(2011.3.24)自治基本条例が議決された
自治基本条例が議決されたという連絡をいただいた。
提言したのが去年の8月、暑い頃であったので、この間、さまざまな議論が行われたのだろう。最終的には、どのようになったのか、議事録等がアップされたら確認してみたいと思うが、多くの人(行政、市民、議員等)がかかわって制定されたのであるから、これを尊重したいと思う。
今日の自治基本条例の議論は、ニセコから始まった役所内部の条例論を超えて、自治そのものをどのようにつくるのかというステージに移っている。次は、「まちが変わっていく」という実感がもてるように、市民、行政、議員など、小田原の人たちが知恵を出し合って、大いに奮闘して、自治を積み上げることを期待したい。
今回の大地震や大津波、原発問題は、私たちの暮らしそのものを変えることになった。これまでは欠点をあげつらい、非難することが自治のような風潮もあったが、多くの人が、人のために何ができるのか、地域のために何をしたらよいかを考え、考えるだけでなく、それを実践しているなかで、なんと冷たい自治論なのだろう。
自らも被災者であるにもかかわらず、市民のために大いに奮闘している自治体職員や市民がたくさんいる。そうした力を支え、盛り上げるのが、自治経営であり、市長さんはもちろん市民の役割だと思う。自治基本条例は、そのきっかけになるだろう。
自治基本条例の勉強グループから、地震直後、市民による被災者の受け入れ先の準備を始めたという連絡をいただいた。自治基本条例というのは、そういうものなのだろう。
(2011.2.19) 条例案が議会に上程された
自治基本条例が、議会に上程されたようだ。提言を踏まえて、条例案をつくってから、だいぶ時間がたったが、その間、さまざまな議論やご苦労があったのではないか。関係者の方々は、ご苦労さまであった。
内容的には、パブリックコメントや説明会等があって、さらにこなれた規定になったようだ。やはり多くの視点から、議論し、意見を聞くというのは、内容の質を高めていくことになる。さらに、議会でさまざまな視点で議論する中で、ブラッシュアップしてもらいたい。
パブリックコメントを見ていたら、興味深い意見があった。
①「委員のみなさん、ごくろうさまでした」という文章があった。パブリックコメント全体の本文は見ていないが、気になるのは、その後に続く文章である。「ご苦労さんでしたが、しかし、私は以下の点について妥当でないと思う・・・」という文面が続くのだとしたら、これはずいぶんと説得力があるパブリックコメントになる。声高に主張すればするほど、引かれてしまう時代にあって、穏やかに励ましつつ、きちんと整理して論を展開するやり方は、これは説得力がある。この文章に、自治の時代をいく意見提出方法のヒントを見たように思った。
②私の意向が強く出た条例案という意見もあった。光栄だけれどもこれは買いかぶりすぎ。今回の検討委員会のメンバーは、地道に地域活動を実践している人たちなので、それぞれが、自治に対する思いを持っている。そのメンバーが、自由に意見を言い合い、そして聞き合いながらまとめていったものだからである。今回の条例案では、私の意見と違うところがもちろんあるが、議論して決まったことであるから、私もそれに従っている。自分の意見を言い合い、他者の意見を聞きあって、そして合意をしたものは(説得できなかったものは)、最後には、それを許容するのが民主主義だと思う。
③ほかの条例を見なかったという点である。自治基本条例は自治を創造する条例なので、小田原市の課題がなんで、どのように解決していくのか、その道筋を小田原という地域から立論しようと考えたのである。市民会議として、他都市の条例をつまみ食いすることはしなかったという意味である。無論、委員さんは、各自で、それぞれの自治基本条例を参照し、自分の思いと照らし合わせるという作業はやってきている。要するに、ニセコではこうなっているからという議論を誰もしなかった点が優れていると思う。
役所を統制すれば、それで幸せになれるという時代は終わっている中で、本来の意味での自治を構築する時が来ている。自治基本条例を出発点に、小田原市民が力を合わせて、更なる自治が積み上がることを期待したい。
(2010.10.8) 励ます条例としての自治基本条例
小田原市が、提言を踏まえて自治基本条例案を作った。
詳細に見ると、提言案と条例案は、微妙なところで違っているが、事務局は、検討内容をつぶさに知っていることから、種々の状況を踏まえて、精一杯、奮闘して作ったのだと思う。
この条例は、励ます条例として創られている。行政や議会に対して、「あんたが、がんばらないでどうする」、市民自身にも、「今、みんなでがんばろううよ」と励ます条例である。この内発的ながんばり(湧き上がってくる力)でしか、今日の難局は乗り越えられないだろう。それを後押しするするのが自治基本条例である。この条例を受けて、まず行政から、がんばる姿を示してほしいと思う。大いに期待したい。
(2010.8.27)オープンスクエアを行った
提言を受けて、オープンスクエアを行った。今後は、行政と議会に下駄を預けて、条例化の段階になるが、この時期に、オープンスクエアをやった狙いは、この提言の周知とともに、パブリックコメントである。一般にパブコメというと、案が固まったあとでの意見聴取であるが、これでは、どんないい意見でも、取り入れることが難しい。条例化に向けて、もし私たちが議論していない事項があったら、そこを補足して、さらにバージョンアップしていくためである。
とかく、市民提言が出ると、委員は、これを守ることに始終するが、さまざまな視点から、意見をもらい、よりよい条例になるようにすることが大事である。
後半のワークショップでは、委員さんが各グループに散って、疑問に答え、議論をすることにしたが、委員さんはみな自信を持って、自治について、自分の言葉で思いを語っていることに驚いた。頭でっかちの自治ではなく、暮らしにつながる自治である。
