個人情報保護条例を作って、17.8年後。水道局の企画の課長のときである。
隣の課長が、雑談にやってきたいろいろな話をしていた。年末か年始で、ちょっと一段落のときだと思う。とりとめのない話をしていたが、その課長さんは、そのうち、「横浜市の個人情報保護条例は、厳しいですね。・・・」と、やや個人情報保護条例の悪口的な話をし始めた。
私は、「ああ、そうなんですか」とか、「へえ、そうですか」と、聞いていた。
その時、外部の人が、挨拶回りでやってきた。総務のときに、個人情報保護条例を一緒に作った部長さんで、このときは、すでに退職して、外郭団体の理事長をやっていた。
事務室に、入ってくるなり、開口一番、挨拶もそこそこに、「松下くん。一緒に作った個人情報保護条例は、あれは面白かったね」と言い放った。いま、個人情報保護条例の話をしていた隣の課長は、口をあんぐり開けて、「・・・・」。
しばらくして、くだんの課長さんがやってきて、「個人情報条例は松下さんの仕事だったのですか。すいませんでした」と、小さな声で謝っていかれた。
隣の課長が、雑談にやってきたいろいろな話をしていた。年末か年始で、ちょっと一段落のときだと思う。とりとめのない話をしていたが、その課長さんは、そのうち、「横浜市の個人情報保護条例は、厳しいですね。・・・」と、やや個人情報保護条例の悪口的な話をし始めた。
私は、「ああ、そうなんですか」とか、「へえ、そうですか」と、聞いていた。
その時、外部の人が、挨拶回りでやってきた。総務のときに、個人情報保護条例を一緒に作った部長さんで、このときは、すでに退職して、外郭団体の理事長をやっていた。
事務室に、入ってくるなり、開口一番、挨拶もそこそこに、「松下くん。一緒に作った個人情報保護条例は、あれは面白かったね」と言い放った。いま、個人情報保護条例の話をしていた隣の課長は、口をあんぐり開けて、「・・・・」。
しばらくして、くだんの課長さんがやってきて、「個人情報条例は松下さんの仕事だったのですか。すいませんでした」と、小さな声で謝っていかれた。