バンコク・チェンマイ・・・・ときどき渋谷?  

東京ではつまらなくって写真が撮れないのに、タイに行けば何でも撮れる。
なんでだろう?

思い出のチェンマイはいつも・・・ PENTAX ist D

2018-11-20 | デジタルカメラ
正直に白状します。
ほんとうはさ、今晩辺りからチェンマイのイーペン祭りに出かけるはずだったんですが家のごたごたでしばらく訪タイできそうにありません。くすんくすん。

ちゅーわけでしてネタが、枯渇し始めてきました。しょうがないので昔の写真を持ち出してきているんですが、古い写真はみだすとなかなか。。。ねぇ。
僕なんかPENTAXがこどもの頃から好きでしたんで、デジタル化もけっこうはやかったんですよ、ほんとうはさ。世にはEOS KiSSdigitalの初号機が発売されたころ、
ペンタックスからもデジタル一眼レフの1号機が発売されました。この頃は羽振りが良かったって事もありますが、ペンタックスを応援する気もあったりして、発売と同時に新品でこうにゅうしましたっけ。※ist-D これを持ってはじめてのチェンマイに行ったんだったっけなぁ。

昔のデータをほじくり返していたら、あの頃の写真がでてきたはいいんですが、MOなんかに保存していました。2004年の冬、まだmac OS 9のころです。
歳はとりたくないなぁ。あの頃のデジタル一眼レフはプリミティブでした。ほんとフィルム一眼レフとおんなじ様にしか撮れなくってフィルム交換するようにCFカード(コンパクトフラッシュ!)を交換していましたっけ。

チェンマイの一等地にはまだKonicaががんばっていました。僕もフィルムメインで、デジタルはあくまで新しいガジェットとして観ていたんだったっけ。
もうここ、ハンバーガー屋になっちゃいましたね。

今観ると超恥ずかしいです。こんなフレーミングでなにかを期待していたんでしょうねぇ。若いなぁこの頃のオレ。

でも、あの頃も今も撮っている物はおんなじだったりして?屋台の人っていうかコンタイにこの時にもう魂を抜かれちゃったんでしょう。

こどもが働いているんだなぁって微妙な感慨をうけたりして。今思うと塾がよいとか両親が帰ってこないで家でぽつんとまっている日本の子供たちに比べると
親御さんのそばに居られるタイのこどもの方が幸せだったりして。

ここんちの屋台にずっとお世話になっていました。ほぼ毎晩。こうしてコンタイに何か恩返ししたくなったんでしょう。

このおとうさん、翌年、写真を持って行った時にはもういませんでした。お店しめちゃっていて見つけられません。どなたかこのお二人をご存知の人がいたらご一方いただけないでしょうか。今一度お会いしたいんです。
そのあともタイのいろんな所には行かせていただいていますが、写真を持って行くようにしています。同じ人に会える確率は低いんですが、プリント1枚持って行くだけで大変喜んでいただけています。