
担当者の報告は、関連判例を詳細に調べ、よくできたもので、結果的には、軽過失でも損害賠償請求を受けるので、注意して仕事をすべきという結論だった。参加者からも、多数の質問が出たが、基本は職員はどうすれば自分を守れるかという観点からのものだった、
これに対して、私は次のような意見を出した。
たしかに判例等を考えると、このような結論になるのは分かる。しかし、結果的に公務員に過度の責任を負わせる結果になり、それによって公務員はますます委縮し、守りに入ってしまい、それは結局、住民の利益にならないのではないか。
政策法務の立場としては、職員を守るだけでなく、住民のために、職員が存分に活動できるようなルール(条例や要綱)を提案していくべきではないか。
また政治的流れをつくることも重要で、市長へきちんとアドバイスするなどの実践も重要ではないか。
大要、そんな意見を言わしてもらった。いやな奴と思われたかもしれないが、それが政策法務のそもそもであったはずである。
付け加えると、政治的流れとは、次のような問題意識と体験からである。
川崎市の事例を見ても、市長は、雰囲気に流される。公務員が反論しないことをいいことに、公務員に過度な責任や行動を求めるのが、世間の風潮で、それに迎合しがちである。前にも書いたが、今はゼミ生から相談があっても公務員は勧めない。もはやブラック企業だからである。国家公務員からどんどん人が引いていくように、地方公務員もそうなっていく。それは結局、社会全体の利益にならない。
体験のほうは、住民訴訟の制度改革である。改正前の法では、住民訴訟になったとき、被告(裁判当事者)は市長であった。仕事に関連した訴訟だから、何十億円にも及ぶ訴訟であるが、住民から訴えられると、市長は、自分で弁護士を探し、自分のお金で裁判しなければいけない。
役所の仕事で事業を行い、それについて訴えられて、なぜ自分の費用で裁判しなければいけないのか。おかしいではないか、それを言い出したのは、当時の横浜市長だった。そんな制度を続けていたら、市長のなり手がなくなる。あるいは、市長が守りに入り、真に住民の利益になる仕事をしなくなるというのが、市長の問題意識である。
そこで市長自らが、総務省や関係機関に働きかけた。その結果、今の制度、住民訴訟になったら、役所が裁判当事者となって、ことの是非を争うという制度になった。
問題状況は、職員の損害賠償も同じである。まずは、市長自身が自信を持って行動してもらうために、ここは法務の役割である。霞が関法務をなぞるだけではなく、政策法務の研究会なので、こうした議論をしてほしかった。