人形と動物の文学論

人形表象による内面表現を切り口に、新しい文学論の構築を目指す。研究と日常、わんことの生活、そしてブックレビュー。

日本文学Ⅰ(第3回):『源氏物語』の植物と子供の比喩

2020-05-26 17:49:31 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

※事前に『源氏物語』植物と子供の比喩、および女三の宮と季節を扱うとアナウンスしていましたが、資料の量が増えてしまったため、内容を半分にし、今回は植物と子供の比喩のみ扱うこととしました。女三の宮と季節については、次回扱います。

 今回は『源氏物語』の中で、植物が子供と関わって用いられる場面を見ていきます。まず、第1回目でも少し表現した、「なでしこ」から。

1.『源氏物語』のなでしこと常夏

『源氏物語』の「なでしこ」として有名なのが、雨に降りこめられた夜、宮中で若い公達が集まって女性談義をする、いわゆる「雨夜の品定め」と呼ばれる場面のなかで、源氏のライバルである頭中将(最終的には致仕大臣)が話すエピソードです。娘を産んだもののはかなく逃げていなくなった女性との贈答に「なでしこ」「とこなつ」という表現があらわれます。

場面①
 「(後に別のところから聞いた話によると、頭中将の正妻から嫌がらせを受けたらしく、心細かったのか)なでしこの花ををりておこせたりし」
 (中略)
   山がつの垣ほ荒るともをりくにあはれはかけよなでしこの露
 (中略)
   咲きまじる色はいづれとわかねどもなほ常夏にしくものぞなし
 やまとなでしこをばさしおきてまづ「塵をだに」など親の心を取る。
   うちはらふ袖も露けきとこなつにあらし吹きそふ秋も来にけり(帚木、1巻54~55頁)

【口語訳】(頭中将)「……(女が)なでしこの花を折って贈ってきたのだった」(中略)
(女)身分が低い山人のような私の庭の垣根が荒れたとしても(私への愛情が薄れたとしても)折々に情けの露(涙)をかけてください、撫でし子である子供、なでしこの花に。
(頭中将)なでしこと咲きまじっている色がどちらかわからないように、子供への愛情とあなたへの愛情がどちらがどちらかはわからないけれども、やはり常夏であるあなたに似るものはない(あなたは格別である)。
「やまとなでしこ」(子供への思い)をさしおいて、まず「塵をすら(据えまいと思う、咲いてからずっと恋人と私が寝る寝床、常夏の花を)」などの親(である女への愛情)の意味を取る。
(女)うちはらう袖も涙で露っぽい床の、常夏の花に嵐(正妻からの嫌がらせを暗示するか)が吹きそう秋のような、あなたの私への飽きが来てしまった。

 この場面について、諸注では、「山がつの…」の歌について、
『古今和歌集』巻第十四 恋四
695 あな恋し今も見てしが山賤の垣ほに咲ける大和撫子

が響く、「塵をだに」について、
・『古今和歌集』巻第三 夏
     隣より、常夏の花をこひにおこせたりければ、惜しみてこの歌をよみてつかはしける  凡河内躬恒
167 塵をだにすゑじとぞ思ふ咲きしより妹とわが寝るとこ夏の花

が引歌として指摘されています。

「とこなつ」は「なでしこ」の異名ですが、「とこ(床)」の連想から男女関係と結びつきます。
☆「なでしこ」…「撫でし子」という掛詞から子供を連想させる。
☆「常夏」…「床」(とこ)という掛詞から男女関係を連想させる。

 ちなみにこの女性は、続く夕顔巻で名乗らないまま源氏の恋人となり、二人でゆっくりと過ごそうと訪れた、源氏の所有する荒れ果てた邸宅で急死する、「夕顔」と呼ばれる女性です。
 ここで「なでしこ」にたとえられる娘は、長らく行方不明になっていましたが、のちに源氏の養女として引き取られ、「玉鬘」と呼ばれるようになります。紫の上つきの女房となった、かつて夕顔の女房だった右近と、長谷寺で再会したことがきっかけでした。

 次に、第1回の授業でも紹介した、源氏と藤壺の贈答をあげておきましょう。

場面② 藤壺中宮が若宮(のちの冷泉院、実は源氏との子供)出産後、前栽の常夏に付けて、源氏が撫子の花に若宮を重ねる歌をよこす。
(源氏)よそへつゝ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花
  花に咲かなんと思ひたまへしも、かひなき世に侍りければ。
 とあり。さりぬべきひまにやありけむ、御覧ぜさせて、「たゞ塵ばかり、この花びらに」と聞こゆるを、わが御心にも、ものいとあはれにおぼし知らるゝほどにて、
(藤壺)袖ぬるゝ露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまとなてしこ(紅葉賀、1巻254頁)

【口語訳】(源氏)「(撫子の花と若宮を)なずらえて(=たとえて)見るにつけても、心は慰められないで、撫子が露に濡れるように、涙がちになる撫子の花である。
(若宮が)花と咲いてほしい(=成長してほしい、繁栄してほしい)と思い申し上げていたことも、甲斐のない世の中でしたので。」
とある。そのような機会があったのか、ご覧にならせて、(王命婦=源氏を手引きした藤壺の女房)「ただ塵ばかりでも(引歌あり)この花びらに(お返事を)」と申し上げるのにつけて、藤壺自身の御心にも、ものがたいへん悲しく思い知られる頃であったので、
(藤壺)「袖が濡れる露と縁があるように、涙を誘うものであるにつけても、やはり疎ましく思われた/思われないやまとなでしこである」

 藤壺は源氏との密通関係を厭い、歌を返すこともなくなっていましたが、自分でも「ものいとあはれ」に思い知られるときだったため、歌をちょっと書きつけます。「塵ばかり」の部分には、場面①に関しても引歌となっていた、「塵をだに…」の歌が引かれています。

 ここでは「撫子の花」は「撫でし子」から、子供の比喩ですが、藤壺歌の「うとまれぬ」の「ぬ」は文法的には打消とも完了とも取れ、解釈が分かれています。
 現行の注釈書では玉上琢弥『源氏物語評釈』以外のほとんどが完了の意味で取っていますが、ツベタナ・クリステワ「涙と袖―平安朝の詩学―」が打消の解釈を提唱し、藤壺歌を本歌取りした俊成女の歌「咲けば散る花の憂き世と思ふにも猶うとまれぬ山桜かな」(『続古今集』春下、122、「洞院摂政百首歌に、花」)などを証歌としました。その上で「掛詞的に」完了、打消の両方の意味があると解釈することを提案しています(石川九楊責任編集『文学』第2号、京都精華大学文字文明研究所/ミネルヴァ書房、2004年1月)。
 藤壺は妊娠中も源氏との関係を厭い、妊娠したことを厭いますが、出産後には生への意欲のようなものを見せ、後の場面では子供への愛情のようなものも描かれます。当該歌には、そのような心の揺れがあらわれているのかもしれません。

2.岩根と若菜

 次に、第1回でも少し紹介した「岩根」と、「岩根」と同じ場面で詠まれている「若菜」について取り上げます。「若菜」はお正月に健康を願って食べるもので、それと関わって親の長寿などが願われることも多い素材です。

場面①源氏の四十賀(40歳のお祝い)に、たくさんの子どもたちを引き連れてきた玉鬘が、若菜を奉った場面。玉鬘が源氏に。
   若葉さす野辺の小松を引きつれてもとの岩根をいのるけふかな
 とせめておとなび聞こえ給ふ。沈のをしき四つして、御若菜、さまばかりまゐれり。御かはらけ取り給ひて、
   小松原末のよはひに引かれてや野辺の若菜も年をつむべき(若菜上、3巻235~236頁)

【口語訳】(玉鬘)「「野辺の小松」つまり子どもたちを引き連れて、そのような今日をつくる元となった「岩根」つまり源氏の長寿を祈る今日であることよ」と強いて大人らしく申し上げなさる。沈(香木の名)の折敷(角盆)を四つして、若菜をようすばかり献上した。源氏は御かわらけ(器)をお取りになって(源氏)「小松原の末(玉鬘の子供たち)の年齢にひかれてか、野辺の若菜である私も年をとるはずである」

 玉鬘は源氏の養女ですが、この場面ではすでに結婚して子供もたくさんいます。
 玉鬘の歌の「野辺の小松」は子供たち、「もとの岩根」は源氏をさします。自らを育ててくれた(と言っても成長後に貴族の女性としての教養や振る舞い方を身につけさせてもらった、という感じなのですが)源氏のことを、自らの元にある「岩根」にたとえる意味合いです。
 一方の源氏歌では、玉鬘の子どもたちを「小松原の末」にたとえつつ、自らは「野辺の若菜」という、別の植物にたとえています。源氏と玉鬘の子供たちに直接の血縁関係がないことと関わっているのでしょうか。

 次に、第1回でも紹介した場面を見ておきましょう。女三の宮は柏木に密通され、妊娠、無事出産するものの出家します。その後柏木は絶望して病重くなり死にます。若君の50日のお祝いの日、源氏は女三の宮に歌を詠みかけます。

