
相模原市で、さがみはら国際プランの見直しをすることになり、公募委員の選考委員会があった。
在留外国人はすでに250万人以上いる。最近、政府は、事実上の移民政策を取り始めた。これまでならば、外国人はお客さんであったが、今後は、まちの当事者になってもらわないと、まちは回っていかない。これまで、お客を接待する側だった日本人が、少子化、高齢化で、とても耐えきれなくなっているからである。簡単に言うと、消防団にも入ってもらって、一緒に火を消してもらい、津波のときには、水門を閉めてもらわないと、みんなの平穏な暮らしができない。
これをやっていくのが地方自治で、このプランは、その第一歩になっていくのではないかと思われる。この点については、昨年、神奈川県市町村研修センターで、外国人活躍政策として、提言を行った。
ただ、今回の私の役は、そのための委員会における公募市民の選定委員である。そこで旧知のN課長に、「私は、選定委員会でなくて、検討委員会ほうがいいのではないかい」と聞いたら、要領を得ない返事で、きっと、創成期の南区区民会議で、一緒に新たな試みをたくさんやってきた、初めてのことや無理な注文を一緒に乗り越えてきたので、懲りてしまって、「松下先生に頼むと、また何をするかわからない」と思ったのだろうか。
委員3名で、公募市民の方のこれまでの取り組みや抱負を審査したが、3人のなかで、私の採点が一番甘かった。サガジョのテストでもそうだったが、それぞれの意見のよいところに目が行くので、点が甘くなる。どの委員会に入っても、私は、こうした傾向となるが、いまさら変えられないであろう。ただ、人によって、甘さ、辛さがあるが、それでもみな同じような採点結果傾向となるので、全体では良しとすべきだろう。
この日は、その後、人権・男女共同参画担当に寄った。マチプロの1年生が、シンポジュームのパネラーとして出ることになったが、「先生、アドバイスをお願いします」ということで、シンポジュームが、どんな内容になるか聞きに行った。情報を仕入れ、お昼に、相模大野のサイゼリヤで、打ち合わせをした。遠慮して、一番安いパスタをたのんだのが印象的だった(長い間ゼミをやっていくと遠慮しなくなる)。定年退職者をおもんばかったのだろうか。
在留外国人はすでに250万人以上いる。最近、政府は、事実上の移民政策を取り始めた。これまでならば、外国人はお客さんであったが、今後は、まちの当事者になってもらわないと、まちは回っていかない。これまで、お客を接待する側だった日本人が、少子化、高齢化で、とても耐えきれなくなっているからである。簡単に言うと、消防団にも入ってもらって、一緒に火を消してもらい、津波のときには、水門を閉めてもらわないと、みんなの平穏な暮らしができない。
これをやっていくのが地方自治で、このプランは、その第一歩になっていくのではないかと思われる。この点については、昨年、神奈川県市町村研修センターで、外国人活躍政策として、提言を行った。
ただ、今回の私の役は、そのための委員会における公募市民の選定委員である。そこで旧知のN課長に、「私は、選定委員会でなくて、検討委員会ほうがいいのではないかい」と聞いたら、要領を得ない返事で、きっと、創成期の南区区民会議で、一緒に新たな試みをたくさんやってきた、初めてのことや無理な注文を一緒に乗り越えてきたので、懲りてしまって、「松下先生に頼むと、また何をするかわからない」と思ったのだろうか。
委員3名で、公募市民の方のこれまでの取り組みや抱負を審査したが、3人のなかで、私の採点が一番甘かった。サガジョのテストでもそうだったが、それぞれの意見のよいところに目が行くので、点が甘くなる。どの委員会に入っても、私は、こうした傾向となるが、いまさら変えられないであろう。ただ、人によって、甘さ、辛さがあるが、それでもみな同じような採点結果傾向となるので、全体では良しとすべきだろう。
この日は、その後、人権・男女共同参画担当に寄った。マチプロの1年生が、シンポジュームのパネラーとして出ることになったが、「先生、アドバイスをお願いします」ということで、シンポジュームが、どんな内容になるか聞きに行った。情報を仕入れ、お昼に、相模大野のサイゼリヤで、打ち合わせをした。遠慮して、一番安いパスタをたのんだのが印象的だった(長い間ゼミをやっていくと遠慮しなくなる)。定年退職者をおもんばかったのだろうか。