松下啓一 自治・政策・まちづくり

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★「なるほど」米子が面白い-自治基本条例(米子市)

2010-11-20 | 2.講演会・研修会
(2010.11.19) 米子 大阪で暴れる
 この日は、大阪天王寺では、米子dayとなった。
 午後からは、大阪市の協働研修で、Kさんが、米子の奮闘話を臨場感を持って報告した。
 夜は、大阪市職員を中心とする自治基本条例に関する勉強会があった(実際はさまざまな人が来ていた。枚方市の議員さんも参加した)。これは、せっかくの話を研修だけにするのはもったいないので、大阪市の自治基本条例、協働を担当する職員有志に集まってもらって、勉強してもらおうと考えたためである。
 こちらはYさんをメインに報告してもらった。Yさんの報告は、憲法の目的である個人の尊重(尊厳)から、立論した本格的なものとなった。個人の尊厳を侵すのは誰なのかということから考えると、政府の民主的統制だけでは解決にならず、自治を実現するためには市民間の問題にも踏み込むことになる。さらには、民主的統制の民主(市民)は、本当に、それを担えているのかという問題にも踏み込んでいくことになる。市民の自律、責任、信頼という最難関の難問にも、ぶつかっていくことになる。
 YさんをフォローしたKさんの論は、人の情に訴えるもので、二本で一本。あわせ業になった。
 終了後、区役所そばの居酒屋で、久しぶりに旧交を温めた。ここでも大いに語った。話が一段落したときは、新大阪発の最終新幹線はとうになく、久しぶりに大阪に泊まることになった。外に出ると雨が降り出していた。

(2010年7月1日)久しぶり・米子
 久しぶりに米子に寄ってみた(3月に学生たちと来て以来)。提言が出て、次の条例づくりに向けて、そのキックオフの研修会があり、そこにでた。部課長さんの会議であったが、そのまま横浜市にいたら、私は今年度退職になるので、同世代の人も多く、気楽な話となった。
 協働型の行政へ転換することは、一朝一夕に進むことではないが、一歩ずつ、前に進んでいく気持ちが大事なのではないか。あきらめず、期待を持ちながら、仕事にあたってほしいと思う。「自治基本条例で変わる、変える行政の組織と仕事」
 空港へは、和尚さんが迎えに来てくれた(翌朝も朝一番の便であったが、おにぎりを持ってきてくれた)。車は磨き上げたイギリスのミニ、かけている音楽はビートルズである。夜は、米子の夜の繁華街、朝日町で、すぐ泣く次長のSさん、担当のKさん、Yさん、和尚さん、そして転勤になったKさんも駆けつけて、にぎやかな宴席となった(相変わらず魚が旨かった)。自治を論じ、仕事を談じ、楽しいひとときを過ごした。同時に、こうしたがんばっている人たちをミスリードしないように、あらためて心することにした。
 今回の米子も大山が見れなかった。もう何回連続で、大山を拝めないのだろうか。

(2010年5月16日)「ごくろうさま」米子
 米子市民自治基本条例素案ができた。連絡をいただいたYさんからは、住民自治でいうところの「住民の意思」を、住民の代弁者として責任をもって取りまとめ、そして表現されましたとのこと。本当にそのとおりだと思う。
 米子市にとっては、こうした条例づくりは、もちろん初めてで、戸惑いも、そして反発も大きかったろう。しかし、自治基本条例づくりは、いわば市民文化づくりで、その第一歩をみんなの力で作り上げたということである。大いに誇るべしである。
 大きな成果をあげたが、同時に反省点もたくさんあるだろう。こうすればよかった、今ならばこうしたという反省点を明確にし、それを整理して、次に続く人たちに示してほしい。それが自治全体のバージョンアップにつながる。手間ではあるが、それが先達としての米子市の役割である。そのうち、機会をつくるので、一度、相模原にも出張ってほしい。
 行こう、行こうと思っていたが、結局、ボタンの季節には、米子に行くことができなかった。飛行に乗れば1時間強の近さ。羽田の出発ゲート(67番くらい)の方が遠いくらいである。そのうち、きっと行くので、いつものように賑やかにやろう。ごくろうさまでした。