場面②源氏が若君(実は柏木の子供)のことで女三の宮に嫌味
(源氏)「たが世にか種はまきしと人とはゞいかゞいはねの松はこたへん
 あはれなり」(柏木、4巻30~31頁)

【口語訳】(源氏)「誰の世にまいた種か(=誰の子供か)と人が尋ねたら、どのようにものを言わない岩根の松のようにものを言わない子供は答えるだろうか。
可哀想だ」

 この歌では、「岩根」と「言わね」を掛け、「いわねの松」に若君を喩えています。「種をまく」は子供をつくることの比喩であり、血縁上の父親を意識した表現が用いられています。
 この源氏の歌を柏木は知らないはずなのに、次に引用する柏木の遺文には、同想の表現が用いられています。…というか、この場面では柏木はすでに死んでいますから、逆ですね、柏木が遺書として書いた文の内容を知らないのに、源氏の歌にも同じ表現が用いられています。

場面③橋姫巻で、出生の秘密が明かされたのち、弁から薫の手に渡された柏木の遺文。
 めづらしく聞き侍る二葉のほども、うしろめたう思うたまふる方はなけれど、
   命あらばそれとも見まし人知れぬ岩根にとめし松の生ひ末(橋姫、4巻334頁)
【口語訳】(病床の柏木)めったになく素晴らしく聞きました二葉(=子である若君、薫)の様子も、気がかりに思い申し上げる方向はない(=心配することのないような立派な環境にあること)が、/命がもしあるならば、岩根から生えた松のような、言うことのできない私の子供である若君(薫)の生い末を、それと見たいものであるのに。

 源氏死後の世界を描く宇治十帖の中の一場面です。薫は自分の出生について疑問をいだく暗い若者に成長していました。薫は興味のある仏道のことをよく知る存在として訪ねていた宇治の八の宮(源氏の弟にあたる、政争に巻き込まれて敗れ、不遇)の邸宅で、出生の秘密を知る古女房(年老いた侍女)・弁に出会います。出生の秘密が明かされたのち、弁は柏木の遺文を薫に渡します。
 ここでは「松」は若君(後の薫)をたとえており、「人知れぬ岩根」は、「言はね(言わない)/岩根」の掛詞で、人に知られない秘密の子を意味します。

「若菜」関係の場面も、もう少し見ておきましょう。八の宮は山(聖の僧坊)でこもって(仏道修行)いたときに風邪か何かをこじらせて死んでしまいます。その次の正月、聖の僧坊から八の宮の姫君たちのもとに山菜が届きます。

場面④八の宮死後初めての新年、阿闍梨から姫君たちのもとに芹、蕨など届く。
 聖の坊より、「雪消えに摘みてはべるなり」とて、沢の芹、蕨などたてまつりたり。(中略)
  君が折る峰のわらびと見ましかば知られやせまし春のしるしも
  雪深きみぎはの小芹誰がために摘みかはやさん親なしにして
 など、はかなきことどもをうち語らひつつ、明け暮らしたまふ。(椎本、4巻372頁)

【口語訳】聖の僧坊から、「雪消えに摘んだのです」と言って、沢の芹や蕨などを献上した。(中略)
(大君)君(亡き父八の宮)が折る峰のわらびとして見るならば、春のしるしも知られるであろうに(春なんか感じることはできない)。
(中君)雪が深い水際の小芹を誰のために摘んで楽しもうというのか、親がいないのに。
など、なんでもないことをお互いに語り合いながら、日々をお暮しになる。

 ここでは、親のために若菜を摘むという発想が見られますが、でも親が亡くなっているので意味がないと言って、父八の宮の死と不在を嘆いています。「雪」と「つむ」は縁語です。

 次の場面にも、親のために若菜を摘むという発想が見られます。ただし、血縁上の親ではありません。

場面⑤浮舟(大君・中君の異母妹)は入水未遂した後、横川僧都たちに発見された。僧都の妹の尼は、娘を亡くしていたこともあり、浮舟を大切にする。妹尼と浮舟の贈答。
 若菜をおろそかなる籠に入れて、人のもて来たりけるを、尼君見て、
   山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生ひさきの頼まるるかな
 とてこなたにたてまつれたまへりければ、
   雪深き野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年もつむべき (手習、5巻377頁)

【口語訳】若菜を粗末な籠に入れて、人が持ってきていたのを、尼君が見て、
(妹尼)山里の雪間の若菜を摘みお祝いして、やはり(あなたの)生い先が期待されるものであるなあ。
 と言って、こちらに差し上げなさったので、
(浮舟)雪深い野辺の若菜も、今からはあなたのために摘もう、私の年もあなたのために積もう。

 浮舟(大君・中君の異母妹)は、薫と匂宮(今上帝の第3皇子。明石中宮の所生。宇治十帖でもう一人の男主人公)との間で悩み、入水未遂します。意識を失い、木の下に倒れた浮舟はたまたま通りかかった横川僧都たちに発見されるのですが、僧都の妹の尼は、娘を亡くしていたこともあり、浮舟を大切にします。これは妹尼と浮舟の贈答です。
 浮舟歌の「つむ」は年を「積む」と、若菜を「積む」の掛詞で、今日からはあなたを親と思って、あなたのために若菜を摘もう、という発想が見られます。自分の年を親にあげて、その分親の長寿を寿ぐという発想の歌も多いため、この歌もそういう文脈で読むことができますが、浮舟が入水未遂後助けられた存在であることを思うと、これからは親代わりである妹尼のために生きよう、という気持ちもありそうです(妹尼はそのことを知らないので、伝えようという意図はないと思いますが)。

 以上、「岩根」と「若菜」についてまとめておきます。
☆場面②、③…「岩根」=「言はね」が掛かることで出生の秘密
☆場面①、③…自らの命と、齢と子孫の「末」、将来
☆場面①、④、⑤…親(代わりの存在)のために自らの年齢を「つむ」
☆場面①、⑤…血縁ではなく親代わりの存在

 さて、「若菜」とも少し似ていますが、次に山菜をめぐる表現を見ておきます。

3.ところと竹の子

 具体的には、ひげ根のある山芋科の植物である「ところ(野老)」と、「竹の子」について見ていきます。

場面①源氏が須磨・明石に流謫していたころの都の人々の生活を回想する書き出し。紫の上の生活。
    竹のこのよのうき節を、時\/につけてあつかひきこえ給ふに慰め給ひけむ(蓬生、2巻132頁)
【口語訳】竹の子のよ(節と節の間)のようなつらい世の中を、折々につけてお世話し申し上げなさることで慰めなさっていたのか

「世」と「よ(節と節の間)」、「こ」に「竹の子」の「こ」と「この世」の「こ」が掛けられており、憂き世を表すための修辞です。ここでは特に子供の意味は掛かっていませんので、次に行きましょう。

場面②源氏と玉鬘の贈答。
 御前近き呉竹の、いと若やかに生ひ立ちて、うちなびくさまのなつかしきに立ちとまり給うて、
   「ませのうちに根ふかくうゑし竹の子のおのが世ゝにや生ひわかるべき
  思へばうらめしかべい事ぞかし」と、御簾を引き上げて聞こえ給へば、ゐざり出でて
   「いまさらにいかならむ世か若竹の生ひはじめけむ根をばたづねん
  なか\/にこそ侍らめ」(胡蝶、2巻413頁)

【口語訳】
(玉鬘の)庭前近くの呉竹が、とても若々しく生い立って、ちょっとなびいている様子が心が引かれる感じであるのに立ち止まりなさって、
(源氏)「垣の内に根深く植えた竹の子が、それぞれの世に生えて分かれるものである(ようにあなたも自分の親に会いたいだろう)
思えばうらめしく思うはずのことであるだろう」と、御簾を引き上げて申し上げなさると、(玉鬘は)いざり(膝をついて動くこと、平安時代の姫君は立ち上がることがはしたないとされたため、基本いざりで動く)出て、
(玉鬘)「今さらにどんな世に若竹が生え始めた元の根(実の父親)を訪ねることだろうか
かえって中途半端なものでしょう」

 源氏は夕顔の遺児である玉鬘を引き取りますが、ここではまだ実際の父親である内大臣(かつての頭の中将。最終的に致仕大臣の子)には彼女が内大臣の子であることを知らせていません。
 「竹の子」の「子」と子供の「子」、世の中の意味の「世」と「よ(竹の節と節の間)」が掛詞となっており、玉鬘が実の父親に会いたいのではないかとよみかける源氏に対し、玉鬘は今更実の父親を訪ねたりはしません、と返しています。

 さあ、次の場面が、私が『源氏物語』の中で一番好きな場面です。
 女三の宮出家後、父の朱雀院はちょっとしたことにつけても消息を送るようになります。朱雀院の修行する山寺の近くで山菜が取れたというので、それにつけて文を贈ってきました。

