
(5)神近市子「時感二三」『読売新聞』昭和2年6月1日(「〈参考資料〉野溝七生子論集」注1参照)。
(6)鶴見俊輔「コスモポリタニズムの先行者」(『野溝七生子作品集・栞』注1参照)。
(7)久世光彦「山梔伝説 野溝七生子」(『昭和幻燈館』晶文社、1987年)。なお、「女人文学」という用語には若干問題がある。
(8)注4参照。
(9)江黒清美による初めての本格的な研究(「由布阿字子・『山梔』野溝七生子」『「少女」と「老女」の聖域 尾崎翠・野溝七生子・森茉莉を読む』2012年、學藝書林)がある。「少女」という観点による、ジェンダー論的な評価・位置づけを主眼としたものであり、重要な先行研究ではあるが、さほど花のイメージには注目していない。『山梔』そのものの考察ではなく、野溝七生子についてのものに、親族の一人である林礼子が思い出を語った『希臘の独り子』(1985年、私家版)、個人的に交友のあった矢川澄子による評伝『野溝七生子というひと 散けし団欒』(1990年、晶文社)がある。
(10)例えば本田和子は女学校によって女学生の集団が出現したことおよび、「明治三十年代に簇出した少女雑誌群」が「少女共同幻想体」の成立に関与した(『女学生の系譜:彩色される明治』1990年、青土社)、大塚英志も同様に「明治三〇年代、女学校という学校制度と女性雑誌というメディアによって二重に囲い込まれる形で〈少女〉は誕生する」と述べる(『少女雑誌論』1991年、東京書籍)。今田絵里香は、「「少女」は経済力とともに、西欧文化と教養主義的な文化という新時代に光輝を放つ文化を込められた」(「「少女」の誕生:少女雑誌以前」『「少女」の社会史』2007年、勁草書房、初出『教育学研究』2004年6月)者であると言い、「女学校に通い、少女雑誌を買い与えられていた女子」を少女とし(「序章」同書)、
修身教科書に登場するのは「女子」、高等女学校に存在するのは「女学生」であり、「少女」ではない。(中略)「少女」というジェンダー・アイデンティティを創出し、それに独特の意味を与え、非常にポジティヴな語としてきらびやかに装飾したのはほかでもない少女雑誌であった(同)
ことから、少女雑誌を必要不可欠なものとする。他 
に川村邦光(『オトメの祈り:近代女性イメージの誕生』1993年、紀伊國屋書店)、稲垣 恭子『女学校と女学生:教養・たしなみ・モダン文化 』(2007年、中公新書)などに指摘がある。
(11)『〈少女〉像の誕生:近代日本における「少女」規範の形成 』(2007年、新泉社)。
(12)「解説」(『野溝七生子作品集』注1参照)。
(13)「序 少女型意識 自由と高慢」(『少女領域』注4参照)。
(14)「博士論文を書き終えて 老少女文学論序説:尾崎翠・野溝七生子・森茉莉における「少女」表象の考察」(『Rim』11(1)、2009年)。
(15)231頁。引用、頁数は『野溝七生子作品集』(注1参照)による。ただしルビなど一部省略した部分がある。
(16)高原英理はこの場面について、
京子らの、世間からはみ出まいはみ出まいとする意図も、もとをただせば当時の女性が自ら生活の資を得られないという最大の屈辱から発生していたことをこの言葉はあらわにする。
(中略)女性が自活できる道があれば阿字子の受難はなかったかも知れないのだった。

(注4前掲)と述べ、当時の女性に職がないことが、結婚に迫られる要因とする。しかしながら、(できないではなく)「立身出世もしない」との表現に着目するならば、必ずしも就職が全くないことを示しているとは言えない。戦前の婦人雑誌を調査した木村涼子は、
 男性の立身出世主義の隆盛をサポートしたマスメディアは、女性に対しても彼女たちを業績主義の渦に巻き込むような価値観を提示していたのではないだろうか。
(「女性版立身出世型」『〈主婦〉の誕生 婦人雑誌と女性たちの近代』2010年、吉川弘文館、初出『大阪大学教育社会学・教育計画論研究集録』第7号、1989年)と指摘するが、就職は業績主義や立身出世という社会構造への参入を意味する。例えば教師は当時にあって女性が就くことのできる職業のひとつであったが、女学校時代阿字子はその奔放さで教師に嫌われた。
何しろ、四年間に十二回の学期末を通じて、ただの一度も主席といふことに、出会はなかつたのは、それは、どうしても至当としなければならなかつたほど、不勉強な生徒ではあつたのだ。(72頁)
とあるように、勤勉さや業績主義とは無縁である。阿字子は結婚や労働の対価としての経済性に身体を還元する思考そのものを拒絶するのである。
(17)渡部周子「浪漫主義文学と美術における「少女」像」(注11前掲書所収)。
(18)渡部周子「白百合に象徴される規範としての「少女」像」(注11前掲書所収)。
(19)渡部周子は「少女は、園芸を通して新たな生命を育み、愛護することを学ぶことが可能だと考えられていた」と述べる(「実践教育としての「園芸」:ケア役割の予行」注11前掲書所収)。
(20)引用は新編日本古典文学全集による。
(21)なお、渡部周子は「美しいが手折ることの許されない観賞用の花に比喩される少女とは、美しいが男性が触れてはならない少女の純潔さを象徴している」(注19前掲論文)と述べる。
(22)川村邦光は、読書は個人を心の中の部屋に閉じこもらせ、孤立化させるものであると指摘する(注10前掲書)。

※今回の内容は、拙稿「野溝七生子『山梔』における山梔と白百合」 (『名古屋大学 国語国文学』 108号、pp49 - 62、2015年11月)をもとにしています。

第10回
第12回

日本文学Ⅰ(第10回):尾崎翠『第七官界彷徨』

2020-07-19 11:11:23 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

こんにちは、本当に遅くなってすみません、
第10回をアップします。

はじめに
 尾崎翠『第七官界彷徨』は、「第七官」に響く「詩」を書くことを志す、小野町子の「あるひとつの恋」をめぐる物語です。1931年、『文学党員』に発表されました。尾崎が後半生を鳥取の郷里で過ごし、ほとんど作家活動を行っていなかったことから、長く「忘れられた作家」となっていましたが、花田清輝の再評価などから、1970年代以降、コンスタントに作品集や全集がまとめられてきました。さらに2000年を過ぎたころから急速に研究が増え、尾崎に関する論文は多数、いくつかの研究書も刊行されています(すみません、追い切れていません)。

