報告が遅くなりましたが、1月1日生まれの子犬ちゃんたちは、5月7日に無事すべての子が貰われていきました。
また、1年以上実家でいた成犬の空ちゃんが、先日思いがけず貰われていきました。
ご家族みんなに大切にされて、とても幸せそうです。
今日は久々に研究の話です。
******
はじめに
「解かれたガラスのリボン」は、独特なインパクトを持つ球体関節人形によって知られる人形作家、天野可淡の初めての作品集『KATAN DOLL』(1989年、1)に付されたあとがきである。球体関節人形とは、関節部分に球形のジョイントがはまり、動かすことのできる人形である。かつては男性のオブジェ的な対象を象徴し、現在は女性の内面表現の装置として特異な発展を遂げる。
この転換を導いたのが天野可淡であった。「解かれたガラスのリボン」は『夜想』の人形特集(2)でも再録されており、天野の人形観を示すうえで重要なテクストと言えるだろう。と同時に、人形やガラスに関する豊かなイマージュにあふれており、それ自体解釈の価値あるものと言える。そこで本稿では、ガラスのイマージュを中心に、「解かれたガラスのリボン」の読解を試みる。
1、日本の球体関節人形と天野可淡
日本における球体関節人形の流行は、ほぼ澁澤龍彦の紹介に始まるといってよい。澁澤は、「少女コレクション序説」において、「少女は一般的にも性的にも無知であり」「主体的には語り出さない純粋客体」(3)とし、シュルレアリスム的な文脈で理解されるドイツの人形作家ハンス・ベルメールを紹介した。1960年代後半から球体関節人形の制作を始めた人形作家、四谷シモンや土井典はベルメール、澁澤に強く影響を受けている。この時期において、球体関節人形の球体は世界を脱臼し、フェティッシュの対象となるパーツを際立たせるための装置であった。しかし現在は、「女性の作家がとても多くて、自分の内面を「人形の性格や内面」によって表現する」(4)と指摘されるように、制作者や享受者である女性が自己を投影するための装置となる。「性的に無知」で「主体的には語り出さない」「純粋客体」である「少女」の象徴であった球体関節人形が、少女自身が内面を主体的に語り出す、まさにその媒体へと変化してきたと言えよう。
澁澤的な愛される客体から「内面」表現へ、という転換を導いたのが、1990年前後に次々と作品集を発表しながらも、事故で早逝し、カルト的な人気を誇った人形作家、天野可淡(5)である。四谷シモンや土井典の人形が「無機的な物質感」を強調するのに対し、天野は「球体関節人形で肉や骨など身体の有機的な印象を強調し、人の心の暗部を表現するような描写を人形にもたらした」とされる(6)。さらに、内面や感情を人形表現の中に取り込んだとされることに注意したい。
通常は愛する対象と考えられる人形に対して、「人を愛せる人形」を作りたいと語っていたという天野の人形には、人形のいわゆる愛らしい外見へのアンチテーゼともいうべき特徴が見られるが、物憂げな表情や凝視するようにギラギラ光る自作のグラスアイ、(中略)見る者を捉えて離さない迫力に充ちている。(7)
天野は、「感覚」や「感情」が「人形に出ても良い」と印象づけられるような人形を作り続けることで、人形の「括りを破るような」、「チャレンジする人形」を発表する「今の若い作家たち」の「発端になった」とも位置付けられる(8)。死後二五年経った今でも人気は衰えず、新たな写真集が刊行されている(9)。
天野が「人を愛せる人形」を作りたい、と言っていたことの根拠となるのが、はじめて出版した人形写真集『KATAN DOLL』のあとがきとして書かれた「解かれたガラスのリボン」である。
2、解かれたガラスのリボン
「解かれたガラスのリボン」においては、ガラスが重要なモチーフとなる。長くなるが引用する。
子供の頃、夜の縁日で母親に手をひかれながら歩いていると、ガラスの風鈴などを売っている夜店があり、そこへ来ると必ず、小さなガラスビンの中で裸電球の光を受けてキラキラ光る水中花が目にとまったものでした。なんとしても欲しくなり、せがんで買ってもらった宝物のはずなのに、次の日、日の光の中で見るとそれはなぜか色褪せ、そんなはずは無いとビンから取り出してみても、みすぼらしい、ただの色紙の塊になってしまっていてがっかりした記憶が有ります。大人になった今よりも子供の頃の方が、夢をこわされるという事について潔癖であった様に思われます。(中略)