場面③-1 出家後の女三の宮のもとに、朱雀院から山菜が贈られる。
  春の野山、霞もたど\/しけれど、心ざし深く掘り出でさせて侍るしるしばかりになむ。
    世を別れ入りなむ道はおくるともおなじところを君もたづねよ
  いとかたきわざになむある。
 と聞こえ給へるを、涙ぐみて見給ふほどに、おとゞの君渡り給へり。
  (中略)
   憂き世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ
 「うしろめたげなる御けしきなるに、このあらぬ所求め給へる、いとうたて心うし」(横笛、4巻49~50頁)

【口語訳】(朱雀院)「春の野山は、霞ではっきりしないけれど、(私の)こころざし深く掘り出させたしるしばかり(お贈りします)。/女三の宮のほうが世を分かれて入る道(出家)は遅れても、「おなじところ(野老/所)つまり同じ極楽を尋ねて下さい。/極楽往生するのは)とても難しいことである」と申し上げなさるのを、(女三の宮が)涙ぐみながらご覧になっていると、源氏がお渡りになる。(女三の宮)「「憂き世」ではないところに行きたくて、朱雀院が仏道修行する山路に思いこそ入るのだ」。(源氏)「(朱雀院が)気がかりそうな様子であるのに、この「あらぬ所」(=六条院ではない場所)をお求めになるのが、とてもひどくつらい」

 野老(ところ)は山芋科の植物で、鬚根がたくさん生えた様子から老人の姿が連想され、長寿を祈願するものです。筍は旺盛な繁殖力から成長の願いと、中国の故事から親への孝を意味することの多い植物です。
 ここでは、「所」と「野老」が掛けられており、極楽往生を呼びかける朱雀院に対し、女三の宮側でも、朱雀院が仏道修行する道に思いだけは行きたい、と答えています。
 今野鈴代「『源氏物語』の引歌表現―〝子〟をめぐる一様相―」(『国文鶴見』2004年5月)が、

 若菜上から柏木巻に「心の闇」が繰り返されていた父院の慨嘆の心情表出は変容して、ここでは「ところ」に焦点が当てられている。宮の返事も同様に「うき世にはあらぬところのゆかしくて背く山路に思ひこそ入れ」とあって、「野老」が父院と宮とを結ぶ装置として機能している。

と指摘するように、「野老」は朱雀院と女三の宮とを結ぶ装置であり、女三の宮出家前は、朱雀院からの女三の宮への思いは、俗世へと残る思いでしたが、当該場面では仏道修行や極楽往生と矛盾しないものに変わっています。
 また、女三の宮歌「あらぬところ」は漠然と憂き世ではない場所を意味していましたが、続く源氏のことばで六条院(源氏の邸宅)ではない場所、の意味に限定されます。

*〈その他先行研究〉大野妙子「「竹」のイメージ―横笛の巻の素材について―」(『日本文学誌要』1999年3月)、拙稿「『源氏物語』における「おなじところ」と「同じ蓮」―女三宮と朱雀院を中心に―」(『古代文学研究』第二次第14号、2005年10月)。「此君」という語に着目し、漢詩文との関わりを論じるものに桑原一歌「薫と「此君」―愛好の対象としての竹―」(『和漢比較文学』2007年2月)など。

*〈参考〉「ところ」の先蹤歌として諸注であげられるもの
・『拾遺和歌集』巻第八、雑
    題知らず     よみ人しらず
506 世の中にあらぬ所も得てしがな年ふりにたる形かくさむ

【口語訳】世の中ではないところを得たいものである、(そこで)年老いた(自分の)形を隠そう。

*〈参考〉「おなじところ」と「あらぬところ」は、野老の掛詞からは離れるが、源氏死後の世界である宇治十帖の主人公たちである、成長後の薫や、宇治大君、浮舟と関わって用いられる表現です。興味があれば読んでみてください。

 朱雀院と女三の宮の贈答では、贈られた「野老」と「竹の子」のうち、「野老」のみが読み込まれますが、「竹の子」がフォーカスされるのが、続く若君(後の薫)が登場する場面です。

場面③-2続く場面、若君(後の薫)が竹の子に興味を示し、かぶりつく。
 まみのびらかに、恥づかしうかをりたるなどは、なほいとよく思ひ出でらるれど、かれはいとかやうに際離れたるきよらはなかりしものを、いかでかゝらん、宮にも似たてまつらず、今よりけ高くもの\/しうさまことに見え給へるけしきなどは、わが御鏡の影にも似げなからず見なされ給ふ。
 わづかに歩みなどしたまふほどなり。この筍のらいしに何とも知らず立ち寄りて、いとあわたゝしう、取り散らして、食ひかなぐりなどし給へば、(中略)「(略)女宮ものし給めるあたりに、かゝる人生ひ出でて、心ぐるしきこと誰がためにもありなむかし。あはれ、そのおの\/の生ひ行くすゑまでは見はてんとすらむやは。花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞こえたまふ。(中略)
 御歯の生ひ出づるに、食ひ当てむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよゝと食ひ濡らし給へば、「いとねぢけたる色好みかな」とて、
   憂き節も忘れずながらくれ竹のこは捨てがたきものにぞありける(同、51~52頁)

【口語訳】(若君=後の薫の様子が)まなざしがのびやかで、こちらがはっとするほどつややかな感じがするのなどは、やはり(柏木に)よく似ているが、柏木はとてもこんな風に際立った清らかな美しさはなかったものを、どうしてこんな風なのだろう、女三の宮にも似申し上げず、今から気高く重々しく異なった様子に見えなさる有様などは、自分の御鏡の影にも似ていないこともないように見なされなさる。
 わずかに歩いたりなどする頃である。この筍のらいし(酒器)に何とも知らずに立ち寄って、とてもあわただしく取り散らして、つかみかかって食いついたりなさるので、(中略)(源氏)「(略)女宮(明石中宮の産んだ女一の宮、明石中宮の養母である紫の上のもとを里とする)がいらっしゃるあたりに、このような人が生まれ出て、不都合なことがだれにとってもあるだろうよ。ああ、その(=薫、女一の宮)それぞれの成長する行く末まで見届けることはできないだろう。花の盛りはきっとあるだろうが」と、見つめ申し上げなさる。(中略)
 御歯が生えだしたのに、食い当てようとして、筍をじっと握り持って、(唾液の)雫もぐっしょりと食い濡らしなさるので、(源氏)「とてもひねくれた色好みであるなあ」と言って、
(源氏)つらいこと(柏木の密通)も忘れないながらも、竹の子のようなその子供(若君=後の薫)は捨てがたきものであるなあ。

 この場面については、結構いろいろな先行研究があって、例えば源氏の「いとねじけたる色好みかな」発言について、のちのちの女一の宮へのあこがれや、「禁止」を植え付けたものとして解釈されたりなどもします。

*〈先行研究〉竹と横笛、薫との関わりに着目したものに、松井健児「『源氏物語』の小児と筍―身体としての薫・光源氏の言葉―」(『源氏研究』1、1996年4月→『源氏物語の生活世界』翰林書房、2000年)、高橋亨「横笛の時空」(『源氏研究』4、1999年4月→『源氏物語の詩学』名古屋大学出版会、2007年)、『源氏物語の鑑賞と基礎知識 横笛・鈴虫』「観賞欄 たかうなとたけのこ」平成14年(伊東祐子担当部分)など。

 源氏の歌では、「節」は「竹」の縁語であり、「竹の子」の「子」と子供の意味の「子」が掛けられており、「竹の子」は若君(後の薫)をたとえます。自分にも少し似ているかも、と思ってみたりして、実は密通の結果の子供である薫を、世間的には自分の子として受け入れるものとなっています。
 出家して「憂き世」を離れた朱雀院と女三の宮の贈答においては、極楽往生の意味合いで「同じところ」「憂き世にはあらぬところ」という表現が用いられ、「所」との掛詞で「野老(ところ)」が詠みこまれます。一方で「憂き世」に残された源氏は、「憂き世」とも縁の深い「竹」にかかわる表現で、「竹の子」にたとえて若君を受け入れるのです。

 ちなみに「竹の子」については、次のような歌が、先蹤歌や参考歌としてあげられ、親子間で親の寿命を願ったり、憂き世との縁で詠みこまれたりしています。

*〈参考〉竹をめぐる歌
・『古今和歌集』巻第十八 雑歌下                           
    物思ひけるとき、いときなき子を見てよめる 凡河内躬恒
957 いまさらになに生ひいづらむ竹の子の憂き節しげきよとは知らずや

【口語訳】もの思いをしたとき、幼い子供を見て詠んだ歌 凡河内躬恒
957 いまさらにどうして生まれだしてきたのだろう、竹の子のような子供が。竹の節がたくさんあるように、つらいことの多い世の中であると知らなかったのか。
・『詞花和歌集』巻第九、雑上
    冷泉院へたかむなたてまつらせ給ふとてよませ給ける 花山院御製
331 世の中にふるかひもなき竹の子はわがつむ年をたてまつるなり
    御返し 冷泉院御製
332 年へぬる竹のよはひを返しても子のよをながくなさむとぞ思ふ