【梗概】
 物語は田舎から兄弟たちといとこの住む小さな家に町子がやって来るところから始まり、兄一助と「柳氏」との議論を片付けるために、一冊の書物を届ける場面で終わる。
 この小さな家の住人は、「分裂心理病院」に勤める医師の小野一助、植物の恋愛について研究する小野二助、音楽学校に受験するために勉強している佐田三五郎、そして「第七官」に響く「詩」を書きたいと願っているヒロインの四人で、ヒロインは一家の炊事係、ということになっている。
 当初町子と三五郎のあいだに、恋愛じみた雰囲気が漂うものの、隣家に越してきた少女との、垣根の蜜柑をめぐる心の交流(三五郎から少女への片恋)を経た後、町子が外部の医師(一助のライヴァル)と出会うところで終わる。三五郎は、一助に言付かった『ドッペル何とか』を買うためのお金でマドロスパイプを買ってしまったというので、町子は少し予定を早めて上京し、『ドッペル何とか』を買うためのお金を工面する。三五郎は、ヒロインが「くびまき」を買うように祖母から貰ったお金もボヘミアンネクタイに使ってしまう(ボヘミアンネクタイは当初ヒロインの髪に巻かれるが、最終的には「肘当て」になる)。最後にヒロインは一助のために『改訂版分裂心理辞典』(=『ドッペル何とか』?)を柳氏宅に届けるが、柳氏に「くびまき」を買ってもらう。したがってこれは、三五郎が使い込んだお金と、ほんらいそのお金で買うはずだったものをめぐる物語でもある。物語のなかでヒロインが恋愛めいた感情を抱くのは、三五郎と柳氏の、二人いるにも関わらず、「ひとつの恋」をしたようである、と語られるのも、そのためだろう。

 ここで注目しておきたいのが、「秋から冬にかけての短い期間」、町子は「変な家庭の一員としてすごし」、「ひとつの恋をしたようである」(127頁)とあるのですが、その「恋」はどうにもぼんやりしており、しかもこの小説の登場人物は、誰も彼もが失恋し、その目的は実を結んでいないのです。蜜柑は満足に実をつけず、三五郎が練習するピアノは、調律不能な調子外れなもので、一助や二助は不思議な論文を書き、家のなかには二助の研究する、大根や蘚を育てるためのこやしのにおいが漂っています。
 そして不思議なことに、蘚(コケ)が花粉を飛ばすのです。

(二助)「床の間には恋愛期に入った蘚の鉢をひとつずつ移していくんだ。(中略)僕の勉強部屋は、ああ、蘚の花粉でむせっぽいまでの恋愛部屋となるであろう」(66~67頁)
そしてついに二助は左手の人さし指と拇指に二本の蘚の花粉をとり、一本ずつ交互に鼻をあてて息をふかく吸いこんだ。 (94頁) 


『第七官界彷徨』のなかでは、何度も植物に関して「恋愛」という言葉が用いられるのですが、ほんらい胞子で殖えるはずの蘚が「花粉」を飛ばし、受粉するのです。
 なぜ、蘚が花粉を飛ばすのでしょうか。『第七官界彷徨』における植物と恋愛のイメージを、考えてみたいと思います。

【先行研究例】
『第七官界彷徨』に関しては、最初に述べたように、2000年代以降かなりの数の論文が書かれているのですが、主なものだけ少し、最初に紹介しておきたいと思います。
①高原英理「少女の作る小宇宙 尾崎翠『第七官界彷徨』一九三一」(1)は、町子がくびまきを買ってもらうことを、「花粉によって受精した蘚の喜び」にたとえ、「くびまきによる象徴的受精とそれにより詩を書くという象徴的出産が、既存の生殖の意味を裏返」すものとし、「肉体を介さない性的関係」と読みながら、「このような「奇妙な恋愛」こそ第七官界における恋愛」と位置づけます(137頁)。
 ただなぜ胞子で殖えるはずのコケが花粉を飛ばすのかについては、特に言及がありません。
 また、「町子にとっての本当の目的は第七官界探究という「勉強」」「『第七官界彷徨』が町子をとおして最もめざしているのは、この、欲望主体の希薄化とともに得られる世界への新鮮な驚き」「自意識に限定されないばかりか、人間として限定されることもない、そういう場所を尾崎は「第七官界」と名づけた(143頁)と指摘するのですが、当初の目的はそれとして、目的のある「探究」としてではなく、「彷徨」というタイトルが意味するところは重要でしょう。

②江黒清美「小野町子・『第七官界彷徨』尾崎翠」(2)では、「第七官界」について「町子がたどり着いた「第七官界」とは小さなジオラマの世界」(170頁)としています。
 さらに、「家の中で彷徨を続ける「少女」の身体性」が「極めて希薄」(172頁)であるとし、三つの要因があるとします。その二つ目に「セクシュアリティの希薄性」を挙げるのですが、そのなかで、コケが花粉を飛ばすことについて考察しています。
「蘚苔植物が単性生殖であり恋愛に表象される受粉の必要はなく」「人間と蘚苔植物の生殖行為を逆転させることで、生々しいはずの人間のセクシュアリティを軽減」(173頁)すると述べており、おおむね首肯できるのですが、ただしコケは完全な無性生殖ではないようです。

③石原深予「「第七官界彷徨」論:「喪失感」と「かなしみ」、「回想」のありかた」(3)では、「第七官界彷徨」というタイトルに二つの意味があるとして、二つの観点から考察しています。
 その一つは、「青春時代を贈る兄や従兄たちと共に大正期の東京で暮らした少女時代そのもの」。
 その時期に西洋から伝えられていた、(中略)「第七官」という新しい器官が感受する世界について考えをめぐらし、(中略)「第七官」という官能にひびくような詩を書こうと試みた思春期のいとなみを、「彷徨」という言葉で象徴的に表してるということである。これは語り手が過去に私的に体験したことであり、回想されるべき幸福な記憶である。
 もう一つは、関東大震災という未曾有の大災による変化を経たことによる、震災以前と以後とでの時間や空間の「断絶」のため、「第七官」=「千里眼」でさえ時間や空間を超越できず、そのまなざしは「少し前」の時期であるにもかかわらず震災以前の過去の時間・空間を探索しようとしても、ただ「彷徨」するばかりであるということ(150頁)

 とても説得力のある、面白い詩的なのですが、本講義では、また少し別の観点から考えてみたいと思っています。

「共感覚」についての論集に収載されている、
④山下聖美「日本文学における共感覚―宮沢賢治と尾崎翠を中心に」(4)では、次のように述べ、
「「二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感」とは、共感覚の一つのかたち」「彼女は、自ら体感してしまう不思議な感覚世界を、五感を越え、第六感も越えた「第七官」と名づけ、ここで感受しているものを懸命に言葉に刻印した」(261頁)
「第七官」を共感覚の一種として位置づけています。

 生殖や恋愛とのかかわりから、コケが花粉を飛ばすことの意味を考えているのは①と②ですが、ここでは少し観点を変えて、前回扱った『それから』との関連から、考えてみたいと思います。

☆『それから』「アマランス」を受粉させる場面。
  代助は曲んで、花の中を覗き込んだ。やがて、ひよろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取つて、雌蕊の先へ持つて来て、丹念に塗り付けた。(361頁)

☆『それから』百合の香りをかぐ場面
  彼は立つて百合の花の傍へ行つた。唇が瓣に着く程近く寄つて、強い香を眼の眩う迄嗅いだ。(557頁)

とあるように、『それから』においても『第七官界』と同様に、植物の受粉、においをかぐ場面があり、なおかつ詩や歩行に対する意識がありますが、『第七官界彷徨』でヒロイン町子は詩を書こうとしており、尾崎翠には「歩行」という作品もあるからです。そこで、『それから』と『第七官界彷徨』のインターテクスチュアリティを考察します。

*インターテクスチュアリティ(間テクスト性)…「一つのテクストが他のテクスト群とは無関係に、完全なオリジナルとして書かれることはありえない」(169頁)とし、「一つのテクストのなかでは複数もしくは無数の声=テクストが複雑に反響し合い、絶え間ない対話を交わし合っている」と考える「対話的なテクスト理論」のこと(168頁)。(5)