このように、市民に考える機会をたくさん保障し、当事者として(単なる批判者、評論家としてではなく)、まちのことを考えていくチャンスがあれば、市民は、あっという間に力をつけていくのだろう。こうした一人ひとりの力が自治力の源泉になるのだろう。
時間がかかるかもしれないが、多くの市民が当事者となる仕組みを作っていくことが、結局は、自治を実現する早道になるのだろう。
(2010.8.23)提言を市長宛に提出した
提言がまとまり、加藤市長へ提出した。まず私から簡単な概要説明し、委員さんから感想を言ってもらった。1年間で委員会だけでも27回。本当によく小田原へ通ったと思う。
誇るべきは、小田原方式ともいうべき手法。
①ほかの自治体の条例を見ずに、市民が本当に大事だと思くこと。
②市民への思いをはせながら、考えること。
これは、自治基本条例だけのルールではなく、自治全体に通用するルールになると思う。その道筋を開いたのではないか。
委員さんからも、それぞれ自分の思いを語ってもらった。発言は要を得ていて、このメンバーは、まったく心配が要らない。
この委員会では、私はすっかりと自分のスタイルでやらしてもらった。私のスタイルとは、
①参加者、それぞれの持ち味を最大限引き出すこと。
②形式ばらず、フランクに議論すること。進行表などは、いつの間にかなくなった。
③知恵や知識のある人は、大いに使うこと。大事なのは、ファシリテーターでも行政職員でも、知恵を持っていれば、大いに出してもらうこと。だって、もったいないではないか。
市長との懇談は、やや時間が短かったのが残念。加藤市長さんは、よく話すので、もう少し時間があれば、さらに面白いことになったろう。
小田原はあと一回。オープンスクエアで、市民の意見を聞く。もうひとがんばり。
(2010.8.9)提言案がほぼまとまった
第27回の検討委員会があった。今回で、提言案がほぼまとまった。内容は見てもお楽しみだが、一般的な自治基本条例とはずいぶんと違うものになった。
何よりも、コミュニティに関する記述が分厚いことである。市民が議論すれば、これは当然だろう。
個人がやったほうがいいことは個人が行い、それでもできないことは地域が行う。かつては、金に物を言わせて、この部分も行政がやってきてしまったために、この自立の風土を壊してしまったが、この自治の基本を再生しようというのが、今回の自治基本条例づくりの主たるターゲットとなった。
これまで自治会町内会というと、戦争の一翼を担ったという過去に引きづられて、ふれるのを避けてきた。ただ、間違いは間違いとしてそれを正し、そのよさを伸ばすのが自然のことである。いつまでも、逃げ回っていても、前には進めない。
この部分は、私的な領域の部分であり、国の憲法ではふれることができないが、これを自治体の憲法として、明確にしようというものである。言い換えれば、新しい公として、こうした市民の活動を位置づけようというのが、自治基本条例のねらいである。いつまでも、国と同じようなことをしている必要はない。国ができないこと、地域ならばできることを実践していくのが、地方分権である。
この提言が、どのような評価を受けるのかは気になるところであるが、一番の強敵は、思考停止した横並び論だろう。最近では60条にも及ぶ満艦飾の自治基本条例ができている。それと比べて・・・という議論は分かりやすい。それもあるが、実は本当の強敵は、無視・無反応である。自治基本条例は自治の運動でもあるので、スタートが勢いつかないとこれはつらい。小田原をいいまちのしようと考える人たちの元気の元になるのが、自治基本条例だからである。
(2010.6.18) 懇親会があった
委員会終了後、懇親会があった。最初の挨拶でも言ったが、この検討委員会では、メンバー全員が、市民の意見を謙虚に聞き、それを自分のなかで反芻し、自らの思いと融合させて発言している。そんなメンバーとの懇親会なのでは、気持ちがよい宴会となった。
大声で論じ、酒を注ぎ、思いを語った。本会議のほうは仕事で出れないが、懇親会のほうは、駆けつけるという委員が何人もいて、検討委員会のメンバーにとっても、この会の位置づけが、良いところにあることを示している。
個性豊かな人たちであるが、圧巻はSさん。ボランティア活動のリーダーをやっているという。おそらく女学生時代は、男子学生からたくさんのラブレターを下駄箱に置かれたであろうという面影は、今日でも多分に残しているが、ジェンダーを論じ、子育てを論じているかと思うと、酒がないと叫ぶ。あっという間に場を取り仕切る。愉快である。
単線ではない、さまざまな切り口を持つメンバーだからこそ、多元性を地で行く会議ができるのだろう。またまた、おもしろい人たちに出会うことができた。ありがたいことである。
(2010.6.11) 地域コミュニティ検討委員会との意見交換
第20回の会議は、地域コミュニティ検討委員会との合同の意見交換会。小田原市では、いくつかの委員会が動いているが、ほかの委員会との交流、意見交換というのは、初めてである。私の長い体験でも、検討委員会同士で意見交換するというのは初めての体験である。
意見交換会は、委員さんの要望で実現したが、これまでのような行政主導の会議では、起こりえないことだろう。委員の当事者性があり、自分たちの検討が、多くの人に受け入れれらるものとしようという思いがなければ、実現しないことだろう。自治基本条例では、まさに自治の実現を目指しているが、その具体的な一歩だと思う。
会は、最初は、やや緊張気味でスタートしたが、そのうち、委員さんが積極的に発言するようになり、最後には、両委員会とも同じ方向を目指していることがわかったという発言が相次いだ。わが副委員長が、「そちらの委員会を報告をそのままいただきたいくらい」と、みんなのお思いを代弁したが、そのとおりだと思う(彼は時々、きらりとしたことを言う)。また、こうした会議をやろうというまとめになったが、条例が出来上がり、フォーラムをやるときなどは、一緒にやったらいいと思う。民主主義の学校現場で、明るい可能性が開けた、有意義な時を過ごすことができた。
