余録:一体、この書類を持ってくるのに何年かかったのか…
毎日新聞 2015年06月20日 00時32分(最終更新 06月20日 00時32分)
「一体、この書類を持ってくるのに何年かかったのか」。東京で調印された条約や協定を前に韓国の朴正熙(パク・チョンヒ)大統領(当時)はつぶやいた。歴代政権の韓日国交正常化交渉はあしかけ15年に及んだ
▲「15年か……。何と……。これからは、150年でも1500年でもうまくいかなければ……」。朴大統領の言葉をそう書き留めたのは、日本から調印文書を持ち帰った李東元(イ・ドンウォン)外相であった(「韓日条約締結秘話」)。調印はその前日、1965年6月22日だった
▲当時、日韓条約締結には韓国内で強い反対があった。李氏が日本に向かう空港でデモ隊に卵をぶつけられ、日韓併合を受け入れた李完用(イ・ワンヨン)呼ばわりされた話は以前も小欄で触れた。息子が売国奴呼ばわりされるのを悲しんだ母親が訪日中止を泣いて訴える場面もあった
▲この時、李氏は自らの行動は愛国の信念によるものだと母に説いた。日本側に韓国の実情を伝えようと卵で汚れた服のまま来日したのを、当人は後年「染みだらけの勲章」と回想した。その後50年、両国の経済成長と東アジアの繁栄をみてきた日韓の相互依存関係だ
▲なのに首脳間の対話はなく、世論調査でも国民相互のわだかまりが気になる今日である。半世紀の歳月がつちかった両国関係の豊かな富も、まるで歴史認識をめぐる政治にのみこまれたかのようである。だが先人が育てた友情や相互理解も忘れてならぬ歴史のはずだ
▲外交とは考えや利害を一致させる技ではない。それを異にする国同士がお互いの国益のために一致点を見つけ、合意を作り出す営みである。50年前の「染みだらけの勲章」がすでにそう教えている。
ソース : http://mainichi.jp/opinion/news/20150620k0000m070201000c.html
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つぶやき
国家間の約束ごとでは必ず反対者が現れ国内に凄まじい闘争が発生するがそれらに条約締結者は迎合してはならない。断固とした決意を必要とされる。
自分の評判を気にして国民全員が納得することを念頭においては国家間の約束事は成り立たないのが通常である。
過ってポーツマス条約では旅立つ日本の代表に「行くときはバンザイだが帰国した時は命の保証はないと思ってくれ」が旅立つ別れの友人への挨拶だったと聞く。
50年前に締結した日韓条約は今は売国条約と韓国では言われているようだ。 日本が多大な賠償金を支払い韓国もこの条約で全ての賠償請求はしないと約束したが現在は何かとイチャモンを点けて未だにくすぶっている。
この国際間の条約を無視した現状では今後は韓国との約束ごとはしないほうがましだと思う。 なぜなら全てが後に無視されれてまた新しいイチャモンを付けてくる。
韓国と言う国は国家としてのていをなしていない国だからである。 日本も迂闊に喜んでいる場合ではない。相手は約束など時と場合でコロコロ変わる朝鮮人だ。 こころして明治のてつを踏むでない。
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