(2010年3月9日)「いつも」米子は面白い
 大学の鳥取実習の合間に、協働推進課を訪ねた。ニコニコ顔のS課長、劇作家・演出家のK係長、いつでも奮闘中のY主任、和尚さん、めぐちゃんなど、つかの間であったが、久しぶりに再会した。みな提言まとめの最終段階で、忙しそうだった(したがって夜はなし)。
 今度の鳥取行きは、以前から、決まっていたが、数日前に、急遽、私が調整を担当することになった。困った私は、その晩遅く、メールで協働推進課に2泊3日の道筋を知らせ、調整をお願いした。翌日、10時に電話をしてみると、学生たちが泊まる宿泊先から(皆生温泉のオーシャンビューの菊乃家さん)、お会いするNPO等、まちの案内役、さらには、帰りによる鳥取砂丘の案内(ここは鳥取市コンベンション担当で旧知のUさんが担当してくれた)までの段取りが決まっていた。恐るべき仕事の速さとご配慮、ありがたかった。
 米子では、蔵を保存するNPOの人たちの話を聞いた(このひとたちは、米子城の石垣の草刈りもやった。米子の人たちも、米子が城下町であったことを思い出すことになった)。「行政の金には頼らず、行政の人やネットワークには大いに頼る」といっていた。いい話だと思う。
 昼食は、ほんまち通りにある怪しい店、「どどど」で食べた。学生たちも大いに喜んだ。
 こうしたことを主に、調整してくれたのがめぐちゃん。クレアでシドニー駐在をやり、米子に戻って協働担当している。聞くと、この3月に米子市を退職するという。青森にお嫁に行くらしい。米子と青森は遠く、悩んだと思う。でも青森でも、同じようにがんばってもらいたい(結局、めぐちゃんイアリング事件は紹介できそうにない)。
 春になったら、また米子を訪ねてみよう(一度、きれいに晴れた大山を見てみたい)。

(2009年8月13日)「なるほど」米子は面白い。
 米子モデルの意味は、住民自治・民主主義の基本から、自治基本条例を組みたてていることである。
 たしかに多くの都市でも、住民自治から考えるとは言っている。しかし、頭の中だけで考えるため、住民自治は、とかく政府への不満・要望に短絡化してしまう。せっかくの時間を使って、お任せ民主主義を強化する手段になってしまうのではないか。
 民主主義とは、市民自身が自律性を持ち、まちのことを大事に思い、考え、行動することであるが、この住民自治、民主主義から自治基本条例を考えると、市民自身が、自分たち自身で何ができるかを考えることから出発することになる。当然、市民だけでは、考え、議論、決定、実現できないものも多いから、それを補完するものとして、役所や議会の役割が見えてくる。こう考えると、自治基本条例の見え方がずいぶんと違ったものになるのではないか。
 米子の市民PIでは、検討委員会の市民たちは、米子の市民に、「米子や身近な地域のために、あなた自身ができそうなこと、または誰かと一緒だったらできそうなことは何ですか?」、「できそうなことであなたが一歩踏み出すために、必要だと思う環境や条件は何ですか?」と問いかけながら、意見を聞いている。住民自治、民主主義を地で行く質問であるが、こうしたことをさらっとやる米子市とは、一体・・・・。
 9月6日には、米子市民自治まつりがあり、自治基本条例で米子公会堂を満杯にするとのことである(1000人)。チラシを見ると、掛け合いあり、演芸ありの賑やかなものになっている。このあたりは、まさに米子で、もと人形劇をやっていたというK係長の面目躍如である。私は、当日は、長野の上田に行くために参加できないが、きっと面白いものになるだろう。「なるほど米子は面白い」。

(2009年7月14日)
 「またまた」米子が面白い。
 横須賀-一宮-上田-相模原-奈良-横須賀という3泊4日の日本縦断の旅から、久しぶりに家に帰ってきたら、米子から、自治基本条例検討委員会主催の「つながろ市民自治まつり」のメールがきていた。イベントは9月6日米子公会堂である。
 送られてきたチラシは、いつもながら楽しそうであるが、特徴は後援団体が多いこと。数えてみたら、チラシの載っているだけで33もあった。もちろん米子市議会も入っている。
 チラシに私のコメントが載っているが、私のコメントは、このブログからとった「真の住民自治、民主主義が始まると思う。すごいと思う。」というもの。ちなみに、当日、コメントをする今井邦人さんのは「ここまでやったのは、おそらく全国初でしょう」(いずれも案段階)。その通りだと思う。
 夜返事を書いたら、すぐ返事が来た。23時38分。いったい何時まで役所にいるのだろう。ちなみに連絡をくれたのは、メグちゃん。協働推進課に来る前は、CLIAR(自治体国際化協会)のシドニー事務所にいたらしい(メグちゃんのイアリング事件は次の機会に紹介しよう)。
 そうだ、今度、協働推進課のメンバー紹介をやろう。

