表千家一期一会

8月稽古場①



画賛『直下三千丈』 前大徳積應叟

今日の兜ィを見ていて ふと思いました


滝の水しぶきの一つ一つは
一瞬も同じところにとどまらず
次々に流れ落ちていきます

どの瞬間も 一瞬前とは違う水分子が
そこに存在しているのだから 
さっきの滝と今の滝は 明らかに違う滝

それなのに 滝そのものは
何十年 何百年も変わらず そこに存在しています

不思議です


これは 時間の流れととても似ています


「過去」は 過ぎ去ったもの
「未来」は まだ来ていないもの

どぢらも 実態がありません

でも「今」という瞬間も
流れ落ちる滝のしぶきのように 
刻々と過ぎ去っていき
とらえることができません

なのに
「時間」は
そこに滝があるのと同じく
確かに存在しているように感じます

確かに存在しているもの
それは 
過去も現在も未来もすべて一体となって
流れ続ける滝


つまり 
滝も時間も
そこに確かに「在る」と言えるのは

ひとところに留まることのない

「流れそのもの」

なのではないでしょうか






木槿(紅花笠・白一重) さざえ籠



手花火 鼓月製



絞り茶巾


水を次いで 服紗を飾り残した形

コメント一覧

tomoko
私も 高校生の頃は 無常感と「ああ無情」の無情感 が 頭の中でごちゃ混ぜになっていたような気がします。
人生も半世紀を過ぎると ようやく 「行く川の流れは絶えずして・・・」が実感をともなって参りますねぇ。。。
雲や先生の生徒さんもいずれ 教えに気づかれる時が訪れることと思いますよ。
雲や
現実の滝に想いを致されたことに敬意を表します。
わたしは、ほんとに何度も「方丈記」の冒頭文を教える経験をして、このことに気が付きました。
私の中では、大変化なのですが、これを聞く生徒にとっては、全く大したことではないようであるらしいのが残念です。
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