【口語訳】冷泉院へ竹の子を差し上げなさるとしてお詠みになる 花山院の御作
331 世の中で過ごすかいもない竹の子は、私が積む年齢を(代わりにあなたに)たてまつるのである
    御返歌 冷泉院の御作
332 年を経た竹(私)の年齢を返しても、子であるあなたの世を長くしたいと思うのである
・『紫式部集』
    世を常なしなど思ふ人の、をさなき人のなやみけるに、から竹といふもの瓶にさしたる女房の祈りけるを見て
54 若竹のおひゆくすゑを祈るかなこの世をうしといとふものから

【口語訳】世を無常であると思う人が、幼い人が病気になったことに、唐竹というものを瓶にさしている女房が祈ったのを見て
54 若竹が生えてゆく行く末(幼い子供が成長する行く末)を祈るものであるなあ、この世をつらいものであると厭うものながら。

 以上、竹の子についてまとめておきましょう。

☆「竹の子」…玉鬘に関しては根=血縁上の父である致仕大臣(かつての頭中将)との関係が意識される。薫に関しては表向きの父親である源氏。
☆「岩根」…玉鬘に関しては養父である源氏を指す。薫に関しては隠された血縁の柏木。
☆「根」つまり子どもが生まれてくる根源と、「生ひ末」つまり成長する将来が意識される。
☆玉鬘も薫も、血縁上で源氏の子ではないが子として扱われ、その血縁上の父親は致仕大臣(頭中将)、柏木(致仕大臣の子)という同じ血縁。それゆえその「根」が意識される場合、遡れば同じ血筋。

 ちなみに、源氏死後の世界である続編の、「竹」をめぐる縁語が鏤められる竹河巻では、玉鬘や、成長後の薫が登場します。そこでは薫の血縁上の父親が意識され、場面③と共通する表現も多いので、興味があれば読んでみてください。

※今回、分量の関係で内容を2回に分けた関係で、今後各回の内容を以下のようにしたいと思います。
4週目(次回)…『源氏物語』女三の宮と季節
5週目…『紫式部集』における女性同士の絆
6週目…稚児物語『秋の夜長物語』における植物のイメージ(『御伽草子』の植物)
7週目…近世文学における花のイメージ
8週目…夏目漱石『それから』
9週目…尾崎翠『第七官界彷徨』
10週目…野溝七生子『山梔』
11週目…石井桃子『幻の朱い実』
12週目…まとめ

*『源氏物語』「拾遺和歌集」の引用は新日本古典文学大系、『古今和歌集』は新編日本古典文学全集、『紫式部集』は新潮日本古典集成による。すみません、『詞花和歌集』をどこから引用したのかわからなくなってしまいました…

第2回
第3回






 
 




日本文学Ⅰ(第2回):『古事記』(石長比売と木花之佐久夜毘売)と『万葉集』(植物のイメージ)

2020-05-18 14:55:44 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

 今回は上代の文学、『古事記』と『万葉集』の、花のイメージについて考えていきます。
 と言っても、『古事記』や『万葉集』で花はたくさん描かれる・詠まれるので、そのほんの一端ですが…。

1.『古事記』石長比売と木花之佐久夜毘売
 『古事記』に関しては、石長比売と木花之佐久夜毘売の話を取り上げます。姉の石長比売が石=永遠を象徴し、妹の木花之佐久夜毘売が花(桜)=繁栄を象徴するとされていて、『源氏物語』にも影響を与え、現代文学などでも踏まえられることのある有名なお話です。

【概要】石長比売は妹の木花之佐久夜毘売とともに瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に献上されたが、醜いために返され、その結果、石長比売に託されていた長寿の呪力を瓊瓊杵尊以下の天皇は失った。一方木花之佐久夜毘売は一夜で妊娠したが、瓊瓊杵尊に国つ神の子である(自分の子である)疑いを持たれたため、天神(あまつかみ、瓊瓊杵尊)の子であるならば災いなしと誓約をたてて、産屋を焼き火中で三人の子供を出産する。
(参考:『日本国語大辞典』『日本大百科全書』)

 それでは早速、『古事記』の本文(と言っても入力が大変なので書き下しからですが)を見てみましょう。

『古事記』
 是(ここ)に、天津日高日子番能邇々芸能命(あまつひたかひこほのににぎのみこと)、笠沙(かささ)の御前(みさき)にして、麗(うるは)しき美人(をとめ)に遇(あ)ひき。(中略)故(かれ)、其(そ)の父大山津見神(おおやまつみのかみ)に乞(こ)ひに遣(や)りし時に、大きに歓喜(よろこ)びて、其の姉(あね)石長比売(いはながひめ)を副(そ)へ、百取(ももとり)の机代(つくえしろ)の物を持たしめて、奉(まつ)り出(い)だしき。故(かれ)爾(しか)くして、其の姉は、甚(いと)凶醜(みにく)きに因(よ)りて、見(み)畏(かしこ)みて返(かへ)し送(おく)り、唯(ただ)に其の弟(おと)木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)のみを留(とど)めて、一宿(ひとよ)、婚(あひ)を為(し)き。
 爾(しか)くして、大山津見神、石長比売を返ししに因(よ)りて、大(おほ)きに恥ぢ、白(まを)し送(おく)りて言ひしく、「我(あ)が女(むすめ)二(ふたり)並(とも)に立(た)て奉(まつ)りし由(ゆゑ)は、石長比売を使(つか)はば、天つ神御子(みこ)の命(いのち)は、雪(ゆき)零(ふ)り風(かぜ)吹くとも、恒(つね)に石(いは)の如(ごと)くして、常(ときは)に堅(かちは)に動(うご)かず坐(いま)さむ、亦(また)、木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)を使(つか)はば、木(こ)の花の栄ゆるが如く栄(さか)え坐(ま)さむとうけひて、貢進(たてまつ)りき。此(か)く、石長比売(いはながひめ)を返(かへ)らしめて、独(ひと)り木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)のみを留(とど)むるが故に、天(あま)つ神(かみ)御子(みこ)の御寿(みいのち)は、木(こ)の花のあまひのみ坐(いま)さむ」といひき。(中略)
 故(かれ)、後(のち)に木花之佐久夜毘売、参(ま)ゐ出(い)でて白(まを)ししく、「妾(あれ)は、妊身(はら)みぬ。今、産(う)む時(とき)に臨(のぞ)みて、是(こ)の天つ神の御子は、私(わたくし)に産むべくあらぬが故(ゆゑ)に、請(まを)す」とまをしき。爾(しか)くして、詔(のりたま)ひしく、「佐久夜毘売、一宿(ひとよ)にや妊(はら)みぬる。是(これ)は、我(あ)が子に非(あら)じ。必ず国つ神の子ならむ」とのりたまひき。(中略)「吾(あ)が妊(はら)める子、若(も)し国つ神の子ならば、産(う)む時に幸(さき)くあらじ。若(も)し天つ神の御子ならば、幸(さき)くあらむ」とまをして、即(すなは)ち戸無き八尋殿(やひろどの)を作り、其(そ)の殿(との)の内(うち)に入(い)り、土(つち)を以(もち)て塗(ぬ)り塞(ふさ)ぎて、方(まさ)に産まむとする時に、火を以(もち)て其(そ)の殿(との)に著(つ)けて産みき。故(かれ)、其の火の盛(さか)りに焼(も)ゆる時に生める子の名は、火照命(ほでりのみこと)〈割注略〉。次に、生みし子の名は、火須勢理命(ほすせりのみこと)。次に、生みし子の御名(みな)は、火遠理命(ほをりのみこと)、亦(また)の名は、天津日高日子穂々手見命(あまつひたかひこほほでみのみこと)〈三柱(みはしら)〉。 (120~123頁)


【口語訳】 さて、天津日高日子番能邇々芸能命は、笠沙の御前で、美しい乙女に出会った。(中略、天津日高日子番能邇々芸能命が乙女にその名前ときょうだいがいるかを聞き、乙女に結婚したいと言うが、乙女が父に聞かなければ答えられないと言う)そこで、その父大山津見神に願い求めて使いを送ったところ、大山津見神はたいへん喜んで、その姉の石長比売とともに、たくさんの結納の品物を持たせて、差し出した。そこでそうして、その姉は、たいへん容貌が醜かったため、邇々芸能命は見て恐れて送り返し、ただその妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて、一晩の交わりをもった。
 それから、大山津見神は、石長比売を返されたことによって、大変恥ずかしく思い、申し送って言ったことには、「私の娘を二人共に差し上げたのは、石長比売を召しつかったならば、天の神様である御子の命は、雪が降り、風が吹いたとしても、常に石のように、不変盤石に動かないでいらっしゃるだろう、また、木花之佐久夜毘売を召しつかったならば、木の花(桜)の繁栄するように栄えるだろうと誓いを立てて、差し上げた。このように、石長比売を返させて、独り木花之佐久夜毘売だけを留めたために、天の神様である御子の御寿命は、木の花のように短い時間でいらっしゃるだろう」と言った。(中略)
 それから、後に木花之佐久夜毘売、参上して申したことには、「私は、妊娠した。今、産む時に臨んで、この天の神様の御子は、うちうちに産むべきではないために、申し上げる」と申し上げた。このようにして、邇々芸能命がおっしゃったことには、「佐久夜毘売は、一晩で妊娠してしまったのか。これは、自分の子ではないだろう。きっと国の神の子であるだろう」とおっしゃった。木花之佐久夜毘売は、「私が妊娠した子供が、もし国の神の子であるならば、出産するときに無事ではないだろう。もし天の神の御子であるならば、無事であろう」と申し上げて、すぐに戸のない八尋殿(高い神聖な建物)を作り、その建物の中に入り、土で戸を塗りふさいで、今まさに出産するときに、火をその建物につけて産んだ。そして、火が盛んに燃えているときに生んだ子の名前は、火照命。次に、生んだ子の名前は、火須勢理命。次に、生んだ子のお名前は、火遠理命、またの名は、天津日高日子穂々手見命。