(2009年6月30日)「やっぱり米子が面白い」
 時間ができたので、米子市役所の協働推進課を訪ねてみた。
 米子はしばらくぶりである(3月に来て以来)。今回も、いつものように曇り時々雨。大山をみることはできない。
 米子のがんばりは、横須賀にいても気になっていた。はじめは動きが鈍かったPIも、いまでは市民自身が動き始め、すっかり軌道に乗ったようだ。よく言えば進取の気性に富む米子ならではだろう。自治基本条例でまず問題となるのは、この条例原案は、市民全体の声なのか(一部の市民が作ったものではないか)という疑問・批判であるから、そのとき、このPIは効いてくる(無論、PIの目指すものは、そんな短期の対策ではないのはいうまでもない)。
 最近では、「議員PI」もやっている。議員さんとはとかく対立的になるのが、PIは水平の関係である。こういう初期の段階で、議員さんとPIをするというケースはほとんど見たことがない。位置づけが、「議員を経験している市民」というところが、絶妙である。何かというと、すぐに芝居仕立てにする米子であるが、舞台装置づくりもうまいということだろうか。
 夜はいつものように、日本海の魚。相変わらず旨かった。大いに食べ、大いに語った。いつもながら、楽しい会だった。
 自治づくりの勉強に、ぜひとも米子に行ってもらいたいが、老婆心ながら注意点をひとつ。米子の人たちと、まともに付き合ってはいけない。二次会、三次会と際限がないからである。

(2009年2月13日)
 米子市の自治基本条例は、検討の最初から市民PIを真正面にすえた条例づくりである(最初の委員会で配布した資料に「みなさんは市民代表ではありません」と書いてあった)。
 応募した市民は、市民代弁性を獲得するために、とまどい、迷っていたが、方向性を見い出したようだ。そこから、真の住民自治、民主主義が始まると思う。すごいと思う。
 それを支える事務局も、フル回転で、協働まちづくりの演劇やら(何かイベントがあるとすぐに芝居を作り、幕間にはさむ。市長もチョイ役で出るらしい)、あちこちでの説明会を元気にやっている(元管理職の私からすると、自由にやらせる管理職がすごい)。全国の自治体職員は、一度、米子に様子を見に行くとよいだろう(ただ、みんな夜が強いので、すべてまともに付き合わないほうがよい)。
 今回は、私は議員さんの研修を担当したが、議長さん、副議長さんと大いに話が盛り上がり、幕間の松下の本領を発揮した。この3月から、相模女子大の学生たちと鳥取県との地域連携事業を始めるが、来年のイベントが楽しみである。
 講演も終わり、今度の本の原稿も送ったので、本当に久しぶりにゆっくりした。皆生温泉につかった後、米子のほんどおりを歩いていたら、怪しい店にひかれるように、入ってしまった。元銀行の空き店舗を改装した店で(ドドドという店。鳥取銀行のあと、大金庫室があって、そこにもソファーがある)、まるでモロッコのようである(といってもモロッコへは行ったことはない)。ここでも店の若い人と大いに談じ、楽しい気分になった。
 次の行き先は、尾張一宮である。
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3 コメント

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お世話になりました (和尚)
2010-07-03 12:30:36
タイトなスケジュールの中、講演いただきありがとうございました。スタッフ一同、市民委員会による素案づくりを経て、ここからが条例づくりの第二ステージだと思っています。気を引き締めて頑張りますので、引き続きご教示よろしくお願いします。
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ありがとうございました (マロン教授)
2010-07-05 21:13:38
久しぶりの米子でしたが、愉快なときを過ごすことができました。ありがとうございました。私も、気を引き締めて、仕事に取り掛かろうと改めて思いました。ところで、青森にお嫁に行っためぐちゃんは、どうしているんでしょうね。
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盛り上がりました (マロン教授)
2010-11-23 00:25:04
 こんにちは。天王寺では盛り上がりました。参加者の何人かから、「元気をもらった」と言われました。米子パワーです。
 私は、ホテルに帰りましたが、二人は、さらに盛り上がりに、行ったようです。
 他市の人に忠告です。米子は大いに訪ねるべし、ただし、夜はまともに付き合わないこと。
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