 ただしこの部分は、以前にブログ記事で書いた内容でもありますので、簡単に済ませます。

1.詩と散文、歩行と舞踏
 ここで参照するのが、ポール・ヴァレリーによる、詩を舞踏、散文を歩行にたとえる比喩、そしてヴァルター・ベンヤミンの「都市の遊歩者(フラヌール)」という概念です。

☆ポール・ヴァレリー
▽詩=舞踏、散文=歩行(6)(7)

☆ヴァルター・ベンヤミン 都市の遊歩者(フラヌール)(8)
▽詩への意識と、目的が達成されないこと

狩野啓子が、
 翠は、まさにここで言われている〈遊民(フラヌール)〉の一人であった。〈遊民〉の孤独は、もともと翠が抱え込んでいた孤独にも響き合うものであった。遊民の悲しみを存在自体の悲しみにまで深め、通常感覚を越えた新しい感覚世界を拓いてみせたのが、この作家の大きな意義であったと言えよう。(9)
と指摘するように、『第七官界彷徨』の「彷徨」は、ベンヤミン的な「遊民」(フラヌール)を思わせます。

 ヴァルター・ベンヤミンは、詩への意識と、目的が達成されないことを遊歩にたとえていますが、『第七巻界彷徨』のなかでも、目的は達成されません。
「人間の第七官に響くような詩を書いてやりましょう」(11頁)と思い、柳氏に「くびまき」を買ってもらったあとには「屋根部屋に住んで風や煙の詩を書きたい」と空想するものの、実際に書いたのは「我にくびまきをあたえし人は遥かなる旅路につけりというような哀感のこもった恋の詩」(123頁)でした。
 ただ、ヒロインが上京する際に

 旅だつとき、私は、持っているかぎりの詩の本を蒲団包みのなかに入れたのである。しかしまことに僅かばかりの冊数で、私はそれだけの詩の本のあいだをぐるぐると循環し、幾度でもおなじ詩の本を手にしなければならなかった。(25頁)

とあるような循環は、「私は女中部屋の机のうえに、外国の詩人について書いた日本語の本を二つ三つ集め、柳氏の好きであった詩人について知ろうとした」(123頁)ことによって、開かれます。また、一貫してこの小さな家庭の中に閉じられていた視点は、末尾近くでヒロインが柳氏の家に出かけることによって、ようやく外に出るのです。ただし、「私の読んだ本のなかにはそれらしい詩人は一人もいなかった」(同)とあるように、最終的にヒロインが持った目的「柳氏の好きであった詩人について知」ることは果たされません。

2.蜜柑と隣家の少女
 ところで、『第七官界彷徨』のなかでは、コケ以外に、蜜柑も描かれます。コケや大根は、この変な家庭の内部、二助の部屋の中で育てられますが、蜜柑は外部と内部の境界、お隣の家との垣根に植えられています。

 三五郎と私が家に着いたとき、家のぐるりに生垣になっている蜜柑の木に、さしわたし四分ばかりの蜜柑が葉と変りのないほどの色でつぶつぶとみのり、太陽にてらされていた。(中略、「私」が汽車の中で食べ残した蜜柑を一袋手に持っていたことに気づく)それにしても、この家の生け垣は何と発育のおくれた蜜柑であろう。――後になってこの蜜柑は、驚くほど季節おくれの、皮膚にこぶをもった、種子の多い、さしわたし七分にすぎない、果物としてはいたって不出来な地蜜柑となった。すっぱい蜜柑であった。けれどこの蜜柑は、晩秋の夜に星あかりの下で美しくみえ、そして味はすっぱくとも佐多三五郎の恋の手だすけをする廻りあわせになった。三五郎はさしわたし七分にすぎないすっぱい蜜柑を半分たべ、半分を対手にくれたのである。(15頁)

 このすっぱい蜜柑を食べてから三五郎は肥やしの汲み出しをやるのだと言い(46頁)、「いくらかうまくなったよ」と言いながらヒロインに接吻する(50頁)のですが、何よりも重要な役割を果たすのが、隣家の黒髪の少女との交遊の場となることです。

 小野二助の二鉢目の蘚が花粉をつけたころ、垣根の蜜柑は色づくだけ色づいてしまい、そして佐田三五郎と私の隣人とは蜜柑をたべる習慣をもっていた。(103~104頁)

 隣家の少女は夜学国文科に通っていますが、「すべての物ごとに折り目ただしい思想をもっている」「宗教女学校」の先生である(86~87頁)、親戚の女性の炊事係として暮らしています。隣家の少女とヒロインは、黙って相手の家事を手伝い、お隣の少女はヒロインの髪の毛をゴムの櫛でとめてくれます(87頁)。一方でヒロインはお隣の少女が蜜柑の垣に洗濯した靴下を干すのを手伝います。
 そしてこの蜜柑の垣根のところで、物干し用の三叉に手紙や栗や楽譜を結びつけて、「特殊な会話」(97頁)を行います。
 けれどもそのような会話は、隣家の厳しい「先生」にとっては「かけ離れた」ふるまいでした。隣家の少女は「家族」に「神経病」だから、静かな場所に引っ越したほうが良い、そして夜学国文科などではなく、健康に良い「体操学校」が良いと言われ、引っ越していくのです。

 隣家の少女たちが越した後、家主は蜜柑をすっかり収穫してしまい、ヒロインは窓辺で手紙を見つけます。手紙の最後には、次のように書かれていました。

「でもご家族と私とのとり交わした会話法は家族の思っているほどかけ離れたものではないと思います。私の国文教科書のなかの恋人たちは、みんな文箱という箱に和歌などを託して――ああ、もう時間がなくなりました。私の家族はすっかり支度のできた引っ越し車のそばでしきりに私を呼んでいます」(111~112頁)

 石原深予は「国文教科書のなかの」文のやり取りを持ち出していることと、ヒロインの名前が小野小町を連想させるものであることの呼応を指摘しています(11)。また、江黒清美は作中で一助が研究する「分裂心理」「ドッペルなんとか」(ドッペルゲンガー)の関連で、「日本における離魂の物語」の系譜として『源氏物語』をあげていますが(12)、小野小町の夢の歌、例えば「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」(『古今集』恋2、552)なんかも、遊離魂的な発想といえるでしょう。

そして私の家庭の周囲には一粒の蜜柑もなくなり、ただ蜜柑の葉の垣が残ったのである。(112頁)

 蜜柑がなくなった後、ヒロインの「一つの恋」が語りだされ、それまで家の内部に固定された視点が、外に出た際に、それまで家の中でしか漂っていなかった、大根畑の肥やしのにおいが漂ってきます。一方で蜜柑に関しては、はじめ汽車のなか、ヒロインによって立派な蜜柑が家の中にもたらされることと、垣根の貧弱な蜜柑がリンクしています。

おわりに
 区切られた世界の循環・彷徨が描かれる『第七官界彷徨』の世界は、ヒロインが蜜柑とともに外部から訪れることによってはじまり、外部が描かれることで終わりを告げます。隣家との境界である垣根の貧弱な蜜柑は、家主によって収穫され、初めて外部に出た語りの視点は、それまで内部でしか漂っていなかった、肥やしのにおいを嗅ぎつけます。

