還り見れば酔生夢死か?

80歳代の聾人でネットの話題を書いています。足が悪いので家で得ることが出来るネット情報と私自身の唯我独尊の偏向文です。

医学会に このような当地出身(三浦半島)の方も居られる。

2012-11-14 08:01:59 | Weblog
時代を駆ける:嘉山孝正/1 教育から医療を変える 毎日新聞 2012年11月13日 東京朝刊

http://mainichi.jp/opinion/news/20121113ddm012070167000c.html 以下全文

時代を駆ける:嘉山孝正/1 教育から医療を変える
毎日新聞 2012年11月13日 東京朝刊

 ◇TAKAMASA KAYAMA
 山形大教授で脳神経外科医の嘉山孝正10+件さん(62)は日本の医療立て直しに奔走している。今春までがん治療をけん引する国立がん研究センター(国がん)の理事長を務め、「元気な患者しか診ない」とまで揶揄(やゆ)された体質を2年で変えた。疲弊する医療現場、医師教育、先端医療−−。ミスター改革派は古巣の山形大に戻ってからも、辛口の発信を続けている。

 《「いままでの勉強の仕方は捨ててください」。今春、山形大医学部の入学式で学生にそう語りかけた》

 2年ぶりに山形大に復帰し「今度は教育から医療を支えていく」という自分なりの決意表明でした。試験を突破するために知識を蓄えるだけでは勉強とは言えません。放射線治療でがんが消えますが、学生に「なぜ」と問うと黙ってしまう。原理を理解していません。教育が「なぜなら」を教えてこなかったからでしょう。原理を納得するまでとことん勉強しなさい。僕らもとことん教えるというメッセージです。

 《09年から中央社会保険医療協議会(中医協)委員を務め、10年から国がん理事長として組織改革に取り組んだ》

 3000例超の手術をし、基礎研究と臨床にどっぷりとつかってきました。現場から見ると、厚生労働省が中医協に示す数字には医師の給料など誤解や間違いが多い。それを基に医療費削減などの政策が決まることに危機感を抱き、訴えています。

 国がんでは改革を託されました。患者と医師が互いに気遣い合い共存する当たり前の社会を取り戻す。組織だけでなく気づいた点を改善し、2年間でできる限りのことをしました。

 《山形大で世界で6カ所しかない重粒子線がん治療装置を導入する計画を進めている。超高齢社会を見据えたものだ》

 高齢のがん患者は寝たきりになりやすく、治療の質が大切です。重粒子線は病巣だけをピンポイントで狙い撃ちします。

 山形には温泉が多いので、近くの温泉に入りながら最先端治療を受ける。世界中の患者さんが集まり、家族とともに長期滞在できるようにしたいとも考えています。

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 聞き手・前田洋平 写真・小川昌宏/9回掲載します

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 ■人物略歴

 ◇かやま・たかまさ 1950年2月、神奈川県生まれ。東北大医学部卒。96年から山形大医学部教授を務め、医学部長などを歴任した。4月から同大学長特別補佐。国立がん研究センター名誉総長

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http://mainichi.jp/opinion/news/20121114ddm012070065000c.html 以下全文

http://mainichi.jp/opinion/news/20121114ddm012070065000c.html

時代を駆ける:嘉山孝正/2 理不尽に憤り、医の道へ
毎日新聞 2012年11月14日 東京朝刊

 ◇TAKAMASA KAYAMA
 《神奈川・三浦半島の商家に生まれた。高度成長期と重なる中学時代は読書少年で、週末は電車で横浜の書店通い。電車が工場地帯にさしかかると、無数の煙突から真っ黒い煙が上っていた》

 とても体に悪い恐ろしいもののように見えました。「大人は何か対策を講じてくれているだろう」と信じていましたが、公害問題が報じられる。裏切られた気持ちになりました。人任せにすることも罪なのだという罪悪感が芽生えました。

 《小学生時代に初めて理不尽な場面を目の当たりにした。見過ごすことができなかった》

 3年生のころ、使われなくなった体育館に(貧しかった)同級生の一家が住み着きました。役所から退去するよう圧力があったのでしょうか。担任が同級生をいびり続けたのです。僕は我慢できず教師に向かっていきました。呼び出された母が、「悪くない」って言ってくれ、とても心強かった記憶があります。

