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「歩々是道場」
士延和尚
先日
コメント欄にて
禅語の読み方をご教示下さった方が
書かれていた
「分類総覧 禅語の味わい方」(西部文浄著・淡交社)
という禅語の本を
私も取り寄せてみました
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「21世紀は心の時代」と
言われてから久しく
今や書店に出向けば
どれを選ぼうかと迷うほど
禅に関する書物が並んでいます
私もこれまでに
禅語解釈の本を何冊か
手元に置いていましたが
コメントに書かれていたこの本のことが気になり
アマゾンで中古本を取り寄せた次第です
この本の冒頭に書かれていた文章を読んで
思わずクスリと笑ってしまいました
「私たちは
墨跡はむつかしいものだと頭から決めてかかり
書かれてある文句を読み下そうともせず
意味内容を知ろうともせず
ただ『結構なお軸で・・・』
などと挨拶していることが
往々にしてあるのではないでしょうか」
と 茶人の在りように苦言を呈した後
「このことは
今日に始まったことではないらしく
永禄七年(1564)に編述された
『分類草人木』にも(云々)・・・」
と続き
「なんの心得もない人が
いたずらに墨跡をお茶の一つの道具として
掛ける流行を批判しています」
と記されていました
昔も今もあまり変らない
お茶席の様子に
思わずクスッと笑ってしまった私ですが
そもそも先日は
書かれていた文字そのものを
読むこともできていなかった
自分自身の未熟さに
穴があったら入りたい思いです
しかし
それもまた修行
「一歩一歩足下を踏みしめて」
道を歩みたいと思います
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薄茶 替茶碗の扱いのお稽古をしました
運びの場合
「建水をさげた後
仮置きしてある茶碗をひく」
と
本には書かれているようですが
お詰めが気働きをして
茶碗を茶道口まで運んでいく
というやり方も
あるとも聞いています