人形を愛するということは、その人の年齢にかかわらず、子供の頃のままになることだと思います。あらゆる社会の混沌の中から人形と向かい合う時、人は皆、子供となります。
そして、人と人形は鏡一枚を隔てて同化する事ができるのです。鏡一枚・・・それは人形が神から死を禁止されているということです。夢を裏切らないという代償に、死を神に捧げたという事です。しかしながら、人間とはエゴイスティックな生き物です。(中略)愛するだけの一方的な愛にはいつか疲れ、その対象を置き去りにするのです。そして彼女たちはいつしか忘れ去られ、蔵の中に捨てられてしまいます。それは人形たちにとって、死よりも恐ろしい出来事です。そんな悲劇が起こることの無いように、私はあえて彼女たちのガラスのリボンを解きます。人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に。常に話しかけ、耳をかたむけ、時には人の心に謎をかける人形に。
注意深く彼女のガラスのリボンを解くのです。それが私の仕事だから。
子供時代の思い出として、冒頭から「ガラスの風鈴」、「ガラスビン」の中の「水中花」が登場する。末尾では「ガラスのリボンを解く」ことが「私の仕事」だという。「ガラスのリボンを解く」ことは、「人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形」を作ることを象徴するだろう。人と人形を隔てる「鏡」もガラスと縁の深いモチーフである。
第一段落から順に見ていくと、子供の頃の思い出として、縁日の水中花などが翌朝見るとただの色紙の塊になっていたエピソードを紹介し、子供は「夢を壊されること」に「潔癖」であると言う。したがって、「ガラスビン」の中の「水中花」は夢を象徴するものだろう。
二段落目では、人形を愛することは、子供の頃のままでいることだという。子供は「夢を壊される」ことに「潔癖」だと言うのだから、子供のままでいることは、「夢を壊されること」に「潔癖」なままであることを意味する。
第三段落では、人形は「夢を裏切らない」との一節があらわれる。人は「鏡一枚」を隔てて人形と同化できると言い、その「鏡」とは、夢を裏切らないことと引きかえに死を禁止されていることだと言う。しかしながら人はエゴイスティックで、愛するだけの一方的な愛では、対象を置き去りにする。置き去りにされることは、人形たちにとっては「死」よりも恐ろしいこと。だから可淡は人形たちの「ガラスのリボンを解く」のだと言う。続く文章では、「人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に」、話しかけ、耳を傾け、「時には人の心に謎をかける人形」にするのだと言い換える。
第四段落で再び、「彼女」(人形)の「ガラスのリボンを解く」のだと言い、「それが私の仕事だ」として文章は閉じられる。
「ガラスのリボンを解く」ことによって、人を愛し、話しかけ、耳をかたむけ、人の心に謎をかけることができるというのであるから、ガラスのリボンは人形の心を縛るものである。と同時に、人と人形を隔てる「鏡」であり、第三段落で見たように、「鏡一枚」は「死を禁止されていること」であるから、ガラスのリボンが解かれることによって、人形も死ぬことができる。第一段落で見たように、「ガラスビン」は夢の入れ物であり、ガラスのリボンを解くことによって、完全な同化や、夢を裏切る可能性ももたらすものだろう。
『KATAN DOLL』が写真集であることを考えるならば、「ガラス」がしばしば写真の比喩となることも想起される。見るものと人形、写真の外部と内部を隔てるものがガラスである。さらに、人形をガラス越しに撮影した写真(6頁)、鏡に映った人形を撮影したもの(20頁、36頁、49~52頁、53頁)、背景に鏡が用いられたもの(7頁、45、46頁)などがあり、鏡やガラスが重要な小道具として用いられていることが分かる。殊に、錆びた鏡や罅割れた鏡(7頁、36頁、45、46頁、49~51頁)が用いられることに注意したい。天野の人形において特徴的とされるのが「ギラギラ光る自作のグラスアイ」(再掲)であることも、視線とガラスとの関係を想起させて面白い。
ただし、単なる「ガラス」ではなく、「ガラスのリボン」であることは注目に値する。ガラスでリボンを結ぶことはできないからである。そこで次節では、ガラスのイマージュを解きほぐすことによって、「ガラスのリボンを解く」ことの意味合いを明らかにしたい。
3、ガラスのイマージュ