※古代には、姉妹で同じ男性と結婚することがあった。
※『日本書紀』(本編のほう)では、石長比売は登場せず。
※『日本書紀』一書においては、父の大山津見神ではなく、石長比売自身が「大(おほ)きに慙(は)ぢて詛(とご)ひて」(141頁)、また一書に「恥(は)ぢ恨(うら)みて唾(つば)き泣(な)きて」(141頁)、自分を返したため、天皇の一族は木の花のようにはかない命になる、と言っている。また別の一書(第三)には、「及(また)母(はは)も少しも損(そこ)なふ所(ところ)無し」ということ、竹刀でもってへその緒を切り、その竹刀を捨てるとそこが竹林になったことが書かれている(143頁)。

 ここで木花之佐久夜毘売は一夜にして三人もの子供を妊娠しているので、まさに豊穣な繁殖力を示しています(しかも火を放っても無事出産)。

 木花之佐久夜毘売が花(桜)=豊穣、石長比売が石(鉱石)=永遠を象徴していると言うことに関しては、例えば金井清一「石長比売と木花之佐久夜毘売―神話に見る女の美と醜―」(『国文学 解釈と鑑賞』1987年11月号)
・ フレーザーによってバナナタイプと名づけられたところの、広く太平洋地域に分布する人間の死の起源を説く神話(30頁)
・ 神来迎の場所としての聖なる岩石と樹木とが、そのイメージを神迎えの巫女に移したとき、樹木は木花となって豊穣の栄えを象徴し、対するに岩石は永生の象徴(33~34頁)
・ 穀霊ニニギは自らの機能を発揮すべく適切な女性としてサクヤビメを選んだ(34頁)
・ イワナガヒメを醜いと述べるのは古事記と書紀の第二の一書(同)


など、様々に指摘されているのですが、面白いのが、石(鉱石)には、近現代文学を見ても、独身者的イメージが強いことでしょう。
 例えば鉱石を好み、作品中でも様々な功績が描かれる宮沢賢治は一生独身でしたし、だいぶん時代は現代になりますが、同じく鉱石を好んで描く、長野まゆみの小説に登場する少年のイメージなどを思い浮かべてもよいでしょう。

〔後代の変奏〕
 この話は後代の物語にも取り入れられていて、たとえば『源氏物語』では、容貌の醜さが描かれる末摘花について、石長比売のイメージがあると言われています。

・『源氏物語』の末摘花
 まづ居丈の高く、を背長に見え給ふに、さればよと胸つぶれぬ。うちつぎて、あなかたはと見ゆるものは鼻なりけり。ふと目ぞとまる。普賢菩薩の乗物とおぼゆ。あさましう高うのびらかに、先の方少し垂りて色づきたること、ことのほかにうたてあり。色は雪はづかしく白うてさをに、額つきこよなうはれたるに、なほ下がちなる面やうは、大方おどろおどろしう長きなるべし。痩せたまへること、いとほしげにさらぼひて、肩のほどなどは、痛げなるまで衣の上まで見ゆ。(中略)
 頭つき、髪のかゝりはしも、うつくしげに、めでたしと思ひきこゆる人くにもをさく劣るまじう、袿の裾にたまりて引かれたるほど、一尺ばかりあまりたらむと見ゆ。(末摘花、1巻224~225頁)


【口語訳】まず座った丈が高く、座高が長くお見えになるのに、そうであったよと、胸がつぶれる。続いて、ああみっともないと見えるのは鼻である。ふと目が留まる。普賢菩薩の乗物(象)のようである。驚きあきれるほどに高く長く、先のほうが少し垂れて赤く色づいていることが、ことのほかにひどい。顔色は雪が恥ずかしいと思うくらい青白く、額がはれて高く、それでもなお下のほうほど長くなっているような顔だちは、だいたい恐ろしく長いのであろう。痩せていることは可哀想になるくらいで、肩の様子などは衣の上からでも痛々しく見える。
頭のかたち、髪のかかった端のほうも、美しく、素晴らしいと思い申し上げる人々にもほとんど劣りはすまい、袿の裾に一尺(約30センチメートル)ばかりあまっているように見える。

 末摘花は、容貌の醜さが描写されるとともに、古風な性格をしており、桜にたとえられる若紫と対比的に描かれます。それとともに、光源氏の須磨流離中も待ち続ける動かなさ、盤石さがあるので、先行研究では、例えば平沢竜介「『源氏物語』と『古事記』日向神話―潜在王権の基軸―」(『王朝文学の始発』笠間書院、2009年、初出『古代中世文学論集』15集、2005年)が、

 『源氏物語』では、光源氏は醜い末摘花まで受け容れる。このことは源氏の美質を語るとともに、石長比売に比定される末摘花をも受け容れることで、(中略)、彼の栄華が絶対、不動のものとなることを意味する狙いがあったと思われる。(中略)このように見てくると、『源氏物語』は石長比売、木花之佐久夜毘売の姉妹をモチーフにして、末摘花、紫の上を造型したと想像される。(377頁)

などと指摘しています(もっとほかにもあったと思うのですが、ちょっと発掘できませんでした、すみません)。

・京極夏彦『絡新婦の理』(講談社、1996年)
 だいぶん時代は飛びますが、この話は、現代小説の中にも取り入れられています。
 例えば、京極夏彦『絡新婦の理』。『絡新婦の理』は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』に描かれる妖怪をモチーフとする、「百鬼夜行シリーズ」の第四作です。「百鬼夜行シリーズ」では、古本屋にして陰陽師の京極堂こと中禅寺秋彦、作家の関口巽、探偵の榎木津礼二郎、刑事の木場修太郎などが登場し、京極堂が「憑き物落し」をするのですが、本作では1953年の房総半島、女学校である聖ベルナール女学院と、織作家という旧家が舞台となります。このなかで、織作家の姉妹(四姉妹)に石長比売、木花之佐久夜毘売が重ねられているのです。
 例えば、本シリーズはいわゆる普通の探偵小説における探偵役にあたる、京極堂が様々な蘊蓄を述べていくのですが、その中で明確に石長比売と木花之佐久夜毘売の物語に言及しています。
 京極堂はこの話を母系社会と家父長制の葛藤として見て、石長比売が返されたとある部分について、

「――そして長女は永遠に家から出ない」(741頁)「姉神は返されたのではなく、貰えなかった」「そこで、醜いからこっちから返したのだ――と云う自尊心を賭けた弁解をつけ加えた」

などと解釈しています。あるいは、木花之佐久夜毘売が出産時に火を放ったことについては、

 木花佐久夜毘売はそう(自分の子ではないのではないか、と。引用者注)云われても物怖じすることなく、これが貴方の子でないのなら、産むときに幸はないと云って産屋に火を放ち、三柱の神を産む。これは男の側から見れば抗議行動ですが女にしてみれば確信犯でしかない。生まれて来るのが誰の子か――解らないのは男だけです。(745頁)

と言っています。
 織作家の三女の葵がフェミニストという設定で、京極堂は彼女に対する「憑き物落とし」として説明している面もあるのですが、これが1953年当時のフェミニズムや神話学、文化人類学をどの程度意識して、どの程度アレンジしているものなのかはちょっと調べていません(すみません)。
 また、母系一族で豊穣な繁殖力を求められる一族の中にあって、「半陰陽」で「医学的には」「男性」、

 主義主張や思想とは無関係に――生殖行為が出来ぬ女なのです。妊娠出産と云う、幾重にも女性を縛るメカニズムが本来的に欠落しているのです。(793頁)

と言う葵には、結婚しない石長比売のイメージも重ねられているかもしれません。一方で結末まで唯一生き残る次女の茜は、

  「あなたは漸く石長比売から木花佐久夜毘売へと、その姿を転じた訳ですね」
  桜色の女は少し首を傾けて、さあ、どうなのでしょうか――と、柔らかい声で答えた。(828頁)


