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http://mainichi.jp/opinion/news/20131030ddm003070109000c.html 以下全文
水説:日中の死角=倉重篤郎
毎日新聞 2013年10月30日 東京朝刊
<sui−setsu>
日中関係悪化の理由はいろいろあろう。何よりも日清戦争から日中戦争に至る戦闘行為の後遺症が大きいが、戦後はどうだったのか。
平和立国としての生き様、特に1972年の日中国交回復後の対中経済支援を評価してほしい、というのが日本の立場だが、杉本孝・京大大学院客員教授は、両国のボタンの掛け違いはまさにそこから始まったとの説を唱える。
田中角栄、周恩来両首相による国交回復交渉は、双方の譲歩によって合意に至ったが、杉本氏によると、その際500億ドルといわれた巨額な対日賠償請求権を放棄する、という中国側が下した歴史的決断に対して、日本側は正当に評価し感謝する儀礼を欠いた。
中国側も放棄の真の理由を国民に説明しなかった。
確かに、首脳会談では田中首相から周首相に対し率直な感謝の言葉があった。
ただ、あくまでそれは交渉過程における発言で、日本側の感謝の国家意思表明という公式的なものにはならなかった。
「感謝表明」がせっかくの中国の自発的賠償放棄路線を崩し、賠償ゼロという日本の国益が損なわれるのを恐れた外交当局の差し金、というのが杉本氏の推論だが、日本政府の戦術的な「感謝の念」封じが、中国民衆に対する日本のイメージ悪化につながった。
一方で、中国政府も賠償放棄したことを強調するあまり、経済発展のため賠償より日本の資本、技術導入を優先した、という実情や、日本の善意の経済支援の実態を中国国民に説明することを怠った。
「中国では、受けた恩はメンツにかけて返すのが流儀。それに対して日本は勝手に中国が放棄した、という構え。
それ以来、中国民衆にとって日本は儀礼を欠く国と映り、その後の日本側の親中旧世代の退場、中国の愛国主義教育が重なり日中間の相互否定の感情が増幅してしまった」
この中国民衆の「対日根本否定の感情」を癒やすためには、中国民衆の感情に焦点をあてた外交に転換すべきだ、というのが杉本氏の主張だ。
例えば、対日請求放棄の恩返しが遅れたことへの率直な謝罪。
恩返しを形にした新円借款や大規模奨学制度の創設……。
中国側に寄りすぎとの批判もあろうが、議論されてこなかった視点ともいえる。
日本の中国研究者156人が先日「新しい日中関係を考える研究者の会」(代表幹事・毛里和子早大名誉教授)を結成した。
「もう黙ってはいられない」が共通の声。学者の出番である。あらゆる角度から日中関係の死角をえぐってほしい。(専門編集委員)
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つぶやき
1972年の日中国交回復には中国側の周恩来 首相の 英断による「500億ドルといわれた巨額な対日賠償請求権を放棄する」・・・この重大な事実が日本国内に余り大きく報道されなかったのでは?また 逆に その後の日本のODAによる中国への支援も中国国内では殆ど報道されることはなかった。
日本のODAによる中国支援はコンニチまでに総額7兆円に及ぶと聞く。
然し中国は一切それを中国国内に報道することはなかった。北京空港・高速道路建設・ 等 その支援は中国経済のコンニチの発展の基礎となっている。
日本・中国 ともに事後の処理 啓蒙をしくじったようです。
中国もコウタクミンの異常とも言える10年間にわたる反日教育政策が今は日本・中国の対話のネックになっているようです。
この反日政策は今も続いて取り返しの付かないところまで来ているのかな?とさえ思います。
日本の新幹線もODA資金でできたことが日本国内に報道されたようすはなかった。或いは報道されたかも知れないが・・・通り一遍のおざなりの報道だったのかも?かの有名な「黒ヨン・ダム」もODAによるものである。
私も随分あとになってネットで知ったのだった。これも日本政府の怠慢といってよいだろう。
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