ガラスはその透明性から、言葉や、外界と内面を隔てるものの比喩となる。例えば人形をモチーフとした作品もある、独特な文学世界で知られる山尾悠子は、自らの創作行為を「硝子で出来た城」を「築いては壊す作業」に喩えている(10)。また、森茉莉『甘い蜜の部屋』(11)では、主人公モイラの「心の中の部屋」が、「半透明」の「曇り硝子」(6頁)に喩えられる。漱石の『硝子戸の中』(1915年)というタイトルや、ベンヤミンの『パサージュ論』(12)におけるガラスを想起する人も多いだろう。女や人形との関連で言えば、ミッシェル・カルージュが論じたように、「独身者の機械」において重要なモチーフである(13)ことが想起される。
ここで注意したいのが、外界と内面を隔てるものとしてのガラスはあくまでも通り抜けられないものであるが、通り抜けられるものとなるときに、薄膜と化す描写が見られることである。
アリスが鏡を通り抜けることができたのは、それがガーゼあるいはもやみたいになったからである。(中略)ここでも鏡面は、束の間、いわば水面と化すことで、その「超越性」をまっとうするのである。(14)
ここで『鏡の国のアリス』を例に考察されたのは「鏡」であるが、水面に比されるものとして、ガラスについても類似する機能が考えられるだろう。
ほぼ同時期の作品だが、笙野頼子『硝子生命論』(15)においても、ガラスの比喩が重要なモチーフとなる。『硝子生命論』は「死体人形」と名づけられた人形と、失踪した人形作家をめぐる物語であるが、人間の世界と人形の世界が後半において反転する。世界を反転させる装置として、「布」のような、「スクリーン」としての硝子が描かれるのである(181頁)。
したがって、「ガラスのリボン」には、内部と外部の境界でありながら、それを曖昧にし反転させる、布や薄膜としてのガラスのイマージュが根底にあると考えられる。それゆえにこそ、「ガラスのリボンを解く」ことで、人形が主体的に愛し語りかけ、謎をかけることができる。「客体としての少女」ではなく、主体的に内面を表現することができるのである。
注
(1)トレヴィル。なお、2007年にエディシオン・トレヴィルで再販。
(2)『yaso夜想 特集ドール』2004年10月。
(3)初出『芸術生活』1972年4月号、引用は『澁澤龍彦全集 12』(河出書房新社、1994年)による。なお、日本におけるベルメール紹介の初出は『みづゑ』384号(1937年)とされる(宮川尚理、編集部「ハンス・ベルメール&ウニカ・チュルン年代記」『yaso夜想/特集『ハンス・ベルメール―日本の球体関節人形への影響』』2010年12月)。
(4)今野裕一、天野昌直「人形作家列伝」(『ユリイカ』2005年5月号)中の天野の発言。
(5)1998年に出版元であったトレヴィルが活動を停止した後、「著作権の関係で」(「吉田良インタビュー」『TH叢書№19 特集・ドール~人形の冷たい皮膚の魅惑』アトリエサード、2003年9月)再版されず、可淡の作品集は入手困難な状況が続く。2004年2月に東京都現代美術館で開催された「球体関節人形展」においても、出展はされるものの図録に収載されていない。可淡の作品集は、トレヴィルの活動を引き継いだエディシオン・トレヴィルにおいて、2007年にようやく出版されている。1990年の事故死と1998年以降の絶版状況から、可淡は2000年代前半、いわば伝説の人形作家であった。
(6)小川千恵子「ニッポンの球体関節人形事情―出品作家解説」(『映画「イノセンス」公開記念・押井守監修 球体関節人形展・DOLLS OF INNOCENCE』図録、東京都現代美術館、2004年2月)。
(7)注6に同じ。
(8)吉田良「関節人形に宿るもの」(『yaso夜想/特集『ハンス・ベルメール―日本の球体関節人形への影響』』注3参照)中のインタビュアー、今野裕一の発言。なお、ここでは、天野のパートナーであり、天野の人形を撮影した人形作家・写真家の吉田良についても言及されている。
(9)写真、片岡佐吉『天野可淡 復活譚』KADOKAWA、2015年。
(10)『山尾悠子作品集成』パンフレット。国書刊行会、2000年。
(11)1975年。本文引用は『森茉莉全集4』1993年、筑摩書房による。
(12)1923年~1940年。今村仁司他訳『パサージュ論』1~5巻、岩波書店、1993年。
(13)『独身者の機械―未来のイヴ、さえも…』高山宏、森永徹訳、ありな書房、1991年。
(14)谷川渥「ナルキッソス変幻」(『鏡と皮膚』ポーラ文化研究所、1994年→ちくま学芸文庫、2001年)。
