
神奈川県下自治体職員9名でやっている研究会の報告書ができあがった。
環境という大括りなテーマで集まったが、空き家対策に焦点を絞り、毎月、研究会を開いてきた。その報告書の最終の詰めが行われた。
私は、アドバーザーという位置づけで、かかわりが難しいが、昔を思い出して、結局、ひとつひとつ、手を出すことになってしまった。私の指摘は、一つの指摘であって、各研究員の参考にしてほしいと考えて、メモを書いたが、結構な縛りになってやりにくいという人もいたのではないか。もう少し、時間があれば、別の対応もあったが、この日の校了ということだったので、突っ込みすぎてしまったのではないかと心配した。でも、必ずしも、私の意見を全面的に聞いているわけではないようなので、ちょっと安心した。
市役所にいたときに、ずいぶんと報告書を書いたような気がしたが、思い出してみると、ほとんどないのである。最初に書いた住民基本台帳の電算化をめぐる提言が、私自身にとって、最初でかつインパクトがあるものだったために、そう思い込んでいたようだ。
この日は、一つひとつ読みながら、最終確認をした。ここで注意したのは、時間がないので、ニュアンス表現の議論はしないことにした。書いてあることが正しければ、ニュアンスに多少の違和感があっても、先に進むのである。本来ならば、そうした意見交換の時間を取りたいが、今回は日程的にあきらめることにした。
完璧を記したつもりでも、誤記やスタイルの間違いが必ず出てくる。これは仕方がないことで、今回は、そうした誤りを確認できたようだ。
内容については、また別の機会に紹介しようと思う。空き家対策は、少なくとも、条例をつくって、勧告、命令、氏名公表では解決しないことは明らかで、自治の本体に触れる本格的な取り組み、仕組みづくりが必要なことは間違いない。いずれにしても、スパッとした答えが出ないテーマで、ヒットを重ねていくしかないテーマであることがよく分かった。この発表会は、1月の末に開かれる。
私的には、ゼミ生の卒論とこの報告書が同時進行し、あわせて研修が連続して、とてもブログを書く余裕がなかったことを報告しておこう。ちなみに学生たちも、何とか卒論を提出し、おそらく論文審査もパスして、無事、大学を卒業できるだろう。こちらの研究会は、最後の発表会まで、あとひと踏ん張りである。
環境という大括りなテーマで集まったが、空き家対策に焦点を絞り、毎月、研究会を開いてきた。その報告書の最終の詰めが行われた。
私は、アドバーザーという位置づけで、かかわりが難しいが、昔を思い出して、結局、ひとつひとつ、手を出すことになってしまった。私の指摘は、一つの指摘であって、各研究員の参考にしてほしいと考えて、メモを書いたが、結構な縛りになってやりにくいという人もいたのではないか。もう少し、時間があれば、別の対応もあったが、この日の校了ということだったので、突っ込みすぎてしまったのではないかと心配した。でも、必ずしも、私の意見を全面的に聞いているわけではないようなので、ちょっと安心した。
市役所にいたときに、ずいぶんと報告書を書いたような気がしたが、思い出してみると、ほとんどないのである。最初に書いた住民基本台帳の電算化をめぐる提言が、私自身にとって、最初でかつインパクトがあるものだったために、そう思い込んでいたようだ。
この日は、一つひとつ読みながら、最終確認をした。ここで注意したのは、時間がないので、ニュアンス表現の議論はしないことにした。書いてあることが正しければ、ニュアンスに多少の違和感があっても、先に進むのである。本来ならば、そうした意見交換の時間を取りたいが、今回は日程的にあきらめることにした。
完璧を記したつもりでも、誤記やスタイルの間違いが必ず出てくる。これは仕方がないことで、今回は、そうした誤りを確認できたようだ。
内容については、また別の機会に紹介しようと思う。空き家対策は、少なくとも、条例をつくって、勧告、命令、氏名公表では解決しないことは明らかで、自治の本体に触れる本格的な取り組み、仕組みづくりが必要なことは間違いない。いずれにしても、スパッとした答えが出ないテーマで、ヒットを重ねていくしかないテーマであることがよく分かった。この発表会は、1月の末に開かれる。
私的には、ゼミ生の卒論とこの報告書が同時進行し、あわせて研修が連続して、とてもブログを書く余裕がなかったことを報告しておこう。ちなみに学生たちも、何とか卒論を提出し、おそらく論文審査もパスして、無事、大学を卒業できるだろう。こちらの研究会は、最後の発表会まで、あとひと踏ん張りである。