 ヒロインのひとつ目の目的「第七官」に響く詩を書くことは、「屋根部屋に住んで風や煙の詩を書」くことへと変化し、それは「我にくびまきをあたえし人は遥かなる旅路につけりというような哀感のこもった恋の詩」を書くというかたちへとずれていきます。そして最後に、「僅かな本の間を」「循環」していたヒロインが、新しい書物を得、柳氏の好きな詩人について知るという目的が生まれますが、その目的も達成されません。
 ただし、くびまきを買ってもらうという目的だけは、柳浩六氏によって達成され、それが「ひとつの恋」として提示されるのです。

*本文引用は、『夏目漱石全集5』(ちくま文庫、1988年)、中野翠編『尾崎翠集成(上)』(ちくま文庫、2002年)による。


(1)『少女領域』国書刊行会、1999年。
(2)『「少女」と「老女」の聖域 尾崎翠・野溝七生子・森茉莉を読む』學藝書林、2012年。
(3)『尾崎翠の詩と病理』ビイング・ネット・プレス、2015年。初出『和漢語文研究』第11号、2013年及び、『郷土出身文学者シリーズ⑦ 尾崎翠』鳥取県立図書館、2011年。
(4)北村沙衣編『共感覚から見えるもの アートと科学を彩る五感の世界』勉誠出版、2016年。
(5)土田知則・神郡悦子・伊藤直哉『現代文学理論 テクスト・読み・世界』新曜社、1996年(担当土田知則)。
(6)「詩人の手帖」佐藤正彰訳(落合太郎、鈴木信太郎、渡辺一夫、佐藤正彰監修『ヴァレリー全集6 詩について』筑摩書房、1967年)。
(7)同右「詩話」
(8)今村仁司他訳『パサージュ論3 都市の遊歩者』岩波書店、1994年。
(9)「感覚の対位法:尾崎翠『第七官界彷徨』」(岩淵宏子他編『フェミニズム批評への招待:近代女性文学を読む』学芸書林、1995年)。
(10)『国文学』2003年4月。
(11)注3参照。
(12)注2参照。

☆参考情報 拙ブログ
歩行と舞踏のあいだで―夏目漱石『それから』から尾崎翠『第七官界彷徨』へ:その1
歩行と舞踏のあいだで―夏目漱石『それから』から尾崎翠『第七官界彷徨』へ:その2
歩行と舞踏のあいだで:夏目漱石『それから』から尾崎翠『第七官界彷徨』へ:その3

第9回
第10回
 

日本文学Ⅰ(第9回):夏目漱石『それから』における花のイメージ

2020-07-06 17:08:10 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

こんにちは、第9回をアップします。

はじめに
 第9回の今回からは、いくつか近現代の作品について、花のイメージを見ていきます。今回は、夏目漱石の『それから』について。
 夏目漱石(1867-1916)は、言わずと知れた近代作家ですが、その代表作の一つである『それから』では、印象的なかたちで、赤い花と白い花が描かれます。
 まず、冒頭で描かれる、代助の枕元に落ちた椿の花。椿の花は、その大きさが「赤ん坊の頭」に喩えられています。また、椿の花は赤いものですが、代助が赤い花であるアマランスを受粉させる場面もあります。さらに、三千代の死んだ赤ん坊の着物も赤いのです。赤や、赤い花は生殖、妊娠、出産などと関わって描かれると言えるでしょう。さらに、最後の場面で代助の頭の中で回転する赤い炎など、「赤」のモチーフが繰り返し作品中に描かれます(1)。
 『それから』の女主人公三千代は子供を亡くし、しかも身体を悪くして子供をつくることができません。そして小説中には、若い女が子を生むことを悲しんで泣くというエピソードが語られるなど、生殖や子供に対する否定的なイメージが散見されます。それゆえ本講義では、『それから』における赤い花のイメージを、生殖との関わりから考えていきます。また、作品後半で、三千代とともに描かれる、芳香性の白い花、鈴蘭や百合にも注目します。

【梗概】
 登場人物は主人公の代介、父、兄、兄嫁、友人の平岡、その妻でヒロインの三千代など。代介と三千代の恋が主なストーリーだが、そこに代介に見合いを強いる父や兄の動きがからんでくる。
 代介は大学卒業後就職せず、結婚もせずに「高等遊民」の生活をしていたが、そんな代介のもとに、仕事の関係で地方にいた友人の平岡とその妻の三千代が東京に戻ってくるという知らせが届く。
 三千代は結婚以前は代介とも親しく、三千代の兄が生きていた頃は、代介、三千代の兄、三千代で極めて親しく、そこに平岡を紹介したのは代介だった。三千代の兄が亡くなった後、平岡は三千代と結婚したいと代介に打ち明け、二人の仲を取り持ったのは代介だった。
 ところが、出産後子どもを亡くし、心臓を悪くした三千代と平岡の夫婦仲は悪く、平岡はしきりに借金をしている。そんな中、具体的な一人の誰かをずっと愛することなどないと思っていた代介も、三千代への愛を自覚するようになり、その思いを彼女に打ち明ける。
 三千代に思いを打ち明けた後、代介は平岡にもその経緯を打ち明ける。平岡は代介の父親にそれを密告したため、代介は勘当されることとなり、仕事を探すために街に飛び出していく場面で終わる。

1.赤い花と生殖
 冒頭の椿の花は、空からぶら下がる俎板下駄を夢見た代助が目覚めた後、枕元に落ちていたものです。代助は「花の色を見詰めて」いますが、何色とは描かれないものの、椿の花は赤いでしょう。

【本文引用①】
 枕元を見ると、八重の椿が一輪畳の上に落ちてゐる。代助は昨夕床の中で慥かに此花の落ちる音を聞いた。彼の耳には、それが護謨毬を天井裏から投げ付けた程に響いた。夜が更けて、四隣が静かな所為かとも思つたが、念のため、右の手を心臓の上に載せて、肋のはづれに正しく中る血の音を確かめながら眠に就いた。
 ぼんやりして、少時、赤ん坊の頭程もある大きな花の色を見詰めてゐた彼は、急に思ひ出した様に、寝ながら胸の上に手を当てゝ、又心臓の鼓動を検し始めた。(中略)彼は胸に手を当てた儘、此鼓動の下に、温かい紅の血潮の緩く流れる様を想像して見た。是が命であると考へた。自分は今流れる命を掌で抑へてゐるんだと考へた。それから、此掌に応える、時計の針に似た響は、自分を死に誘ふ警鐘の様なものであると考へた。(中略)彼は血潮によつて打たるゝ掛念のない、静かな心臓を想像するに堪へぬ程に、生きたがる男である。(中略)
(中略)夫から烟草を一本吹かしながら、(中略)、畳の上の椿を取つて、引つ繰り返して、鼻の先へ持つて来た。(中略)烟りは椿の瓣と蕊に絡まつて漂ふ程濃く出た。(一、313~314頁)(2)


 この場面は、主に同時代的な政治状況や文明批評との関わりなどから論じられ、椿の花についても「不安の象徴」と言われています(3)が、ここで注意しておきたいのが、「赤ん坊の頭程」という表現です。この表現は、生れ落ちた途端にこときれてしまった、血まみれの赤ん坊の頭が落ちている、おぞましいイメージを呼びおこします。しかもヒロインの三千代が子どもを失い、心臓を悪くしているのです。