(2010.5.21)
第18回目の委員会になった。記事はだいぶ飛んでいるが、それは私が記事を書くのをサボったためで、小田原には、まめに通っている。どんどんエスカレートして、今日から、開会が30分早まり、6時半スタートとなった。
大きな骨格が見えてみたので、一度整理しておこう。
1.この市民提案の柱は、①市民自治と②協働である。①市民自治は、市民の主体性、自律性である。自分たちで考え、創造していくことである。②協働は、市民や地域、まちを元気にするということ。一緒にやるという狭い意味ではない。
これによって、持続可能なまち(自治)をつくっていこうというのが自治基本条例である。ここは、条例の目的や基本理念にあたる部分である。
2.ここを軸に、仕組みを考えていくところが、各論である。
ヒントのひとつは、現在の行政の条例や制度は、市民や地域を元気にするという組み立てになっているのかという点である。たとえば、情報提供でみると、行政の情報をお知らせするというレベルにとどまっているのではないか、市民や地域が元気になるという視点から見ると、内容ややり方が、ずいぶんと違ったものになるのではないか。自治基本条例で方向を示し、それを今後、考え、見直し、実践していくことになるのだろう。
3.自治基本条例は最高法規といわれるが、実は2で述べたことが、最高法規である実践的な意味だと思う。また、こうしたことを条文に素直に書けば、先発の条例とは違う、身のある最高法規性の規定になるだろう。
4.運用に当たっては、きちんとした進行管理が行われることである。
①自治基本条例(市民自治、協働)を具体化するために組織編制が行われること(全課全係に及ぶ)
②進行管理が行われること。総合計画と同じような5年間の計画と各年度の達成度が明記される。
③企画・政策、財政・予算面からのコントロールが行われること
等が、現時点で思いつくことである。
何度も言うが、協働とは、市民や地域を元気にすることである。そのように組織編制し、コントロールするということである。
会議の最後に、緊急動議が出た。近々、委員会メンバー、行政メンバーを含めて、安いところで懇親会をやろうという意見である。Tさんの発案であるが、提案理由を聞くと、タイミング、趣旨という実によく考えられている。懇親会ひとつとっても、知恵、知識があるものだと思った。合宿という話もでて、老いも若きも、偉い人もふつうの人も、一体感が満ち溢れている委員会であることを報告しておこう。
(2010年3月19日)
検討委員会では、オープンスクエアで出た意見を咀嚼し、委員の考え方というフィルターにかけてまとめていくと言う作業を行っている。今回のテーマは議会。これを①議会運営の改革、②議員、議会の仕事ぶりの改革、③市民と議会の対話交流、④市民自身の意識改革に分けて整理した。いろいろな意見、アイディアがでた。その日の議会終了後、市民と議員が意見交換する機会をつくる、議会に対して市民が専門性、多様性の意見をサポートする仕組み等が出された。要するに、議会は、行政部に負けずに、市民を引き寄せて(市民を味方につけて)、よい仕事をするというものである。市民の取りっこであるが、議員の数が多い分、地域に密着している分、議会のほうが強みがあるのではないか。
今回も、みな積極的で前向きな、明るい意見をだした。流山市から、Tさんが傍聴に来ていたが、すごいすごいと驚いていた。自分たちが苦労したことを小田原では難なくやっているのに、驚いたのだと思う。
自治体法務研究に小田原や米子のことを書いたので、雑誌がでるころに再度紹介しよう。 この日は、やや時間があったので、ちょっと珍しい店でコーヒーを飲んだ(山口菓子店。舗錦通り)。地方都市に行くと、時々見かけるお菓子屋さんのつくりである。二階が喫茶点になっていて、木製の床が心地よかった。
(2010年3月5日)
小田原の検討委員会は学ぶことが多い。小田原方式のひとつが、市民とのキャッチボールである。市民が市民とキャッチボールをする。
ここ数回で、これまでばらばらであった議論が、少しずつ島のようなかたちになってきた。この時点で、これを市民に戻そうと(オープンスクエア)、そのやり方、担当を決めた。今回も苦労なく、すんなりと決まった。
市民による検討方式は、公募型、推薦型、抽選型などがある。それぞれのよさと弱点がある。言えることは、公募だけが優れているわけではないということである(机上で考えると、公募=民主的という形式論になる。実際のやり方を誤ると、公募=非民主的になる)。
小田原の方式は、公募と推薦の合体形式で、推薦委員の長い間の経験・信頼を活かす方式である。その推薦委員が唯我独尊にならないという心構えと実践を行っているところが特筆すべきところである。
こんな会議であるから、最近の私はつまらない冗談の連発で、その分、みんなの持ち味が出る会議になるだろう。
(2010年2月25日)
検討委員会のテーマは、協働だった。協働という言葉は、従来、市民活動支援といっていた言葉を言い換えたものである。1996年に私も参加していた研究会で、神奈川県のUさんたちが編み出した言葉である。
検討委員会では、「協働をわかりやすくいうと」というテーマで議論した。さまざまな意見が出たが、「自らのことは自らやる」といった、市民の自律をキーワードに、協働を定義する人が多いのが印象的だった。
一般に協働というと、行政と市民が一緒にやるという意味で使われる。確かに、その出自からいっても(もとは市民活動支援)、よく理解できるところであるが、逆に、協働をこのように狭く考えることで、問題の本質を見失う言葉にもなってしまっている。そこで、私は、あえて、一緒にやらない協働といったことも言っているが、要するに、協働の本質は、まずは自律で、そこから対等、責任、信頼が出てくるということだと思う。この点については、『市民協働の考え方・つくり方』(萌書房)に詳しく書いたので読んでほしい。
