爺の引き篭もり?(27日)
朝 起きた時から少し頭痛を感じていた。
身体もかなりだるい。
昨日のブログに“風邪に気をつけましょう“ と言うHPを貼ったばかりのに・・・。
起きたのは何時もよりかなり遅い7時すぎだった。
パソコンを見てもどうも頭に入らぬ。

風邪かな?と思い何時もの葛根湯を飲もうとして薬箱から葛根湯の箱を出した。・・・・があいにく箱の中は空だった。
カミさんはなぜか漢方は飲まない。
我輩が買い忘れたらしい?
同じメーカーの薬にするために空箱を入れていたようだ。
しかたない。
朦朧として食事が済んでも身体の調子が芳しくない。
直ぐに暖房器の前で横になった。
暫くしてカミさんから肩を突かれ起こされた。
「行くの?行かないの?」と言う。
何だ?と思ったが・・・
「きょうはジムに行く日だよ」と言う
「ジムか~ァ きょうは休むよ~」
「また~ァ」
「私 一人で行くよ・・・いいの?」
「いいよ、行けよ」
「これだからしょうがないよね~どこか?具合が悪いの?」
「う~ん 少し熱があるようだ。体温計をとってくれ」
相変わらず横になったままでカミさんから渡された体温計を脇に挟んだ。
そばにカミさんが突っ立っている。
「どうしたんだ?」
「あんたの体温がどうなのか・・・~?」
「俺?俺のことはいいから早く行けよ」
「何時も場所(駐車)がなくなるぞ!」
「じゃ~行くから・・携帯 持ってゆくから何かあったら・・・」
そう言ってカミさんは出かけた。
カミさんは決めたことは何が何でもやる気質だ。
我輩は体温計を小脇に挟んだまま、また寝た。
気がつくとお昼をはるかに過ぎていて身体の下に転がっていた体温計を見ると37度だった。
このくらいの熱が一番困る。中途半端なんだよね~。
我輩の平熱は35度5分から36度だから寝込むほどではないが、さりとて起きて活動?するのも身体の調子がイマイチだ。
ということで終日?部屋に引き篭っていたようだ。
午後4時に病院の予約が入っていたことを思い出し3時過ぎに車で病院に行く。
薬局で待つ間に早速 葛根湯を探すが沢山のメーカーがあり家にあるメーカーを忘れたので適当に求めた。
帰宅して晩飯までまだ相当間があるようなので直ぐに葛根湯を飲む。
夜はおかゆを作ってくれた。
少しは我輩のことも考えてくれたのかな?
パソコンを見ても頭がおかしいし・・TVを見る気にもならず早めに寝た。
あまりに早く寝たためか夜中に目が覚めた。
カミさんは台所のシンクを洗っていた。
時間は既に12時近い。
こんなに遅くまで頑張っているのか?よくやるよな~
台所がいつも綺麗なわけだ。
俺を台所に入れると直ぐにグチャ・グチャになるから入れないんだな?と納得。
真夜中に起きたついでに、また葛根湯を飲んで寝た。
今朝は(28日)薬が効いたのか平熱に下がっていた。
カミさんが我輩にしきりに何か言っている。
「何だ?書けよ!」カミさんが出した白板に
“7時半に久里浜駅“ と書かれた。
「なに、7時半までに久里浜駅に行くのか?」
「7時半に家を出ればいいの!」
「わかったよ~早く言えよ!」
「きのうも言ったでしょ!」
「聞いてないよ」と言うと、傍でカミさんが何やら“あれだけ大声で言ったのに・・“とか?なんとか?ぶつぶつ文句を言っている。
こんなことは、よく聞こえるから困る?
「兎に角 きょうは私が(ガン)センターに行くから久里浜まで送って・・」ということで今朝(28日)は食後 直ぐにカミさんを久里浜駅(始発電車がある)に送り一旦帰宅して本年最後の北久里浜駅前の整形病院に行く。
先生は何時ものように非常に親切でよく診ていただく。
「来年もよろしくお願いします」続けて「死ぬまでよろしく・・・」と失礼なことを言うと先生はにこっと笑っておられた。
ここの病院は看護婦さんもみんな親切な方でリハビリも何時ものように気持ちよく受けられてよい年収めになった。
薬局でお薬を頂きお昼前に帰宅した。
これできょうの午前中は終わった。
午後は2~3日前から読み始めた「胡蝶の夢(1巻~4巻)」(司馬遼太郎)が面白くそれを読むことにする。
正月に読む本は他に既にゴッソリと買い込んでいる。
カミさんは午後3時頃に帰るのでは?
お天気はもの凄くいい。
太陽の位置が低いので居間の奥まで陽が射し込む。
おかげまさで部屋も随分と暖かい。
窓際に寝ると陽が当たり暖かく、とても気持ちはいいが日焼けしそうだ。

