路傍のshiawase

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好きな夏に切なさを感じるわけ

2005年08月11日 | Weblog
まぶしくて解放的、長めの休みに好きな時間を過ごせる夏。
そんな夏なのに、どこか物悲しさもあるのは、
身近なところではお盆に亡き人を偲ぶ機会があったり、
言うでもなく戦争を振り返り平和を願う季節、
そして、20年前の日航機墜落事故の強烈な印象があるからかもしれない。

日航機墜落事故当日(1985年8月12日)、友人達とレジャーに出ていて、
テレビもラジオもない数日間を過ごしていた。
13日朝、バンガローの鍵を返却するため、管理人さんを訪ねると
他のお客さんと話し込んでいた。
「夕べ、このあたりを飛んで行ったんだよ」と、
事故を取り上げた朝刊の一面を指差した。
そこには、数人の著名人の写真も載っており、子供のころから
笑顔にひかれていた九ちゃん、坂本九さんを見つけたとたん、
私は思わず驚きの声を上げていた。

次の日だったか、ワイドショーは道無き山道を歩いて登り、現場を取材をする
様子を放送した。印象に残っている場面は、カメラの位置よりも上まで
行って戻ったレポーターが、泣き出さんばかりに話すところだった。
あたりに漂うにおいのこと。途中の木に、人の皮膚がひっかかっていた
という話が、記憶にある。もちろんにおいも分からないし悲惨な場面は
映らない。しかし、今も忘れられないレポートだった。

その直後の写真週刊誌を、偶然見た。
このような写真を掲載してもよいのかと驚いた。
ただただとても凄い衝撃を受け、飛行機事故の恐ろしさだけが心に刻まれた。
その年に海外にいく予定があったが、断ったほど恐怖感が植えつけられた。
今、思いを巡らしてみると、遺族の目に触れなかっただろうか、と心配になる。
見ないまでも、その様子を知らされたらどんな思いがするか、
想像すると苦しい。

4人の生存者がいた。心からよかったと思った。しかし、想像を絶する恐怖を
味わった人達。怪我も負ったことだろう。簡単に「よかった」などと
言ってはいけないのかもしれない。

この8月12日で、20年。
毎年この日は記憶の更新をし続けてきた。
しばらく情報から離れていて、突然耳に入ったニュースということもあり、
とてもショックだった。その後流れ込んでくる情報や視覚から入る強過ぎる
刺激、やりきれない気持ち。
忘れられない事故となった。