協働は、新しい社会をつくるエネルギーになる。従来の要求型・対立型の行動原理は、最低保障が十分でない時代、右肩上がりに時代には、それが成長の原動力となった。ところが、成熟時代になると、これは成長のバネではなく、むしろ大きなロスになる。協働というのは、時代を変えるパラダイムで、要するに、これまでお役所任せであった市民が、公共的なことにかかわり、そこで新しい世界を知ること、その発見や広がりをパワーとする考え方である。そのパワーを束ねて、大きな力として、時代にあった社会をつくっていこうというのが協働の意味するところである。協働のキーワードは信頼でもあるが、信頼があれば、保険をかけるというロスも少なくなる。
こうした社会づくりは、一定の豊かさを実現し、市民の層が厚い日本でなければできないことである。自治基本条例づくりは、そのきっかけとなる「条例」づくりである。
(2010年2月19日)
今回のオープンスクエアは、PTAのひとたち。小学校、中学校のPTA連絡会のメンバーが、新旧顔合わせを兼ねて、自治基本条例を考えた。
いつもの会との違いは、こどもたちの父兄ということで、やはり若い人が多いということ。なかなかまちづくりには、出て来にくい人たちの会となったことである。ワークショップをやったが、後半は立ち上がっての議論で、盛り上がった。
特筆すべきは、こうした会議をやろうと企画し、それを実現した事務局の仕事ぶりである。
この条例は、事務局の力量が問われる条例である。市民中心だからといって、後ろにいて、ただ見ているだけでは、市民主体の条例づくりは進まない。事務局が、大いに前向きの口を出し、手足を動かせるかで、市民協働型の条例の成否が決まってくる。PTAにとっては、こうした会議に参加するかどうかで、当然、内部的には異論もあったろう。それを説明し、会議開催までもってきたのは、PTAのリーダーたちの視野ととともに、それをバックアップした事務局のがんばりがあってのことである。市民協働立法と事務局というテーマは目立たないが、大きなテーマだと思う。
小田原市では、課長以下の事務局が、それぞれの役分・持ち味で、その力を発揮している。適材適所といってよいだろう。今回の集まりも、やや大げさに言えば、「新たな地平を切り開いた」ということだと思う。
(2010年2月5日)
いい話を聞いたので、忘れないうちに書いておこう。
昨日の検討委員会のテーマは、自治会・町内会とNPOである。いずれも自治にとって重要であることを確認して、それを支える支柱のようなものをみんなで抽出した。
たくさんの意見がでたが、現役の町内会長さんであるSさんに「ずばり、会長を続けている元気の素」を聞いてみた。答えは、町の人から言われる「ありがとう」だという。
会社とは違って、自治会のような団体は、強制力でメンバーを縛ることができない。そこが、こういった組織を維持し活性化することの難しさであるが、この組織の成否はリーダーに人を得られるかどうかである。コミュニティ政策としては、いいリーダーを見つけて、がんばってもらうのが、ポイントになるが、「ありがとう」は、がんばれる素になる言葉である。「ありがとう」が、条文のキーワードになったら、いいと思う。
町に出て議論をするようになると、改めて気がつくことが多い。ものごとは決して単純ではなく、一見よさそうに見えることも、実際にはたいしたことない・・・そうしたことがたくさんある。情報が多く、知識が増えているので、教科書的、マスコミ的な見方で、それなりの意見を言う人も増えたが、実体験がないので、言葉が上滑りになる。訴える力が弱いから、それを補うために、どうしても怖い顔、強い声になる。それに比べて、北風と太陽ではないが、「ありがとう」は、実は、強い力を持つ言葉になる。
「ありがとう」は他者への配慮からでた言葉で、自然に「ありがとう」という言葉が出る社会をつくっていくのが自治基本条例なのだろう。
(2010-01-09)
ほぼ毎週のようなペースで小田原に通っている。昨晩、今年初めての委員会があった。小田原の自治基本条例は、市民委員で構成される検討委員会とオープンスクエアと呼ぶ市民がフリーで参加する市民会議を並行で行う、デュアル方式である。
昨晩は、これまで行ったオープンスクエアの意見を読み込む会議を行った。最近の自治基本条例では、市民の意見の聞くことが一般的になっているが、多くの場合、聞きっぱなしになっている(これを検討に反映する仕組みが開発されていない。膨大な意見をただ分類・整理しても、それだけである。結局、各委員さんが、それぞれで咀嚼するという対応になってしまう)。そこで、委員全員で、意見を読み込み、自治基本条例に入れ込めるフレーズをピックアップしようというのがねらいである。
自治基本条例とは、まさに新しい自治のルールをつくっていくための枠組みである。それゆえ、つくり方が肝心で、新しい自治のルールにふさわしいようにつくっていくべきである。今回の検討では、事務局の人も各グループに入って、意見を出してもらった。条例にふさわしい意見を抽出するような作業は、役所の人は得意である。「市民の会議に役所の人が入るのは干渉だ」とか、「市民が主役だから役人は後ろに引っ込んでいろ」といった議論がかつてはあったが、これは結局は要求型で、ひいては行政依存型である。本来の「自治」は、住民自身も、そして住民から信託された行政、議員も、その力を存分に発揮してこそ出来上がると思う。その仕組みを作るのが、自治基本条例の意義だと思う。
この会議も、市民が市民の意見を聞こうという姿勢が鮮明で、ニセコ型を乗り越え、自治基本条例づくりも完全に、第二ステージに入ったと思う。
自治基本条例が議決されたという連絡をいただいた。
提言したのが去年の8月、暑い頃であったので、この間、さまざまな議論が行われたのだろう。最終的には、どのようになったのか、議事録等がアップされたら確認してみたいと思うが、多くの人(行政、市民、議員等)がかかわって制定されたのであるから、これを尊重したいと思う。