///////////////////////////////////////////////////////////////
明日へのフォーカス】論説副委員長・高畑昭男 「最大不幸社会」の回顧録は
2010.12.28 02:46
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101228/plc1012280248009-n1.htm
以下 上の記事です。 ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この秋に相次いで出版されたブレア元英首相とブッシュ前米大統領の回顧録が面白い。ブレア氏の原書は700ページ超、ブッシュ氏のは500ページ超だが、電子版なら持ち運びは苦にならない。
とくに興味深いのは、イラク戦争をめぐる心の葛藤や各国首脳との駆け引きだ。欧州型進歩主義者のブレア氏は、クリントン元大統領を「政治的盟友」と慕うだけに、アメリカ保守強硬派のブッシュ氏との初対面では対応に戸惑ったという。
一方のブッシュ氏はブレア夫妻を初めてキャンプ・デービッド山荘に招いた夜、ハリウッド映画「ミート・ザ・ペアレンツ」を一緒に大笑いして楽しみ、「この男は信頼できる」と直感したそうだ。
信頼を重視し、単純明快なブッシュ氏。慎重で知的なブレア氏。思想も性格も対照的で、いわば水と油の2人が「イラク戦争やむなし」で一致したのは不思議ともいえた。大量破壊兵器の危険性を重視した点は同じだが、ブレア氏は「世界は自国民に暴虐を加える政権を許してはならない」という「保護する義務」から出発し、ブッシュ氏は「自由と民主主義の大義」を掲げている。
開戦後の経過は予想を裏切り、流血と混乱を極めた。ブレア氏は犠牲者に「本当にすまない」とし、今も「日々、苦悩と向き合っている」という。世のイラク戦争の評価は割れたままだが、2人は「開戦決断は間違っていない」で一貫している。
そのイラクでは挙国一致内閣が成立した。旧フセイン時代の国連制裁解除と併せて民主国家への道をまた一歩、前進した。ブレア氏が「決断しなければ別の結果を生む。フセイン政権を放置したらどうなっていたか」と問うているのは重く響く。
ブッシュ氏は小泉純一郎元首相を称賛しているが、ブレア氏の回顧録にはもっと傑作な場面がある。
イラクをめぐる米英と仏独の対立が高まっていた2005年夏、シラク仏大統領が「料理がまずい国の人間は信用できない」と英国を非難する放言(本人は否定)騒ぎが起きた。この数日後、ブレア氏が議長を務めた主要国首脳会議(G8)の晩餐会(ばんさんかい)で、小泉氏は「ヘイ、ジャック(シラク氏)、英国料理はうまいだろ、どうだい」と、大声でシラク氏をからかったというのだ。
満座の爆笑の中で、しかも英女王の面前で挑発されたシラク氏は顔色を失った。小泉氏は新たな料理が運ばれるたびに発言を続け、ブレア氏によれば、シラク氏は「最後は護衛官の銃をつかんで小泉氏を射殺しかねない」様子だったという。相手が誰だろうと物怖(お)じしない小泉氏の剛胆(ごうたん)ぶりが目に浮かぶようだ。
2つの回想を読んで同時に感じるのは、今の日本にこうした肝のすわった指導者がいるかどうかだ。ブレア氏は約10年、ブッシュ氏2期8年という任期の違いはあるものの、普天間問題で迷走を重ね、同盟国の信を失った鳩山由紀夫氏にせよ、「有言不実行」の菅直人氏にせよ、とてもそうは思えない。
この師走、安全保障や雇用、社会保障などの側面で、少しでも幸福に感じられる国民は、高齢者も若者も含めてどれだけいるだろうか。
「最小不幸社会」という理解しにくい論理の下で、日本は「最大不幸社会」へ向かっているような気がしてならない。民主党政権の2人は後々、どんな回顧録を書くつもりなのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考 ↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1151071401

朝 起きた時から少し頭痛を感じていた。
身体もかなりだるい。
昨日のブログに“風邪に気をつけましょう“ と言うHPを貼ったばかりのに・・・。
起きたのは何時もよりかなり遅い7時すぎだった。
パソコンを見てもどうも頭に入らぬ。