というやり取りがあるように、結末に至って、石長比売から木花之佐久夜毘売へとイメージが転換しています。

・はらだ有彩「花とヤバい女の子 コノハナノサクヤヒメ(古事記/日本書紀)」
 フィクションではありませんが、はらだ有彩のエッセイ「花とヤバい女の子 コノハナノサクヤヒメ(古事記/日本書紀)」(『日本のヤバい女の子 静かなる抵抗』柏書房、2019年)のなかでも、この話が取り上げられています。このエッセイは、昔話や古典に登場する女性をモチーフとしながら、女性のしんどさを考えていくもので、もともとの物語との距離の取り方がちょっと独特で、アダプテーションについて考える上でも面白い本です。

 はらだはこの話を分かりやすくて読みやすい現代語で説明した後、2015年3月に公開になって炎上したルミネのCMを取り上げながら、「職場の花。(中略)なぜか花は圧倒的に女性と結び付けられる。なぜだろう?」(194頁)と問いかけます。そして、花=容姿の華やかさという比喩を、

 サボっていたら花にはなれない、花になれるよう変わりたいと思うことが正しい、というメッセージをルミネのCMは発信した。イワナガヒメはサボっていたから醜いと言われ、花になれなかったから拒絶されたのだろうか。というか、そもそも花にならなければいけないのだろうか。(中略)
 花がヒトのためにうつくしく咲いていると考えるのがお門違いなら、石はヒトの目にうつくしくないから価値が低いという発想もお門違いだ。イワナガヒメは盤石さを司る鉱物の象徴としてニニギのもとへ出向いたにもかかわらず、花として来たことにされていた。(195頁)


として、現代に生きる女性に対する、「美しくあれ」という呪いの問題と結びつけて考えます。
 ついでに木花之佐久夜毘売が出産時に火を放ったことについては(まあ現代風に考えたらダメな男でしかないよね、なニニギに対して)、

 ナメられたままでこの先も関係を続けていくことは不可能だ。彼女は尊厳を守るために火を放ったのかもしれない。(197頁)

と、考えています。

 こんな風に、花=繁栄=美しさを象徴する木花之佐久夜毘売と、石=永遠性を象徴する石長比売の物語は、後代の物語や現代小説、エッセイにも様々に取り入れられています。
 『源氏物語』末摘花は、(桜=木花之佐久夜毘売である紫の上に対し)石長比売のイメージが重ねられており、光源氏の権力に盤石さをもたらすと指摘されています。
 現代の探偵・妖怪小説『絡新婦の理』のなかでは、母系社会と家父長制の葛藤の物語と解釈されながら、姉妹モチーフとして取り入れられています。エッセイ『ヤバい日本の女の子』のなかでは、この物語について考えることで、美しくあれ、という女性に対する抑圧(呪い)のかたちを浮かび上がらせています。

2.『万葉集』におけるなでしこ

「なでしこ」
ナデシコ科の多年草。山野に自生し、淡紅色の花が咲くカワラナデシコがその代表ともいうべきもの。中国から伝わった石竹を「からなでしこ」というのに対しては、「やまとなでしこ」と使われた。その可憐な姿から、『万葉集』にもよく詠まれ、二六首が数えられる。
(『歌ことば歌枕大辞典』 )


 なでしこが詠まれる歌は、万葉集の中で26首もあるので、ちょっと今回の授業の中では全部取り上げられません。私は特に家持のなでしこ歌が気になっているので、家持とか家持周辺の人たちの歌を中心に取り上げますが、それもほんの一部です。

『万葉集』におけるなでしこ(一部)
(巻第八)大伴家持が石竹(なでしこ)の花歌一首
1496 我がやどのなでしこの花盛りなり手折りて一目見せむ児もがも

【口語訳】私の庭のなでしこの花が盛りである。手折って一目みせてやれるような子がいたらよいのに。
 ここでは、「我がやど」のなでしこが詠みこまれており、特に誰かがたとえられているということはないようです。ですが、なでしこを見せてあげられる子がいれば…ということで、子供のイメージはあるのでしょう。

(巻第八)大伴家持が紀女郎(きのいらつめ)に贈る歌一首
1510 なでしこは咲きて散りぬと人は言へど我が標(し)めし野の花にあらめやも

【口語訳】なでしこは咲いて散った(=女性が心変わりをした)と人は言うが、私がしるしをつけておいた野の花(=あなた)ではよもやないだろうね。
 ここでは、「我が標めし野」にあるなでしこの花、ということで、自分と恋人関係にある女性をさしています。「標む」とは、野などに印をつけて自分の場所であることを主張する、という意味です。

(巻第八)笠女郎(かさのいらつめ)が大伴宿彌家持に贈る歌一首
1616 朝ごとに我が見るやどのなでしこが花にも君はありこせぬかも

【口語訳】毎朝私が見る庭のなでしこの花でもあなたはあってほしいのに。
 ここでは家持が「宿のなでしこ」であってくれたらいいのに、と思われているので、なでしこによそえられるのは男性です。

(巻第十七)
4010 うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む
    右、大伴宿彌池主が報(かへ)し贈る和(こた)への歌。五月二日

【口語訳】恋しく思う私の恋人はなでしこの花でもあってくれたらよいのに、毎朝見よう。
 右は、大伴宿彌池主が(家持に)返し贈る唱和の歌である。五月二日。
 これは、前の家持の贈歌を切ってしまったので分かりにくいかもしれませんが、男性官人同士の贈答です。あたかも恋人同士であるかのようにして詠んで、親しみを表現するもので、家持や家持周辺の男性官人たちは、よくこういう歌を詠んでいました。
 送り主の池主も、「我が背の君」と呼び掛けられる家持も男性ですが、恋の贈答歌を偽装した歌ですので、どちらかが女性役になっているのかもしれません(し、男性同士のままなのかも)。なので、ここでのなでしこが女性イメージなのか男性イメージなのかは、もう少し調べてみないとわかりません。

(巻第十八)反歌二首
4114 なでしこが花見るごとに娘子(をとめ)らが笑(ゑ)まひのにほひ思ほゆるかも
(4115番歌略)
    同じ閏五月二十六日に、大伴宿彌家持作る。

【口語訳】なでしこの花を見るたびに、女性(ここでは妻の坂上大嬢)の笑みの美しさが思い出されるよ。

 ここではなでしこの花が女性の顔にたとえられています。なでしこの花がパッと開いている様子は、よく人の顔に見立てられるようです。「娘子」(をとめ)とあるのは、この歌の前の長歌から、妻の坂上大嬢であることが分かります。

 こんな風に、家持関係の「なでしこ」の歌は、「我が宿」のなでしこを詠むものが多く、そして現代では女性のイメージが強いのですが、男性がたとえられることも、女性がたとえられることもあるようです。
 次回は少し『古今集』や『後撰集』のなでしこも見た後で、『源氏物語』のなでしこについて考えてみたいと思います。
 また、『源氏物語』の中で私が特に中心的に扱ってきた人物である女三の宮について、季節のイメージとの関係を考えます。

※引用は、『古事記』『日本書紀』『万葉集』は新編日本古典文学全集(小学館)、『源氏物語』は新日本古典文学大系(岩波書店)、『絡新婦の理』は講談社NOVELS版(1996年)。

第1回
第2回

若い女性だからといって舐めるんじゃない!

2020-05-12 23:21:25 | 日記
…って、私の話じゃありません、もちろん。
 私はもう若くないですしね、さすがに私のことをなめてかかる猛者はそんなに多くないです。きゃりーぱみゅぱみゅさんの件です。

 歌手のきゃりーぱみゅぱみゅさんが、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグでツイートを投稿したところ、「歌手やってて、知らないかも知れないけど」という前置きで「文化人放送局」を名乗るアカウントからマンスプレイニング(「男性が女性を見下ろす感じで説明すること」『現代用語の基礎知識』2019)を受けたり、「政治的なこと」について意見を公にすることに関して、「がっかりした」「イメージが崩れる」「やらないほうがいいですよ」などのコメントがあり、結果として「ファン同士がけんかするのが悲しい」という本人の説明つきでツイートが削除されることになりました。

 この、「歌手だから」(芸能人だから)「政治的なこと」については意見を表明しないほうがいいですよ、というの、「漫画家だから」とか「作家だから」とか、いろんなバリエーションがあって、いったいどんな人間であれば、「政治的な」意見を表明してもよいのか、と思ってしまいます。
「政治的なこと」というのは、何も特別なことではありません。
「個人的なことは政治的なこと」というのは第二派フェミニズムのスローガンですが、逆に言えば、どんなに個人的なことも、日常生活も、政治と地続きでつながっています。
 例えば私は大学院を出て学位をとった研究者ですけれども、私自身がまともに生きていけるかどうか、そして研究を続けていけるかどうかということは、国の文教政策や科学技術政策と密接に結びついています。そして私のような研究者という特定の人間だけではなく、今回の新型コロナウィルスによる感染症の流行に関しては、より多くの方たちが、自分たちの生存や生活が政治と直結しているという状況に、対面せざるを得なかったと思います。
 そういう、自分自身の生活や利害と密接にかかわっているものが「政治」ですので、政治的なことについて意見を公にすることはごく普通のことであるはずですし、逆に全く意見を表明しないというのは、一個人としての責任を健全に果たしていないようにも思えます。

