古稀背包客放浪記

古稀バックパッカーの東南アジア見て歩る記

冠動脈カテーテル治療

2024-06-04 13:20:41 | 日記

2024年6月5日

仙台市郊外の384床の鑑別施設に収容され下記項目による状況で収監される。

1)16泊17日の豪華クルージングの費用は276万円也。

2)48朝、昼、夕食事付。(3食は指示により絶食) アルコール類は一切禁止。(栄養士による完全な食事。1800Kcal/日)

3)部屋は4人部屋。カーテンで仕切っただけのシングルベット。バストイレは共用。(個室希望は別途費用が必要、6600円と9900円/日の二種類でバストイレ付。)

4)24時間完全監視、介護の個人対応看護師付き。担当医師に依る朝夕の回診付き。

5)四回(冠動脈形成術及び左下肢大腿動脈血管拡張術)の特別室での七八名の施術者による検査と治療及びその他必要な検査等。

6)面会は基本的に不許可。

5月30日に刑期満了により退所する。

退所後、即ビールを飲む。ああああ、生きて娑婆に戻れた。ジッと嬉しさが込み上げる。

 

 

 

 

 


心臓カテーテル治療

2024-05-19 17:47:02 | 日記

2024年 5月19日(日)

古稀背包客も喜寿になってしまった。

昨年の10月に喜寿を祝う会が(○○中学校の同窓会だが、卒業した中学校は、名前も校舎も何も残ってはいない。)故郷に近い寒河江市で開かれた。出席者は五六十人程、、確か二百五六十人は居たはずだが、、セレモニーに物故者に黙とうを捧げる時間が必要な齢になったのだ。

その仲間入りになるような胸の痛みを覚えて、近くの病院に駆け込んだ。

心臓冠動脈に狭窄が見られるので早急な心臓カテーテル治療が必要です、との見解を賜った。

 

 

 


古稀のエベレスト街道 以降

2018-12-08 21:26:57 | 旅行

国立カトマンヅ博物館
2018年12月8日(土)
佛侘がブッタガヤで悟りを啓いたと言われる日に。

早いものでエベレスト街道をフらついてから、一年になる。
その後、アンナプルナ街道に転進したが、ネパールの五年ぶりの総選挙に会い、散々な目にあった。
反時計回りの出発地であるベシサハールに行き、マナンまで行ったが、そこから4日行程のジョムソンまで行く道に踏み出せずにポカラへ引き上げた。
その後、Kathmanduに戻り、1月にネパールを出国した。
何とも不甲斐ないネパールの旅であった。
ネパールの総選挙も記せば、面白いことだらけなのだが、今は遠慮しておこう。

まだ、生きています。





古稀のエベレスト街道 Kathmandu雑感

2018-03-17 20:57:40 | 旅行

KALA BAIRAV(Kathmandu Durbar Square)

KUMARI BAHAL(クマリの館)(Durbar 広場)

JAGANNATH MANDIR(Durbar広場)

地震の補強櫓(Durbar広場)

2017年11月13日(月)
退散だ、撤退だ。
そんな気持ちのKathmandu帰還だ。
10月26日にLuklaに入り昨日まで18日間のEverest街道の旅は終了しました。

Everest街道の旅の効用は以下のとおり。
第一に体重が8~10kg減った。
70kg台が60kg台になった。
ズボンのベルト穴が二つ内側に移動した。
下手な減量エクササイズよりはるかに効果的だ。
食欲が無くて、カロリー不足なのに体力を使わなくてはならないのだから当然だ。
行動を支えてくれる程度の食事は何とか採るが、それ以上は身体が望まない。
朝はミルクティーに卵焼き、昼食、行動食はチョコレート、チーズ、飴、スナック、スポーツドリンク等で過ごす。
夕食には軽い一品を注文し、持参のインスタント味噌汁、チーズ、紅茶。
そんなのが毎日のメニューだ。

第二に体力、筋力が付いた。
完全なトレーニングだったことで、出発前よりも力強くなった。
今からなら、もっと快適なトレッキングが出来る。

第三は精神的な欲求不満、燃焼不足が増した。
勝手に想像していたイメージと余りにもかけ離れていた為に上記意識が生じた。

そんなことで、このままではネパールそのものを退散する気にはなれない。
新たなネパールの旅を探さねばならない。

古稀のエベレスト街道 Kathmandu帰還

2018-03-12 22:22:37 | 旅行

TENZING HILLARY AIRPORT LUKLA

すれ違った多分Lukla行き飛行機

Kathmandu空港
2017年11月12日(日)
昨日、宿にチェックインすると同時に宿のオーナーに今日のフライトへの変更手続きをお願いした。
繁忙期の今は二三日ぐらい待機しなければと覚悟していたが、夕方宿に戻ると、オーナーがあっさりと、明朝8時に飛行場に行け、8時30分の便に変更できた、と言う。
小生の予約日はまだ三週間も後だが、一向にお構いなしだ。

30分前にチェックインで本当に大丈夫なんだろうか。
心配でオーナーに言われた時間よりも早くSITAのカウンターに行き、予約票を提示すると、後でと言われる。
8時30分になってやっとチェックインする。
ボーディングカードには日付も発時刻も何も印字してない。
便名だけがマジックで走り書きしてある。
何時の出発かと聞くと、多分9時だがまだカトマンズ空港を出発してないから、10時頃かなという返事だ。
ピストン輸送をしているのでそんなものかと諦めるが、荷物は預かってくれる。
待合室には百人以上の人間がいる。
昨日の抜きつ抜かれつした人が居たので、声をかけると同じ便名のボーデングカードを持っている。
Jiriまで歩くのは諦め、今日の便でKathmanduに戻るとのこと。
昨日購入できたという事は、どうも、SITAの増便のようだ。

何もする事が無いのでボーと駐機場を眺めていた。
SITA の飛行機が乗客を乗せている。
だが小生の乗る便はこの次かなと、ととと、小生のザックが手押し車に乗せられてその飛行機に積み込まれるではないか。
ええええ、俺の乗る便だ。
慌てて駐機場に駆け込むと小生が最後の乗客だった。
アナウンスも案内も何も無い。
自分で自分の便をチェックしなければならないようだ。
とにかく、最後に滑り込むとドアが閉められ直ぐに動き出した。
座席はコックピットのすぐ後ろの右側だ。
一番に並んで座りたかった場所だ。
右側はヒマラヤの山並みを眺められる。
エベレスト街道の旅の終わりだけはラッキーのようだ。