今日の自治基本条例の議論は、ニセコから始まった役所内部の条例論を超えて、自治そのものをどのようにつくるのかというステージに移っている。次は、「まちが変わっていく」という実感がもてるように、市民、行政、議員など、小田原の人たちが知恵を出し合って、大いに奮闘して、自治を積み上げることを期待したい。
今回の大地震や大津波、原発問題は、私たちの暮らしそのものを変えることになった。これまでは欠点をあげつらい、非難することが自治のような風潮もあったが、多くの人が、人のために何ができるのか、地域のために何をしたらよいかを考え、考えるだけでなく、それを実践しているなかで、なんと冷たい自治論なのだろう。
自らも被災者であるにもかかわらず、市民のために大いに奮闘している自治体職員や市民がたくさんいる。そうした力を支え、盛り上げるのが、自治経営であり、市長さんはもちろん市民の役割だと思う。自治基本条例は、そのきっかけになるだろう。
自治基本条例の勉強グループから、地震直後、市民による被災者の受け入れ先の準備を始めたという連絡をいただいた。自治基本条例というのは、そういうものなのだろう。
(2011.2.19) 条例案が議会に上程された
自治基本条例が、議会に上程されたようだ。提言を踏まえて、条例案をつくってから、だいぶ時間がたったが、その間、さまざまな議論やご苦労があったのではないか。関係者の方々は、ご苦労さまであった。
内容的には、パブリックコメントや説明会等があって、さらにこなれた規定になったようだ。やはり多くの視点から、議論し、意見を聞くというのは、内容の質を高めていくことになる。さらに、議会でさまざまな視点で議論する中で、ブラッシュアップしてもらいたい。
パブリックコメントを見ていたら、興味深い意見があった。
①「委員のみなさん、ごくろうさまでした」という文章があった。パブリックコメント全体の本文は見ていないが、気になるのは、その後に続く文章である。「ご苦労さんでしたが、しかし、私は以下の点について妥当でないと思う・・・」という文面が続くのだとしたら、これはずいぶんと説得力があるパブリックコメントになる。声高に主張すればするほど、引かれてしまう時代にあって、穏やかに励ましつつ、きちんと整理して論を展開するやり方は、これは説得力がある。この文章に、自治の時代をいく意見提出方法のヒントを見たように思った。
②私の意向が強く出た条例案という意見もあった。光栄だけれどもこれは買いかぶりすぎ。今回の検討委員会のメンバーは、地道に地域活動を実践している人たちなので、それぞれが、自治に対する思いを持っている。そのメンバーが、自由に意見を言い合い、そして聞き合いながらまとめていったものだからである。今回の条例案では、私の意見と違うところがもちろんあるが、議論して決まったことであるから、私もそれに従っている。自分の意見を言い合い、他者の意見を聞きあって、そして合意をしたものは(説得できなかったものは)、最後には、それを許容するのが民主主義だと思う。
③ほかの条例を見なかったという点である。自治基本条例は自治を創造する条例なので、小田原市の課題がなんで、どのように解決していくのか、その道筋を小田原という地域から立論しようと考えたのである。市民会議として、他都市の条例をつまみ食いすることはしなかったという意味である。無論、委員さんは、各自で、それぞれの自治基本条例を参照し、自分の思いと照らし合わせるという作業はやってきている。要するに、ニセコではこうなっているからという議論を誰もしなかった点が優れていると思う。
役所を統制すれば、それで幸せになれるという時代は終わっている中で、本来の意味での自治を構築する時が来ている。自治基本条例を出発点に、小田原市民が力を合わせて、更なる自治が積み上がることを期待したい。
(2010.10.8) 励ます条例としての自治基本条例
小田原市が、提言を踏まえて自治基本条例案を作った。
詳細に見ると、提言案と条例案は、微妙なところで違っているが、事務局は、検討内容をつぶさに知っていることから、種々の状況を踏まえて、精一杯、奮闘して作ったのだと思う。
この条例は、励ます条例として創られている。行政や議会に対して、「あんたが、がんばらないでどうする」、市民自身にも、「今、みんなでがんばろううよ」と励ます条例である。この内発的ながんばり(湧き上がってくる力)でしか、今日の難局は乗り越えられないだろう。それを後押しするするのが自治基本条例である。この条例を受けて、まず行政から、がんばる姿を示してほしいと思う。大いに期待したい。
(2010.8.27)オープンスクエアを行った
提言を受けて、オープンスクエアを行った。今後は、行政と議会に下駄を預けて、条例化の段階になるが、この時期に、オープンスクエアをやった狙いは、この提言の周知とともに、パブリックコメントである。一般にパブコメというと、案が固まったあとでの意見聴取であるが、これでは、どんないい意見でも、取り入れることが難しい。条例化に向けて、もし私たちが議論していない事項があったら、そこを補足して、さらにバージョンアップしていくためである。
とかく、市民提言が出ると、委員は、これを守ることに始終するが、さまざまな視点から、意見をもらい、よりよい条例になるようにすることが大事である。
後半のワークショップでは、委員さんが各グループに散って、疑問に答え、議論をすることにしたが、委員さんはみな自信を持って、自治について、自分の言葉で思いを語っていることに驚いた。頭でっかちの自治ではなく、暮らしにつながる自治である。
このように、市民に考える機会をたくさん保障し、当事者として(単なる批判者、評論家としてではなく)、まちのことを考えていくチャンスがあれば、市民は、あっという間に力をつけていくのだろう。こうした一人ひとりの力が自治力の源泉になるのだろう。
時間がかかるかもしれないが、多くの市民が当事者となる仕組みを作っていくことが、結局は、自治を実現する早道になるのだろう。
(2010.8.23)提言を市長宛に提出した