(15)河出書房、1993年。
また、1年以上実家でいた成犬の空ちゃんが、先日思いがけず貰われていきました。
ご家族みんなに大切にされて、とても幸せそうです。
今日は久々に研究の話です。
******
はじめに
「解かれたガラスのリボン」は、独特なインパクトを持つ球体関節人形によって知られる人形作家、天野可淡の初めての作品集『KATAN DOLL』(1989年、1)に付されたあとがきである。球体関節人形とは、関節部分に球形のジョイントがはまり、動かすことのできる人形である。かつては男性のオブジェ的な対象を象徴し、現在は女性の内面表現の装置として特異な発展を遂げる。
この転換を導いたのが天野可淡であった。「解かれたガラスのリボン」は『夜想』の人形特集(2)でも再録されており、天野の人形観を示すうえで重要なテクストと言えるだろう。と同時に、人形やガラスに関する豊かなイマージュにあふれており、それ自体解釈の価値あるものと言える。そこで本稿では、ガラスのイマージュを中心に、「解かれたガラスのリボン」の読解を試みる。
1、日本の球体関節人形と天野可淡
日本における球体関節人形の流行は、ほぼ澁澤龍彦の紹介に始まるといってよい。澁澤は、「少女コレクション序説」において、「少女は一般的にも性的にも無知であり」「主体的には語り出さない純粋客体」(3)とし、シュルレアリスム的な文脈で理解されるドイツの人形作家ハンス・ベルメールを紹介した。1960年代後半から球体関節人形の制作を始めた人形作家、四谷シモンや土井典はベルメール、澁澤に強く影響を受けている。この時期において、球体関節人形の球体は世界を脱臼し、フェティッシュの対象となるパーツを際立たせるための装置であった。しかし現在は、「女性の作家がとても多くて、自分の内面を「人形の性格や内面」によって表現する」(4)と指摘されるように、制作者や享受者である女性が自己を投影するための装置となる。「性的に無知」で「主体的には語り出さない」「純粋客体」である「少女」の象徴であった球体関節人形が、少女自身が内面を主体的に語り出す、まさにその媒体へと変化してきたと言えよう。
澁澤的な愛される客体から「内面」表現へ、という転換を導いたのが、1990年前後に次々と作品集を発表しながらも、事故で早逝し、カルト的な人気を誇った人形作家、天野可淡(5)である。四谷シモンや土井典の人形が「無機的な物質感」を強調するのに対し、天野は「球体関節人形で肉や骨など身体の有機的な印象を強調し、人の心の暗部を表現するような描写を人形にもたらした」とされる(6)。さらに、内面や感情を人形表現の中に取り込んだとされることに注意したい。
通常は愛する対象と考えられる人形に対して、「人を愛せる人形」を作りたいと語っていたという天野の人形には、人形のいわゆる愛らしい外見へのアンチテーゼともいうべき特徴が見られるが、物憂げな表情や凝視するようにギラギラ光る自作のグラスアイ、(中略)見る者を捉えて離さない迫力に充ちている。(7)
天野は、「感覚」や「感情」が「人形に出ても良い」と印象づけられるような人形を作り続けることで、人形の「括りを破るような」、「チャレンジする人形」を発表する「今の若い作家たち」の「発端になった」とも位置付けられる(8)。死後二五年経った今でも人気は衰えず、新たな写真集が刊行されている(9)。
天野が「人を愛せる人形」を作りたい、と言っていたことの根拠となるのが、はじめて出版した人形写真集『KATAN DOLL』のあとがきとして書かれた「解かれたガラスのリボン」である。
2、解かれたガラスのリボン
「解かれたガラスのリボン」においては、ガラスが重要なモチーフとなる。長くなるが引用する。
子供の頃、夜の縁日で母親に手をひかれながら歩いていると、ガラスの風鈴などを売っている夜店があり、そこへ来ると必ず、小さなガラスビンの中で裸電球の光を受けてキラキラ光る水中花が目にとまったものでした。なんとしても欲しくなり、せがんで買ってもらった宝物のはずなのに、次の日、日の光の中で見るとそれはなぜか色褪せ、そんなはずは無いとビンから取り出してみても、みすぼらしい、ただの色紙の塊になってしまっていてがっかりした記憶が有ります。大人になった今よりも子供の頃の方が、夢をこわされるという事について潔癖であった様に思われます。(中略)
人形を愛するということは、その人の年齢にかかわらず、子供の頃のままになることだと思います。あらゆる社会の混沌の中から人形と向かい合う時、人は皆、子供となります。
