まぶしくて解放的、長めの休みに好きな時間を過ごせる夏。
そんな夏なのに、どこか物悲しさもあるのは、
身近なところではお盆に亡き人を偲ぶ機会があったり、
言うでもなく戦争を振り返り平和を願う季節、
そして、20年前の日航機墜落事故の強烈な印象があるからかもしれない。
日航機墜落事故当日(1985年8月12日)、友人達とレジャーに出ていて、
テレビもラジオもない数日間を過ごしていた。
13日朝、バンガローの鍵を返却するため、管理人さんを訪ねると
他のお客さんと話し込んでいた。
「夕べ、このあたりを飛んで行ったんだよ」と、
事故を取り上げた朝刊の一面を指差した。
そこには、数人の著名人の写真も載っており、子供のころから
笑顔にひかれていた九ちゃん、坂本九さんを見つけたとたん、
私は思わず驚きの声を上げていた。
次の日だったか、ワイドショーは道無き山道を歩いて登り、現場を取材をする
様子を放送した。印象に残っている場面は、カメラの位置よりも上まで
行って戻ったレポーターが、泣き出さんばかりに話すところだった。
あたりに漂うにおいのこと。途中の木に、人の皮膚がひっかかっていた
という話が、記憶にある。もちろんにおいも分からないし悲惨な場面は
映らない。しかし、今も忘れられないレポートだった。
その直後の写真週刊誌を、偶然見た。
このような写真を掲載してもよいのかと驚いた。
ただただとても凄い衝撃を受け、飛行機事故の恐ろしさだけが心に刻まれた。
その年に海外にいく予定があったが、断ったほど恐怖感が植えつけられた。
今、思いを巡らしてみると、遺族の目に触れなかっただろうか、と心配になる。
見ないまでも、その様子を知らされたらどんな思いがするか、
想像すると苦しい。
4人の生存者がいた。心からよかったと思った。しかし、想像を絶する恐怖を
味わった人達。怪我も負ったことだろう。簡単に「よかった」などと
言ってはいけないのかもしれない。
この8月12日で、20年。
毎年この日は記憶の更新をし続けてきた。
しばらく情報から離れていて、突然耳に入ったニュースということもあり、
とてもショックだった。その後流れ込んでくる情報や視覚から入る強過ぎる
刺激、やりきれない気持ち。
忘れられない事故となった。