提言がまとまり、加藤市長へ提出した。まず私から簡単な概要説明し、委員さんから感想を言ってもらった。1年間で委員会だけでも27回。本当によく小田原へ通ったと思う。
誇るべきは、小田原方式ともいうべき手法。
①ほかの自治体の条例を見ずに、市民が本当に大事だと思くこと。
②市民への思いをはせながら、考えること。
これは、自治基本条例だけのルールではなく、自治全体に通用するルールになると思う。その道筋を開いたのではないか。
委員さんからも、それぞれ自分の思いを語ってもらった。発言は要を得ていて、このメンバーは、まったく心配が要らない。
この委員会では、私はすっかりと自分のスタイルでやらしてもらった。私のスタイルとは、
①参加者、それぞれの持ち味を最大限引き出すこと。
②形式ばらず、フランクに議論すること。進行表などは、いつの間にかなくなった。
③知恵や知識のある人は、大いに使うこと。大事なのは、ファシリテーターでも行政職員でも、知恵を持っていれば、大いに出してもらうこと。だって、もったいないではないか。
市長との懇談は、やや時間が短かったのが残念。加藤市長さんは、よく話すので、もう少し時間があれば、さらに面白いことになったろう。
小田原はあと一回。オープンスクエアで、市民の意見を聞く。もうひとがんばり。
(2010.8.9)提言案がほぼまとまった
第27回の検討委員会があった。今回で、提言案がほぼまとまった。内容は見てもお楽しみだが、一般的な自治基本条例とはずいぶんと違うものになった。
何よりも、コミュニティに関する記述が分厚いことである。市民が議論すれば、これは当然だろう。
個人がやったほうがいいことは個人が行い、それでもできないことは地域が行う。かつては、金に物を言わせて、この部分も行政がやってきてしまったために、この自立の風土を壊してしまったが、この自治の基本を再生しようというのが、今回の自治基本条例づくりの主たるターゲットとなった。
これまで自治会町内会というと、戦争の一翼を担ったという過去に引きづられて、ふれるのを避けてきた。ただ、間違いは間違いとしてそれを正し、そのよさを伸ばすのが自然のことである。いつまでも、逃げ回っていても、前には進めない。
この部分は、私的な領域の部分であり、国の憲法ではふれることができないが、これを自治体の憲法として、明確にしようというものである。言い換えれば、新しい公として、こうした市民の活動を位置づけようというのが、自治基本条例のねらいである。いつまでも、国と同じようなことをしている必要はない。国ができないこと、地域ならばできることを実践していくのが、地方分権である。
この提言が、どのような評価を受けるのかは気になるところであるが、一番の強敵は、思考停止した横並び論だろう。最近では60条にも及ぶ満艦飾の自治基本条例ができている。それと比べて・・・という議論は分かりやすい。それもあるが、実は本当の強敵は、無視・無反応である。自治基本条例は自治の運動でもあるので、スタートが勢いつかないとこれはつらい。小田原をいいまちのしようと考える人たちの元気の元になるのが、自治基本条例だからである。
(2010.6.18) 懇親会があった
委員会終了後、懇親会があった。最初の挨拶でも言ったが、この検討委員会では、メンバー全員が、市民の意見を謙虚に聞き、それを自分のなかで反芻し、自らの思いと融合させて発言している。そんなメンバーとの懇親会なのでは、気持ちがよい宴会となった。
大声で論じ、酒を注ぎ、思いを語った。本会議のほうは仕事で出れないが、懇親会のほうは、駆けつけるという委員が何人もいて、検討委員会のメンバーにとっても、この会の位置づけが、良いところにあることを示している。
個性豊かな人たちであるが、圧巻はSさん。ボランティア活動のリーダーをやっているという。おそらく女学生時代は、男子学生からたくさんのラブレターを下駄箱に置かれたであろうという面影は、今日でも多分に残しているが、ジェンダーを論じ、子育てを論じているかと思うと、酒がないと叫ぶ。あっという間に場を取り仕切る。愉快である。
単線ではない、さまざまな切り口を持つメンバーだからこそ、多元性を地で行く会議ができるのだろう。またまた、おもしろい人たちに出会うことができた。ありがたいことである。
(2010.6.11) 地域コミュニティ検討委員会との意見交換
第20回の会議は、地域コミュニティ検討委員会との合同の意見交換会。小田原市では、いくつかの委員会が動いているが、ほかの委員会との交流、意見交換というのは、初めてである。私の長い体験でも、検討委員会同士で意見交換するというのは初めての体験である。
意見交換会は、委員さんの要望で実現したが、これまでのような行政主導の会議では、起こりえないことだろう。委員の当事者性があり、自分たちの検討が、多くの人に受け入れれらるものとしようという思いがなければ、実現しないことだろう。自治基本条例では、まさに自治の実現を目指しているが、その具体的な一歩だと思う。
会は、最初は、やや緊張気味でスタートしたが、そのうち、委員さんが積極的に発言するようになり、最後には、両委員会とも同じ方向を目指していることがわかったという発言が相次いだ。わが副委員長が、「そちらの委員会を報告をそのままいただきたいくらい」と、みんなのお思いを代弁したが、そのとおりだと思う(彼は時々、きらりとしたことを言う)。また、こうした会議をやろうというまとめになったが、条例が出来上がり、フォーラムをやるときなどは、一緒にやったらいいと思う。民主主義の学校現場で、明るい可能性が開けた、有意義な時を過ごすことができた。
(2010.5.21)
第18回目の委員会になった。記事はだいぶ飛んでいるが、それは私が記事を書くのをサボったためで、小田原には、まめに通っている。どんどんエスカレートして、今日から、開会が30分早まり、6時半スタートとなった。
大きな骨格が見えてみたので、一度整理しておこう。
