松下啓一 自治・政策・まちづくり

【連絡先】seisakumatsu@gmail.com 又は seisaku_matsu@hotmail.com

☆廃棄物審議会(横浜市)

2011-03-28 | 1.研究活動
(2011年3月28日)
 しばらくぶりの廃棄物審議会となった。大地震、大津波以来、さまざまな行事が取りやめになったため、これが、しばらくぶりの社会活動になった。
 この廃棄物審議会では、ごみの減量、リサイクルの計画をつくったが、今回の原発事故は、この計画の前提を大きく変えることになる。つまり、これまでは政策目標であった大量生産・大量消費社会からの脱却が、政策の前提になってしまったからである。したがって、あらゆる分野で、また国から自治体、さらには市民や企業も含めた、あらゆる主体が、政策を総動員して、市民が幸せ暮らし続けられる社会を希求することになる。エネルギーが3分の2になってしまう中で、豊かな社会を実現していくことになる。これは容易なことではないが、やり遂げなければならないし、私たちならばできるだろう。
 地震以来、初めて電車に乗ったが、どこも駅は薄暗かった。最初は戸惑ったが、しかし、不思議と慣れてくる。地下鉄も薄暗らかったが、むしろ外国の駅にいるようで、私は得したような気になった。

(2010年4月27日)
 廃棄物審議会の委員会は、今日までに何回か開かれている(記事がないのは、原稿を書くのをサボったため)。今日は、一般処理計画の体系の議論となった。
 この計画は、15年間の計画であるので、長期を見通しての議論が必要になる。今後大きく変わるのは、人口減少で税収減で、ということは税金に頼りすぎる廃棄物政策は、維持できなくなる。そこで、税金だけに頼らず、市民の力を掘り起こし、それをエネルギーに集約化していくことが今後の方向性だと思う。
 市民代表のS委員が、とても示唆的なことを言っていた。Sさんは、地域で熱心に活躍している人であるが、Sさんの認識では、横浜で、ごみ焼却工場を廃止するまでに(これは全国で例がないこと)、減量化、ルサイクルを実践できたのは、もちろん市民の力によるが、それを真摯にリードした行政によるところが大というのである。要するに、行政側がやり遂げようという姿勢を持ち、具体の行動を行うから、市民はできたというのである。
 これまで、市民主体というと、行政は後ろにいて、市民にお任せという行われ方をするが、本当は、違うということなのだろう。多くの場合、行政が介入すると、市民の反発を呼びがちであるが、市民主体とは、行政の積極的な関わりも包含する広い概念かもしれない。ここでも、机上で考えず、現場で考えると、違った様子が見えてくるということだと思う。
 会場は開港記念会館なので、帰りがけに横浜公園を抜けてきた。チューリップが満開できれいだった。

(2010年2月24日)
 小委員会があった。主たるテーマは、ごみの有料化である。今から20年ほど前、ごみの有料化が始まった当初は、ごみの有料化とはいっても、基本部分(税金部分)は無料で(一般には無料でごみ袋を配る)、そこをはみ出る部分が有料(ごみ袋を買う)という方式が有力だった。この方式は原理にも合致し、要するにがんばった人は無料ということで、市民感情にも合致するということで、私も導入するならば、この方式だろうと考えていた。ただ、今日でみると、全国の半分以上の自治体でごみが有料化されているが、その大半が最初から有料という方式がとられている。要するに、有料の袋を買って、その範囲内で努力すれば、安くなるという方式である。
 この方式が、原理的にはベターでないことはよくわかる(税金を払っている。また努力しているのにやはり金を払うというのは、モチベーションを下げるということになる)。そこを批判するのは簡単である。基本部分無料方式のほうが優れているのは大方の認めるところであるが、それだからといって採用されるわけではないのが、政策である。行政は金を取りたいのだという意見もあろうが、それは下司のかんぐりで、採用されないのは、制度設計が難しいためである。
 たとえば、ある家庭の無料部分という算定が難しい。我が家で考えてみれば、住民票は4人であるが、しょっちゅう家に来る子もいるので、実質的には5人である。これはどうするのか。仮に、住民票で形式的に判断して、我が家は4人だととすると、その袋を誰が配るのか。役所か宅急便か。配送代のほうが高くなってしまうだろう。町内会でやればよい。でも町内会に入っていない人はどうするかという問題や、最近では、町内の人に家族構成を知られたくないという人もいる。取りに行く方式もあるが、本人証明はどうするのか。こういうことをひとつひとつ解決して政策は決まる。
 自治とは、こうしたことを市民間、市民・行政間・議員間で考えるということである。そのなかで、好いことだけれども莫大な税金を使うことになるので、残念だけれども、次善の策で行こうと決まる場合も出てくる。参加をすれば、こうした決定に至った意味もわかる。こうした合意を通して、豊かな暮らしを作っていくのが自治だと思う。
 今回の審議会では、ごみの有料化は慎重に考えていこうという結論になったが、仮に、俎上にあがったら、精一杯知恵を出して、ぎりぎりまで考えたいと思う。

(2010年1月27日) 
 別に書いたことがあるが、横浜市の廃棄物減量・リサイクル審議会の委員になっている。担当である旧知のY課長のお誘いで、入ることになった(Y課長は私の後任で、当時、一緒に、リサイクルの仕事をした。また事務局の部長さんたちも、一緒に仕事をした仲間である。みんなこの3月で退職とのこと)。
 この審議会ができたのは、平成4年で、もう15年も前のことである。この審議会は、私が設立にかかわったもので、もはや役所だけでは、ごみ行政を維持できなくなっている中で、方向を転換すべく、専門家や役所にとってはうるさ型といわれる市民も参加してもらってつくった審議会である。
 現在、新しい計画を作るということで、みんなで議論をしているが、昨晩は、Y課長らの計らいで、委員会終了後、委員も含めて飲みながら、フランクに論じる会があった。
 その中で、忘れていたことをずいぶんと思い出した。
 当時、条例・計画づくりで、(ごみのことがまったくわからない私が)ともかく立てた大黒柱が、市民の力(いまでいう協働)と事業者責任であったこと。当時、同じ課長補佐であったKさんと大いに議論したこと(『自治体づくりの道具箱』にも書いたが、とても優秀な人で、気持ちのよい男だった)。その当時の議論が、10年たって、ようやく実現しつつあること。また当時の市長に感謝されたことや、市民運動をしていたNさんやWさんたちに、ずいぶんと助けれたことなど、たくさんのことを思い出した。
 今考えると、ずいぶんと無茶な仕事をしたが、それが許される時代であったということだろう。そうした仕事のやり方が、徐々に窮屈になっていったが、それが、私が大学に移る決意をさせた一因であることは間違いないと思う。
 
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ☆励ます条例としての自治基本... | トップ | ☆自治基本条例-条例をつくる... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

1.研究活動」カテゴリの最新記事