風邪かな?と思い何時もの葛根湯を飲もうとして薬箱から葛根湯の箱を出した。・・・・があいにく箱の中は空だった。
カミさんはなぜか漢方は飲まない。
我輩が買い忘れたらしい?
同じメーカーの薬にするために空箱を入れていたようだ。
しかたない。
朦朧として食事が済んでも身体の調子が芳しくない。
直ぐに暖房器の前で横になった。
暫くしてカミさんから肩を突かれ起こされた。
「行くの?行かないの?」と言う。
何だ?と思ったが・・・
「きょうはジムに行く日だよ」と言う
「ジムか~ァ きょうは休むよ~」
「また~ァ」
「私 一人で行くよ・・・いいの?」
「いいよ、行けよ」
「これだからしょうがないよね~どこか?具合が悪いの?」
「う~ん 少し熱があるようだ。体温計をとってくれ」
相変わらず横になったままでカミさんから渡された体温計を脇に挟んだ。
そばにカミさんが突っ立っている。
「どうしたんだ?」
「あんたの体温がどうなのか・・・~?」
「俺?俺のことはいいから早く行けよ」
「何時も場所(駐車)がなくなるぞ!」
「じゃ~行くから・・携帯 持ってゆくから何かあったら・・・」
そう言ってカミさんは出かけた。
カミさんは決めたことは何が何でもやる気質だ。
我輩は体温計を小脇に挟んだまま、また寝た。
気がつくとお昼をはるかに過ぎていて身体の下に転がっていた体温計を見ると37度だった。
このくらいの熱が一番困る。中途半端なんだよね~。
我輩の平熱は35度5分から36度だから寝込むほどではないが、さりとて起きて活動?するのも身体の調子がイマイチだ。
ということで終日?部屋に引き篭っていたようだ。
午後4時に病院の予約が入っていたことを思い出し3時過ぎに車で病院に行く。
薬局で待つ間に早速 葛根湯を探すが沢山のメーカーがあり家にあるメーカーを忘れたので適当に求めた。
帰宅して晩飯までまだ相当間があるようなので直ぐに葛根湯を飲む。
夜はおかゆを作ってくれた。
少しは我輩のことも考えてくれたのかな?
パソコンを見ても頭がおかしいし・・TVを見る気にもならず早めに寝た。
あまりに早く寝たためか夜中に目が覚めた。
カミさんは台所のシンクを洗っていた。
時間は既に12時近い。
こんなに遅くまで頑張っているのか?よくやるよな~
台所がいつも綺麗なわけだ。
俺を台所に入れると直ぐにグチャ・グチャになるから入れないんだな?と納得。
真夜中に起きたついでに、また葛根湯を飲んで寝た。
今朝は(28日)薬が効いたのか平熱に下がっていた。
カミさんが我輩にしきりに何か言っている。
「何だ?書けよ!」カミさんが出した白板に
“7時半に久里浜駅“ と書かれた。
「なに、7時半までに久里浜駅に行くのか?」
「7時半に家を出ればいいの!」
「わかったよ~早く言えよ!」
「きのうも言ったでしょ!」
「聞いてないよ」と言うと、傍でカミさんが何やら“あれだけ大声で言ったのに・・“とか?なんとか?ぶつぶつ文句を言っている。
こんなことは、よく聞こえるから困る?
「兎に角 きょうは私が(ガン)センターに行くから久里浜まで送って・・」ということで今朝(28日)は食後 直ぐにカミさんを久里浜駅(始発電車がある)に送り一旦帰宅して本年最後の北久里浜駅前の整形病院に行く。
先生は何時ものように非常に親切でよく診ていただく。
「来年もよろしくお願いします」続けて「死ぬまでよろしく・・・」と失礼なことを言うと先生はにこっと笑っておられた。
ここの病院は看護婦さんもみんな親切な方でリハビリも何時ものように気持ちよく受けられてよい年収めになった。
薬局でお薬を頂きお昼前に帰宅した。
これできょうの午前中は終わった。
午後は2~3日前から読み始めた「胡蝶の夢(1巻~4巻)」(司馬遼太郎)が面白くそれを読むことにする。
正月に読む本は他に既にゴッソリと買い込んでいる。
カミさんは午後3時頃に帰るのでは?
お天気はもの凄くいい。