【本文引用②】
 三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、たゞ、ぶら\/してゐたが、何うしても、はか\゛/しく癒らないので、仕舞に医者に見て貰つたら、能くは分らないが、ことに依ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様だとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しづゝ、後戻りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為か、一年許りするうちに、好い案排に、元気が滅切りよくなつた。(中略)、帰る一ヶ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなつてゐない。瓣の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。(四、366~367頁)

 三千代は子どもを失って、出産後心臓を悪くし、心臓はもう正しく血を送りません(4)。一方で代助は、「赤ん坊の頭」ほどの大きさもある、落ちた椿の花の色から心臓を連想し、鼓動を打ち正しく血が流れるのを確かめるのです。また椿や後に引くアマランス(【本文引用③】)、白百合(【本文引用⑭】)のはなびらも、心臓のべんも、同じく「瓣」と書かれます。

 もう一つの赤い花、アマランスも見ておきましょう。

【本文引用③】
 代助は机の上の書物を伏せると立ち上がつた。縁側の硝子戸を細目に開けた間から暖かい陽気な風が吹き込んで来た。さうして鉢植のアマランスの赤い瓣をふら\/と揺かした。日は大きな花の上に落ちてゐる。代助は曲んで、花の中を覗き込んだ。やがて、ひよろ長い雄蕊の頂きから、花粉を取つて、雌蕊の先へ持つて来て、丹念に塗り付けた。
(中略)
「蟻ぢやない。斯うして、天気の好い時に、花粉を取つて、雌蕊へ塗り付けて置くと、今に実が結るんです。暇だから植木屋から聞いた通り、遣つてる所だ」
(中略)
「悪戯も好加減に休すかな」 (同、361~362頁)


 ここで代助は「実」をつけることを目的としながら、「暇だから」「悪戯」で、「植木屋から聞いた通り」に受粉させています。受粉は生殖を、「実」は子供を象徴するものでしょう。ここから代助の生殖し繁殖することに対する意識が窺える(5)。
 ちなみにここで「アマランス」とあるのは、辞書的には「葉鶏頭」のことらしいのですが、本文中の描写と合わないので、アマリリスの間違いだろうといわれています(漱石って結構適当ですよね)。

 さらに、赤のイメージが直接的に赤ん坊と結びつく場面もあります。三千代の亡くなった赤ん坊の着物です。赤ん坊の着物は赤く、赤いものがくるくる巻かれた様子は、先に見た椿の花弁も思わせます。

【本文引用④】
其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持つた赤いフランネルのくる\/と巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。
「何ですか、それは」
「赤ん坊の着物なの。拵へた儘、つい、まだ、解かずにあつたのを、今行李の底を見たら有つたから、出して来たんです」と云ひながら、付紐を解いて筒袖を左右に開いた。
「こら」
「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊して雑巾にでもして仕舞へ」
 三千代は小供の着物を膝の上に乗せた儘、返事もせずしばらく俯向いて眺めてゐたが、
「あなたのと同じに拵へたのよ」と云つて夫の方を見た。
「是か」
 平岡は絣の袷の下へ、ネルを重ねて、素肌に着てゐた。
「是はもう不可ん。暑くて駄目だ」
 代助は始めて、昔の平岡を当面に見た。
「袷の下にネルを重ねちゃもう暑い。襦袢にすると可い」
「うん、面倒だから着てゐるが」
「洗濯をするから御脱ぎなさいと云つても、中々脱がないのよ」
「いや、もう脱ぐ、己も少々厭になつた」
話は死んだ小供の事をとうく離れて仕舞つた。さうして、来た時よりは幾分か空気に暖味が出来た。(六、396~397頁)


 この場面は、代助を前に赤ん坊への思いを開いて見せる三千代と、「面倒だから」執着し続けてきた平岡がそれを脱ぎ捨てるものと、まず考えられるでしょう。その上で、畳に落ちた椿の花の大きさが赤ん坊の頭に喩えられ、アマランスの受粉が描かれることを考え合わせると、中身のない赤い着物は、生殖の失敗を印象づけます。

2.生殖の不可能性
 以上、赤い花が生殖と象徴的に結びつくこと、そしてそこには生命が途中で断ち切られてしまった、おぞましかったり、痛々しかったりするイメージが付き纏うことを見てきました。そこで次に、具体的に三千代の病気と子供について語られる部分を見ておきましょう。平岡と再会し、最初に三千代にはもう子供ができないことが示される場面を引用します。

【本文引用⑤】「赤い棒の立つてゐる停留所迄歩いて来た」ところで、代助は三千代のことを聞く。
「子供は惜しい事をしたね」
「うん。可哀想な事をした。其節は又御叮嚀に有難う。どうせ死ぬ位なら生れない方が好かつた」
「其後はどうだい。まだ後は出来ないか」
「うん、未だにも何にも、もう駄目だらう。身体があんまり好くないものだからね」
「こんなに動く時は子供のない方が却つて便利で可いかも知れない」
「夫もさうさ。一層君の様に一人身なら、猶の事、気楽で可いかも知れない」
「一人身になるさ」(二、337~338頁)


 ここでは、子供を亡くしたことを慰めるためとはいえ、子供が邪魔なものと言われています。そして、会話の流れから、平岡が「一人身になる」との予告がなされてもいます。ここで代助が後の展開を予想していたわけではないにしても、小説的には後の展開を予兆するものでしょう。
 けれども平岡夫婦にとって、子供ができないことは関係を悪化させるものとして描かれています。例えば、代助が嫂から貰ったお金を三千代に渡した後、三千代が次のように語る場面があります。

【本文引用⑥】
平岡は、あの地で、最初のうちは、非常な勤勉家として通つてゐたのだが、三千代が産後心臓が悪くなつて、ぶら\/し出すと、遊び始めたのである。それも初めのうちは、夫程烈しくもなかつたので、三千代はたゞ交際上已を得ないんだらうと諦めてゐたが、仕舞にはそれが段々高じて、程度が無くなる許なので三千代も心配をする。すれば身体が悪くなる。なれば放蕩が猶募る。不親切なんぢやない。私が悪いんですと三千代はわざ\/断わつた。けれども又淋しい顔をして、責めて小供でも生きてゐて呉れたら嘸可かつたらうと、つくぐ考へた事もありましたと自白した。(八、433頁)

 ここでは、子供がいれば夫婦関係の悪化が回避できたかもしれないという、三千代の思いが描かれています。ここで注意しておきたいのが、三千代の病気と、平岡の放蕩が相関関係を持つものとして語られていることです。男性のする放蕩と言えば、女遊びでしょう。心臓の病気は、常識的に考えれば、安静を要します。そのため、三千代の身体が悪くなると性的な関係を持てないことが、ここでは暗示されているのではないでしょうか。「不親切なんぢやない。私が悪いんです」とわざわざことわる言葉には、「夫婦のつとめ」を果たせない三千代の申し訳なさが表れているように思えます。
 さらに、代助が夫婦の関係が悪化したのは自分のせいではないと考える場面には、次のようにあります。

【本文引用⑦】
彼は此結果の一部分を三千代の病気に帰した。さうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与へたものと断定した。又其一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。(中略)凡てを概括した上で、平岡は貰ふべからざる人を貰ひ、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した。(十三、521~522頁)

