松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇津軽に行く(青森県)

2016-04-30 | 5.同行二人

 連休は、津軽に出かけた。弘前、五所川原であるが、いずれも地域資源を活用したまちづくりを行っている。

 弘前は、数年ぶりであるが、これまでの桜によるまちづくりをさらにバージョンアップするとともに、とりわけ女性を意識して、リンゴを使ったアップルパイのまちづくりを行っている。お城の隣の藤田庭園の洋館に寄ってみたが、市内工房のアップルパイを何種類も用意していて、観光客は、どれにしようか、迷いながら、楽しんでいた。お隣からは、去年は、これを食べたので、今年はこれをいただきますといった声が聞こえたが、アップルパイもリピーターづくりに、一役買うのだと、あらためて気が付いた。

 ここでは、五所川原の立佞武多(たちねぷた)を紹介しよう。これは市民提案型協働まちづくりの典型例である。

 青森県五所川原市は、津軽半島に位置する人口55000人のまちであるが、最近では、たちねぷたで、年間、150万人の観光客を集めるようになった。 

 高さ約23m、重さ約19トンの巨大な山車が、掛け声のもと、五所川原市街地を練り歩く姿は、圧倒的迫力である。祭りの時には、拠点である立佞武多の館に展示している3台の大型ねぷたと町内・学校・愛好会などでつくられる中型、小型のねぷたと合わせ、15台前後が出陣する。

 津軽の「ねぷた」の起源は古く、400年以上の歴史があるとされるが、五所川原市の「たちねぷた」が最も盛んになるのは、明治の終わりである。現在の立佞武多の原型になる巨大ねぷたが、五所川原で運航されたという記録がある。 

 しかし、大正時代になり電気が普及し、まちに電柱や電線が張り巡らされるようになると、ねぷたは小型化の一途をたどることになる。青森市などで行われている横広のねぷたである。また、戦後に起きた2度の大火で街が全焼したことで、ねぷたの設計図や写真が消失したことなどもあって、巨大ねぷたは、五所川原から姿を消すことになった。

 ところが、1993年に当時の設計図と写真が発見されたことを契機に、翌年、市民劇団「橇の音」が高さ7mのねぷたを復元する。その後1996年には、市民有志により「たちねぷた復元の会」が結成され、1998年に「五所川原たちねぷた」が復活をなしとげた。その意味で、今日の五所川原のたちねぷたは、20年の歴史しかない、新しいイベントともいえる。

 こうしたいわば「新しい」祭りが、ここ20年の間に、日本を代表する祭りに成長したのは、いわば、市民の趣味から始まった活動に、行政が積極的にかかわっていったからである。

 この市民の動きを後押しして、行政は思い切った事業を行う。例えば、電線の地中化やアーケードの撤去である。五所川原のたちねぷたは、道路空間が祭りの舞台であるので、電線やアーケードは、沿道観客にとって邪魔になる。また勇壮なたちねぷたの運行を演出するためには電線は障害になる。そこで、電線共同溝を進めるとともい、電線共同溝を実施しない地区でも、電柱集約や横断線の地下化などを行い、勇壮な立佞武多の演出に最大限配慮しているのが特徴である。

 首都圏等へ、積極的に出ていくのも特徴である。巨大ねぷたを東京ドーム、 東京・丸ビル内、福岡・キャナルシティ博多の広場等に次々と出陣させ展示させている。最近では、インバウンドを意識して、韓国等にも出かけているようだ。

 協働には、いろいろなパターンがある。五所川原ねぷたのように、市民の活動を強力にプッシュするのも協働である。市民によるねぷた復活では、役場職員が、市民としてかかわっていた点も大きい。市民による地域資源を盛り上げて、それを後押しするのが(励ます地方自治)のヒントになるだろう。

 

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