表千家一期一会

6月稽古場 6

「松風供一啜」
東大寺道善師

毎年半夏生の葉が
白くなると
思い出す二人の師匠がいます

今から15年前
平成21年に
あの世に旅立たれた
K宗匠とM先生です

お二人のことは
これまでにも何度か
このブログに書かせていただきました

今日は
お床の写真を撮る時
「もしお二人の魂が
ここにいらしているのなら
どうぞ写って下さい」と
念じました

すると思った通りに
たくさんのオーブが写真に
写り込み
なんだかうれしくなりました

組合点

今日は
全員が濃茶を稽古する日でしたので
それぞれ習事の点前を
していただきました



初蛍  鼓月製

昨日は
自分のお稽古に出かけておりました

初炭と茶通箱の点前を
させていただきました

羽根で風炉を掃く時
ずいぶん細かなご注意を
受けました

風炉の掃き方を
初めて習ったのは
名古屋にいた頃ですから
もう50年ほど前のことです

世の中には
ずっと一人の先生
あるいは一筋の道統で
稽古を続けている方も
いらっしゃいます

そんな方は
本当にお幸せです

しかし私の場合は
今に至るまで
色々あって六人の先生方について
お茶の道を歩んで参りました

言うならば雑種犬みたいなものです

ですから
昨日色々ご注意を受けても
これまでの様々な癖が
どうしても身にしみ込んでいて
しかたがないなあ・・・と
情けない気持ちで帰ってきました

しかし本日
稽古前に『禅茶録』を皆さんと読んでいて
はっと気づかされました

「(茶道は)茶器を扱う時
『三昧』の境地に入り
自性を悟るという修行なのです」

前回この箇所を読んだ時は
濃茶を練っている時など
茶入や茶杓・茶筌に
確かに心を深く集中しているし
”無心”の境地というのも
自分なりにわかる気がするなあ・・・と
密かに思っておりました

しかし
風炉を掃く時に
これまで私はそこまで
心を集中し気を込めていたか・・・

正直に申して
全くその自信はありません

50年前に習ったその手順を
ただ右・左間違えないように
羽根を風炉の上で
動かしていただけだったことに
今更ながら気づきました

師匠はそれを
見抜かれたのかもしれません

お茶を点てる時のみならず
点前の全てに
徹底的に意識をし尽くすこと

その教えにあらためて
気づかせていただいたことを
心より有り難く思います

本当に
道はどこまでも続きます
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