
自治基本条例をつくってどうなるか。
私が、自信を持って言えることは、自治基本条例をつくれば、まちが元気になるということである。
自治基本条例をつくれば、行政が自信を持ち、たくさんのアイディアを出し、市民ニーズに合った政策を提案するようになる。
市民も、前向きで、建設的な提案をするようになる。あちこちでの実践が、他の市民や行政からも評価されて、さらに元気でまちづくりをするようになる。
これは、劇的に変わるものではなく、徐々に代わるものだから、日々では気が付かないが、10年後にもう一度振り返ってみてほしい。整形美容のビフォー・アフターのように、大きく変わっているのに気が付くと思う。
もちろん、単に条例文をつくったからと言って、このように変わるわけではない。大事なのは、行政が自信を持ち、市民がその力を存分に発揮できるように自治基本条例をつくるということである。つまり、まちは、上から与えられて元気になるものではなく、自らがつくることでしか、元気になっていかないものだからである。
そのためには、条例のつくり方が大事である。
�行政だけで作ってはいけない。同時に市民だけで作ってもいけない。両者が相乗効果があがるようにつくるのである。この市民だけで作ってはいけないというのはポイントである。市民が作ったので、行政その通りやれというのは、結局、今までと同じである。行政マンはまちづくりのプロである。そのプロの力も引き出せるように、一緒につくるのが、ポイントである。
�ちなみに議論は、最初は発展・改良である。どの意見にも、背景があり、ヒントがあるからである。しかし、時が来れば、今度は、収斂・収束になる。全部をとりいれることはできないからである。いい意見だと思っている人も、多くの共感を得られないときは、矛を収めるしかない。
考えてみれば、みんなの共感を得られない意見は通らないというのは社会の基本ルールである。社会と言わず、わが家庭内だって、私のよい(?)提案も、家族の共感を得られなければまったく通らない。
ところが、対行政との関係では、声の大きい人の意見が通っているのではないかと、多くの市民が感じている。これが市民のシラケ、無関心の原因の一つとなっている。これは行政職員だって同じである。一部の意見が通るようだと、ばからしくなって、通り一遍の決まったことしかしなくなる。これでは力が出ないのである。もったいないとも思う。
自治基本条例が自治の文化づくりというのはここに理由がある。自治基本条例は、自治の文化の礎である。この土台があれば、その上に、どんどん、石を積んでいくことができる。
10年後は長いが、その時、今よりもずっと良い社会になっていると思うと楽しくなるではないか。その礎づくりにかかわったと思うと、生きがいにもなるではないか。
この日は、あらためて、そんなことを考えた。
焼津の市民会議の特徴は、休憩時間に歌と演奏が入ることである。この日は、地元経済人のHさんの独演会になった。演奏は、焼津市役所職員で構成する自治基本条例ズである。Hさんの歌は、全国で2番になったという。全国ってなんだろう?すっと聞いてしまったが、このブログを書くときに?と思った。
私が、自信を持って言えることは、自治基本条例をつくれば、まちが元気になるということである。
自治基本条例をつくれば、行政が自信を持ち、たくさんのアイディアを出し、市民ニーズに合った政策を提案するようになる。
市民も、前向きで、建設的な提案をするようになる。あちこちでの実践が、他の市民や行政からも評価されて、さらに元気でまちづくりをするようになる。
これは、劇的に変わるものではなく、徐々に代わるものだから、日々では気が付かないが、10年後にもう一度振り返ってみてほしい。整形美容のビフォー・アフターのように、大きく変わっているのに気が付くと思う。
もちろん、単に条例文をつくったからと言って、このように変わるわけではない。大事なのは、行政が自信を持ち、市民がその力を存分に発揮できるように自治基本条例をつくるということである。つまり、まちは、上から与えられて元気になるものではなく、自らがつくることでしか、元気になっていかないものだからである。
そのためには、条例のつくり方が大事である。
�行政だけで作ってはいけない。同時に市民だけで作ってもいけない。両者が相乗効果があがるようにつくるのである。この市民だけで作ってはいけないというのはポイントである。市民が作ったので、行政その通りやれというのは、結局、今までと同じである。行政マンはまちづくりのプロである。そのプロの力も引き出せるように、一緒につくるのが、ポイントである。
�ちなみに議論は、最初は発展・改良である。どの意見にも、背景があり、ヒントがあるからである。しかし、時が来れば、今度は、収斂・収束になる。全部をとりいれることはできないからである。いい意見だと思っている人も、多くの共感を得られないときは、矛を収めるしかない。
考えてみれば、みんなの共感を得られない意見は通らないというのは社会の基本ルールである。社会と言わず、わが家庭内だって、私のよい(?)提案も、家族の共感を得られなければまったく通らない。
ところが、対行政との関係では、声の大きい人の意見が通っているのではないかと、多くの市民が感じている。これが市民のシラケ、無関心の原因の一つとなっている。これは行政職員だって同じである。一部の意見が通るようだと、ばからしくなって、通り一遍の決まったことしかしなくなる。これでは力が出ないのである。もったいないとも思う。
自治基本条例が自治の文化づくりというのはここに理由がある。自治基本条例は、自治の文化の礎である。この土台があれば、その上に、どんどん、石を積んでいくことができる。
10年後は長いが、その時、今よりもずっと良い社会になっていると思うと楽しくなるではないか。その礎づくりにかかわったと思うと、生きがいにもなるではないか。
この日は、あらためて、そんなことを考えた。
焼津の市民会議の特徴は、休憩時間に歌と演奏が入ることである。この日は、地元経済人のHさんの独演会になった。演奏は、焼津市役所職員で構成する自治基本条例ズである。Hさんの歌は、全国で2番になったという。全国ってなんだろう?すっと聞いてしまったが、このブログを書くときに?と思った。

ちなみに、全国2番とはカラオケのランキングのことで、2月の「涙のリクエストランキング」で2位になったということですので、実は自慢するほどのことではございません( ´ ▽ ` )ノ