そして、人と人形は鏡一枚を隔てて同化する事ができるのです。鏡一枚・・・それは人形が神から死を禁止されているということです。夢を裏切らないという代償に、死を神に捧げたという事です。しかしながら、人間とはエゴイスティックな生き物です。(中略)愛するだけの一方的な愛にはいつか疲れ、その対象を置き去りにするのです。そして彼女たちはいつしか忘れ去られ、蔵の中に捨てられてしまいます。それは人形たちにとって、死よりも恐ろしい出来事です。そんな悲劇が起こることの無いように、私はあえて彼女たちのガラスのリボンを解きます。人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に。常に話しかけ、耳をかたむけ、時には人の心に謎をかける人形に。
注意深く彼女のガラスのリボンを解くのです。それが私の仕事だから。
子供時代の思い出として、冒頭から「ガラスの風鈴」、「ガラスビン」の中の「水中花」が登場する。末尾では「ガラスのリボンを解く」ことが「私の仕事」だという。「ガラスのリボンを解く」ことは、「人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形」を作ることを象徴するだろう。人と人形を隔てる「鏡」もガラスと縁の深いモチーフである。
第一段落から順に見ていくと、子供の頃の思い出として、縁日の水中花などが翌朝見るとただの色紙の塊になっていたエピソードを紹介し、子供は「夢を壊されること」に「潔癖」であると言う。したがって、「ガラスビン」の中の「水中花」は夢を象徴するものだろう。
二段落目では、人形を愛することは、子供の頃のままでいることだという。子供は「夢を壊される」ことに「潔癖」だと言うのだから、子供のままでいることは、「夢を壊されること」に「潔癖」なままであることを意味する。
第三段落では、人形は「夢を裏切らない」との一節があらわれる。人は「鏡一枚」を隔てて人形と同化できると言い、その「鏡」とは、夢を裏切らないことと引きかえに死を禁止されていることだと言う。しかしながら人はエゴイスティックで、愛するだけの一方的な愛では、対象を置き去りにする。置き去りにされることは、人形たちにとっては「死」よりも恐ろしいこと。だから可淡は人形たちの「ガラスのリボンを解く」のだと言う。続く文章では、「人に愛されるだけの人形ではなく、人を愛する事のできる人形に」、話しかけ、耳を傾け、「時には人の心に謎をかける人形」にするのだと言い換える。
第四段落で再び、「彼女」(人形)の「ガラスのリボンを解く」のだと言い、「それが私の仕事だ」として文章は閉じられる。
「ガラスのリボンを解く」ことによって、人を愛し、話しかけ、耳をかたむけ、人の心に謎をかけることができるというのであるから、ガラスのリボンは人形の心を縛るものである。と同時に、人と人形を隔てる「鏡」であり、第三段落で見たように、「鏡一枚」は「死を禁止されていること」であるから、ガラスのリボンが解かれることによって、人形も死ぬことができる。第一段落で見たように、「ガラスビン」は夢の入れ物であり、ガラスのリボンを解くことによって、完全な同化や、夢を裏切る可能性ももたらすものだろう。
『KATAN DOLL』が写真集であることを考えるならば、「ガラス」がしばしば写真の比喩となることも想起される。見るものと人形、写真の外部と内部を隔てるものがガラスである。さらに、人形をガラス越しに撮影した写真(6頁)、鏡に映った人形を撮影したもの(20頁、36頁、49~52頁、53頁)、背景に鏡が用いられたもの(7頁、45、46頁)などがあり、鏡やガラスが重要な小道具として用いられていることが分かる。殊に、錆びた鏡や罅割れた鏡(7頁、36頁、45、46頁、49~51頁)が用いられることに注意したい。天野の人形において特徴的とされるのが「ギラギラ光る自作のグラスアイ」(再掲)であることも、視線とガラスとの関係を想起させて面白い。
ただし、単なる「ガラス」ではなく、「ガラスのリボン」であることは注目に値する。ガラスでリボンを結ぶことはできないからである。そこで次節では、ガラスのイマージュを解きほぐすことによって、「ガラスのリボンを解く」ことの意味合いを明らかにしたい。
3、ガラスのイマージュ
