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http://sankei.jp.msn.com/life/news/140302/art14030203070000-n1.htm 以下全文
3月2日
亡くなったまど・みちおさんは明治42年、山口県の徳山(現周南市)で生まれた。
その2年前、同じ山口県の山口市で中原中也が生を受けている。といっても2人の詩人に接点のようなものは見当たらない。
それどころか、若い頃の生き方は対照的だ。
▼中也は文学に熱中して旧制中学を落第、以来京都や東京で自由奔放な生活にひたる。
一方のまどさんは、少年時代に台湾に移り、工業学校を優秀な成績で卒業し、台湾総督府で土木技師を務めた。その作品からは信じられないような「お堅い」仕事だった。
▼共通点といえば「西洋」への一時的傾注と自然への回帰かもしれない。
ランボーらの詩に強い影響を受けた中也は、子供の死を機に、故郷の自然にすがって生きようとした。
まどさんも若い頃、西洋の音楽や絵を学んだ。プロテスタントの教会に通い、洗礼も受けた。
▼だが、まどさんの評伝もある阪田寛夫氏によればキリスト教から遠のいていく。
蚊やアリにまで愛情を注ぐまどさんにとって「あまりにも人間中心」に思えたからだという(阪田氏『童謡の天体』)。
そんな考えを象徴するのが代表作とされる童謡『ぞうさん』だ。
▼「鼻が長いね」と言われたゾウの子が「そうよ かあさんもながいのよ」と答える。
阪田氏は、ゾウの親子の仲良しの歌だと思っていた。
ところがまどさんに聞くと「ゾウの子が鼻が長いとからかわれた。でもしょげたりせず、いばって答える歌」と教えられた。
▼「ゾウがゾウに生まれたことを、すばらしいと思っているからです」と説明したとも言う。
ひょっとしたら人間社会に向けられた歌なのだろうか。
とりわけ身勝手な正義感や歴史観ばかり横行する国際社会で、口ずさんでもらいたい童謡である。
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つぶやき
愚痴や悪口のブログはどなたが読まれても気分はよくならない。
ほんのりした さりげない真実の言葉は読後に与えられる清涼感はいいしれぬ安らぎさえ与える。
そのような記事をなんとなく求めているが いつも変な我田引水の一人よがりの文章になる。
長年やっている太極拳も上手くやるところを人様に見せようとすると知らないうちに力が入りピノキオ並みになる。人様の眼をきにしない自分なりの自然な動きがいいようだ。
自然体・・・昔 太極拳を始めたころカイブーリー(開脚立)で立った時 「自分の体重を支えている足の裏は? どのような状態と思いますか?」と尋ねられたことがある。
はて?踵(カカト)? 次の動きにたいして足の前半分で指先? あるいは両足の側面? ・・・等々 考えるが なんとなく納得がいかない。
答えは「足裏前面で立つ」だった。 一番安定しているという説明だったと思う。
これが案外に難しい。ただ立つのみであるが・・。少しの時間でも身体が何かしら揺らいでいる。 肩幅に足を広げて立っているだけであるのだが?
今日は朝 起きた時から寒さを感じた。関東一円 相当 寒くなるらしい? また雪になるようだ。
TVで「時事放談」が始まった。今朝は民主党 藤井氏と武村氏だ。私は余り好きでない方々であるが聞こえぬ耳をそばだてている。
藤井氏などは 管 元総理を戦後の総理の内では15番目だと言って居られたが私は最低の総理だったと理解している。
「尖閣列島で逮捕した船長を釈放したのは日本に尖閣列島が日本の領土でないことに日本政府は気がついたからだ」と中国に言わしめている。
ひとまず アップして時事砲弾を聞く。
新聞を取りに出たが冷たい小雨が降っていたが外気温は5度もあった。 午前 6 時
新聞はY新聞のみで なぜか?地方紙は入っていなかった。
きょうは「日日新聞」の配送日である。
そこに カミさんから「今 来たよ」とボードに書いて知らせてくれた。 また郵便受けに取りに行く。6 時22分 いつもは「かな新」のほうが早いのだが?
今日は夜勤なので、雪にならずにほっとしています。
まどみちおさんの詩は、ほのぼのとしてい中にもリズム感があり、言葉遊びもあり~で、大好きな詩人さんの1人です。(*^_^*)
横須賀日日新聞を気にかけてくださって、ありがとうございます。
あっという間に10号を越えました。
わたしは個人的に、いつも写真で四苦八苦しています。何枚も撮って使えるのがやっと1・2枚という感じです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
失礼しました。おはずかしい・・・。
(弛む)と言うことがいかに難しいか、ここ数年感じています。太極拳では最近技を決めた直後、少し息を吐いて弛むという練習を、意識してするようになりました。
奥方からも先生からも散々注意されていたのですが。ふらつくので弛めない、弛みがないのでふらつくの悪循環でした。
少しはロボット拳から卒業の光が見えてきたような気がします。(笑)
又太極拳で感心したのはタントウです。色々な本には、ボールを抱いたような姿勢で30分~1時間立っているなど、最初は信じられませんでしたが、今は(なるほどタントウは、ハッケイの時に足を踏みしめる力を、瞬時に相手に伝える為の弛みの鍛錬か)と理解できるようになりました。確かに疲れると足裏に体重が乗ります。
おぶった子が寝ると急に重くなる理論ですか。
直立歩行に移行した人間の一番強い力は踏みしめる力で、これをとことん追求した太極拳は、接近戦に於いてのすばらしい武術と益々感心します。
空手でも弛むと萎えるの区別が付かないと大人からよく言われます。少し息を吐いて特に上半身の力みを少し抜くのが緩みで、萎えるとは全身が弛み過ぎて姿勢が崩れることだ~、と言うのですが、今一理解してもらえません。
今は数練習しないので、疲れると、特に上半身の無駄な力みがなくなるとは、なかなか解かりにくいのでしょう。
さて次回萎えると弛むの違いをどう説明するか~とりあえずは息をちょっとだけ吐け!といっておきます。ちょっとだけよ~で笑いを取りま~す(笑) 草々
メタロボ拝
まど・みちおさんの詩は童心そのもののようです。よくあれだけ清らかな詩(ウタ)が・・・と思っていました。亡くなられましたね。
写真は難しいですね。私もよく太極拳などの動画を撮りますが上手くとれません。散歩の途中で景色やたまに花も撮りますがブログに載せられるいいものはないですね。何時も恥をしのんで載せています。
11号は防災関係が主のようですね。「誤字脱字・変換間違い」は気にしないでください。私は年中無休でやっています。(苦笑)
タントウは基本中の基本と最初習いましたが教えていただいた先生は60歳代で亡くなられました。その後は余り教室でもやりません。結構きついですからね~。やるときは5分が限界ですね。生徒さんが歳を取られて3分になり今は形のみ30秒くらいです。それすらやらなくなりました。 早く行って一人で3分前後は私はやっていますが・・。
弛むと萎えるの区別・・・これは難しいです。今でもしっかり理解していません。故 植村敬一先生からいつも「注意」を受けていました。
また植村先生から練習中によく「背中がガラ空きだよ」ともいわれましたね。 5年くらい教えを受けました。
数練習・・・これが一番ではないでしょうか?自分が納得するまで・・・納得したものが正解か?どうかは また先生により指示されます。
私は能書きばかりで済みませんね。何もできないのに・・。 「1997年山形のねんりん」の様子を 6分ばかり youtube に上げようと思いましたが方法を忘れました。