松下啓一 自治・政策・まちづくり

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☆地域協働型まちづくり(小浜市)

2014-10-11 | 1.研究活動

 以前研修でご一緒した小浜市のSさんのお誘いで福井県小浜市を訪ねた。

 小浜市は歴史のある町である。今では、日本の表玄関といえば、東京などの太平洋側であるが、日本の歴史のなかでは、日本海側のほうが日本の表玄関だった時期がずっと長い。たしかに地図を遠目に見ると、日本海は大きな池のようで、池に沿って北は北海道や東北、西は山陰、九州とつながっている。池の対岸には、朝鮮半島があり、小浜は中心に位置している。

 そこで、小浜には、たくさんの物品や文化、さらには多くの人が集まり、そこから京都、大阪を経由して、全国に向かっていった。小浜は海の奈良とも言われて、歴史のある寺も多い。3月2日には、お水送りという行事がある。これは奈良東大寺にお水取りに先駆けて行われるもので、その名の通り、小浜から東大寺二月堂へバトンタッチする神事である。

 小浜は、食のまちである。いずみ町の商店街は、魚やさんが軒を連ねるが、ここは鯖街道の起点でもある。

 小浜は、平成20年には、小浜西組が伝統的建造物群保存地区に指定された。その中心となる三丁町には、千本格子の町家が連なっている。地元のおばあちゃんの話では、「以前は三味線の音も聞こえ、それは風情がありました。」とのことである。「せっかく来ていただいて申し訳ない」と、おばあちゃんは、盛んに恐縮がっていたが、こうしたおばあちゃんたちの思いを大切にして、それを支援していくのが私たちの役割だと思う。

 ご多分にもれず、人口減少・高齢化が著しいなかで、小浜市では、協働型まちづくりを進めている。小さな単位の地域団体を糾合し、まちづくり協議会をつくり、公民館を拠点に、そこに人的支援、財政支援をする仕組みである。大きな方向性は、そのとおりだろう。

 その際には、焦らず地道にやってほしい。これまでのような、数を揃えて、これだけまちづくり協議会をつくりましたというやり方は、もう卒業である。これは自治の文化を変えるという難事なので、数は少なくとも、成功事例を着実に積み重ねるのが大事である。
 

 そのなかで、自治体職員の役割は重要である。自治体職員の自治マインドが、地域に伝播する。できる範囲で、地域に関わり、持っている知識や知恵を大いに出してほしい。

 小浜までは、米原で乗り換えて、敦賀に出て、小浜線で小浜というルートと、京都まで出て、湖西線で近江今津まで行き、そこからバスで小浜というルートがある。今回は、行きは、敦賀経由で行った。というのも前日、教授会があり、それを終えていくと、その日のうちに小浜まで行きつかないのではいかと考えからである。実際、この日は、敦賀の駅前に泊まることになった。

 帰りは、Sさんたちが気を使ってくれて、車で、近江今津まで送ってくれた。鯖街道を行くと、意外と近く40分くらいで着いた。京都まで湖西線は、高架なので琵琶湖がきれいである。4時過ぎに小浜を出て、横浜は8時過ぎについたが、意外と近い。

 さて、小浜における経済効果であるが、いつものように町をぶらつき、いくつかの店をひやかした。木屋傳という和菓子屋さんでは、和菓子風のパウンドケーキがあり、珍しいので買い求めた。ここでは小浜名物の丁稚羊羹は、5本でワンセットであったが、おばちゃんに、「量が多くてたべられないなあ」といったら、「ちょっと待ってて」と言われて、つくりたてを3本切ってくれた。さらには、「どちらから来たのか」と問われて、「三浦半島」と答えたら、道々、食べてと言われて、お饅頭を一ついただいた。帰り道で寄った道の駅では、塩ポン酢、オバマ大統領風のお菓子などを買ったが、全体に値が張らないものばかりで(道の駅では、地元の人が出しているピーマンがなかなか立派で100円なので、これも買った)、残念ながら、小浜に与えた経済効果はわずかであったことを告白しなけらばならない。

 今度来るときは、ちゃんと小浜に泊まって、小浜・食文化の粋を堪能することにしよう。

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