古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

昆明の「M」

2009-08-26 11:20:51 | 日記
その2 還暦背包族(bei bao zu)ベイバオズ


2009年8月3日(月)初めての晴

昆明大観楼は一大観光公園だ。

盆栽展示園だけは素晴らしい。数百年以上もたったような盆栽がずらり、さすが中国五千年の歴史かと思う。遊園地はいかにも現実的な売り上げ確保のための設備のような気がする。大観楼観光遊園地とでもすべきだ。

公園内のあちこちで、凧を揚げている。専用の糸車を使用した本格的なもので、数百メーターも糸を伸ばしている。


2009年8月4日(火)晴

近くの小吃店で夕食(腊火腿洋芋炒飯6元 瀾滄江啤酒3.5元、店に無いため隣の店に買いに行く)を取りながら、小学3年生(魯村完小3年2000年10月23日生)と筆談で時間を潰す。「母の愛」と言う題で作文をしていた。
算数も面白い。約数の掛け算割り算があった。初めて目にする計算方法だ。38×4は160。357÷58は6と言うう具合だ。ニィアイコールという計算だ。波を打ったイコールの記号を使う。
日本でもあるのだろうか?非常にユニークな考えの方法だと思う。大勢に影響の無いほんの些細なことは大目に見ようではないかと言う考えに通じるものがある。そう、大陸的な広がりを感じる。

22時。仕入れた啤酒3本でマッタリと過ごす。しかもたったの9元、そうです、130円です。換算してはいけません。あくまで9元です。900円の価値は十分にあります。完璧にマッタリしています。

会計簿を作る。今日までの使用金額と残金との誤差は31元。かなり正確な会計簿だ。


2009年8月5日(水)

我們没有資格接待韓国等外国人

九郷一日旅游券を購入しようとして、街の旅行会社に行ったときに言われた言葉。
一つ目は外国人を相手に出来る旅行社と、内国人だけしか扱えない旅行社があるということ、もう一つは外国として韓国人と書いたこと、小生の風貌が韓国人っぽかったのか、それとも中国では今や外国人の代表が韓国人なのか?そんなことを考えさせられる言葉だ。

同宿のYが雲南大学付近の繁華街に行きたいと言うので同行する。
卓球関係で何度か中国を訪れているということだが、いかにも解かっている風に振舞うが全てがボロボロだ。
会計のしぐさは人差し指二本のバッテン印だ。放っておく。中国では多分,数字の十を意味するはずだ。解かった風の喋りがうるさい。全てにうるさい。

2009年8月6日(木)晴

九郷一日旅游に行く。旅行社に7時30分到着する。小さな机で身分証を提示し、金を払い、受付を行い乗客名簿を作っている。

小生は代金支払い済みの乗車券を提示するが、何やら喚く。バレバレだが仕方が無い。パスポートを出す。受付以外の数人も回して見ている。おい不味いんで無いのと思っていたら受け付けの兄ちゃんが取り返す。すぐに返してよこす。

8時00分発の20分前なのだが既に満員である。30人定員だが、いや、立っている人も居る。ガイドらしき小娘が乗客の携帯の電話番号を聞いてメモしている。小生も聞かれる。当然、「没有」と言うと困った顔をしている。

8時30分未だ発車せず。おバちゃんがギャーギャー騒いでいる。喚いている。うるさい事200%。ガイドのネーちゃんが必死で対応している。行き先の違う人間も何人か居るようで出入りがあってやっと出発できそうだ。

8時40分発車。9時20分給油停車。ガイドは発車からズート喋り続けている。スゴイ。9時30分田舎らしくなってきた。半分以上が寝ているのにガイドが相変わらずに喋っている。

10時停車。翡翠館でした。10時40分発車。11時12分岩泉禅寺(1535m)着、見学後大きなテーブルに8人ほど座り昼食。

子連れのM似の小柄な美人は垢抜けた派手なフリルのブラウスを着ていたが、パンテイーも期待に違わず真紅だった。子供を背負おうとして屈んだら、腰の、、から、
昼食のテーブルで声をかけてきた。前から観察されているのは気付いていたが、向こうから声を掛けてくるとは。中文、?、、残念ながら言葉が解からず。「請写一下」 「 哪里人?」「日本」後はニコニコとお互いを見つめて、、、この手のタイプの女性には本来から好かれるのだろうか?モヤット、、、 
赤シャツの亭主らしき男と7、8歳の女の子は前から2列目に、M似の美人と4、5歳の男の子は後の7列目に座っている。子供が二人ということは漢族では無いと言う事か、金持ちか?

九郷風景区は噂に違がわず絶景。13時45分から15時40分まで見学。


2009年8月7日(金)

体調悪いが2本目の啤酒を飲んでいる。啤酒がエネルギーとビタミンの補給源だ。熱っぽい。今日で16日。少し疲れた。

天涯孤独の背包族になるにはマダマダの修行が必要だ。

2009年8月8日(土)

今日は大理へ移動する。
6時40分にチェックアウトする。ホテル前でタクシーに乗りものの20分もしない内に昆明南バスターミナルについてしまう。乗場の確認をして所定の位置に着いたらまだ7時30分、確か7時40分の便もあるはずなので、切符を提示し7時30分交換と紙に書いて出札を行っているネーちゃんに見せると時計を確認しパソコンのキーを叩いている。オー真面目に確認している。結局「没有」であったが「没有」に満足する。

バスは定刻を2分遅れて8時42分発車するが、バスターミナルを出るのに15分ほどを消費する。更に街を抜け高速に乗るのに20分ほど費やす。昆安高速に乗る。何たる慢性的な交通渋滞。市内の道路をちゃんと走れるのは夜中から朝の6時頃までのようだ。

なぜか祖母の戒名を思い出す。雪嶺院と頭にあったのを思い出す。雪嶺院とはヒマラヤの事と言われた様に記憶する。寶樹妙繁大姉、違ったかな。何か近づいている気がする。

11時05分から11時40分、楚雄SSで車輌チェックを受けている。その間昼食休憩。 13時40分大理興盛路バスターミナル着。約5時間の旅。

表通りに出ても、右も左も解からず。小銭を作るため乳酸飲料を買い大理古城行きのバス停を聞く。8路とのこと。1.5元。右に曲がった所。これ全て、身振り手振り。全て了解する。全て正解。

大理古城の最初に訪れた旅舎は、シングルが80元で暗く窓も無いのでNG。他を求めるべく表を少し歩くと、客引きのおばちゃんが40元と言う、ツイン、バストイレ共同。広く窓もある二階。ボロッチイが寝るだけ。30元に交渉。あっさりOKがでる。

今23時30分、ヂィスコの音がまだ響く。安くてOKなのだが、余りにもうるさい。明日は宿替えだ。00時30分、まだ終わらず。