ガラスはその透明性から、言葉や、外界と内面を隔てるものの比喩となる。例えば人形をモチーフとした作品もある、独特な文学世界で知られる山尾悠子は、自らの創作行為を「硝子で出来た城」を「築いては壊す作業」に喩えている(10)。また、森茉莉『甘い蜜の部屋』(11)では、主人公モイラの「心の中の部屋」が、「半透明」の「曇り硝子」(6頁)に喩えられる。漱石の『硝子戸の中』(1915年)というタイトルや、ベンヤミンの『パサージュ論』(12)におけるガラスを想起する人も多いだろう。女や人形との関連で言えば、ミッシェル・カルージュが論じたように、「独身者の機械」において重要なモチーフである(13)ことが想起される。
ここで注意したいのが、外界と内面を隔てるものとしてのガラスはあくまでも通り抜けられないものであるが、通り抜けられるものとなるときに、薄膜と化す描写が見られることである。
アリスが鏡を通り抜けることができたのは、それがガーゼあるいはもやみたいになったからである。(中略)ここでも鏡面は、束の間、いわば水面と化すことで、その「超越性」をまっとうするのである。(14)
ここで『鏡の国のアリス』を例に考察されたのは「鏡」であるが、水面に比されるものとして、ガラスについても類似する機能が考えられるだろう。
ほぼ同時期の作品だが、笙野頼子『硝子生命論』(15)においても、ガラスの比喩が重要なモチーフとなる。『硝子生命論』は「死体人形」と名づけられた人形と、失踪した人形作家をめぐる物語であるが、人間の世界と人形の世界が後半において反転する。世界を反転させる装置として、「布」のような、「スクリーン」としての硝子が描かれるのである(181頁)。
したがって、「ガラスのリボン」には、内部と外部の境界でありながら、それを曖昧にし反転させる、布や薄膜としてのガラスのイマージュが根底にあると考えられる。それゆえにこそ、「ガラスのリボンを解く」ことで、人形が主体的に愛し語りかけ、謎をかけることができる。「客体としての少女」ではなく、主体的に内面を表現することができるのである。
注
(1)トレヴィル。なお、2007年にエディシオン・トレヴィルで再販。
(2)『yaso夜想 特集ドール』2004年10月。
(3)初出『芸術生活』1972年4月号、引用は『澁澤龍彦全集 12』(河出書房新社、1994年)による。なお、日本におけるベルメール紹介の初出は『みづゑ』384号(1937年)とされる(宮川尚理、編集部「ハンス・ベルメール&ウニカ・チュルン年代記」『yaso夜想/特集『ハンス・ベルメール―日本の球体関節人形への影響』』2010年12月)。
(4)今野裕一、天野昌直「人形作家列伝」(『ユリイカ』2005年5月号)中の天野の発言。
(5)1998年に出版元であったトレヴィルが活動を停止した後、「著作権の関係で」(「吉田良インタビュー」『TH叢書№19 特集・ドール~人形の冷たい皮膚の魅惑』アトリエサード、2003年9月)再版されず、可淡の作品集は入手困難な状況が続く。2004年2月に東京都現代美術館で開催された「球体関節人形展」においても、出展はされるものの図録に収載されていない。可淡の作品集は、トレヴィルの活動を引き継いだエディシオン・トレヴィルにおいて、2007年にようやく出版されている。1990年の事故死と1998年以降の絶版状況から、可淡は2000年代前半、いわば伝説の人形作家であった。
(6)小川千恵子「ニッポンの球体関節人形事情―出品作家解説」(『映画「イノセンス」公開記念・押井守監修 球体関節人形展・DOLLS OF INNOCENCE』図録、東京都現代美術館、2004年2月)。
(7)注6に同じ。
(8)吉田良「関節人形に宿るもの」(『yaso夜想/特集『ハンス・ベルメール―日本の球体関節人形への影響』』注3参照)中のインタビュアー、今野裕一の発言。なお、ここでは、天野のパートナーであり、天野の人形を撮影した人形作家・写真家の吉田良についても言及されている。
(9)写真、片岡佐吉『天野可淡 復活譚』KADOKAWA、2015年。
(10)『山尾悠子作品集成』パンフレット。国書刊行会、2000年。
(11)1975年。本文引用は『森茉莉全集4』1993年、筑摩書房による。
(12)1923年~1940年。今村仁司他訳『パサージュ論』1~5巻、岩波書店、1993年。
(13)『独身者の機械―未来のイヴ、さえも…』高山宏、森永徹訳、ありな書房、1991年。
(14)谷川渥「ナルキッソス変幻」(『鏡と皮膚』ポーラ文化研究所、1994年→ちくま学芸文庫、2001年)。
(15)河出書房、1993年。