 そしてもう一つ、若い女性が政治的(なり何なり、古い価値観で「女性にふさわしくない」と言われる領域のことについて)意見を表明すると、すぐにマンスプレイニングを受けるという問題があります。
 きゃりーぱみゅぱみゅさんは、例えばこういう記事「きゃりーぱみゅぱみゅは、なぜ今変わる? 世間へのプチ反逆を語る」(『CINRA.NET』2018年10月5日)を見ても、きちんと自分で考え、自分のことばでものを語ろうとしている人のように思えます。衣装も歌詞もエッジのきいた感じで、「ただのかわいいアイドル」という雰囲気じゃない。もちろんどんな女性でも(いわゆる「かわいいアイドル」という感じの女性でも)、マンスプレイニングを受けていいわけはない(受けているのを見るとむかつく)のですが、これだけ頑張っててエッジィな感じにしてても、若い女性でぱっと見なんか可愛ければ、おっさんになめてかかられるというのは絶望しかない、どんな頑張りも意味がないのか、という感じがしてしまいます。

 こういうかたちで、一人の女性が自分なりに発信したはずの「ことば」が消されてしまったことが、なかったことにされてしまったことが、本当に悔しいです。
 悔しいです。



日本文学Ⅰ(第1回):花と少女の文学史

2020-05-08 16:13:27 | 日本文学
※非常勤講師を勤めております前橋国際大学での授業内容を、問題のない部分のみ、ブログ上にアップすることに致しました(資料は大学のLMS上にアップしていますが、引用文など少し長めの文章を載せたものは、スマホの画面ではかなり読みにくいため。ブログ記事であればスマホ上でも何とか読めるだろうと思うので)。

 今回は概要を紹介します。
 本講義では、花や植物のイメージに着目して、日本文学を読み解きます。

各回概要
1週目…ガイダンス・概要
2週目…『古事記』(石長比売と木花咲耶姫)と『万葉集』(植物のイメージ)
3週目…『源氏物語』の植物と子供の比喩、季節
4週目…『紫式部集』における女性同士の絆
5週目…稚児物語『秋の夜長物語』における植物のイメージ
6週目…『御伽草子』の植物
7週目…近世文学における花のイメージ
8週目…夏目漱石『それから』
9週目…尾崎翠『第七官界彷徨』
10週目…野溝七生子『山梔』
11週目…石井桃子『幻の朱い実』
12週目…まとめ

 花にはいろいろなものが喩えられます。
 例えば、何年か前に『世界にひとつだけの花』という歌が流行したと思います。
 この「花」って何でしょう。
「ナンバーワン」じゃなくてもいい、特別な「オンリーワン」と歌っているわけなので、特別なその人にしかない「個性」を喩えているようにも読めます。
 ですがこれ、「花屋の店先」で売られている花なんですよね。
 だから、「商品価値」とか、労働力が売れる価値を喩えているようにも見える。
 そして花というのは見かけの華やかな美しいものなので、アイドルとしての魅力を喩えているようにも見えるし、花の中で受粉が起こって実や種ができるので、性的な価値かもしれません。
 また、女性が花に喩えられることが多いので、女性ではなく男性アイドル集団が歌うことの意味を考えてみても面白いかもしれない。
 こんな風に、「花」のイメージを考えることで、いろんなものが見えてきます。

近代以前の文学作品における、花・植物のイメージ
 近代以前の花は、生殖や繁栄の比喩となることが多いです。
 例えば『源氏物語』では、掛詞から、撫子の花や岩根の松が子供に喩えられます。

『源氏物語』における植物と子供
(例1)藤壺中宮が若宮(のちの冷泉院、実は源氏との子供)出産後、前栽の常夏に付けて、源氏が撫子の花に若宮を重ねる歌をよこす。
(源氏)よそへつゝ見るに心はなぐさまで露けさまさるなでしこの花
花に咲かなんと思ひたまへしも、かひなき世に侍りければ。
とあり。さりぬべきひまにやありけむ、御覧ぜさせて、「たゞ塵ばかり、この花びらに」と聞こゆるを、わが御心にも、ものいとあはれにおぼし知らるゝほどにて、
(藤壺)袖ぬるゝ露のゆかりと思ふにもなほうとまれぬやまとなてしこ(紅葉賀、1巻254頁)

【口語訳】(源氏)「(撫子の花と若宮を)なずらえて(=たとえて)見るにつけても、心は慰められないで、撫子が露に濡れるように、涙がちになる撫子の花である。
(若宮が)花と咲いてほしい(=成長してほしい、繁栄してほしい)と思い申し上げていたことも、甲斐のない世の中でしたので。」
とある。そのような機会があったのか、ご覧にならせて、(王命婦=源氏を手引きした藤壺の女房)「ただ塵ばかりでも(引歌あり)この花びらに(お返事を)」と申し上げるのにつけて、藤壺自身の御心にも、ものがたいへん悲しく思い知られる頃であったので、
(藤壺)「袖が濡れる露と縁があるように、涙を誘うものであるにつけても、やはり疎ましく思われた/思われないやまとなでしこである」

 藤壺の生んだ若宮は、表向きは桐壺帝の子と言うことになっていますが、実は源氏の子供です。
「撫子の花」は「撫でし子」との掛詞によって、子供(若宮)を喩えています。
「うとまれぬ」の「ぬ」は文法的には打消とも完了とも取れ、解釈が分かれる部分ですが、現行の注釈書では玉上琢弥『源氏物語評釈』以外のほとんどが完了の意味で取っており、ツベタナ・クリステワ「涙と袖:平安朝の詩学」が打消の解釈を提唱し、藤壺歌を本歌取りした俊成女の歌「咲けば散る花の憂き世と思ふにも猶うとまれぬ山桜かな」(『続古今集』春下、122、「洞院摂政百首歌に、花」)などを証歌としました。その上で「掛詞的に」完了、打消の両方の意味があると解釈することを提案しています(石川九楊責任編集『文学』第二号、京都精華大学文字文明研究所/ミネルヴァ書房、2004年1月)。

(例2)源氏が若君(実は柏木の子供)のことで女三の宮に嫌味
(源氏)「たが世にか種はまきしと人とはゞいかゞいはねの松はこたへん
あはれなり」(柏木、4巻30~31頁)

【口語訳】(源氏)「誰の世にまいた種か(=誰の子供か)と人が尋ねたら、どのようにものを言わない岩根の松のようにものを言わない子供は答えるだろうか。
可哀想だ」

 女三の宮が生んだ若君は、源氏との子供と言うことになっていますが、女三の宮にずっと憧れていた柏木という登場人物が、密通してできた子供です。
 ここでは、「岩根」と「言わね」を掛け、さらに「いわねの松」に若君を喩えています。
「種をまく」は子供をつくることの比喩で、実は柏木との密通の結果である子供について、誰の子なのか、とほのめかすものです。

 ただし、他者から与えられた花・植物のイメージに対し、喩えられた女性自身の行動や言動がずれて行く場面もあります。
 例えば『源氏物語』女三の宮は、春(桜や柳)のイメージを与えられますが、本人は春に消える「淡雪」に自分を喩え、自分がいる場所は春の来ない「谷」と言っています。

『源氏物語』女三の宮と季節
(例1)女三の宮と源氏の結婚当初の場面。女三の宮の父朱雀院(源氏の兄)のたっての願いで、女三の宮と源氏は結婚した。それまで紫の上は事実上の正妻に準じるような扱いであったが、紫の上より身分の高い女三の宮が正妻として入って来た状態。女三の宮も紫の上も、六条院(源氏の邸宅で、春、夏、秋、冬の四つの町に分かれている)の春の町にいる。
 源氏は三日間女三の宮方に渡るものの、三日目は紫の上を夢に見てまだ暗いうちに帰ってしまう。その日は一日紫の上のところで過ごし、その夜訪れない言い訳に「けさの雪に心地あやまりて」(体調が悪いので)という文を送る(若菜上、3巻245頁)。その翌朝の源氏と女三の宮とのやり取り。
   中道をへだつるほどはなけれども心みだるゝけさのあは雪
 梅につけ給へり。(中略)
 御返り、すこし程経る心地すれば、入り給ひて、女君に花見せたてまつり給ふ。「花と言はば、かくこそ匂はまほしけれな。桜に移しては、また塵ばかりも心分くる方なくやあらまし」などのたまふ。(中略)。
  はかなくてうはの空にぞ消えぬべき風にたゞよふ春のあは雪(若菜上、4巻245~246頁)

【口語訳】(源氏)中の道を隔てたというほどではないけれども、淡雪が乱れて降るように、心が乱れる今朝の淡雪である(今日は行きません)。
梅につけてお贈りになる。(中略)
 お返事が少し時間が経つような気がするので、中に入って、女君(紫の上)に花(梅の花)をご覧に入れなさる。「花といえば、このように匂ってほしいものであるよ。(梅の香りを)桜に移したならば、また塵ほども心を分ける方向はないだろう(他の女性に浮気することなどない)」などおっしゃる。(中略)
(女三の宮)(あなたの訪れが)はかなくて上空に消えてしまいそうな、風に漂う春の淡雪(のような自分)である。