1.この市民提案の柱は、①市民自治と②協働である。①市民自治は、市民の主体性、自律性である。自分たちで考え、創造していくことである。②協働は、市民や地域、まちを元気にするということ。一緒にやるという狭い意味ではない。
これによって、持続可能なまち(自治)をつくっていこうというのが自治基本条例である。ここは、条例の目的や基本理念にあたる部分である。
2.ここを軸に、仕組みを考えていくところが、各論である。
ヒントのひとつは、現在の行政の条例や制度は、市民や地域を元気にするという組み立てになっているのかという点である。たとえば、情報提供でみると、行政の情報をお知らせするというレベルにとどまっているのではないか、市民や地域が元気になるという視点から見ると、内容ややり方が、ずいぶんと違ったものになるのではないか。自治基本条例で方向を示し、それを今後、考え、見直し、実践していくことになるのだろう。
3.自治基本条例は最高法規といわれるが、実は2で述べたことが、最高法規である実践的な意味だと思う。また、こうしたことを条文に素直に書けば、先発の条例とは違う、身のある最高法規性の規定になるだろう。
4.運用に当たっては、きちんとした進行管理が行われることである。
①自治基本条例(市民自治、協働)を具体化するために組織編制が行われること(全課全係に及ぶ)
②進行管理が行われること。総合計画と同じような5年間の計画と各年度の達成度が明記される。
③企画・政策、財政・予算面からのコントロールが行われること
等が、現時点で思いつくことである。
何度も言うが、協働とは、市民や地域を元気にすることである。そのように組織編制し、コントロールするということである。
会議の最後に、緊急動議が出た。近々、委員会メンバー、行政メンバーを含めて、安いところで懇親会をやろうという意見である。Tさんの発案であるが、提案理由を聞くと、タイミング、趣旨という実によく考えられている。懇親会ひとつとっても、知恵、知識があるものだと思った。合宿という話もでて、老いも若きも、偉い人もふつうの人も、一体感が満ち溢れている委員会であることを報告しておこう。
(2010年3月19日)
検討委員会では、オープンスクエアで出た意見を咀嚼し、委員の考え方というフィルターにかけてまとめていくと言う作業を行っている。今回のテーマは議会。これを①議会運営の改革、②議員、議会の仕事ぶりの改革、③市民と議会の対話交流、④市民自身の意識改革に分けて整理した。いろいろな意見、アイディアがでた。その日の議会終了後、市民と議員が意見交換する機会をつくる、議会に対して市民が専門性、多様性の意見をサポートする仕組み等が出された。要するに、議会は、行政部に負けずに、市民を引き寄せて(市民を味方につけて)、よい仕事をするというものである。市民の取りっこであるが、議員の数が多い分、地域に密着している分、議会のほうが強みがあるのではないか。
今回も、みな積極的で前向きな、明るい意見をだした。流山市から、Tさんが傍聴に来ていたが、すごいすごいと驚いていた。自分たちが苦労したことを小田原では難なくやっているのに、驚いたのだと思う。
自治体法務研究に小田原や米子のことを書いたので、雑誌がでるころに再度紹介しよう。 この日は、やや時間があったので、ちょっと珍しい店でコーヒーを飲んだ(山口菓子店。舗錦通り)。地方都市に行くと、時々見かけるお菓子屋さんのつくりである。二階が喫茶点になっていて、木製の床が心地よかった。
(2010年3月5日)
小田原の検討委員会は学ぶことが多い。小田原方式のひとつが、市民とのキャッチボールである。市民が市民とキャッチボールをする。
ここ数回で、これまでばらばらであった議論が、少しずつ島のようなかたちになってきた。この時点で、これを市民に戻そうと(オープンスクエア)、そのやり方、担当を決めた。今回も苦労なく、すんなりと決まった。
市民による検討方式は、公募型、推薦型、抽選型などがある。それぞれのよさと弱点がある。言えることは、公募だけが優れているわけではないということである(机上で考えると、公募=民主的という形式論になる。実際のやり方を誤ると、公募=非民主的になる)。
小田原の方式は、公募と推薦の合体形式で、推薦委員の長い間の経験・信頼を活かす方式である。その推薦委員が唯我独尊にならないという心構えと実践を行っているところが特筆すべきところである。
こんな会議であるから、最近の私はつまらない冗談の連発で、その分、みんなの持ち味が出る会議になるだろう。
(2010年2月25日)
検討委員会のテーマは、協働だった。協働という言葉は、従来、市民活動支援といっていた言葉を言い換えたものである。1996年に私も参加していた研究会で、神奈川県のUさんたちが編み出した言葉である。
検討委員会では、「協働をわかりやすくいうと」というテーマで議論した。さまざまな意見が出たが、「自らのことは自らやる」といった、市民の自律をキーワードに、協働を定義する人が多いのが印象的だった。
一般に協働というと、行政と市民が一緒にやるという意味で使われる。確かに、その出自からいっても(もとは市民活動支援)、よく理解できるところであるが、逆に、協働をこのように狭く考えることで、問題の本質を見失う言葉にもなってしまっている。そこで、私は、あえて、一緒にやらない協働といったことも言っているが、要するに、協働の本質は、まずは自律で、そこから対等、責任、信頼が出てくるということだと思う。この点については、『市民協働の考え方・つくり方』(萌書房)に詳しく書いたので読んでほしい。
協働は、新しい社会をつくるエネルギーになる。従来の要求型・対立型の行動原理は、最低保障が十分でない時代、右肩上がりに時代には、それが成長の原動力となった。ところが、成熟時代になると、これは成長のバネではなく、むしろ大きなロスになる。協働というのは、時代を変えるパラダイムで、要するに、これまでお役所任せであった市民が、公共的なことにかかわり、そこで新しい世界を知ること、その発見や広がりをパワーとする考え方である。そのパワーを束ねて、大きな力として、時代にあった社会をつくっていこうというのが協働の意味するところである。協働のキーワードは信頼でもあるが、信頼があれば、保険をかけるというロスも少なくなる。
