(続きです)
【様々な物語】
ゲスラーの物語、英雄として死ぬというクワルスキの物語、叛乱を画策するヤンの物語、刺繍の布を奉納し、ゲスラーの魂をこちら側にとどめておこうとするエルザの物語。
「これは芝居の筋書きだ。詩人は拒否する」(254頁)など。
さまざまな人々の物語が、しばしば自己言及的に語られるが、最終的に裏で糸を引いていたのはウツィアであったという。ウツィアの物語。
【穴】
村民たちは変死者や産死をしたものがいた場合、「壁に穴を開けて足のほうから出」し、その「穴」を塞ぐ(66頁)。
紙についた蠹虫が開けるのも穴。
村民たちは貧しく食べるものがなくなった場合、「納屋に穴を開けて」物持ちの家から盗みをする(238頁)。
エルザが亡くなったときに、穴を開けることができなかったために官舎の窓から出し、窓を塞ぐ。
クワルスキも自死だったため、窓から出し、そこを塞ぐ。
クワルスキが「自分で射撃の的にした」ために、肖像が「何箇所も破れ、顔の部分は完全に穴が空いている」が、ゲスラーは「修復に出せばいい」と言う(277頁)。
【血と生殖】
馬車の軸が折れたとき、通りかかったヤレクが「産後の肥立ちの悪い女が一人死んだだけ」(8頁)という話をしている。
二番目の怪死であるオパルカの妻も出産中の死。
エルザも流産による死。
ウツィアも最初の妊娠のときに流産してしまい、おそらくそのためにその後妊娠ができなくなったのだろう、子供がいない。
エルザの流産では大量の血が描かれるが、出産は血が出るもの。
一方で吸血鬼は血を吸うものであり、「怪死」は、まるで血が抜かれているようだと言われる。
ただし、「ウピール」とも呼ばれる「吸血鬼」は、「ゲーテが書いたような美女でも、バイロン卿が書いたような青褪めた美男子でもない」「最初は形がない。家畜や人を襲って血を吸うと、ぶよぶよの塊になる。更に餌食を貪ると、次第に人の形を整える」(170頁)。
ところで、エルザが流産したときに呼ばれたバルトキエヴィッツが、妊娠について次のように語る。
「姿形は泉の精か川の娘のようでも、腹の中にはどうしようもなく下等な動物的器官を備えている。異物を飼うための器官をね。人間は寄生虫のようにその胎に取り付き、根を下ろして十月十日、ちゅうちゅうその体液を吸って肥え太る。それだけで女はもうふらふらだ。時々はちゅうちゅう吸いすぎて母親を殺す」「どうにか殺さん程度に自制して、血を吸って真っ赤に膨れ上がった蚤みたいになって、女の細腰じゃ支えきれないくらいになると這い出して来て、今度は二つのおっぱいからまた吸って更に肥える。それから二本の足で立つと、別の寄生虫を孕ませに出かけて行く」(205~206頁)。
人の胎内に宿る赤ん坊が、あるいは人間そのものが、血を吸う寄生虫に喩えられるが、「ウピール」の描写に類似することに注意したい。胎児が、それから人間そのものが吸血鬼のようなものとして語られるのである。
【紙の上の蠹虫】
ゲスラーが官舎に到着する前、古新聞の山には蠹虫が湧いていた。その新聞は竈の火で焼かれる。「炎の中で何かがぷちぷちと弾ける。袖を這う数匹を目敏く見付ける」(30頁)。虫が湧くのを防ぐために、虫除けの油が塗られる。「本が食われたら大変です。書類の方も確かめましたが、何箇所か食われていました」(30~31頁)。繰り返しとなるが、蠹虫は紙に穴を開けるものなのである。
蠹虫が、もう一度描かれる場面がある。エルザが亡くなった後、その異様な儀式中に気を失ってしまったゲスラーの夢になにものか(ウピール?)があらわれるが、ゲスラーはそのなにものかの忠告を受け入れて目を覚ますことにする。目を覚ました後、目を通した書類の隙間に蠹虫があらわれるのだ。
「紙の間から銀色に煌く何かが素早く這い出す。蠹虫だ。ゲスラーは拡大鏡を取って捕まえようとするが、それはもう姿を消している。通達の束を取って、床の上で振ってみる。辞書や要覧のページを捲って巣くっていないことを確認する」「真冬だし、大発生はあり得ない」(229頁)。
ゲスラーの夢になにかがあらわれた後の場面であることに注意したい。つまり、蠹虫は、その何か、ウピールなのである。
『吸血鬼』は、紙を食い破り、人が書いた文字に穴を開ける蠹虫と、その穴を絶えず修繕し、塞ぐ言葉の物語である。
・佐藤亜紀『吸血鬼』講談社、2016年。