 傍線部は、肉体上の疎隔が平岡の精神に疎隔を生んだと解釈できますので、三千代が病気のために性的な関係を持ちえないことが示されていると見るべきでしょう。

3.反生殖としての恋愛
 以上、三千代の病気と子供について語られる部分を考察し、三千代は病気のために子供をつくることだけでなく、生殖行為そのものも困難となっていることを明らかにしました。そこで、三千代の生殖の不可能性が、代助にとってどのような意味を持つのか、代助の恋愛観、結婚観から考えてみたいと思います。
 代助が三千代を思い、親兄弟との疎隔がもたらす生活苦を想像し思い悩み、書物を読めなくなったあげく待合に行った時に聞いた話を引用しましょう。

【本文引用⑧】
 彼は其晩を赤坂のある待合で暮らした。其所で面白い話を聞いた。ある若くて美くしい女が、去る男と関係して、其種を宿した所が、愈子を生む段になつて、涙を零して悲しがつた。後から其訳を聞いたら、こんな年で子供を生ませられるのは情ないからだと答へた。此女は愛を専らにする時機が余り短か過ぎて、親子の関係が容赦もなく、若い頭の上を襲つて来たのに、一種の無定を感じたのであつた。それは無論堅気の女ではなかつた。代助は肉の美と、霊の愛にのみ己れを捧げて、其他を顧みぬ女の心理状態として、此話を甚だ興味あるものと思つた。(同、517~518頁)

 待合というのは待合茶屋の略で、今でいうラブホテルのようなものですが、恋人同士で泊まるというよりは、芸者を連れ込んでとまるようなことが多かったものらしいです。
 代助が待合に馴染みの芸者を連れて行ったのか、それとも待合のおかみと話しただけであったのか、ここでは示されていませんが、兎も角代助は待合で一晩過ごし、そこで話を聞きました。ここで代助は、若いうちに子供を生むことを「愛を専らにする時期」が短いと解釈し、さらにそれを嘆く女の心理状態を「肉の美と霊の愛」とにのみ己を捧げるものと位置づけています。
 つまり代助にとって子供は愛と相反するものなのです。
 また代助はかつて、「少々芸者買をし過ぎ」(五、383頁)ていましたが、芸者を理想的な存在と考えています。

【本文引用⑨】
 彼は肉体と精神に於て美の類別を認める男であった。さうして、あらゆる美の種類に接触する機会を得るのが、都会人士の権能であると考へた。あらゆる美の種類に接触して、其たび毎に、甲から乙に気を移し、乙から丙に心を動かさぬものは、感受性に乏しい無鑑賞家であると断定した。彼は是を自家の経験に徴して争ふべからざる真理と信じた。その真理から出立して、都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつゝあるとの結論に到着した。それを引き延ばすと、既婚の一対は、双方ともに、流俗に所謂不義の念に冒されて、過去から生じた不幸を、始終甞めなければならない事になつた。代助は、感受性の尤も発達した、又接触点の尤も自由な、都会人士の代表者として、芸妓を選んだ。(中略)代助は渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた。
(中略)すると、自分が三千代に対する情合も、此論理によつて、たゞ現在的のものに過ぎなくなつた。彼の頭は正にこれを承認した。然し彼の心は、慥かに左様だと感ずる勇気がなかつた。(十一、492頁)

「暇だから」アマランスを受粉させていたことや、何らかの目的のために行為することを否定する代助の観念を重ね合わせると、性欲のためというよりは美や余裕の産物として、恋愛が位置づけられているようです。続く部分で「代助の心」が「三千代に対する情合」を「たゞ現在的のものに過ぎな」いと感じることができなかったことがこの論理で割り切れないものとして示されていますので、「現在的な」一過性の美と愛として、芸者という存在がとらえられていることが分かります。
 けれども、嫂にお金を借りようとする場面で、見合い、結婚を条件に出されて、代助は次のように考えます。

【本文引用⑩】
 生涯一人でゐるか、或は妾を置いて暮すか、或は芸者と関係をつけるか、代助自身にも明瞭な計画は丸でなかつた。只、今の彼は結婚といふものに対して、他の独身者の様に、あまり興味を持てなかつた事は慥である。(中略)、それから最後には、比較的金銭に不自由がないので、ある種類の女を大分多く知ってゐるのとの三ヶ條に、帰着するのである。(七、421~422頁)

 ここからは「芸者と関係をつける」こともゆくゆくは必要の要請となっていくことが予想されていますし、結婚に興味がないことの原因の一つとして、芸者などをよく知っていることがあげられています。ですので、芸者との関係も単純に、純粋に美のためであるとは言えないでしょう。
 代助の結婚観は、兄が二度目の見合いの命令を伝えにくる場面でも示されています。

【本文引用⑪】
「一体何うなんだ。あの女を貰ふ気はないのか。好いぢやないか貰つたって。さう撰り好みをする程女房に重きを置くと、何だか元禄時代の色男の様で可笑しいな。凡てあの時代の人間は男女に限らず非常に窮屈な恋をした様だが、左様でもなかつたのかい。(中略)」(中略)。
 代助は座敷へ戻つて、しばらく、兄の警句を咀嚼してゐた。自分も結婚に対しては、実際兄と同意見であるとしか考へられない。だから、結婚を勧める方でも、怒らないで放つて置くべきものだと、兄とは反対に、自分に都合の好い結論を得た。(十二、503~504頁)


 このような代介の結婚観は、結末に至って覆されるのですが、当初代助は結婚が必要の要請であり、愛とは関係なく、相手は選ぶべきものではないと考えていたことが分かります。

4.白い花と詩と恋愛
 このように、生殖や子供は赤い花と結びつけられますが、代介にとって、生殖や子供は永遠の愛とは無関係なものです。
 一方で小説中盤、芳香性の強い白い花、鈴蘭と白百合が登場しますが、赤や赤い花と対照的に描かれていることが既に指摘されています(6)。そのため、白い花は生殖とは無関係の愛を成り立たせる装置として機能することが推察されます。
 代助が、外界からの刺激を遮断して寝るために用いる、「極めて淡い、甘味の軽い、花の香」である鈴蘭が描かれる場面を、引用しておきましょう。

【本文引用⑫】
蟻の座敷へ上がる時候になつた。代助は大きな鉢へ水を張つて、其中に真白な鈴蘭を茎ごと漬けた。簇がる細かい花が、濃い模様の縁を隠した。鉢を動かすと、花が零れる。代助はそれを大きな字引の上に載せた。(中略)代助は其香を嗅ぎながら仮寝をした。(十、451頁)
一時間の後、代助は大きな黒い目を開いた。其眼は、しばらくの間一つ所に留まつて全く動かなかつた。手も足も寝てゐた時の姿勢を少しも崩さずに、丸で死人のそれの様であつた。其時一匹の黒い蟻が、ネルの襟を伝はつて、代助の咽喉に落ちた。代助はすぐ右の手を動かして咽喉を抑へた。さうして、額に皺を寄せて、指の股に挟んだ小さな動物を、鼻の上迄持つて来て眺めた。其時蟻はもう死んでゐた。(同、453頁)


 代助は鈴蘭の香を嗅ぎながら眠りますが、目覚めた姿が「死人」のようであると形容されています。さらに「蟻」も死んでいるように、鈴蘭の花は死と関わる存在です(7)。
 また、先に見たアマランスの場面とは対照的に、実際に蟻が這い出しています。蟻を鼻先まで持ってくる動作は、椿を「引つ繰り返して、鼻の先へ持つて来」る動作(【本文引用①】)や、アマランスの花を覗き込み、花粉を雌蕊に塗りつける動作(【本文引用③】)と、よく似ています。アマランスや椿の場面と鈴蘭の場面を結びつける符丁として、位置づけることができます。

