『多奇峰』(きほう多し) 前大徳紹尚師
縞葦 木槿(祇園守)桔梗 花入 千成籠
茶碗 自作(八事窯にて)
朝顔 鼓月製
濃茶
30年ほど前 この茶碗作りに連れていってくれた先生も
当時の窯元も鬼籍の人となりました
色々な方のおかげで 今の私があるなあと
思いめぐらしつつ ひたすら茶筅を動かしていると
一瞬 時間の感覚が消えるような錯覚をおぼえました
もしかしたら 茶道に限らず
『道』と名のつくものは皆そうかもしれませんが
ひとつの型の中にすうっと入っていく時
何か不思議なやすらぎに満たされます
≪無駄をそぎ落とし
迷いから解放された 完璧な流れに
身を任せることの安心感・・・≫
私にとって 茶道の究極の魅力は
この点前そのものにあるような気がします