【様々な物語】
ゲスラーの物語、英雄として死ぬというクワルスキの物語、叛乱を画策するヤンの物語、刺繍の布を奉納し、ゲスラーの魂をこちら側にとどめておこうとするエルザの物語。
「これは芝居の筋書きだ。詩人は拒否する」(254頁)など。
さまざまな人々の物語が、しばしば自己言及的に語られるが、最終的に裏で糸を引いていたのはウツィアであったという。ウツィアの物語。
【穴】
村民たちは変死者や産死をしたものがいた場合、「壁に穴を開けて足のほうから出」し、その「穴」を塞ぐ(66頁)。
紙についた蠹虫が開けるのも穴。
村民たちは貧しく食べるものがなくなった場合、「納屋に穴を開けて」物持ちの家から盗みをする(238頁)。
エルザが亡くなったときに、穴を開けることができなかったために官舎の窓から出し、窓を塞ぐ。
クワルスキも自死だったため、窓から出し、そこを塞ぐ。
クワルスキが「自分で射撃の的にした」ために、肖像が「何箇所も破れ、顔の部分は完全に穴が空いている」が、ゲスラーは「修復に出せばいい」と言う(277頁)。
【血と生殖】
馬車の軸が折れたとき、通りかかったヤレクが「産後の肥立ちの悪い女が一人死んだだけ」(8頁)という話をしている。
二番目の怪死であるオパルカの妻も出産中の死。
エルザも流産による死。
ウツィアも最初の妊娠のときに流産してしまい、おそらくそのためにその後妊娠ができなくなったのだろう、子供がいない。
エルザの流産では大量の血が描かれるが、出産は血が出るもの。
一方で吸血鬼は血を吸うものであり、「怪死」は、まるで血が抜かれているようだと言われる。
ただし、「ウピール」とも呼ばれる「吸血鬼」は、「ゲーテが書いたような美女でも、バイロン卿が書いたような青褪めた美男子でもない」「最初は形がない。家畜や人を襲って血を吸うと、ぶよぶよの塊になる。更に餌食を貪ると、次第に人の形を整える」(170頁)。
ところで、エルザが流産したときに呼ばれたバルトキエヴィッツが、妊娠について次のように語る。
「姿形は泉の精か川の娘のようでも、腹の中にはどうしようもなく下等な動物的器官を備えている。異物を飼うための器官をね。人間は寄生虫のようにその胎に取り付き、根を下ろして十月十日、ちゅうちゅうその体液を吸って肥え太る。それだけで女はもうふらふらだ。時々はちゅうちゅう吸いすぎて母親を殺す」「どうにか殺さん程度に自制して、血を吸って真っ赤に膨れ上がった蚤みたいになって、女の細腰じゃ支えきれないくらいになると這い出して来て、今度は二つのおっぱいからまた吸って更に肥える。それから二本の足で立つと、別の寄生虫を孕ませに出かけて行く」(205~206頁)。
人の胎内に宿る赤ん坊が、あるいは人間そのものが、血を吸う寄生虫に喩えられるが、「ウピール」の描写に類似することに注意したい。胎児が、それから人間そのものが吸血鬼のようなものとして語られるのである。
【紙の上の蠹虫】
ゲスラーが官舎に到着する前、古新聞の山には蠹虫が湧いていた。その新聞は竈の火で焼かれる。「炎の中で何かがぷちぷちと弾ける。袖を這う数匹を目敏く見付ける」(30頁)。虫が湧くのを防ぐために、虫除けの油が塗られる。「本が食われたら大変です。書類の方も確かめましたが、何箇所か食われていました」(30~31頁)。繰り返しとなるが、蠹虫は紙に穴を開けるものなのである。
蠹虫が、もう一度描かれる場面がある。エルザが亡くなった後、その異様な儀式中に気を失ってしまったゲスラーの夢になにものか(ウピール?)があらわれるが、ゲスラーはそのなにものかの忠告を受け入れて目を覚ますことにする。目を覚ました後、目を通した書類の隙間に蠹虫があらわれるのだ。
「紙の間から銀色に煌く何かが素早く這い出す。蠹虫だ。ゲスラーは拡大鏡を取って捕まえようとするが、それはもう姿を消している。通達の束を取って、床の上で振ってみる。辞書や要覧のページを捲って巣くっていないことを確認する」「真冬だし、大発生はあり得ない」(229頁)。
ゲスラーの夢になにかがあらわれた後の場面であることに注意したい。つまり、蠹虫は、その何か、ウピールなのである。
『吸血鬼』は、紙を食い破り、人が書いた文字に穴を開ける蠹虫と、その穴を絶えず修繕し、塞ぐ言葉の物語である。
・佐藤亜紀『吸血鬼』講談社、2016年。