 この仮眠の間に三千代が訪ねてきていたのですが、再び訪ねてきた三千代は、鈴蘭の鉢の水を飲みます。雨に濡れたために急いだ三千代は、代助の家に着いたときに水を求めます。代助が水を汲みに台所へ行って戻ってみると、三千代は既に水を飲んでいました。訊けば、鈴蘭の鉢の水を飲んだのだといいます。

【本文引用⑬】
果して詩の為に鉢の水を呑んだのか、又は生理上の作用に促がされて飲んだのか、追窮する勇気も出なかつた。よし前者とした所で、詩を衒つて、小説の真似なぞをした受売の所作とは認められなかつたからである。(同、462頁)

 この部分、解釈しづらいのですが、試みに次のように考えます。代助は、三千代が鉢の水を飲むという行為が「生理上の作用」に促されてのものだと考えているのならば、追窮することを恐れたりはしないはずです。したがって、代助は詩のための行為であることを恐れたのでしょう。そして、詩のための行為であるとしても、それは詩を「衒つ」た、「小説の真似などをした受売り」ではないために、追窮することを恐れているのです。つまり代助は、三千代の鉢の水を飲むという行為を、純粋に詩的な、真似事ではないものとして受け止めているわけです(8)。これは、植木屋から聞いた通りの受売りでアマランスを受粉させる代助の行為とは対照的です。
 ただ、ここでは単なる「真似」や「受売り」は否定的に描かれているのですが、繰り返しは否定されている訳ではありません。例えば、三千代は初めて会った頃のように銀杏返しに結い、代助が昔持ってきたのを思い出して百合を買います。その後代助も、代助と三千代とその兄とで仲良くしていた頃を思い出そうとして百合を買うのです。一見それは「真似」や「受売り」と同じように見えますが、真似事ではなく真実に過去をとり戻そうとする行為として描かれているのです。先に、代助にとって芸者との関係が一過性の「美」や「愛」を意味することに触れましたが、過去の取り戻しは、一過的な現在を永続的なものに変えるために、意味を持つものと言えます。
 ちなみに鈴蘭には毒性がありますので、鈴蘭を生けた鉢の水を飲んではいけません。

 そのような、過去をとり戻すための装置として、白百合の芳香は描かれています(9)。この場面では、三千代が代助に白百合を買ってきており、代助は「甘たるい強い香」の、「重苦しい刺激を鼻の先に置くに堪へな」いと感じた(同、463頁)のですが、三千代は「自分の鼻を、瓣の傍迄持つて来て」(同)匂いを嗅ぎます。三千代は兄が生きていた過去、代助が百合を買って訪ねたことがあるために百合を買ってきたのですが、代助はこの段階ではまだ、強い刺激を避けて、落ち着きたいと思うために百合の香を嫌っています。
 けれども代助も、後に自ら百合の花を買うのです。

【本文引用⑭】
代助は、百合の花を眺めながら、部屋を掩ふ強い香の中に、残りなく自己を放擲した。彼は此嗅覚の刺激のうちに、三千代の過去を分明に認めた。其過去には離すべからざる、わが昔の影が烟の如く這ひ纏はつてゐた。(中略)彼は雨の中に、百合の中に、再現の昔のなかに、純一無雑に平和な生命を見出した。(中略)
やがて、夢から覚めた。此一刻の幸から生ずる永久の苦痛が其時卒然として、代助の頭を冒して来た。(中略)爪の甲の底に流れてゐる血潮が、ぶる\/顫へる様に思はれた。彼は立つて百合の花の傍へ行つた。唇が瓣に着く程近く寄つて、強い香を眼の眩う迄嗅いだ。彼は花から花へ唇を移して、甘い香に咽せて、失神して室の中に倒れたかつた。彼はやがて、腕を組んで、書斎と座敷の間を往つたり来たりした。彼の胸は始終鼓動を感じてゐた。(中略)それから又歩き出した。彼の心の動揺は、彼をして長く一所に留まる事を許さなかつた。同時に彼は何物をか考へる為に、無暗な所に立ち留まらざるを得なかつた。(十四、556~557頁)


 百合の香によって代助も過去と結びつき、最初は「安慰」を、後には「動揺」を感じています。また、椿やアマランスの瓣、蟻などにおいて繰り返される、鼻先に持ってくる動作が、より過剰に繰り返されています。椿に関しては煙草の「烟りは椿の瓣と蕊に絡まつて漂ふほど濃く出た」(【本文引用①】)とありましたが、ここでは「烟」が、百合の香の刺激に喚起される過去の自分を表現する言葉として用いられています。ここから翻って考えると、冒頭の椿に絡まる煙は過去の代助を導くものの符丁として、三千代が再び東京に戻ってくることを象徴しているものと言えるでしょう。
 続く三千代が訪ねてくる場面でも、白百合の香は空間を世間から隔絶させ過去を甦らせる装置として機能しています。

【本文引用⑮】
雨は依然として、長く、密に、物に音を立てゝ降つた。二人は雨の為に、雨の持ち来す音の為に、世間から切り離された。(中略)二人は孤立の儘、白百合の香の中に封じ込められた。
「先刻表へ出て、あの花を買つて来ました」と代助は自分の周囲を顧みた。三千代の眼は代助に随いて室の中を一回した。其後で三千代は鼻から強く息を吸ひ込んだ。
「兄さんと貴方と清水町にゐた時分の事を思ひ出さうと思つて、成るべく沢山買つて来ました」と代助が云つた。
「好い香ですこと」と三千代は翻がへる様に綻びた大きな花瓣を眺めてゐたが、夫から眼を放して代助に移した時、ぽうと頬を薄赤くした。
「あの時分の事を考えると」と半分云つて已めた。
(中略)
「貴方は派手な半襟を掛けて、銀杏返しに結つてゐましたね」
「だつて、東京へ来立だつたんですもの。ぢき已めて仕舞つたわ」
「此間百合の花を持つて来て下さつた時も、銀杏返しぢやなかつたですか」
「あら、気が付いて。あれは、あの時限なのよ」
(中略)
「僕はあの髷を見て、昔を思ひ出した」(同、559~560頁)


 百合の香は、現在と俗世間から代助と三千代を切り離し、過去へと封じ込める装置となっています。三千代が銀杏返しに結うことは、何度も模倣されるものではなく、一回きりの行為だったと言われています。この後、兄と代助と三千代との生活が振り返られ、代助も三千代も五年前からずっと同じ人間であることを強調しています。代助は何度か、自分が学生時代から変化したと考えている(六)のですが、ここでは過去の時間が取り戻されています。
 ところで、先ほど見た【本文引用⑬】で、三千代が鈴蘭の鉢から水を飲む行為を代助は「詩」「小説」との関係から解釈していましたが、代助が三千代に愛を打ち明けたことばも、「詩歌」「小説」との関係で説明されています。