 理不尽な目に遭う人を助けたい。いつしか、その思いが強くなりました。自分で責任が持て、能力がじかに結果に反映される仕事をしたい。それで医者を志したのです。

 《69年東北大医学部に進学するが、学生運動のまっただ中だった》

 70年のことです。4月28日「沖縄デー」(サンフランシスコ講和条約発効で沖縄が日本から切り離された日)では1万5000人の陣頭指揮もとりました。ベトナム戦争だけでなく、人の命や気持ちを無視するような世界はよくないと感じ「声を上げなければ」と思いました。でも、人を救いたいと医師を目指して入学したのに、こんなことをして患者さんを救えるのか焦ってもいました。セクト間抗争で学生同士が殴り合うようになると決別しました。周りからは「日和(ひよ)るのか」と非難されましたが、気にせず大学の講義に出て、英語、独語などの医学書を読みあさりました。

 学生時代から基礎研究に憧れはあったのですが、症状を突き詰めて患部を探る脳神経外科医になりました。臨床づけの日々を送り、患者さんの命を救うことが何にも代え難い喜びになったのです。

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 聞き手・前田洋平

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 ■人物略歴

 ◇かやま・たかまさ
 山形大医学部教授。前国立がん研究センター理事長。62歳(写真は学生時代の74年、東北大付属病院前で<手前が本人>=本人提供)

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つぶやき

 今朝 読んだ記事である。今朝は「その2」であったので「その1」は見逃したようだ。検索して記載した。素晴らしい方が三浦半島 出身で現在も活躍されている。

日に日に気温が下がってくる。寒さが膝にこたえる。ステテコの膝にホカロンを貼って保温をするが押さえがないので余り効果がない。昨日はカミさんのストッキングを30cm 切って利用したが10分も持たなかった。きょうは何を利用するか?柔らかいサポーターでも利用してみるか?

今朝8時の気温は16度  風が少しあり少々冷たい。

空は雲 一つなく太陽が眩しい・・・。

居間に射しこむ太陽の光も広がってきた。

他に体重を落とすのも贅沢な課題である。要するに余計に食べなければいいのですがね~

それが出来ない・・・・。     


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2 コメント

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膝暖め (メタボ)
2012-11-14 16:18:53
osamu様
 膝暖めは:タイツを2重にはいて、その間にホカロンをはさめばよいのではと思います。
タイツは伸縮性に富むのでサポーターのようにずれる心配はありません。又ぴったりしているので2重でもごわごわしません。
近年は湿気を熱に変える、発熱型タイツが出回っています。換え時なので、4枚購入しました。2重でも寒い部屋ではまだ足りないくらいです。絵が痛むので暖房は最低限、我が部屋は今14度です。

 審判:先日北信越の空手の大会がありました。6県7~8千人の中からの上位入賞者650名が参加。
各県の審判と一緒に審判しましたが,形の判定はほとんど皆さんと一致、しかし組み手の部になると高校男子など非常に技が早いので。審判は気を使います。
一応年相応に、動体視力が落ちてきたので今年を持って審判から引退すると決めました。タイツ2枚はいて、ホカロンも用意、雨の寒い日でしたが、ホカロンは張らずに済みました。朝6時発~夜6時帰宅、後はバタンキューです。

42剣:田舎では古流の正規の剣、陳式拳は習えないのであきらめ。腹いせに?42式の剣の本(DVD付き)を購入。ところがこれが大正解です、前後、スロー映像ありの大変親切なDVDで、今までの解説本(ビデオ含む)の中ではぴか一と思います。
一年掛けてトウロを覚え、講習会があれば参加の予定です。32式はまじめに練習しています。草々
                    メタボ拝
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メタボさんへ (osamu)
2012-11-17 05:10:22

>北信越の空手の大会がありました。6県7~8千人の中からの上位入賞者650名が参加。 各県の審判と一緒に審判しましたが・・

審判をされたのですか?メタボさんは凄い方ですね。

>発熱型タイツが出回っています。換え時なので、4枚購入しました。2重でも寒い部屋ではまだ足りないくらいです

タイツ求めに行きましたが↑に書いたとおりでネットで探して求めます。確かにタイツなら膝の暖は撮りやすく感じます。

いいことをまた教えていただき感謝します。 ツルギの42式は私はやったことがありません。目下 楊式剣で舞い上がっています。

頭の中は苔と雑木林です。来週 21日午後が練習日です。
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