こうした社会づくりは、一定の豊かさを実現し、市民の層が厚い日本でなければできないことである。自治基本条例づくりは、そのきっかけとなる「条例」づくりである。
(2010年2月19日)
今回のオープンスクエアは、PTAのひとたち。小学校、中学校のPTA連絡会のメンバーが、新旧顔合わせを兼ねて、自治基本条例を考えた。
いつもの会との違いは、こどもたちの父兄ということで、やはり若い人が多いということ。なかなかまちづくりには、出て来にくい人たちの会となったことである。ワークショップをやったが、後半は立ち上がっての議論で、盛り上がった。
特筆すべきは、こうした会議をやろうと企画し、それを実現した事務局の仕事ぶりである。
この条例は、事務局の力量が問われる条例である。市民中心だからといって、後ろにいて、ただ見ているだけでは、市民主体の条例づくりは進まない。事務局が、大いに前向きの口を出し、手足を動かせるかで、市民協働型の条例の成否が決まってくる。PTAにとっては、こうした会議に参加するかどうかで、当然、内部的には異論もあったろう。それを説明し、会議開催までもってきたのは、PTAのリーダーたちの視野ととともに、それをバックアップした事務局のがんばりがあってのことである。市民協働立法と事務局というテーマは目立たないが、大きなテーマだと思う。
小田原市では、課長以下の事務局が、それぞれの役分・持ち味で、その力を発揮している。適材適所といってよいだろう。今回の集まりも、やや大げさに言えば、「新たな地平を切り開いた」ということだと思う。
(2010年2月5日)
いい話を聞いたので、忘れないうちに書いておこう。
昨日の検討委員会のテーマは、自治会・町内会とNPOである。いずれも自治にとって重要であることを確認して、それを支える支柱のようなものをみんなで抽出した。
たくさんの意見がでたが、現役の町内会長さんであるSさんに「ずばり、会長を続けている元気の素」を聞いてみた。答えは、町の人から言われる「ありがとう」だという。
会社とは違って、自治会のような団体は、強制力でメンバーを縛ることができない。そこが、こういった組織を維持し活性化することの難しさであるが、この組織の成否はリーダーに人を得られるかどうかである。コミュニティ政策としては、いいリーダーを見つけて、がんばってもらうのが、ポイントになるが、「ありがとう」は、がんばれる素になる言葉である。「ありがとう」が、条文のキーワードになったら、いいと思う。
町に出て議論をするようになると、改めて気がつくことが多い。ものごとは決して単純ではなく、一見よさそうに見えることも、実際にはたいしたことない・・・そうしたことがたくさんある。情報が多く、知識が増えているので、教科書的、マスコミ的な見方で、それなりの意見を言う人も増えたが、実体験がないので、言葉が上滑りになる。訴える力が弱いから、それを補うために、どうしても怖い顔、強い声になる。それに比べて、北風と太陽ではないが、「ありがとう」は、実は、強い力を持つ言葉になる。
「ありがとう」は他者への配慮からでた言葉で、自然に「ありがとう」という言葉が出る社会をつくっていくのが自治基本条例なのだろう。
(2010-01-09)
ほぼ毎週のようなペースで小田原に通っている。昨晩、今年初めての委員会があった。小田原の自治基本条例は、市民委員で構成される検討委員会とオープンスクエアと呼ぶ市民がフリーで参加する市民会議を並行で行う、デュアル方式である。
昨晩は、これまで行ったオープンスクエアの意見を読み込む会議を行った。最近の自治基本条例では、市民の意見の聞くことが一般的になっているが、多くの場合、聞きっぱなしになっている(これを検討に反映する仕組みが開発されていない。膨大な意見をただ分類・整理しても、それだけである。結局、各委員さんが、それぞれで咀嚼するという対応になってしまう)。そこで、委員全員で、意見を読み込み、自治基本条例に入れ込めるフレーズをピックアップしようというのがねらいである。
自治基本条例とは、まさに新しい自治のルールをつくっていくための枠組みである。それゆえ、つくり方が肝心で、新しい自治のルールにふさわしいようにつくっていくべきである。今回の検討では、事務局の人も各グループに入って、意見を出してもらった。条例にふさわしい意見を抽出するような作業は、役所の人は得意である。「市民の会議に役所の人が入るのは干渉だ」とか、「市民が主役だから役人は後ろに引っ込んでいろ」といった議論がかつてはあったが、これは結局は要求型で、ひいては行政依存型である。本来の「自治」は、住民自身も、そして住民から信託された行政、議員も、その力を存分に発揮してこそ出来上がると思う。その仕組みを作るのが、自治基本条例の意義だと思う。
この会議も、市民が市民の意見を聞こうという姿勢が鮮明で、ニセコ型を乗り越え、自治基本条例づくりも完全に、第二ステージに入ったと思う。
やはり驚かされたのは、オープンスクエアで、市民が入れ替わり立ち替わりする中でどのように意見を集約するのか、また、それを検討委員会がどのくらい意見を反映させるのか興味深いです。市長さんはとても若々しくバイタリティーあふれる方でした。どのような条例になるのか私も楽しみにしています。
今は、オープンスクェアで出た意見を市民委員さんが、自分の人格で読み込み、選択し、フレーズにする作業をやっています。
これまで、一切、他都市の条例を見ていません。ここは特筆すべきところです。これはファシリテーターの今井さんの成果ですが、ずっと我慢して、市民意見にこだわってきたのが、花開き始めたということですね。
初めての試みで、まだまだ試行錯誤ですが、その結果、どういう条文になるのか、私も楽しみです。
誰かを仲間から外そうとするから余計な
混乱が生まれるような気がしますが・・。