【本文引用⑯】
代助の言葉には、普通の愛人の用ひる様な甘い文彩を含んでゐなかった。彼の調子は其言葉と共に簡単で素朴であつた。寧ろ厳粛の域に逼つてゐた。但、夫丈の事を語る為に、急用として、わざ\/三千代を呼んだ所が、玩具の詩歌に類してゐた。けれども、三千代は固より、斯う云ふ意味での俗を離れた急用を理解し得る女であつた。其上世間の小説に出て来る青春時代の修辞には、多くの興味を持つてゐなかった。代助の言葉が、三千代の官能に華やかな何物をも与えなかつたのは、事実であつた。三千代がそれに渇いてゐなかつたのも事実であつた。代助の言葉は官能を通り越して、すぐ三千代の心に達した。三千代は顫へる睫毛の間から、涙を頬の上に流した。(同、564頁)

「玩具の詩歌」「世間の小説」「青春時代の修辞」と、似た言葉が用いられながら、代助の言葉は「玩具の詩歌」として、「世間の小説」「修辞」とは無縁のものと位置づけられます。
 既に見たように、赤い花は生殖、真似事と結びつき、白い花は「詩を衒」った「小説の真似」とは無縁の、純粋に詩的なものと結びついていました。白い花に導かれた代助の言葉は、詩的なものとして位置づけられ、恋愛物語を動かす原動力となるのです。

終わりに
 以上、赤い花と生殖との関わりや、三千代が子供を亡くし、身体を悪くしたこととの関わりを考察してきました。その過程で、三千代は心臓病のために生殖行為そのものが困難であることも明らかにしました。その上で、既に研究史で言及されている白い花との対照についても触れ、代助との恋愛の文脈に位置づけました。
 赤い花は、生殖、妊娠、出産などの象徴として描かれ、白い花はそれとは異なる恋愛を象徴しています。代助にとって子供は愛と無関係なもので、生殖行為そのものもまた、一過的な、現在だけの愛を意味するものでした。そのような代助にとって、三千代に子供がなく、できないこと、また生殖行為そのものも困難であることは、決定的に重要だったのです。
 勿論、健康な女性とプラトニックラヴをすることも可能ではあるでしょう。しかしそうすると、プラトニックラヴが「目的」となってしまいます。ところが代助は

【本文引用⑰】
 自己本来の活動を、自己本来の目的としてゐた。歩きたいから歩く。すると歩くのが目的になる。考へたいから考へる。すると考へるのが目的になる。それ以外の目的を以て、歩いたり、考へたりするのは、歩行と思考の堕落になる如く、(十一、471頁)

考え(10)、「普通に所謂無目的な行為を目的として活動してゐた」(同、472頁)。それゆえ三年前に停滞してしまった恋愛物語を起動させるために、生殖の不可能性は重要な要素だったのです。

【本文引用⑱】
 兄は趣味に関する妹の教育を、凡て代助に委任した如くに見えた。(中略)三千代は固より喜んで彼の指導を受けた。三人は斯くして、巴の如くに回転しつゝ、月から月へと進んで行つた。有意識か無意識か、巴の輪は回るに従って次第に狭まつて来た。遂に三巴が一所に寄つて、丸い円にならうとする少し前の所で、忽然其一つが欠けたため、残る二つは平衡を失つた。(十四、562頁)

 けれども、芸者を買うことのできる代助と、そうではない三千代が、同じ恋愛観を持つのは難しいでしょう。今後の心配を告げられたときに言う、「漂泊でも好いわ。死ねと仰れば死ぬわ」(十六、591頁)「だつて何時殺されたつて好いんですもの」「だつて、放つて置いたつて、永く生きられる身体ぢやないぢやありませんか」(同、592頁)「何うせ間違へば死ぬ積なんですから」(同、593頁)などの言葉は、三千代からの誘いを意味しているとも考えられます(11)。結局三千代と代助との恋愛が破綻してしまうのも、このような恋愛観の違いが一因ではあるでしょう。
 世の中が真っ赤になり、「代助の頭を中心として」「焔の息を吹いて回転」する最終場面(十七、622頁)は、冒頭の椿の花と重ねられます。落ちてしまった椿の花は、花開こうとして中途で終わってしまった二人の恋愛物語の予兆としても、機能しているのかもしれません。

           
(1)浜野京子「〈自然の愛〉の両義性:『それから』における〈花〉の問題」(『国語と国文学』1989年1月→太田登、木股知史、萬田務編『漱石作品論集成【第六巻】それから』桜楓社、1991年)、水沢不二夫「『それから』のイメージ(1):百合と鈴蘭」(『言語と文芸』1992年4月)、同「『それから』のイメージ(2):拡散するイメージ―」(『言語と文芸』1993年4月)、金英順「『それから』論:「赤」と水のメタファ・代助の「自然」」(『東洋大・大学院紀要 文学研究科 国文学・英文学・教育学』1999年2月)などに指摘がある。
(2)本文引用、章番号、頁数は、『漱石全集 第四巻』(岩波書店、1966年)による。但し、一部私に表記を改めた。
(3)猪野謙二「『それから』の思想と方法」(『明治の作家』岩波書店、1954年)など。
(4)これは「心臓弁膜症」の症状であると注されており(ちくま文庫版『夏目漱石全集』など)、心臓弁膜症は現在では出産も不可能ではないが、後半部分で三千代の病弱さは弁の故障ではないと言われており、心臓の病気一般について安静を要することは言えるだろう。
(5)注1浜野論文では、アマランスをアマリリスとし、官能性を持ち誘惑するものとして三千代との結びつきを説く。しかし、三千代が子供を失いつくる事も出来ない以上、そのようなストレートな象徴ではありえない。
(6)注1前傾論文など。
(7)鈴蘭、白、あるいは水と死が結びつくことについては、注1前傾論文、勝田和學「『それから』の構造:〈花〉と〈絵〉の機能の検討から」(『言語と文芸』1986年十12月)、斎藤真「『それから』の水」(『都大論究』1990年3月)などに指摘がある。
(8)小阪晋「愛の実験:恋愛三部作」(『漱石の愛と文学』講談社、1974年)はロセッティの「The Blessed Damezel」という詩が三千代の造型に踏まえられていると指摘するが、注1水沢論文ではこの詩のために三千代が鈴蘭の鉢の水を飲んだとしている。ただし、本稿で問題としている、代助が「詩を衒つて、小説の真似なぞをした受売の所作」ではないために恐れている理由は、典拠となる詩を探ることによっては解釈できない。
(9)白百合の香と過去との結びつきについては、注1前傾論文など。椿や鈴蘭も含め『それから』の香そのものについて論じるものとしては多田道太郎「香りの奥にひそむもの」(『あすあすあす』1986年5月→『漱石作品論集成【第六巻】それから』注1参照)がある。
(10)なお、この部分は西洋に伝統的な、歩行と散文を、舞踏と詩を結びつける比喩を想起させる。そのように考えるとき、代助の言葉が「世間の小説」とは異なる「玩具の詩歌」であること、代助が目的を持った歩行を嫌い、恋愛によってぐるぐる同じ所を回ることは同じ意味合いを持ち、『それから』という小説が目的を持った散文「世間の小説」ではなく「玩具の詩歌」によって動かされていることを感じさせる。
(11)三千代の言動には女学生的な大仰さが漂うが、実際に三千代は心臓病である。また、病弱な三千代のイメージは、吉屋信子の小説等で多く描かれる、結婚する前に病死してしまう少女のイメージを下敷きとし、転倒させた感がある。ただし、同時代的にそのような少女イメージがあったかどうかは検討を要する。

☆本講義の内容は、拙稿「生殖の拒絶―『それから』における花のイメージ」(『名古屋大学国語国文学』2009年11月、29~43頁)をもとにしています。

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