太陽の位置が低いので居間の奥まで陽が射し込む。
おかげまさで部屋も随分と暖かい。
窓際に寝ると陽が当たり暖かく、とても気持ちはいいが日焼けしそうだ。

///////////////////////////////////////////////////////////////
明日へのフォーカス】論説副委員長・高畑昭男 「最大不幸社会」の回顧録は
2010.12.28 02:46
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101228/plc1012280248009-n1.htm
以下 上の記事です。 ↓
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この秋に相次いで出版されたブレア元英首相とブッシュ前米大統領の回顧録が面白い。ブレア氏の原書は700ページ超、ブッシュ氏のは500ページ超だが、電子版なら持ち運びは苦にならない。
とくに興味深いのは、イラク戦争をめぐる心の葛藤や各国首脳との駆け引きだ。欧州型進歩主義者のブレア氏は、クリントン元大統領を「政治的盟友」と慕うだけに、アメリカ保守強硬派のブッシュ氏との初対面では対応に戸惑ったという。
一方のブッシュ氏はブレア夫妻を初めてキャンプ・デービッド山荘に招いた夜、ハリウッド映画「ミート・ザ・ペアレンツ」を一緒に大笑いして楽しみ、「この男は信頼できる」と直感したそうだ。
信頼を重視し、単純明快なブッシュ氏。慎重で知的なブレア氏。思想も性格も対照的で、いわば水と油の2人が「イラク戦争やむなし」で一致したのは不思議ともいえた。大量破壊兵器の危険性を重視した点は同じだが、ブレア氏は「世界は自国民に暴虐を加える政権を許してはならない」という「保護する義務」から出発し、ブッシュ氏は「自由と民主主義の大義」を掲げている。
開戦後の経過は予想を裏切り、流血と混乱を極めた。ブレア氏は犠牲者に「本当にすまない」とし、今も「日々、苦悩と向き合っている」という。世のイラク戦争の評価は割れたままだが、2人は「開戦決断は間違っていない」で一貫している。
そのイラクでは挙国一致内閣が成立した。旧フセイン時代の国連制裁解除と併せて民主国家への道をまた一歩、前進した。ブレア氏が「決断しなければ別の結果を生む。フセイン政権を放置したらどうなっていたか」と問うているのは重く響く。
ブッシュ氏は小泉純一郎元首相を称賛しているが、ブレア氏の回顧録にはもっと傑作な場面がある。
イラクをめぐる米英と仏独の対立が高まっていた2005年夏、シラク仏大統領が「料理がまずい国の人間は信用できない」と英国を非難する放言(本人は否定)騒ぎが起きた。この数日後、ブレア氏が議長を務めた主要国首脳会議(G8)の晩餐会(ばんさんかい)で、小泉氏は「ヘイ、ジャック(シラク氏)、英国料理はうまいだろ、どうだい」と、大声でシラク氏をからかったというのだ。
満座の爆笑の中で、しかも英女王の面前で挑発されたシラク氏は顔色を失った。小泉氏は新たな料理が運ばれるたびに発言を続け、ブレア氏によれば、シラク氏は「最後は護衛官の銃をつかんで小泉氏を射殺しかねない」様子だったという。相手が誰だろうと物怖(お)じしない小泉氏の剛胆(ごうたん)ぶりが目に浮かぶようだ。
2つの回想を読んで同時に感じるのは、今の日本にこうした肝のすわった指導者がいるかどうかだ。ブレア氏は約10年、ブッシュ氏2期8年という任期の違いはあるものの、普天間問題で迷走を重ね、同盟国の信を失った鳩山由紀夫氏にせよ、「有言不実行」の菅直人氏にせよ、とてもそうは思えない。
この師走、安全保障や雇用、社会保障などの側面で、少しでも幸福に感じられる国民は、高齢者も若者も含めてどれだけいるだろうか。
「最小不幸社会」という理解しにくい論理の下で、日本は「最大不幸社会」へ向かっているような気がしてならない。民主党政権の2人は後々、どんな回顧録を書くつもりなのだろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
参考 ↓
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1151071401

何時も応援ならびにコメント有難うございます。
石川・富山・新潟3県の城巡りにお付き合い頂、有り難う御座いました!
今年も後残り僅かに成りましたネ。
年末押し迫ってお風邪ですか?
でも葛根湯のお陰で早く良くなって良かったですね。
小生達もジムは今日まで行き明日からは休みます。
正月の間に肥えないかと心配で~す!
*