松下啓一 自治・政策・まちづくり

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◇小室圭さんと眞子ちゃんのこと・ファシズムへの予兆

2022-11-21 | 5.同行二人
 小室さんががんばって、ニューヨーク州の弁護士試験に受かったという。大きなプレッシャーを受けながら、異国の地で、仕事をしながら、ワンルームマンションに住まいながら、よく頑張ったと思う。これは、自分だったら、どこまでできるか、自分に当てはめて考えるよくわかる。小室さんと同じことができる人がどれだけいるか。私だったら、とてもできない。

 我が家は、とくに眞子ちゃんを応援している。こどものころから、皇室の激務で大変だったと思う。この大変さは、自分が眞子ちゃんの立場だったらどうなのかを考えるとよくわかる。自由にしたい時代に、「あおはる」すらできない。思春期には悩んだと思う。あきらめて折り合いをつけて、仕事をつづけたのだろう。にもかかわらず、世のなかのプレッシャーで退職金も受け取ることもできなかった。だから、小室さんが弁護士試験に受かったとき、我が家の第一声は、「眞子ちゃんよかったね」である。

 あとは、ちゃんとした結婚式もしていないので、花嫁衣装にもなりたいだろうし、お父さんとお母さんも、その姿を見たいだろうから、どこかでできないかねえというのが、我が家の関心である。普通の市民なら、友達が、その段どりをしてあげることもできるだろうが、元皇族ということで、手作り結婚パーティもままならないのだろう(ニューヨークの人たちがやってあげたらいい。でもお父さんとお母さんは行かれないのだろう。旅行の自由もない)。

 ネットの世界も、これによって様変わりした。自分だったら、同じことができるかという観点から考えたら、よくやったというのが自然だからである。それでも、ヤフーコメントなどでは、酷いコメントが続いている。

 なかには、ニューヨーク州の弁護士試験は、合格率が6割を超えるので、そんな簡単な試験に3回目で受かるなんて、大したことはないという意見もある。こんな意見が非常識なのは、これも自分に当てはめるとよくわかる。自分の息子が、苦労して3回目で、ニューヨーク州の弁護士試験に受かったとき、「そんな簡単な試験を3回目でようやく受かるなんて」といわれたら、どう思うか。「余計なお世話だ、悔しかったら、お前の息子が受けてみたらよい」と思うだろう。あまりに常識がない。

 職場で、「あいつの息子は、簡単なニューヨーク州の弁護士試験に受かるのに3回もかかった。たいしたことがない」と言ったらどうか。職場の人たちから、引かれてしまい、誰も近づかなくなるだろう。普通は、どう思ったとしても、「よく頑張ったね。おめでとう」というのが世の中の常識である。でも非常識が、ネットの世界にある。

 私が、この問題に関心があるのが、こうした人たちの根底にあるのが「正義」で、その正義の発露が、ネットバッシングだからという点である。この正義がファシズムをあおり、ユダヤ人を虐殺することになると考えるからである。

 丸山真男は、「日本ファシズムの思想と運動」(1948年)で、日本の中間階級を「本来のインテリ」と「疑似インテリ」に分け、後者が日本のファシズムをあおったとしている。疑似インテリとは、普通の市民である。誰が疑似インテリに当たるかの丸山の分類は、首をかしげるが、普通の小市民が、日本のファシズムをあおったという点はその通りだと思う(丸山は、その後、インテリの分類を変えている)。

 普通の市民から考えての「正義」が、全体の大きな力となって、政治や軍部を動かしていく(劣っている東洋を日本が開いてあげるなど)。こういうバックアップがなければ、いくらナチスでもユダヤ人の大虐殺はできない。

 小室バッシングも、根底にあるのは「正義」だと思う。その正義の根っこにあるのは、片親に育てられた子どもが、皇室の娘のファンセになるのはふさわしくないという正義だと思う。そこに週刊誌のガセネタ(母親がどうのこうの)が、投げ込まれて、その正義は、ますます堅固なものになっていく。

 テレビドラマ(朝ドラ)を見ていると、戦争中に、西洋音楽を聴くのは非国民だと言って、主人公を迫害する場面がよく出てくる。それを見ると、なんて馬鹿なことをしたんだと思うが(ただ、かっぽう着に襷をかけたおばさんには、それが正義である)、それと同じ行動をやっている。

 ネット記事は、あまりに荒唐無稽なので(例えば、「皇室パワーで試験問題を事前に教えてもらっていたらしい」など)、ちょっと常識的に考えれば、ありえないことばかりである。

 週刊誌は、上手く書いてある。訴えられても負けないように、「関係者」の話として、「のようだ」という文脈である。これならば、言い訳ができる。気の毒なのは、それに、正義を求める人が飛びついて、話を「である」としてネットで論じることである。週刊誌からとすると、読解力のない読者が勝手に思い込んだということである (アメリカ大統領選で不正投票があったとあおったシドニー・パウエルは、その発進した情報の責任を問われて、「分別のある人なら、そんな情報は鵜吞みにはしない」真に受けた人がいけないんだと言い放った)。

 ただ救いは、今回の小室さんの問題は、あくまでもネットの世界での正義の振りかざしにとどまっている点である。これは、すでにみたように、現実世界でこんなことを言ったら、世のなかから総スカンになってしまうからである。そう感じるから、ネット世界で「匿名」で、言い合っている。だから、大きな声にならずに、ノイジーマイノリティにとどまっている。

 逆にいうと怖いのは、現実世界で、実名で、「おかしな正義」が、言えるような状況になったときである。これは政治や社会を動かす大きな力になる。おそらく、そのメルクマールは、「他者と面と向かって、ひそひそ話ができるとき」かどうかだろう。この時が、危ないときなのだと思う。
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