 ここでは、源氏の贈歌、女三の宮の答歌ともに、『後撰和歌集』巻第八 冬
   雪の少し降る日、女につかはしける  藤原かげもと
479 かつ消えて空に乱るゝ泡雪は物思ふ人の心なりけり

を引いています。
 女三の宮の歌については、乳母が詠んだ歌という説もありますが、女三の宮歌として提示されていることが重要でしょう。
 女三の宮歌では、淡雪は女三の宮を喩えるものですが、雪は春に消えるものです。
 女三の宮は六条院の春の町におり、源氏の紫の上に対する言葉のなかでは梅の花に喩えられることもあるのですが、女三の宮自身の歌のなかでは春に消える淡雪なのです。

(例2)紫の上死後の幻巻の場面。春、源氏が女三の宮方を訪れる。源氏は心穏やかに仏道修行する女三の宮をうらやましいと思う一方で、やはり女三の宮を心の浅いものと軽く見ているため、女三の宮にすら出家が遅れてしまったことを悔しく思う。仏前の花が夕日に映えて美しい。源氏は春に心を寄せていた紫の上の不在を嘆く。
  「(略)。植ゑし人なき春とも知らず顔にて、常よりもにほひ重ねたるこそあはれに侍れ」とのたまふ。御いらへに、「谷には春も」と、何心もなく聞こえ給ふを、言しもこそあれ、心うくも、とおぼさるゝにつけても (幻、4巻194頁)
【口語訳】(源氏)「花を植えた人のない春とも知らないで、いつもよりも美しく咲き誇っている様子が「あはれ」です」とおっしゃる。お返事に、(女三の宮は)「谷には春も」と、他意なく申し上げなさるのを、よりによってそんなことをと、(源氏は)お思いになるにつけても

 女三の宮の言葉は、『古今和歌集』巻第十八 雑歌下の、
    時なりける人の、にはかに時なくなりて歎くを見て、みづからの歎きもなく喜びもなきことを思ひてよめる   清原深養父                                         
967 光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし

を引いています。
 春の風景を前にし、六条院の春の町にいながら、自分の入る場所を、光のない、春の来ない谷に喩えているのです。

☆近代以前の文学作品における、花・植物のイメージ=生殖や繁栄の比喩
☆ただし、そこからずれる部分もある(本講義ではずれる部分に特に注目する)。

近代以降
 近代以降になると、花は、「生殖を禁じられた」存在である少女の比喩として用いられるようになります。生殖や繁栄を象徴することの多かった花が、「生殖を禁じられた」少女の比喩となることで、そのイメージはどう変容するでしょうか。

 まず、「少女」の定義や、花と「少女」の結びつきについて簡単に見ておきましょう。

少女とは?
 本田和子が、女学校によって女学生の集団が出現、「明治三十年代に簇出した少女雑誌群」が「少女共同幻想体」の成立に関与した(『女学生の系譜:彩色される明治』青土社、1990年)、
 大塚英志が、
  明治三〇年代、女学校という学校制度と女性雑誌というメディアによって二重に囲い込まれる形で〈少女〉は誕生する(『少女雑誌論』東京書籍、1991年)
 今田絵里香が、「「少女」は経済力とともに、西欧文化と教養主義的な文化という新時代に光輝を放つ文化を込められた」者であり(「「少女」の誕生:少女雑誌以前」『「少女」の社会史』勁草書房、2007年。初出『教育学研究』2004年6月)、「女学校に通い、少女雑誌を買い与えられていた女子」、
 修身教科書に登場するのは「女子」、高等女学校に存在するのは「女学生」であり、「少女」ではない。(中略)「少女」というジェンダー・アイデンティティを創出し、それに独特の意味を与え、非常にポジティヴな語としてきらびやかに装飾したのはほかでもない少女雑誌であった(同書「序章」)
と指摘するように、純潔規範を課せられ、社会的再生産のシステムから疎外される存在であり、学校制度の整備と教養主義とともに発生したこと、「少女」イメージには少女雑誌が大きく関わることが指摘されています。

少女と園芸
 このような少女と花の関わりについて、渡部周子は、「少女は、園芸を通して新たな生命を育み、愛護することを学ぶことが可能だと考えられていた」(「実践教育としての「園芸」:ケア役割の予行」『〈少女〉像の誕生 :近代日本における「少女」規範の形成 』新泉社、2007年)ことを指摘し、さらに園芸が、
 明治末期から大正・昭和における少女の教育に波及した際には、(中略)、将来の良妻賢母となる少女たちの身体を純潔のままに保持するうえでの教化の象徴として、機能する(同書「白百合に象徴される規範としての「少女」像」)
こと、特に白百合の花について、「明治期の浪漫主義者」において、「恋愛(プラトニック・ラブ)の対象となる純潔な女性」および、「女性への思慕の念を通して喚起された芸術創造を象徴した」(同書「浪漫主義文学と美術における「少女」像」)と指摘しています。

 つまり、少女は「生殖を禁じられた」存在ではあるけれども、その純血性を保持しつつ、将来の愛や子育てといったものを担う情緒を育成する目的で、園芸が使われた、と言うのです。
 ですが、将来妻になんかならない、子供なんか作らない、一生少女でいたいという志向に、花が喩えられることもあります。

(例1)野溝七生子『山梔』(1924年)…一生結婚しない、子供も作らないという少女の比喩に白百合や山梔
「昔、昔希臘とトロイが、戦争をしました。そんなお話さ。」
  (中略)
「オリムピヤの野に、百合がたくさんたくさん、咲いてゐました。そこにある百合よ。この百合さ。それから、希臘の年若い将軍が、たそがれの野を、真一文字に疾走を続けてゐました。将軍の故里の街では、母さんが門に立つて、その子がもたらして帰る戦勝の便りを、今か今かと待つてゐました。(中略)美しい処女が、(中略)愛人の帰りを待つてゐたのでした。(中略)ああそこに、愛する処女がと思つた時、将軍の膝はくづをれて、はたと百合の花叢の中に、倒れてしまひました。(中略)身動きに槍の石突が、大きな百合の花に触れて、明星の影乍らに将軍の唇に、涙のやうな露がかゝつたのです。彼は、意識をとり戻しました。その処女だと思ふ、百合の花を、鎧の胸甲深く膚に納めて、将軍は、再び立つて、その疾走を続けました。そして故里の門に待つ、なつかしいお母さんの腕に瀕死の身を投げかけて、『勝つたのです。』と只一言、その儘瞼は深く閉ぢられてしまつたのです。(中略)、あゝ将軍の、蒼い瞼は再び、処女を見ることは出来ませんでした。美しいとび色の、長い睫毛を濡らして、処女の涙は将軍の上に散りました。あの、その、この百合の露のやうに。」
 阿字子は、さう云つて、空を見て、百合を指して微笑した。(241~242頁)


 これは、一生結婚せずに生きていくことを望む女主人公の阿字子が、兄夫婦との関係が悪くなり、家を出る直前、妹の空に語った物語です。ギリシャ神話を下敷きにしていますが、阿字子が自分で作った物語という設定です。
 この物語の中で、阿字子はこれから家を出ようとしていることから将軍で、白百合=処女が妹の空を喩えていると思われます。ですので、白百合は直接的に女主人公を喩えるものではないのですが、妹との少女同士の関係が、白百合を通して語られていると見ることもできます。

 あるいは、植物の比喩を通して、ちょっと不思議な恋愛が描かれることもあります。
(例2)尾崎翠『第七官界彷徨』(1931年)…蘚が花粉を飛ばす
・「分裂心理学」を研究する兄の一助、蘚の受粉を研究する二助、音楽学校の受験勉強をする従妹の三五郎と、「第七官にひびく」詩を書こうと思っている町子が同居する、「秋から冬にかけての短い期間」の物語。「変な家庭の一員としてすごし」、「ひとつの恋をしたようである」(127頁)とあるが、その「恋」はどうにもぼんやりしている。
(二助)「床の間には恋愛期に入った蘚の鉢をひとつずつ移していくんだ。(中略)僕の勉強部屋は、ああ、蘚の花粉でむせっぽいまでの恋愛部屋となるであろう」(177~178頁)

 ここでは、植物が「恋愛」している、との表現が用いられていますが、胞子で殖えるはずの蘚が「受粉」しているのです。

 こんな感じで、近代以降の文学については、近代以降に「生殖を禁じられた」存在である少女の比喩として用いられたことによるイメージの変容を見ていきたいと思います。
 次回は、『古事記』や『万葉集』における、花のイメージを見ていきます。

※引用は、『新日本古典文学大系 源氏物語』(岩波書店)、『新日本古典文学大系 後撰和歌集』(岩波書店)、『新編日本古典文学全集 古今和歌集』(小学館)、『野溝七生子作品集』(1983年、立風書房)、尾崎翠『第七官界彷徨』(創樹社、1980年)による。

第2回